恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』34章
34章 シヴァ
怖い。たまらなく怖い。
真実を知られ、ハニーに軽蔑されることが。
人工子宮で誕生させた娘と息子がすくすく育っていることは、担保にならない。ハニーはかつて、マックスに見切りをつけたではないか。この俺だって、ハニーを怒らせてしまえば、
『もう、あなたとは暮らせないわ』
と宣告され、《ヴィーナス・タウン》から永久追放されるかもしれない。そうしたら、元の野良犬に逆戻りだ。意味もなく違法都市をうろつくか、この銀河を永遠に出ていくか。想像するだけで、真っ暗に落ち込んでしまう。
あるいは紅泉が、《ティルス》か姉妹都市で俺を見るなり、
『よくもおめおめ、戻ってきたわね。ぶった斬るから、首を出しなさい』
と言うかもしれない。人はいつか、自分のしでかしたことに復讐されるのだ。
自分が一族の本拠地に帰り、探春と向き合うことを想像すると、寒気がする。ハニーのように、ただ苦しみのために家出してきたのとは違う。俺は、自分の居場所を自分で台無しにして、それに耐えきれず、逃げ出したのだ。
――探春は永遠に、俺を許さない。
俺が、マックス本体を絶対に信用しないのと同じだ。超越体になったからといって、慈悲深くなったとは限らない。今はショーティに遠慮しているかもしれないが、自信をつけたら、ハニーを奪い返すことを企むかもしれないだろう。ハニーのクローンを大事にしているとはいえ、しょせん、元のハニーとは別人なのだから。
そのマックスの分身……ここから旅立っていったカーラの方は……図々しさに磨きがかかった。盛大な送別会で送り出されたのだから、二度と戻らないだろうと思っていたのに、年に何度も平気な顔でふらっと立ち寄っては、ここで育つ子供たちをあやしたり、旧部下と遊んだり、ちょっとしたハニーの頼み事を引き受けたりしている。
まあ、すぐにどこかへ出ていくから、勝手に何かを進めているのだろうが。
……俺が家出する以前、一族の大人たちは、強姦事件のことを隠そうとしていたから、紅泉は俺のしたことを知らなかったようだが、今ではもう知っていて、俺を見たら報復してやろうと考えているかもしれない。
『よくも、探春にそんなことを。おかげで、どうしようもない男嫌いになってしまったじゃないの。どうやって責任取るつもり!?』
これまで何千人、何万人と殺してきた〝正義の味方〟なのだから、相手が従兄弟の俺でも、容赦しないのではないか。殴られたり、罵倒されたりするだけで済むとは思えない。
だめだ。
故郷に戻るなんてことは、とてもできない。
ハニーにだけ家族への連絡を要求しておいて、自分は出来ないというのは情けないが、仕方ない。
俺のしたことは……女には、絶対に許せないことだろう。いくらガキの頃の話とはいえ……限度を超えている。もしも子供たちに知られたら、それこそ俺は父親失格と言われ、追放されて、二度と会ってももらえないのではないか。
「パパ、パパ」
と小さな手を伸ばしてくる子供たちが、俺に背中を向け、決して振り向いてくれなくなると思うと……思うだけで、もう耐えられない。
もちろん、ショーティは俺の悩みを知っているが、知らん顔して子供たちと遊ぶだけで、俺には何も言わない。それは、俺が解決すべき問題だと思っているのだろう。
それとも、自分がいれば、俺などいなくても、ハニーと子供たちは問題なく暮らしていけるということか。シヴァ、きみは後のことを気にせず出ていきたまえ、などと言われたら、どうする。
――受精卵は、ショーティが製作してくれた。ハニーと相談して、まずは、育てやすいと言われる女の子を誕生させたのだ。
「偶然にできる子供と違って、親がデザインする子供というのは、難しいわね」
