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「株式会社 悪田工務店」 (短編小説)


 (へっ、本当に捺しやがったよ。)

 応接セットに腰掛けた目の前の痩せて、いかにも気の弱そうな男が大理石のテーブルに広げられた契約書に実印を捺している。

 白いポロシャツから生えた青白い首に、これまたコピー用紙のような顔の眼鏡の男は、数枚の契約書に捺印し、差し出されたティッシュで判を丁寧に拭く。

 悪田工務店・応接室。

 部屋の隅に枯れそうな観葉植物と、怪しげな海外のおみやげらしい民族風の置物が、この会社の主である悪田の奸計を応援しているようにみえる。
 「……はい、結構です。これで施工の方に入らせていただきます」
 悪田が大仏を意識して出来るだけ福々しい笑みを作って話していたが、大仏と似ているのはその螺髪のようなパンチパーマだけである。
 (悪いが、がっぽり儲けてさせてもらうからな。 これだから止められねぇよ)


 「……という訳だ。 解ったな」
 現場で社員一同、輪になって朝礼をしている。
 一同と言っても、悪田工務店の社員は悪田以下二名。 そのうちひとりは事務所にいる電話番の女子社員であるが。

 「アニキ、簡単にいうと、いつもより『抜け』ばいいんしょ?」
 捲り上げた作業着から伸びたヒジを面倒くさそうに掻きながら、金と黒のツーブロックの男が上目遣いで漏らした。 
 「社長と呼べ、ヒロ。 そういう事だ。 久々のカモだからな」

 抜くとは、本来使わないといけない材料の本数を減らしたり、細く安い材木を使い利鞘を増やすことを言う。
 つまり手抜きである。
 悪田のクセなのか、首元に鈍く輝く金のチェーンを確かめるように触るのを見て、ヒロもだらしなく破顔した。
「了解っス。 これで俺も夢の外車生活が待っちゃってるかなぁ」
 




 「熱い中、お疲れ様です」
 振り返ると、契約者のあの青白い顔の男がいた。
 隣には小柄で白い肌の女と、手を繋がれた半ズボンの子供が三人で並んで立っていた。

 「悪田さん、どうしても妻が見たいっていうんですよ」
 男の妻が少し恥ずかしそうに会釈して男の子の背中にそっと触れた。
 男は手に持った買い物袋いっぱいの缶ジュースと氷の袋を悪田に手渡した。

 「アニ……社長ーっ、ここはこれでいいんすよねーっ」
ヒロが木材加工をしている庭になる場所から、背中だけ丸めてニヤつきながら悪田に聞いてきた。
 「ば、ばか、そりゃ違うだろっ。 そんな悪いのは使う訳ねーだろ。 ……ホントしょーがねーヤツでして」
 か細い男と色白な妻、そしてその子は微笑みながらまっすぐに悪田を見つめている。



 土砂降りの中、骨組みだけの家の屋根に男が張り付いていた。
 悪田が、今日は作業中止する旨を施主の男に伝え、現場に向かいひとり作業をしてたのだ。
 (今日のうちに材料を間引かねぇと、儲けが出ねぇ)
 懸命な悪巧みに打ち込んでいると、雨の音に紛れながら何やら下から話し声が聞こえた。
 
 「あなた本当に良かったわ。 悪田さんのところはこんな雨の中でも、あんなに頑張って下さるもの」
 「ああ、本当だな。 ケンジもうすぐお前の部屋を、あの社長さんが作ってくれるんだからな」
 悪田が雨合羽のフードから下を覗くと、三つの並んだ傘から男の子の頭を撫でる男の手とキラキラと輝く男の子の眼が見えた。




 「おい、ヒロ。 もう少し丁寧に仕上げろ。 それと、そこは一番いい木を使え」
 焼けた首筋の汗を軽く左手の甲で拭うと、背中を丸めて作業していたヒロを見やる。
 「アニ… 社長やっぱおかしいっすよ。 これじゃあ儲かんないっすよ。 マジいいんすか?」
 面白くなさそうに打つ金づちを置き、怪訝そうにヒロがつぶやいた。
 何も言わず、アゴで柱の向こうに注意を促す。
 
 いっぱいに開いた瞳の輝きをこちらに放ちながら、仮置きした木材に座り込んだ男の子がスケッチブックに何やら描いている。
 その向こうに優しく微笑む夫婦。

 「いいかヒロ、これからは最上級の材料を使え。 何時間かかってもいいから、最高の仕上げをしろ」
 「……ホントいいんすか? 赤字っすよ?」
 まっすぐに悪田を見て、ヒロは聞いた。
 「まぁ、今までの儲けがあるからな。 さ、ぼやぼやしてねぇで、手を動かせ」
 へーいと両手を頭のうしろで組んで、ゆっくりと持ち場に戻るヒロ。
「あーあ、夢の外車生活が〜」
 悪田は何故か楽しそうに動くヒロの奴を見て、自分自身も同じ顔になっていると気付いた。


 気持ち良いリズミカルな金づちの音が響く新築工事現場の柱に、「だいくさん、ありがとお。」と、クレヨンで描かれた似顔絵が張ってあった。

 その絵は、唯一の優しい小さな光として、悪田工務店の応接室に今も飾られている。







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