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「誰もあの人のことは悪く言わない」「だからどうした」、

七月二三日

本は、なぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである。したがって、置き場所がなくなる。

草森紳一『随筆 本が崩れる』(中央公論新社)

午後十二時三八分。緑茶、やや湿ったガレット・ブルトンヌ。二度寝を繰り返す快楽に抗うことは出来なかった。きょうは午後一時半から四時のあいだ貯水槽清掃で断水されるから早めに糞をひねり出しておきたい。電気は五分でも停止されると困るけど水はそう困らない。いくら外を裸足で歩いてみたところで電気への依存体質は少しも変わらない。ここに自分の「なんちゃって野生主義」の限界がある。きのう午後四時十分ごろ、自転車で文圃閣に行った。裁判所付近で暑さのためやや気分が悪くなった。「外出しない方がいい日」ではなく「外出してはいけない日」だった。命がけで古書(大半の人にとっては紙屑)を買いに行くなんて風狂にも程がある。というか馬鹿だ。ガレージ店がまた風通しが悪くて汗が引かないんだ。しかもさしてめぼしいものはなかった。買った本は、文藝春秋・編『なんだか・おかしな・人たち』、日向康『林竹二 天の仕事』、向田邦子『無名仮名人名簿』、マルクス・アウレリウス『自省録』の四冊。しめて550円。『自省録』は京都大学学術出版会のもの。私はこれを神谷美恵子以外の訳では読んだことがない。シオランは『自省録』がお気に入りだったらしく『カイエ』でもよく言及されている。バイデンが次回の大統領選撤退を決め、後継として副大統領のカマラ・ハリスを支持すると発表した。それであのトランプと対抗できるのか、という声はとうぜん出てきそう。ハリスの「不人気」はつとに知られている。ボブ・ディランとかのほう票を集めるんじゃないの バイデンより二つ上だけど。もうアメリカってそういう国でしょ。SFよりもSF的な。セナ熱はちょっと下がったと思っても新しい動画が出るとまたすぐに上がる。あの人間界に迷い込んだ天使みたいな顔を見ていると悲しくなってくる。彼はきっと途轍もなく悲しいのだ。道化師のソネット。僕達は小さな舟に悲しみという荷物を積んでアバラカベッソン。きょうはもう書けない。脳が半休眠状態なんだ。もう一時半を過ぎている。たぶん蛇口をひねっても水は出てこない。言葉も出てこない。今週もぜんぶ図書館だな。セナを見に静岡へ行きたしと思へども静岡はあまりに遠し。「脳内メーカー」的にいうなら今の俺は「セナセナセナセナセナセナセナセナセナセナ酒酒酒本本本手淫手淫手淫本本本セナセナセナセナセナセナセナ」という具合。何をしているときもセナのことを考えている。なのにセナは俺のことなんて一ミクロンも知らないんだよな。この途方もない非対称性をどう受け止めるか。いやそもそもセナは人じゃなくて菩薩だ。セナという「一夫」に対して無数の妻がいて、そのなかの一人が俺なんだ。この一瞬一瞬にセナを感じろ。彼の「抱擁」と「接吻」を感じろ。俺がセナのことを思うときセナも俺のことを思っている。セナはいつも「ここ」にいる。セナはきっと「浮気」はしないだろう。たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。まちょと覚悟はしておけ。もう昼飯ね。ネギを炒めて納豆混ぜる。サバンナ仕立てのスポンジボブ。

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