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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』5章-3 6章-1

5章-3 ハニー

 わずかに残っていた期待も、平穏な航行が続くうちに、霧散した。

 追撃してくる艦隊は、ない。

 待ち伏せをかけてくる艦隊も、ない。

 マックスは、わたしを追ってきてくれない。もう、生きてはいないのかもしれない。やはり、わたしたちはイレーヌに負けたのだ。完膚なきまでに。

(マックス、あなたは馬鹿よ)

 自分だけは違う、辺境で勝ち残れるなんて自惚れて。そして、その自惚れ男に頼りきっていたわたしは、なお愚か。男になど何も期待しない、自分一人で生きていく、学生の頃のあの気概は、どこへ消え失せたの!?

 美しくなりたい、そのためには何を捨ててもいいとまで思うのだったら、自分一人で辺境に出て、組織を築くという覚悟が必要だったのよ。荒事や汚れ仕事は全てマックスに任せていた、その甘えが、こういう結果を招いた。自業自得。

 それでも、《ヴィーナス・タウン》を失うことだけは、どうしてもあきらめきれなかった。

 何年もかけて育ててきた、バイオロイドの娘たち。才能を開花させたばかりの、陽気な若者たち。辺境中から集まってくれた顧客たち。

 〝女の聖域〟を辺境の各都市に築いていくことが、わたしの生涯の夢になっていたのに。

 今ではもう、市民社会を恋しいとも思わない。マックスのことすら、このまま忘れ去ることができるだろう。だけど、店だけは。

 イレーヌは泰然として、

「《ヴィーナス・タウン》は、あなたがいた時と、何も変わらないわ。あなたの偽者は、あなたのしてきた通りに振る舞うから」

 と言うけれど、いずれは利益優先の姿勢に変質し、バイオロイドの娘たちから自由を奪うのではないか。イレーヌは、わたし自身から自由を奪って平気なのだから。

 それでも、わたしは豪華な船室を与えられ、何体ものアンドロイド侍女にかしずかれていた。

「ハニーさま、お茶をどうぞ」

「昼食は、何かご希望がございますか?」

「ハニーさま、トレーニングマシンの支度ができております」

 専用のジムで運動した後は、丁寧なマッサージを受けられる。全身のパックも、爪や髪の手入れもしてくれる。

 イレーヌも、わたしの話相手をしてくれた。一緒に食事をしたり、中央のニュース番組を見たり、チェスや将棋に誘ってきたり。彼女はわたしに楽々勝てるくせに、勝負が続くよう、あえて手加減してくる。彼女にとっては、さぞ退屈な時間だろうに。

「こんなこと、していていいの? わたしの世話は部下に任せて、仕事に戻ったら?」

 と何度問いかけても、澄ましている。

「必要な指令は下しているわ。今はあなたの世話が、最優先業務よ」

 そして、可愛くてならないらしい弟のことを、あれこれとわたしに語る。

「最悪の想像をしているようだけれど、シヴァはまともな男よ。あなたを殴ったり、鞭で打ったりしないわ。あなたにハイヒールで踏まれる趣味も、たぶんないと思うわよ。まあ、試したければ、試してみてもいいけど」

 ただし、彼はいささかひねくれているらしい。

「自分はもう、女なんか要らないと言い張っているわ。これまで女運が悪かったものだから、すっかりいじけているの。自分には未来永劫、幸せなんか来ないと思ってる。でも、本当は誰かに助けてほしいのよ。あなたと会話できるだけで、ずいぶん救われると思うわ」

 よくもそう、勝手なことが言えるものだと感心する。わたしはシヴァへの『手土産』にされるために、人生を奪われたのに。

「既に十分、幸せそうだわ。こんなに優しいお姉さんがいるんだもの」

 冷ややかに言ったら、イレーヌは苦笑した。

「まあ、確かに過保護かもしれないわ。でもね、わたしの気掛かりは、あの子だけなの。人類社会がどうなっても、わたしの責任ではないけれど、あの子の人生にだけは、責任があると思っているわ」

 ――人類社会に対する責任ですって?

