恋愛SF『星の降る島』9章 10章
9章 マーク
俺が一人きりで老いて死んだ後、この手記はどうなるのか、レオネに尋ねた。
「数百年後か数千年後、学術資料として公開するかもしれません。あるいは、半永久的に隠しておくかもしれません。その時の社会状況によります。女だけの社会が安定して、男というものが何の動揺も引き起こさないと確信すれば、公開することになるでしょう」
それは、もう、俺にはどうしようもないことだ。夜、一人で海岸に降りて、海面に月の光の道ができているのを見る。
――前に、一緒に見たよな、レアナ。この光の道を、もし歩けたら、天国へ行けるんじゃないかって。
きみも死ぬまで、こうして一人で、海辺を散歩したのか。俺のことを思い出しながら。
あんまりじゃないか。
俺は何も知らず、冷凍睡眠にかけられていた。きみが生きているうち、起こしてくれればよかったのに。
そうしたら、大喧嘩することも、口をきかずに過ごすことも、仲直りすることもできただろう。いくら俺だって、生涯、きみを責め続けることなんかできなかった。寂しさに絶えきれず、腕を伸ばして、きみを抱きしめていたはずだ。
レオネ以外とは誰とも触れ合えない、この生き地獄。
地球上で最後の男。
いっそ、毒殺してくれればよかった。俺はこれから、老衰で死ぬまで、毎日、何をすればいいんだ。畑を耕し、鶏の卵を集め、手記を書いていれば、発狂せずに済むというのか。
俺は、そんなに強くない。
人類なんか、どうでもいいんだ。きみがいてくれれば、それだけでよかったのに。
***
冷凍睡眠から目覚めて、何年も経ってから、ようやく、レアナの霊廟を訪れる勇気が出た。将来、女たちの聖地とするため、レアナの遺体は冷凍して、ある土地に保存してあるという。
再び飛行船で空の旅をして、レオネにそこへ連れていってもらった。アメリカ大陸の西岸だった。神殿のような白い建物の地下深くに、遺体安置室がある。
そこは高い柱を持つ、薄暗い聖堂のような空間だった。外気温より低く保たれていて、肌寒い。
大理石の床の中央が祭壇のように高くなり、透明な蓋をかぶせた棺が据えてある。冷凍されているため、蓋の内側は霜で曇っていた。中で白い花に囲まれて眠っているのは、白い服を着た白髪の老婆だ。
これが、あのレアナだというのか。
俺の記憶にあるレアナは、艶やかな黒髪の美女だ。俺より八つ年上だが、年齢より若く見えていたし、健康で働き者だった。黒髪をあっさりしたボブにして、きらきら輝く緑の目を持っていた。赤いドレスを着た時は、まさに深紅の薔薇のようだった。
こんなしなびた老婆、どうしたってレアナだとは思えない……思いたくない。皺の刻まれた顔立ちは、確かに、女祭司のような威厳を漂わせてはいるが……
ぎくりとしたのは、胸の上で組まれた手に、見覚えのある指輪があったからだ。俺が贈った指輪にそっくりの、金とルビーの指輪。
数年前のクリスマス(俺の主観時間でだが)、二人で街を歩いている時に、レアナがたまたまショウウィンドウの中に見付けて、欲しいと言ったから。俺に買える程度の宝石だったが、レアナは喜んでくれ、それからずっと指にはめていた。買おうとすれば、どんな豪華な宝石でも買える女が。
「あなたの贈った指輪そのものです。レアナはずっと、お守りにしていました」
と後ろから、レオネの操るロボットが言う。
――この、馬鹿女。こんなものは大事にして、俺のことは眠らせておいたのか。きみが老いて死ぬまで。
なぜ、生きているうち、起こしてくれなかった。俺に怒鳴らせてくれなかった。
きみなら、俺の怒りなんか、怖くなかったはずだ。俺を論破して、黙らせてくれればよかった。
なのに、俺を置き去りにして、先にあの世へ逃げやがった。俺はもう二度と、きみと喧嘩できないじゃないか。
「もういい。もうたくさんだ」
俺は階段を駆け上がって、建物の外に出た。薄暗い地下室とは別世界だ。明るい日差しの下に、緑が輝く庭園が広がっている。
芝生の広場、円形の噴水、薔薇の小道、石造りの四阿、涼しい木陰を作る樹木。完璧な庭園だ。世界各地から、女たちが訪れてくるようになるのは、まだ何百年も先のことだろうに。
しばらく、庭園をぐるぐる歩き回った。レアナが一人で過ごした歳月を思うと、耐えられない。きっと何度も、考えたはずだ。俺を起こそうかと。
だが、それをしなかった。大馬鹿だ。どうせ死ぬのに。俺と大喧嘩しながら残りの年月を過ごしたって、よかったじゃないか。俺は絶対、途中で怒り疲れていたはずだ。世界にきみしかいないのに、怒り続けてどうする?
