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「雪の夜の裏側」 (短編小説)


 バックシートの背もたれがなかったかのように、伊達だてメガネの男は小さく隠れるように身を置いた。

 腹の奥にジクジクとした苛立いらだちが次第に大きくなっていく。

 余計に焦ると分かっているが、腕時計に目を落として計画より時間を取られていることにあらためてほぞをむ。

 苛立いらだちの原因はわかっている。

 タクシーの窓の外は、急な大雪による積雪で幹線道路は徐行と事故渋滞が頻発ひんぱつしていた。

 もうひとつは……

 「でね、言ってやったんですよ。 そりゃ、天気予報をこまめに観てないお前が悪いって。 ……お客様?」

 ミラー越しに後ろの状況を確認しようとする運転手から見えないように、わずかに身をよじった。

 「え? ……あぁ、うん。 ……急いでくれ」

 タクシーの車内は快適な温度に保たれているはずだが、顔が上気しひたいや首筋に汗が流れる。

 一刻も早く現場から遠ざからなければ……。

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 双子として生まれた私と弟は何もかも分け合って育った。

 だが私の妻との密通を知った時、幼い頃に気付かないフリをしていた独占欲のふたが開いてしまった。

 私を裏切ったふたりを殺し、弟になりすます準備も計画を練りに練り、今夜ついに実行した。

 私のものである寝室のベッドで、苦しそうにもがく弟と妻だった女を見ながら、私は不思議と笑みがこぼれることに驚いた。

 アリバイの偽装ぎそうは完璧、……のハズだった。

 マンションの駐車場に停めた逃走用の車が急な大雪で動かすどころか、運転席に乗り込むにも時間がかかるほどだ。

 アリバイ偽装のため、ここで時間を取られるのは致命的である。

 仕方なく大雪の歩道をぎこちなく進み、通りでタクシーを停め目立たないように乗り込んだ。

 「お客さん、テレビに出てる人ですか?」

 目立たないように、コソコソしていたのが逆に目立っていたようだ。

 「い、いや……」

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 バリバリとスタッドレスタイヤが路面の氷を砕く。

 大雪で車通りの少ない街中を走ると、タクシーを停めようとする人々がまるで救いを求めるかのように手をあげている。

 通り過ぎるタクシーに投げつける怨嗟えんさのこもった眼差しが痛い。

 目立っては危険だ。

 「すいません、なるべく人通りのない道を……」

 言ったあと、自分でもおかしなことを口走りドライバーに怪しまれるかと思い身構えた。

 「助かりますよ。 これだけあぶないとね、ほら」

 そう言って小さく車外に顔を向けると、ハイヒールの女性が踏み均されて凍結した歩道を避け、ヨロヨロと車道の脇を歩いている。

 雪に慣れてない街では、ひとたび雪が舞うとパニックになるのは恒例行事こうれいぎょうじであった。

 「それに正直、私も目立つことは苦手でして……」

 助かった。

 おたがい干渉しないで目的地に着くことが何よりベストだからだ。

 大通りを迂回して路地を抜けると、だんだんと店舗や住宅の間隔が開き、白い雪をかんしたをした緑が増えていく。

 シートに身を屈めるように座り直し、所在なげに視線を落とすと白いシートカバーの下に黒いシミがあった。

 こんな几帳面に清掃されたタクシーに似つかわないシミに、どこか自身の存在を重ねて爪先でもてあそんだ。


 「お客様、失礼ながら…… えりに血のようなものがついております」

 ハッとして首筋を隠すように左手で押さえたが、よく考えると妻であった女と弟には劇薬げきやくったのではないか。

 「おや、見間違みまちがいのようでした。 ……お気分でも悪いのですか」

 このふざけた問答もんどうおさえ付けていた怒りをせて喉笛のどぶえを鳴らした。

 「いい加減にしろよ。 殺されたいのか!」

 驚いた運転手が一瞬、首をすくめたためハンドルが取られ車体がわずかに蛇行だこうした。

 「こっちはふたり殺してんだ。 ふたり殺そうがもうひとり増えようが変わりないんだよ!」

 運転手は右手でハンドルを保持したまま、左手で自身を抱きしめるように震えた。

 「そうだったんですか……。 でも、警察には通報しません。 いろいろ事情がおありだったのでしょう……」

 小さく震える運転手の背中を見ながら、あらためて罪を吐露とろしてしまったことを後悔したが、これだけ小心者なら大丈夫だろうと自身をなだめた。

 「ひとに言えない事情を隠して過ごすのは大変です。  ……私もあなたになら、自分を出せそうですよ」

 車内にドアが何度かロックされる重い音。

 震えていた顔がゆっくりと上げて、爬虫類はちゅうるいのような顔で笑った。

 笑った?

 本能が緊急信号エマージェンシーを発報し、急いでドアノブを操作したがまるで手応えがない。

 「いやあ、最近のやつはぎゃあぎゃあ騒ぐだけで、歯向かう意気地がないのがなげかわしい」

 背骨のくぼみを冷たい汗がとめどなく流れ、シャツの色を濃くする。

 シートの黒いシミが目に入る。 よく見ると黒ではなく、赤黒いシミで本能的によく知ってる。 まるで……。

「この世には2種類の人間がいます。 ひとつは日常という安穏あんのんとした野に生息する獲物えもの。 もうひとつは、それらを狩猟し消費する捕食者ほしょくしゃ。 その点、あなたはこちら側の人間だ。 仲良くやりましょう…」

 スピードメーターの横のレバーを引くと、助手席のグローブボックスが開き、奥からスライドするようにゆっくりと二重底が出てきた。

 メスやノコギリ、肉切り包丁などのさまざまな形の刃物という刃物。 取手の木目が赤黒いつやにぶい光を反射した。

  さっきまでの人畜無害じんちくむがいな笑顔がすぅと消え、邪悪のみで固められた蛇のような眼が鎌首かまくびをもたせ運転手は振り向いた。

 

 
 星空へ続く雪の林道を狂気と絶望を乗せた黒いタクシーのテールランプが消えていった。








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