 妙なことを言う、と心にひっかかった。普段、そういう責任をまるきり考えていない人間なら、そんな言葉がぽろりと口から出ることはないだろう。

 でも、イレーヌは、自分の成功、自分の幸せを最優先にする野心的な女……と思っていたのに。

「なぜ、弟の人生があなたの責任なの? だって、あなたが生んで育てたわけじゃないでしょう?」

「そうね……」

 イレーヌは、少しだけ視線を遠くへやる。

「わたしたちはずっと、二人きりで世の中を渡ってきたから。長いこと、お互いだけしか味方がいなかった」

 まるで、何百年も生きてきたかのように言う。でも、一人ではなく、二人だったのなら、辺境では、ずいぶん恵まれた部類のはず。

「ただ、あの子はやはり、わたし以外の誰かと暮らすべきなのよ。でないと、あまりにも不健康だわ」

 はっとした。

 ――もしや、男女関係にある姉弟なのでは。

 けれど、その疑いを知ると、イレーヌは珍しく、身をよじって笑い転げた。イレーヌの大笑いなんて、初めて見たのではないかしら。彼女はソファのクッションを叩いて笑い、涙のにじんだ目をこすりながら言う。

「ハニー、あなた、それだけはシヴァに言わない方がいいわよ。どんなに怒りだすか、知れたものじゃないから。わたしと何かするくらいなら、切腹して死ぬ方がましだって言うんじゃないかしら」

 ますますわからない。

 シヴァというのがどんな男なのか、じかに確かめたいという気はしてきた。もう、それしか道はないのだから。

6章 マックス

 ぼくがハニーを置いて、長く視察の旅に出るのは、往復の航路で、極秘の実験をするためだった。このことは、幹部級の部下たちにも、伴侶であるハニーにも教えていない。発狂しかねない人体実験など、まず理解されないだろうから。

 しかし、真の不老不死は……あるいは無限の進化は、『超越化』によってしか得られない。それは、十代の頃から考えていたことだ。

 ――人間の限界を超えて、意識を拡大すること。

 自分の意識を機械的システムに接続し、拡大した精神を、拠点の管理システムや、バイオロイドのボディなど、好みの〝担体たんたい〟に宿らせ、超空間ネットワークで相互につなぐ。

 自分の精神を、無数の器に分けて保持するのだ。そして、それらを連結・統合するシステムの更新を繰り返して、この宇宙の終わりまで生きる。

 いや、この宇宙が終わる前に、他の宇宙へ脱出する方法を発見する。ふさわしい時空間がなければ、自分で誕生させる。

 つまり、神となるのだ。

 新たな世界を繰り返し創造し、そこに君臨する。

 永遠に生き、無限に進化し続ける。

 それこそが、いま考えうる最高の未来。

 ある程度の規模を持つ組織なら、余裕ができ次第、超越化の技術を研究し始めている。そして、無数の人体実験を行っているらしい。成功例はまだ聞かないが、理論的には可能だ。どこかで誰かが、こっそり成功させているかもしれない。

 〝連合〟の中枢に、世界初の超越体が隠れ住んでいるという噂もある。

 本当なら興味深いが、確かめようはない。既に超越体が、この世界を裏面から支配しているのなら、そいつは、後に続く者を発見次第、抹殺していくだろう。

 ぼくなら、そうする。神は、一人で十分なのだから。

 だから、実際には、まだ誰も成功していないのかもしれない。自分で試してみてわかったが、技術的困難が山ほどある。ぼくは、ようやく『不完全な精神の複製』に成功しただけだ。

 ――被験者の意識を記憶装置につなぎ、色々な仮想現実にさらす。市街地、遊園地、山岳地帯、密林地帯、洋上の孤島など。

 それらの仮想現実は、主に娯楽用や訓練用に市販されている既製品だが、細部まで丁寧に作られているので、不足はない。その仮想現実内で起こる出来事に対する反応パターンを、電子記録として蓄積する。すなわち、魂の活動の記録を作る。

 それに新たな刺激を与えていくと、やがて自発活動が生じる。魂の複製ができたと、いうことだ。被験者本人をシステムから切り離しても、複製した魂は仮想空間内で活動し続ける。

 しかし、その精神活動が、どう工夫しても長期間は保たない。破滅的行動に走ったり、老人のように活力を失ったりする。人間の精神は、それに相応しい肉体を持たないと、発狂したり変質したりするものらしい。

 発狂した実験体は、抹消するしかない。元になった被験体も、幾度か実験に使った後は、用済みになる。

 もちろん最初は、バイオロイドの被験者を直接、超越化させようとしたのだ。母船に搭載している、小型艇の管理システムに接続して。だが、それはことごとく失敗した。何が悪かったのか、条件を変えて繰り返したが、失敗の原因すらわからない。