遺伝子設計の段階で、ハニーはあれこれ悩んでいたが、俺は欲張らなかった。肉体的な強さは、重要ではない。普通に健康なら、それでいいのだ。
知能が高すぎるのも不幸かもしれないので、情緒の安定した、バランスのいい強化体であるように注文しただけだ。
ショーティは、俺とハニーの遺伝子をうまく折り合わせ、調整してくれた。おかげで子供は二人とも、賢く元気に育っている。
上の娘はハニーの母方の祖母の名を取ってペネロペ、下の息子はハニーの父方の祖父の名からリュウと名付けた。二人の子供が走り回る日々は、予期せぬ出来事ばかりで、退屈する暇がない。
玩具の取り合い、取っ組み合い、大泣き、仲直り。嫌いなピーマンをこっそり捨てるし、ショーティの背中に乗る順番でまた喧嘩。俺は二人を追いかけ、顔を拭ってやり、風呂に入れ、絵本を読んで寝かしつける。
そういう俺の様子は、リザードやリナを通じて、リナの二人の子供たちに伝わっているかもしれない。二人がどんな感想を持つかは、予測がつかない。俺を冷たい父親だと恨んでいるか、それとも最初から、父親などいないと見切りをつけているか。
俺はまだ、アスマンと梨莉花に会ったこともないし、これからもずっと会わないかもしれない。彼らが、ペネロペとリュウを異母の妹や弟と認識するかどうかも、わからない。それは、彼らの考えで決めることだ。
俺は、自分がハニーとの間に子供を持った幸運が、まだ信じられないくらいだが……リアンヌとの間にできた子供のことは……思い出すのが辛いので、もう、大昔のことだと自分に言い聞かせている。リアンヌも、俺のことなどとうに忘れて、自分の孫やひ孫に囲まれているのだから。
今の幸福は、空恐ろしいほどだ。一族の中では、誰かが死なない限り、次の子供を作らないという不文律があったようだが、俺はもう一族を離れたのだから、それは気にしなくていいだろう。ショーティも、それでいいと賛同してくれた。
「シヴァ、きみが、新しい一族の始祖になればいいのだよ」
俺が、自分の一族を率いるのか。いや、俺とハニーが。どちらかというと、ハニーの方が。俺たちの子供や、その子供が、どんな世界で生きることになるのか、どこまで生き延びてくれるのかはわからないが……
ハニーはすっかり頼もしい母親になって、仕事と子育てを両立している。毎日、美しいドレスを着て、花の香りの香水を漂わせることは変わりない。出勤前に、べたべたの手でドレスを汚されても、苦笑して着替えるだけだ。子供たちはすばしこいので、しばしば俺の防壁をくぐり抜ける。
「ママ、ご本読んで」
「ママ、綺麗なお花でしょう。ママにあげる」
「ママはチョコとナッツ、どっちが好き? 好きなアイスを持ってくるよ」
子供たちには乳母も家庭教師も付いているが、もちろん、それだけでは足りないのだ。隙を見てはハニーの執務室に走り込み、忙しい母親の注意を惹こうと努力している。ハニーもまた、可能な限り、子供たちの相手を務めてくれる。俺たちがセンタービルから《ヴィーナス・タウン》へ住居を移したのは、ハニーが、子供たちの様子を感じ取りながら仕事できるようにするためだ。
「一冊だけ、読んであげるわ。そうしたらパパと、お昼寝するのよ。ママは会議がありますからね」
ママに未練たっぷりの子供たちを両脇に抱え上げ、プライベートエリアの子供部屋へ連れ帰るのは、俺の職務だ。
「さあ、もう一冊、絵本を読んでやるから、ここにおいで」
今ではだいぶ、子供の扱いに慣れた。トイレも風呂も歯磨きも、手早く確実に世話できる。ぎゃあぎゃあ泣かれても、けぼげぼ吐かれても、慌てることはなくなった。基本的には、病気知らずの強健な子供たちだ。たまに熱を出すこともあるが、それは免疫の訓練だから、深刻な問題にはならない。
犬の姿をしたショーティも、子供たちを背中に乗せて廊下を走ったり、鬼ごっこや隠れんぼの仲間になったりしてくれる。