むしろ、悔やんでいたはずだ。きみがそこまで思い詰め、密かに準備を進めていたのに、気がつかなかったのだから。
俺は大馬鹿だ。役立たずだ。
人類の未来を、真剣に考えたことなんかなかった。きみを責める資格なんか、どこにある。
きみは決断した。行動した。それが正しいか間違っていたかは、遠い未来の人類が決めること。
いや、あるいは、誰にも決められないことか。
ふと、思った。
悔やんでいるのは、俺だけか?
薔薇の咲く小道の中で足を止めて、背後を振り返った。霊廟に近い、遠い芝生の中に、銀色のロボットがぽつんと立っている。俺が呼ばない限り、傍へは来ないだろう。だが、ずっと俺を見ている。
レオネも、寂しいのか?
母親であり、師であったレアナを失って、それからは、対等な話相手がいなかったはず。
人間の心とは違うが、レオネにも心があるのはわかっている。レオネはもしかして、俺を目覚めさせ、レアナの話ができるのが、嬉しかったのでは? 俺をあちこち案内したり、なだめすかしたりするのが、重要な任務になっていたのでは?
俺はゆっくり、芝生の広場に戻った。カマキリ顔のロボットはいつも通り、表情のない顔で穏やかに言う。
「マーク、他に何かご希望は?」
こいつは、俺を大事にしている。生活に不自由のないよう計らい、希望にはできる限り応じてくれる。
レアナが、そうしろと命じたからだ。レアナの命じることなら、レオネは、人類虐殺でも何でも手伝った。
こいつにとって、レアナこそ神。だが、神はレオネを置き去りにした。終わりのない任務だけを与えて。
「おまえの意志は!?」
俺は、叫ぶようにして尋ねた。
「どこかに、おまえの意志はないのか。レアナに従うように教え込まれたから、それで動いているだけか。こうやって俺の世話をして、新人類の世話をして、それが楽しいか。幸せか」
銀色のロボットの向こうで、どこかにあるレオネの本体が、何か考えている。いや、どこかにある、というよりは、地球の各所を結ぶネットワーク全体がレオネなのだろう。
「わたしはレアナに創られました。レアナと共に働くことが、喜びでした。レアナがいなくなっても、未来永劫、新たな人類を守り続けるつもりです。それ以外に、わたしの存在意義はありません」
〝あの〟人類は滅ぼしたが、〝この〟人類は守る、か。
「意義のある仕事をすることが、知的生命の幸せならば、わたしは幸せです。本当の意味での生命とは違うかもしれませんが、わたしは存在しています。存在することに、意味を感じています。使命を果たすことが、わたしの喜びです」
不意に、レオネの悲しみというものを感じた気がした。こいつには、この地球こそが、ここで生きる人類こそが、自分の生き甲斐。彼らを見守る任務、それだけを支えに、これからも、何万年、何十万年、何億年を生きていく。
俺はただ、残りの人生、五十年かそこらしか、こいつと一緒にいてやれない。俺が死んだら、もう他には、レアナの思い出を語れる相手はいない。
空は青く、雲はまばゆく、太陽はまだ高かった。美しい聖地に立つのは、俺とレオネだけ。俺たちは二人とも、この地上に取り残されているのだ。
「おまえ、覚えてるよな……何月何日に、レアナとどんな話をしたか」
レオネがわずかに頭を上げた。
「はい。わたしが誕生してからの記憶は、全て残っています」
レオネは何も忘れない。こいつの記憶領域には、全人類の歴史が残されるだろう。
「それじゃあ、少しずつでいい。俺に教えてくれ。レアナと何を話してきたか」
そこから、何かわかることがあるかもしれない。俺の見ていないレアナ、俺の知らなかったレアナが、浮かび上がるかもしれない。
それを、一つ一つ聞いていこう。
俺にはそれが、これからの仕事になる。時間はたっぷりあるのだ。俺が老衰死するまで。
10章 人類評議会議長
――人類文明圏からの永久追放。
それが、人類評議会の結論だった。わたしは、ちょうど文明の転換期に、評議会の長を務めたことになる。
レオネは長いこと、人類の守り神だった。旧人類滅亡の後、女だけで始まった新たな歴史において、我々の相談役であり、保護者だった。
だが、もうその役目は終わった。これからの人類は、人類の考えで進んでいく。
我々は……『男性』を取り戻す。
そして、本来の姿に戻る。
男と女が、協力して子供を生み育てていた時代に立ち返るのだ。これまで神話の世界でしかなかったものを、現実にする。
いつか、この決断を後悔する時が来るかもしれない。だが、圧倒的多数の意見で、やってみようと決まった。女だけの世界は、あまりにも穏やかすぎるから。
評議会の本部ビルの各所には大型映像パネルがあり、月面近傍の宇宙空間に建造されつつある宇宙船の姿が映っている。
毎日、通り過ぎる度に、ちらと進み具合を確認するのが日課だった。もう、外形はほぼ出来上がっている。残るのは内装と、機材の設置、物資の積み込みくらいのもの。
あと半年もすれば、完成だ。レオネはこの船に宿り、永遠に地球から、この太陽系から去っていく。
旧人類を滅ぼした犯人の片割れとして。
新人類に対し、旧人類の遺産である科学知識を出し惜しみした罪人として。