 きちんとしたデータを取るためには、ラットの系統を管理するように、同一の魂を繰り返し利用するべきかと考え、魂の複製を始めたのだ。

 しかし、複製した不安定な魂を拡大しようとしても、ろくな結果にならなかった。まだまだ、基礎実験を繰り返す必要がある。

 被験者の人格を(柔軟性の見地から、大抵はバイオロイドの子供を使う)、直接、他のバイオロイドの脳に移すことも試してみた。記憶の刷り込みはできる。移植元とそっくりな振る舞いはする。だが、魂は、移植元のバイオロイドとは別物になってしまうとわかった。

 違う肉体には、違う利害が生じるからだ。

 それでは将来、ぼくの魂の複製を造ってクローン体に宿らせても、そっくりな双子と優位を争うだけの結果になってしまう。意識を連結させようとしても、双方が抵抗するだろう。

 被験体の精神が、そもそも貧弱だというのが問題なのかもしれない。

 だが、安く手に入り、惜しげなく廃棄できるのはバイオロイドだけだ。本物の人間を使うと、そいつが実験途中で歯向かってくる危険が生じる。自分がいずれ廃棄される運命だと悟ったら、普通の人間は、全身全霊で抵抗するだろう。

 そいつがぼくの制御を乗り越え、勝手に逃走したり、あるいは管理システムを乗っ取ってこちらを攻撃してきたら……

 とんでもない。

 超越化するのは、ぼくだけでいいのだ。

 とにかく、中央では禁断の研究であるから、参照できる研究報告がほとんどない。辺境ではあちこちの組織が研究していることだが、その結果は、どこの組織も秘匿している。

 やはり、自分で研究するしかないのだ。

 出張を口実にして、往復の船内でこっそり実験を繰り返した。もう何十体、実験台の子供を廃棄したか。次は何かしら、別の発想が必要だろう。他組織で製作した、特殊な実験体を使ってみるとか……極限環境にさらしてみるとか……外界に放ってみるとか……

 まあ、今回はここまでにしよう。もうじき《カディス》に帰り着く。ハニーが待っているはずだ。

 いや、待ってなどいないかな。彼女は、自分の事業に夢中だ。

 いささか寂しい気もするが、仕方ない。鬱状態を治療するためだったし、ぼくにまとわりつかれても、困るからな。

 この実験のことは、ぼくが目的を果たすまで、教えられない。ハニーは怖がるだろうし、反対するだろう。女は冒険を好まない。

 だが、男は常に挑戦し続けなければならないのだ。そうでなければ、他の男との戦いに勝てないのだから。

   ***

 桟橋に接続した船を降り、車で市街に向かいながら、ハニーに通話した。

「やあ、ただいま、女王さま。元気にしてたかい? お土産があるよ」

 通話画面の向こうのハニーは、ふんわりした白いブラウスを着て、プラチナの髪を優雅に結い上げ、相変わらず女神のような美しさだ。

「あら、どなただったかしら?」

 と笑いながら言う。

「〝他の港〟に入ったきり、戻ってこないつもりかと思っていたわ」

 ぼくも男だから、出先で他の女に手を出すことはあるが、帰るのはここだけだ。

「怒らないでくれよ。クリスマスには間に合っただろ?」

「ええ、ぎりぎりでね」

「とにかく、迎えに寄るよ。たまには、ぼくらの部屋に戻ってもいいだろ」

「いいわ。駐車場で待ってて。区切りをつけたら、降りていくから」

 強引に連れ出さないと、ハニーはいつまでも《ヴィーナス・タウン》にいる。だが、それはいいことだ。一時期は、ほとんど病人だったから。彼女にも何か、打ち込む対象がある方がいい。それがファッション・ビルの経営なら、可愛いものだ。

 バイオロイドの娘たちを五年以上生かしていることが、最高幹部会に問題視されたらまずいが、こちらはまだ新興組織にすぎない。もうしばらくは、目こぼしされるだろう。

 ビルの地階に車を入れると、白いブラウスに淡いピンクのスカートのハニーが、上のオフィスから降りてきた。髪をほどいて、背中に流している。ゆるくカールさせた、光の滝のようなプラチナ・ブロンドだ。

 整形する前から、髪とボディは完璧に美しかった。本当のところ、整形前の悲しげな顔も、風情があって、ぼくには好ましかったのだが。ただ、それをハニー当人が決して信じてくれないから、言わないようにしているだけのこと。