ペネロペは俺の面影がある黒髪、黒い目の気が強い娘で、リュウは母親似の、淡い髪と灰色の目の慎重な子供だ。
俺の娘なんて、どんな大女になるのか不安だったが、五歳になったペネロペは、ほっそりした妖精のようだ。背は高くなるだろうが、しなやかな美女になる片鱗が今からうかがわれる。好奇心が強すぎるのと、喧嘩っ早いところだけは、何とかしなければと思っているが。
リュウは骨太で食欲旺盛だから、俺のような、がっちりした大男に育つだろう。体格のわりに、用心深くて怖がりではあるが。まあ、無鉄砲よりはいい。
二人とも、もう少し大きくなったら、護身術や射撃や乗り物の操縦を教えてやろう。いつ何時、どういう変転があっても生き残れるように。
俺も一族の中で、ありとあらゆる教養を叩きこまれたものだ。科学知識だけでなく、文学も音楽も……当時はただ面倒なだけだったが、今は感謝するしかない。
それにつけても、故郷に帰れない自分が情けないが……
ハニーは時折、気の毒そうに俺を見て、
「シヴァ、わたしには何でも話してくれていいのよ」
と言うが、それは、俺がまともな男だと信じてくれているからだ。まさか、そんなにひどいことをしているはずがないと。
だが、実際は……茜に会うまでの俺は、ひどかった。いや、茜を失うまで、まだ大馬鹿のままだった。初対面で、俺があんな馬鹿なことを言わなければ、茜が絶望して自殺することもなかった。取り返しがつかない。どんなに悔やんでも。
俺が探春にしてしまったことも、決して消せないことだ。あれで女を手に入れられると思うなんて、どうしようもないクソ餓鬼だった。あの頃の自分に出会えたら、しこたまぶん殴って、根性を叩き直して……いや、駄目だ。暴力に訴えても。
辺境の弱肉強食を見て育ったから、力が解決法だと思ってしまったのだ。強ければ意志を通せる、望みが叶うと。
なまじ恵まれた肉体を持っていただけに、暴力に走ることは簡単だった。銃を使ってもバイクを飛ばしても、俺はほとんど無敵だった。一族の財力に守られていた面もあったが、何よりも、怖いもの知らずの冒険好きだった。暴れたくて、力試しをしたくて……
俺が父親だなんて、今更ながら、震えが走る。
そんな責任、本当に全うできるのか。
もしかしたら……子供たちが大きくなる前に、いなくなった方が、まだましなんじゃないだろうか。
***
ある晩、子供たちを寝かしつけてから、隣接する自分の寝室に戻ってくると、ハニーは俺を自分の横に座らせた。広げて見せたのは、ペネロペの新しい服だと思ったが、そうではなく、《ヴィーナス・タウン》で売り出す新製品だという。
「どう、可愛いでしょう。試作品なんだけど、子供服のシリーズを商品化しようと思うの」
ハニーを見習ってかどうか、部下の女たちが、ぽつぽつ子供を作るようになっていた。かれこれ、三十人以上が母親になっている。子育て用に、広大なドーム施設を作ってあった。違法都市であっても、その中なら安全だ。
父親は人工精子という場合が多いが、他組織の人間だということもある。いずれにしても母親の元で元気に育っているが、当然、周囲の女たちも育児に協力している。宣伝してはいないが、その噂がまた、新しい女たちを引き寄せる。
「以前、リュクスたちが言っていたことが、実現しつつあって、とても嬉しいの」
「ああ、そうだな」
「若い世代って、ほんとに素晴らしいわ」
ハニーが言うのは、違法都市《アグライア》のことだ。最高幹部会の後押しを受けた若い女性総督、ジュン・ヤザキに子供が誕生し、そこへ、子供を持ちたい女たちが熱い視線を注いでいる。無法の辺境とはいえ、総督の子供と一緒に育つなら、安全度が高い。《アグライア》では既に子育て村が誕生し、規模を拡大しているのだ。
