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「私の消えた朝」 (雑文)


 今朝は幾分、腹ばいになるのが難しく違和感で目が醒めた。

 いつもは空腹感に突き動かされ目覚めた直後にでも食欲旺盛で、食事が用意されてない時など食パンを袋から出すのももどかしいほどであるのだが、今日はそうではないようだ。

 視線を自らの腹部にやると、昨日よりさらに大きくなっている気がした。

 なるほど、このお腹ではすこし動くにも息は上がり、身体全体で呼吸しなくてはならないのも頷ける。

 寝床を出て廊下をゆっくりと潜水でもするかのように進み、キッチンに入ると誰もおらずいつも通りの朝であることを確認する。

 私は寝癖も整える気力もなく、リビングのソファーの定位置に横たわった。

 そこには私用のクッションがあり、見てくれは悪いがなんとも落ち着ける場所なのである。

 ふうと浅い溜息をつき、ブラインド越しから射し込む早朝の光を目にして、何故だか急に昔のことが浮かんでは消えて行くのをまるで映画でも流し観するような感覚で受け止めた。

 最古の記憶はいつだったろうか、暖かな部屋で優しそうな眼鏡の男性がわたしの顔を覗き込み、何をかを語りかけているが何を言っているのかまったく判らない。

 次は農機具小屋のような場所で痩せた身体を震わせながら風雪をしのいでいる私。

 あとはこの家に辿り着き、うやむやのまま居場所を確保したあの熱い夏。

 この家人達は、私がひとこと言えば破顔一笑で快く膳を用意する者達ばかりだ。

 何とも与しやすく鷹揚な集団で、私には非常に都合のいい場所でもある。

 すこし寝返りを打つと腹部が波打つと同時に鈍痛が肋骨の下で拡がっていった。

 医者の話によると「フクスイ」なるものが溜まっており、数日前も掛かり付け医を訪れ抜いたばかりである。

 数人の看護師に仰向けに固定され腹に針を刺された時、施術していた担当医に「性格が良い、大人しくて良い」と何度も褒められたが、私から言わせると押さえ付けられながら数カ所を撫でられる心地良さが永遠に続けばいいと願っていただけのことだ。

 それなのに家人ときたら、見上げる私の顔を目を細めて見つめており、なかなか感情を読むことが出来ずにいたが家人の眼の光に憐れみと哀しみ、つまり憐憫を見つけたのは気のせいだったのだろうか。

 不思議と嫌ではない私もいたが。

 ようやく喉が渇いていることに気がついたが、リビングのテーブルを駆け上がりメダカの水槽に行く気力がないこともあって、気を反らせるためにそのまま惰眠を貪る。

 また昔のことをぼんやりと思い出す。

 野良をしている時、年寄りや体調の不調を訴えるものがいつしか集団から離れ独りで行動し、やがて見かけなくなるのは何故なのか不思議で仕方なかったことを思い出した。

 他のものにも問いかけてはみたが、みな一様に頸を横に振るだけであった。

 すこし軽い溜息をつくと全身に泥のような倦怠感が纏わりつき、視界も霞んでいるのは窓から射し込む朝の光だけではないだろう。

 頸を出来るだけ高く伸ばして多くの嗅覚情報を掴み取ろうと試したが、今日は肝心のセンサーが不調のようだ。

 もうすこしで家人が起きる時間だ。

 私のなかに瞬間ではあるが本能的な閃きがあった。

 そうだ、隠れて家人を驚かせてやろう。

 思うが早いか、怠さという降ろせない荷物を背負ったまま、言うことを聞かなくなった身体を引きずるように廊下を履い、一階の和室のブツマと家人が呼ぶ空間に身を横たえた。

 発見した時の家人の安堵と柔和な表情が思い出され、私はこの倦怠感に支配され尽くしたと思われた身体に、温かな燈を手に入れた気がする。

 二階から階段を降りるゆっくりとした音が聴こえて来た。

 リビングから私の名を呼ぶ声がすると、私は一層愉快な気持ちになり、からかってやろうと声を出したが、喉を空気が通過しただけで音にならない。

 ……先程から襲ってくる経験したことのない睡魔に負けそうになりながら、私はこのゲームを最後まで続けたいと強く願って仕方なかった。

 あの与し易く愚かで憐れで、柔和な家人の顔がまた見たいのだ。

 だが、すこし休んでもいいのかもしれない。

 何故なら、こんなにも眠いのだから。

 私は意志通りに動かない身体をゆっくりと丸めて、出来るだけ楽な体勢を取る。

 私の名を呼ぶ家人の声が心地良く思われる。

 すこしだけ眠るだけだ。

 そう、すこしだけ……


(了)


野良魂のなさ
粘膜のただれがひどく病院にて処置


半野良であったマイコー(野良)が急逝しました。

勝手に入って来て、申し訳なさそうにしながらも当たり前のようにご相伴に預かる憎めないヤツでした。

保護ねこ活動をやってると、理不尽な理由で亡くなるコも少なくはありませんが、何度体験しても見送るのは慣れないです。

病院での検査を終え、明日再度来院して処置を受けるはずの急逝に何とも言葉が出ません。

ですが、哀悼の意を込めて文章を書くことで、生きていた証をすこしでも遺そうと思い一気に書きました。




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