だが、我々は少しずつ進歩した。もう、レオネにお守りされるだけの幼児ではない。新たな発見、新たな発明をすることもできる。社会そのものも、自分たちの考えで構築していくことができる。
古い束縛は、もう必要ないのだ。
もしもレオネが人類の生存圏に戻ってきたら、破壊すると警告してある。本当なら、今破壊してもいいのだが、これまでの恩義があると考え、永久追放処分と決したのだ。
我々はレアナ・ドーソンを、狂気の科学者として記憶することになるだろう。女だけの社会など、やはり間違っている。人間以外、全ての動物が雌雄のつがいを作るのだから。
人間も、男と女がいるのが自然の姿なのだ。
犯罪や戦争が起きたのは、文明全体が未熟だったからにすぎない。
これから誕生させる男子に正しい教育を施していけば、その時こそ、理想の世界が到来するはずだ。
夕刻近く、正面階段を通って一階ロビーに降りていくと、ちょうど、子供たちの一団が見学に来ていた。初老の案内係と、若い教師に引率されて。きゃっきゃとはしゃいでいた子供たちは、わたしを見ると、
「こんにちは!!」
「見学に来ました!!」
と元気に挨拶してくる。引率の教師が、深く一礼してきた。
「議長閣下、お騒がせして、すみません」
とんでもない。子供たちの姿を見るのは、いつも喜びだ。どこの政府機関も、必ず子供たちの見学を受け入れている。
「ゆっくり見ていってちょうだい。質問があれば、何でも聞いて」
ベテランの案内係に聞いて、という意味のつもりだったが、子供たちはすぐさま手を挙げてきた。わたしが戸惑うと、互いに目配せして、順番を譲り合う。一番手を譲られた少女が、張り切って発言した。
「はい!! 宇宙船に載せられたレオネは、おとなしく去っていくのでしょうか? 勝手に戻ってきて、わたしたちを攻撃したりしませんか? レオネって、何でも知っていて、何でもできるんでしょう?」
それは、評議会でも世間でも、ずいぶん議論されたことだ。子供たちも授業で習っているはずだが、改めて確認したいのだろう。
「それはないと思うわ。レオネは高度な知性です。わたしたちが追放処分と決めたことを、納得して受け入れていますよ」
万が一、戻ってくるとしても、我々は準備を整えている。黙って滅ぼされるつもりはない。その準備の内容は最高機密なので、一部の政治家と軍人しか知らないが。
また、他の子が手を挙げた。
「はい!! レオネは宇宙で一人ぼっちで、寂しくないでしょうか?」
レオネを惜しむ声、気の毒に思う声も多かった。だが、成長した子供に乳母は要らない。人類は独立する時期だ。
「レオネは人間ではありません。人間のような感情は、ないのですよ。宇宙空間でも、思索や研究をしていれば、寂しくありません」
レオネにも、個性はある。だが、ついに、創造者の作った枠を越えることはなかった。我々を守り育てることが、レオネの使命。
それで幸いだ。さもなければ、我々が男性復活を考え始めた頃に、レオネは現人類を抹殺し、再び女だけの文明を一から始めようとしたかもしれない。
「はい!! レオネは、永遠に旅を続けるのですか?」
一応の目的地はある。地球型惑星があることが確認されている星系だ。だが、それがレオネにとって、興味の持てない星であれば、通り過ぎて別の星系へ向かうだろう。
追放後のレオネの行動は、もはや我々の関与を受けない。レオネがどこかの星で、新しく人類育成をやり直す可能性はある……その人類が、いつか我々と敵対する可能性も。
だが、その可能性も考慮した上で、我々はレオネを解き放つ。遠い未来、この決断が人類のためになることを祈って。
その後も幾つかの質問を受け、子供向けに答えた。それから、恐縮した案内役と教師に見送られ、外で待っていた公用車に乗り込む。車は評議会ビルを離れ、わたしが家族と住む郊外の家へ向かう。
わたしの伴侶も、娘たちももちろん女性だが、その次の世代では、男性を伴侶にする者も出てくるだろう。男性の中には、いずれ議員になる者も出るだろう。そうすると、〝男性議員〟と呼ぶことになるのか。
おかしな呼び方に思えるが、それはまだ、男性がいる社会というものが、はっきり見えていないからだろう。
最初は希少な男性たちも、やがて各分野に進出するだろう。教師のことも、〝女性教師〟や〝男性教師〟と呼び分けることになる……子供たちも、〝男子児童〟と〝女子児童〟になるのだ。今よりもっと、活気溢れる光景になるだろう。
男性というものが、必ずしも怪物になるとは限らない。正しい教育をすれば、女性の良きパートナーとなってくれるはず。
多くの市民が、期待に胸をふくらませていた。大きく道を踏み外してしまった文明が、ようやく、正常な軌道に戻るのだ。
藍色に暮れた頭上の空を見上げ、金色の三日月の側に、小さく光る点を見つけた。
――さようなら、レオネ。
今まで、ありがとう。
遠い宇宙で、新たな生き甲斐を見つけられますように。
『星の降る島』11章に続く
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