ハニーは、たまたま戻ってきていたカーラを大使として派遣し、ジュン・ヤザキと同盟を結んだ。辺境の二つの大きな流れが、ようやく合流できたのだ。
「これからは子供服や、文房具や、児童書も揃えていきたいの。《アグライア》でも、たくさん買ってもらえるしでしょうし、うちの部下たちにも必要だから」
「ああ、いいな。絵本はいくらあってもいい」
それからハニーは、服を下に置き、俺の顔を見直した。そして、手を伸ばして俺の顔に触れる。
「シヴァ、あなた、気掛かりなことがあるなら、わたしに言ってくれていいのよ?」
言わなくては、と思った。永遠に黙っているわけには、いかない。
だが、言ってしまえば、もうハニーに、優しい言葉をかけてもらえなくなるかもしれない。俺は恐がりだ。ハニーを失いたくない。これから何百年生きても、もう二度と、こんな素晴らしい女には巡り会えないだろう。
「怖いんだ。怖い。今が幸せすぎて」
すると、ハニーは困ったように笑う。
「それは、わたしもそうよ。あまりに恵まれていて、空恐ろしいわ」
俺は違う。隠し事をしている、後ろめたさのせいだ。本当は、ハニーに愛してもらえるような男ではない。ショーティがマックスから引き離さなければ、出会うこともできなかった。
「だけどね、子供たちのためには、あなたの故郷と連絡を取れる方がいいのよ。わたしたちに何かあった時、子供たちが頼れる先が、一つでも余計にあった方がいいでしょう。シヴァ、あなた、故郷の何を怖がっているの?」
もう、これ以上は逃げられない。全身に冷や汗をかき、酸欠の金魚のように、虚しく口をぱくぱくしていたら、ハニーが眉をひそめて言う。
「初恋の従姉妹をレイプした以外に、何を隠しているの?」
俺は衝撃で、思考が停止した。
なぜ。いつ、それを。
まさか、ショーティが話したのか。それだけは、黙っていてくれるはずではなかったのか。
何も言えないままの俺に、ハニーは続けて語りかける。
「そのくらい、察しがつくわ。だから、故郷にいられなくて、家出してきたんでしょう?」
見抜かれていたのか、とうの昔に。
「それは、許してもらえなくても仕方ないわ。どんなに非難されても、ただひたすら、頭を下げるしかないでしょう。わたしも一緒に謝るから、とにかく、挨拶だけはしに行くべきではなくて?」
一緒に、謝るだと。ハニーには、何の関係もない罪なのに。
「まさか、殺されはしないでしょう。あなたの従姉妹たちは、正義の味方なんだもの」
それから、澄んだ灰色の目で俺をじっと見て、首をかしげる。
「あとは何?」
心が爆発しそうだった。俺は、どれだけ馬鹿なんだ。ハニーは、俺の罪も愚かさも全てまとめて、愛してくれている。それが、愛というものなのだ。ショーティが絶対、陰で笑っているはずだ。
「まあ、大きななりをして、どうしたの」
俺は床に膝をつき、ソファに掛けているハニーの腰にしがみついていた。女にしがみついて泣くなんて、マックスやカーラには死んでも見せられない姿だが、止まらない。ハニーは俺の頭を撫でて、慰めてくれた。
「シヴァ、あなたはちゃんと、立派な父親でいてくれるわ。わたしも子供たちも、あなたを頼りにしているのよ。あなたがいてくれて初めて、わたしたちは家族になれたのだから。子供たちが大きくなるまでに、この世界を、少しでもいい場所にしていきましょうね。それが、親としての責任ですものね」
俺は生きていける。ハニーがいてくれさえしたら。永遠にとは望まない。あとしばらく、この幸福を続けさせてくれ。何十年か、何百年か。それとも、何千年か。
遠い未来のことは、まだわからない。いま、人間でいられるうちは、人間の幸福を味わいたい。それを超える世界のことは――その時が到来してからのことだろう。
『ミッドナイト・ブルー ハニー編』完
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