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「つぐみの独立国家宣言」 (短編小説)
そのため息はフローリングを滑り、リビングのソファーの上で弾んだ。
なぜなら、その所有者であるおかあさんは、いつものルーティーンが崩れて面倒くさい一日になる予兆を感じたからだ。
黒いネコの描かれたダンボールを避けながら、リビングを横切り廊下に出ると子ども部屋に向けて声を投げる。
「つぐみ、起きなさい」
いつもなら、早くからリビングで寂しかった夜の隙間を埋めようとするように、話し相手を探して待ち構えている子なのだが、今日に限っては陽が高くなっても自室から出てこない。
おかあさんは速いため息をつくと子ども部屋の前に立った。
淡い木目調のドアには、小さな木のプレートに拙いクレヨンで「つぐみのへや」と並んでいる。
しばらくドアを叩いたり呼びかけたりしていると、閉じられたドアの下から一枚の紙が滑り出てきた。
A4のコピー用紙に、かき方鉛筆の濃い文字がびっしりと書かれてある。
「つぐみ国 どくりつせんげん書
おとうさんとおかあさんの考えだけで、子どものわたしがつらいのはいやです。
だから、今日からどくりつをします」
「あら、そうなの?」
おかあさんは、つぐみがまたいつものダダをこねているものと軽く困った笑いを浮かべた。
その日のつぐみといえば徹底したもので、自室からリビングまでダンボールに入ったまま、ずりりずりりと移動してきた。
必要なものはダンボールに開けた小窓より手を出して取り入れるのだから、おかあさんはあきれるより笑ってしまった。
家事の合間にリビングに視線をやると、TVの前にダンボールが佇んでおり、次々にチャンネルが変わっていくのでダンボール内からリモコン操作をしているのだろう。
そういえば朝から姿が見えなかった猫のロンのしっぽが、ダンボールから生えていた。
「つぐみ、ごはんの前にお風呂入っておいで」
リビングのダンボールがくるりとキッチンに向き、なにやらゴソゴソと音がした。
「それでは、こちらに希望するめいもくを書いてお出しください」
ダンボールの小窓より差し出されたチラシの裏に『ようぼうしょ』と書かれている。
「もう、いい加減にしなさい」
「ないせいかんしょうですよ。正式なルートでようぼうください。では」と、ダンボールの小窓がパタンと締まり、クロネコの親子のロゴが現れた。
「……という感じで、一日この調子なの」
おかあさんはおとうさんに話すと、半分まで飲んでいた缶ビールをくいと飲み干した。
「そっか。 それは大変だったね。 よし、僕が話してみるよ」
ダンボールの大きさのつぐみ国に夜の帳が下りる。
玄関から持って来たセンサー付きの照明が頼りである。
つぐみは猫のロンの首を抱き寄せ、何かと闘っているような眉毛でくちを尖らせている。
ふと、国境のダンボールをノックする音に気がつき、ぱかりと覗き窓を開けた。
「お休みのところ、誠に申し訳ありません。 貴国と正式に国交を締結したくご挨拶に参りました」
おとうさんは、名刺を差し入れる。
『副国王兼外交担当 おとうさん』
「正式な書面もわが国王女より預かっております。 何とぞ交渉の機会を賜りますよう重ねてお願いにあがりました」
つぐみは、おとうさんの発する言葉の意味がよくわからなかったが、『お願い』に来たのだとは汲み取れた。
「ちょっと待つように。 国民に聞いてみるので」
パタリと小窓を締め、つぐみは国民投票の準備に入る。
「ロン、どう思う?」
『なー』
「なるほど」
「わが国はおとなのわがままは聞きません。 好きなことを好きな時にするのがどくりつの理由です。子どもにも、つごうと理由があるのです 」
おとうさんはすこし間をおいて、静かに部屋に繋がる廊下の向こうに目配せした。
「貴国との交渉に、わが国の最高権威者であり国家の象徴である者を招聘いたします」
おかあさんは伏見がちにゆっくりとお部屋に入って来て、つぐみ国の国境であるダンボールの前に腰を下ろした。
「つぐみ、おかあさんのお話を聞いてちょうだい」
おかあさんは、あちこちに転がっていきそうな心を繋ぎ止めるかのように両手を胸に手を当てて、ゆっくりと息を吐く。
「つぐみ、お願い。 あなたがごはんを食べなくておなかを空かせてないか、本当は体調が悪くなってるんじゃないかと心配で……」
「条件はなんですか」
つぐみはダンボールの小窓から、おかあさんの傍らに座るおとうさんに視線を移す。
「条件かぁ。 つぐみ国王に無条件の愛情を誓うよ」
「どういう意味?」
「ずーっと大好きってこと」
つぐみは傍らに鎮座する唯一の国民であるロンに訴えるような視線を落とすと、ロンは猫特有の長いしっぽをピンと伸ばして国王に答えた。
『なー』
鎖国を解き、箱型の国境がぱたりと転がると国の象徴であるつぐみと唯一の国民であるロンが鎮座している。
おかあさんは、思わず膝立ちでつぐみを抱きしめた。
「おとなも泣くんだね」
「大人はね、うれしい時に泣いちゃうんだよ」
そう言っておとうさんは、おかあさんの背中に手を添えた。
かつて頑強であった国境はリビングの隅に置かれた。
つぐみ国王はテーブルに置かれた目の前のモンブランの上のグラッセをつまむ。
ゆっくりと視線を謁見に訪れた大人国の副国王に移すと、メガネの奥の眼が慈愛に満ちてうなずいた。
確信を持ってグラッセを口に運び、柔らかく噛むと深くて芳醇な甘さが口内を満たす。
国交断絶により食料困難に陥っていたつぐみ国は、ひさびさのスイーツにわな泣いた。
ロンもお皿についたクリームを器用に舌ですくい取り、晴れて開国の喜びを分かち合う。
おかあさんもおとうさんも敵国ではなく、友好国なのだ。
ううん、つぐみが生まれる前からずっとそうであった。
『歴史的和解実現
つぐみ国が先ほど外交ルートを全面的に解放し、諸外国に対して国交開放交渉の席につく旨を宣言した。 じつに8時間28分ぶりの事実上「開国」に諸大人は歓喜の声を上げた』
現在、つぐみ国のあった場所は歴史的な価値が高いとの理由により「文化的有形遺産」に指定され、元つぐみ国々民あるロン氏により、大きなあくびをもって管理されている。
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