見出し画像

【エッセイ】襟元の末に

 これは音楽の教訓だが、絶対にかなわぬ愛に身を投じているのは、自身の安定の保証であるか、狂気の沙汰に違いない。もう激しくは動かない心臓を打ちつけているのは、かつて生き生きとした時間が運ぶ戸惑いではなく、今からかつてを見つめるまなざしに潜む時間の残滓であるが、この孤独感とくれば、あの頃の自分さえそこに置き去った。恍惚としたあの彼女の眼と唇は今でも艶やかで、その悪がる血の純粋さを吸い込むが、今では少しばかり僕の耳を借りたように声を彼女は聞いている。でもそれは彼女に出会った時から変わったわけではなく、僕の謁見が、彼女への恐怖が、そして彼女の血肉がそれを妨げていた。

 ただ、今更気づいても、枯れた花びらが元の額に戻ることはない。いつの日か、その誰もが喜ぶ派手な香りの内に繊細で苦い花汁を忍ばせ、僕の口元へ近づける彼女がいたかもしれないが、ことごとく僕の手はそれを払い除けた。僕の嗅覚は、それを嗅ぎ分けることくらいはできるほど繊細だったが、それを信じることには十分ではなかった。彼女の唯一の過ちとは、まさに僕を買い被りすぎたということに他ならないだろう。

 しかし彼女を責めるつもりは毛頭ない。それは時間が流れることを空間のせいにするのと同じだ。それはやはり時間のせいなのだ。しかし、この躊躇いこそがかつての愛が僕という人格全てを果実に至らしめ、熟しすぎて幹から落ちた自由なものだった。ひたすら希望の雨を願うのではなく、同時に悲劇の雪を願う。これこそ善悪という道徳や法から逃れたこの愛を物語る。それらは溶けだし、いつかは全て哀愁の涙へと重なっていく。過去を旅するとはこういうことである。しかし今の光景を見て思うことはできない。それにもかかわらず今僕は生きている。だからこそ共に同じ音楽を聴いて、同じことを考えることで、彼女と共感したことが僕の襟元を困らせることになる。

 そしてこれがまさに僕を不幸にする。長い時間をかけて藤の蔓が巻き付けばどんなに強靭なものだって壊れてしまうように僕の身体は崩れていく。しかし本当に触れ合っているのは僕の体の表面ではなくその内側であって、それを振りほどこうとすれば、僕という原型はとどまらないということを忘れてはならない。僕は人間になりたいと願う。そのためには激痛と惨苦を肌に浸み込ませなければならない。しかし、それは崇高でも勤勉でも何でもないが、「生」の流れを捉え、身を任せることのできたことは、人類にとっての発明なのだ。かつての花弁は地に落ち、地に返り、古巣の精気となって新な花を咲かせる。だから僕の目に留まる凍った花を僕の手で砕いてみせよう。バラバラにして燃やしてみせよう。これが僕の彼女への最後の言葉だ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?