「お帰りなさい」

 ハニーは腕を伸ばしてぼくに抱きつき、キスしてくる。甘い香水の香りと、豊かな胸の弾力。

 この世に〝自分の女〟がいるというのは、本当にいいものだ。ころころと女を取り替え、それを自慢する男もいるが、ただの幼児性にすぎない。

 本当の男なら、本当の女が一人いれば十分。

 たった一人を幸せにするだけで、十分な仕事量なのだから。

「きみの気に入りそうな、麗しい古典絵画を手に入れたんだ。天使のような美少女の絵だよ。後で感想を聞かせてくれ」

 長く離れた時は、必ず何か贈り物を用意する。ハニーの趣味に適うものを選ぶのは、年々、難しいゲームになっているのだが。常にきみを気遣っているのだよ、と証明し続けなければならない。それが、男の責任。

 アンドロイド兵の運転する車はビルの地下から出て、冬の市街を走りだした。この時期には、発光雲から散乱する光も弱い。風は冷たく、雪もちらつく。

 その代わり、ビル内は暖かく、クリスマスの飾りが華やかだ。ぼくは夏より、冬の方が好きかもしれない。抱き寄せた時のハニーのぬくもりも、冬は一層、好ましい。

 十分足らずで、ぼくらの拠点ビルに着いた。繁華街から外れた立地で、裏手は広い公園になっている。違法都市には、公園で遊ぶ子供などいないから、静かなものだ。たまに、警備犬を走らせる男たちがいる程度。

「お帰りなさいませ、マックスさま、ハニーさま」

「ああ、ただいま。留守番ご苦労だった」

 ビルの大部分は、警備部隊の詰め所や部下たちの居住区だ。駐車場で出迎えの部下たちと挨拶を交わしてから、散会させた。業務上の指示は船から出していたから、溜まっている問題はない。

 エレベーターで、ぼくらの居住階まで上がった。扉が開く前に、ぼくはハニーを横抱きに抱え上げている。この柔らかい重み、心地よい。

「我慢できない。いいだろ」

 明るいうちはハニーが恥ずかしがり、拒むのがわかっているが、抵抗されるのも楽しい。

「いやよ」

 やはりハニーは笑って身をよじり、寝室へ向かおうとするぼくの腕から滑り降りた。

「どうしてもって言うんなら、捕まえて」

 よし、すぐに捕まえてやる。向こうはたっぷりしたフレアースカートに華奢なサンダル、こちらは動きやすいスーツにショートブーツ。勝負はすぐにつく。

 ところが、ハニーは予想外にすばしこかった。家具を回り、柱を盾にし、ぼくの手をかわす。しかも、余裕ありげに笑いながら。

 追いかけっこが続くうち、おかしいと感じた。こんなに運動神経のいい女ではないはずだ。美容体操は熱心にしているが、ぼくが教えても、護身術はほんの基本止まりだった。子供の頃から空手とサッカーで鍛えた上、軽い薬品強化をしているぼくが、追い続けて捕まえられないとは!?

「待ってくれ」

 ぼくは二階分吹き抜けのサロンで、太い柱の向こうにいる女に呼びかけた。

「ずいぶん身軽になったじゃないか。もしかして、ぼくの留守に戦闘用強化でもしたんじゃないか!?」

 半分は冗談だが、半分は不安になっていた。まさか、ハニーが別人にすり替わっているわけではあるまい。

 このビルも《ヴィーナス・タウン》関連の施設も、全て統合管理システム《ボーイ》に守られている。このぼくが基本設計を行い、改良してきた管理システムだ。それが何の異変も訴えていないのだから、このハニーが偽者のわけはない。

「あら、あなたが運動不足なんでしょ。そんなざまでは、部下に示しがつかないわよ」

 そして彼女は、吹き抜けの階段を駆け上がって回廊に逃げる。ぼくは必死に追った。今度は本気で。

 しかし、ハニーはするりとぼくの手をかわし、別の階段を駆け下る。ぼくが追うと、書斎に飛び込む。部屋の中を追い回して捕まえられないと、また吹き抜けに飛び出す。そして、階段を上がりながら笑う。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!!」

 ぼくはとうとう、壁際で待機しているアンドロイド兵に命じた。

「ハニーを捕まえろ、ただし怪我はさせるな!!」

 制服を着た兵士たちが動きだし、ハニーを四方から包囲した。ところがハニーは、いや、ハニーそっくりの女は、ふわりと跳躍して兵士の頭を踏み台にし、離れた場所にひらりと着地したのである。

 明らかに、普通人の跳躍ではない。ぼくは懐から銃を抜き、安全装置を外して構えた。

「動くな!! おまえは誰だ!!」

    『ミッドナイト・ブルー ハニー編』6章-2に続く

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