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「ガーディアン オブ コインランドリー」 (短編小説)
この時期の長雨でよろこんでいるのは、黴とアマガエルだけだと断言したい。
少なくともぼくは気が滅入る以外に何もないのだ。
現に部屋にたまった洗濯物を見ないようにして過ごしていたが、さすがに替えがなくなりようやく重い腰を上げざるを得ない状況になった。
早朝、身体をたたむように電車に乗り感情を殺しながら仕事をこなし、自宅にたどり着くと明日のために寝るだけの日常。
いつしか洗濯はあとまわしとなり、この雨季と重なってしまいぼくの部屋は洗濯を待つ衣服で緊急事態発令と相なった。
大きなごみ袋に洗濯物を詰めるだけ詰め込んで、両手にぶら下げ暗い夜の通りに出る。
近所のコインランドリーは仄明るくて、誘蛾灯のようにぼくの気持ちをすこし照らした。
若い女性が足速にすれ違う。 女性にとってこのコインランドリー以外の灯りがない通りなら警戒心も仕方ないのだろう。
ドラム式洗濯機に洗濯物を押し込んで、ドアを閉め硬貨を入れるとぼくのミッションは、ほぼ完了だ。
ふと店内の奥、靴専用の洗浄機のすみに人影らしき塊があるのに気が付いた。
見窄らしい衣服、何というか…… ホームレスらしい男が店内の待機場所であるカウンターコーナーのスタンドチェアに佇んでいた。
「にーちゃん、すまんな。 気になるやろうけど、気にせんでええから」
日に焼けて色褪せた阪神のキャップのつばを指先をカットした軍手でクイっと直すと、これまた日焼けだか汚れだか分からない褐色の顔が見えた。
なんだかイヤな感じがして洗濯中も気が気でない。 手持ち無沙汰で手に取ったマンガにも目が泳ぎ、取り出したケータイにも集中できない。
「まぁ、わいも好んでここにおるんやないんや。 ちょっと事情があってな」
「はぁ」
ホームレス風の男は、スタンドチェアから離れるとぼくの近くの椅子に座り直す。
ぼくはとっさに相手に気付かれない程度に身を退け反らせてしまった。
「にーちゃんは、風水とか聞いたことあるか? 気の流れとかちゅうやっちゃ」
彼は地脈の乱れる深夜に、要所を調整するために存在しているという。
ここも、だ。
気の流れを整えるには、気を調整するための「アンカー」を設置している。
アンカーと呼ぶ調整品は、普段ぼくたちが目にしている何でもない物も含まれるという。
道に落ちている軍手、なかなか動こうとしない鳩、駐車場に揃えられた靴、大きな物では道路向かいに建つ同じ系列のコンビニ。
「最近、なんやじーさんが車で店に突っ込んだとか、ブレーキ踏んだはずなのに立体駐車場から落ちたりする事故が多いやろ。 あれがそやねん。 むかしはもっと大変やったんやで。 通り魔とかなぁ……。 それも悪い気に当てられてやらかしよるから、わしらが日夜頑張っとんねん」
その話に妙な説得力があるのは、ニュースを観るたびに『なぜ?』と思うような事件や事故ばかりが目についていたからだ。
どう考えても無計画無謀極まりない事件だったり、考えられないような事故原因を不思議に思っていたので、目の前のホームレス風の男にどこか風格が漂い始めてくるのを感じる。
「世の中は不思議で溢れてるっちゅーこっちゃ」
前歯が数本抜けた笑顔に反して、その眼は光を増している気がした。
ふたりの間を取り持つように、どこかで聞いた電子音が鳴った。 入り口の自動ドアが開くと、やや場違いな制服姿の男性が神妙な面持ちで入って来た。
「すこしいいかな。 女性からの通報で来たのですが。 洗濯物の下着を物色したらしいとのことだけど」
制服姿の警察官が帽子を脱ぎ額の汗を拭いながら、くだけた口調で声をかけてはいるが目の鋭さは隠せない。
「知らんがな。 なぁ、にーちゃん」
失礼だが、ここで何をと、警察官はひとつずつ古物商が鑑定するように尋ねた。
署のほうで話を聞かせてほしいとお願いのような強制を投げ、警察官はホームレス風の男の肘を抱えた。
「いや、ちょい待ちぃて! ここにおらなあかんねん。 どうなっても知らんで」
店の前には、先ほどの若い女性と別の警察官が連行されるホームレス風の男に鋭い視線を投げているのが見えた。
その警察官が店内に入ってきて、ぼくに2、3質問をしたがなにを答えたのか憶えていない。
やがてコインランドリーという舞台の登場人物がほとんど去り、ぼくだけがぽつんと残された。
ぼくの終幕の合図はいつ届くのだろうか……。
衣替えを終え、衣装ケースに収める前にまとめて洗濯をまわす。 気持ち多めの柔軟剤を入れ、陽が高くなった土曜の午後に缶ビールを開けた。
自宅の洗濯機のなかでまわる自身の下着たちを眺めながら、ぼんやりとあの夜に起きたことをなぞっていた。
参考にと警察官に教えた番号に連絡が来て、ホームレス風の男の自宅(と言っても、河川敷のダンボールらしいが)から大量の女性用下着などが見つかったという。
警察官がひとつ不可解だというのは、女性用の下着とは別に大量の手袋、軍手が発見されたと……。
あの夜の話は、ホームレスの口から出まかせだったのか。
ただ、そのあとにあのコインランドリーはアクセルとブレーキの操作を間違えた高齢者が運転する車が飛び込み、上にあったマンションで数件の傷害事件や殺人が起こり、出張から帰って来た時には空き地になっていた。
偶然の一致、よくあることではないかと、ぼくは記憶の片隅のごみ箱に追いやった。
だが、通勤時に時折り見かける不思議な存在、片手だけの軍手などを見ると、どうしてもあの湿度の高い夜を思い出さずにはいられないのだ。
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