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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』1章

1章 ハニー

  ――誰も、わたしに構ってくれなくていい。わたしは一人で生きて、一人で死ぬから。

 全身で、そういう気持ちを表していたはずだった。

 友達も要らない。家族の慰めも要らない。お金を稼げる仕事に就ければ、それでいい。

 だから、あえて遠い星の大学を選んだ。長期休暇の時も、家へ帰らなくて済むように。アルバイトで忙しくしていれば、帰らない言い訳になる。

 両親や祖父母たちが悲しむことを思うと、いくらか気が咎めたけれど、そもそも、わたしがこの世に生まれたことが間違いなのだから!!

 ――それなのに、マックスが現れた。もちろん当時はまだ、マックスという名は使っていなかったけれど。

 彼は朝のキャンパスで、機嫌よくわたしを待ち受けていた。艶やかな金髪を輝かせ、真っ白なシャツを着て、煉瓦色の校舎と緑の木々を背景にして。

「やあ、おはよう」

 最初わたしは、自分に向けられた挨拶とは思わなかった。ちらと見て、同郷の知り合いではないと思ったから。それで、黙って彼の前を通り過ぎた。すると彼は、気軽な様子で、わたしの横に並んでくる。

「そんなに急がなくても、余裕で間に合うよ。建築史だろ。聞き逃したって、惜しいような授業じゃない。それより、一緒にランチを食べる予約をしたいんだけど」

 わたしは理解しかねて足を止め、彼を見直した。楽しげな青い瞳は、まっすぐわたしに向けられている。

 ――試験前のSOS以外で、男子学生がわたしに声をかけてくるなんて、ありえない。

 それでは、宗教団体の勧誘? それとも、美容整形のモデルを探す病院の回し者?

「どなたかとお間違えですか?」

 冷ややかに言ったのに、彼は朗らかなままだった。

「いいや、間違えていないよ。マイ・ハニー。これから、そう呼ばせてもらう」

 わたしは唖然とした。誰が、マイ・ハニーですって?

「昼が駄目なら、夕方でもいいよ。パフェでもどう? パフェが嫌いなら、お茶だけでもいい。趣味のいい紅茶専門店があるんだ。町外れだけど、きっと気に入ると思うな」

 何の寝言だろう。もしかして、仲間内で賭けでもしているのだろうか。あの疑り深い醜女しこめを、舌先三寸で口説き落とせるかどうか。

 だとしたら、賭けに負けて、何か奢らされるといい。

 わたしは彼を無視することにした。キャンパスをずんずん歩いて、教室に入る。早目に席に着いて授業の準備をするのが、わたしの流儀。

 けれど、彼はためらいもせず、わたしの隣に座るではないか。

「週末は、ドライブでもどう? 海でも山でも、好きな方に連れていくよ。大丈夫、いきなりホテルに連れ込んだりしないから」

 ――少しばかりハンサムだからといって、女の子はみんな、自分に惚れるとでも?

 わたしは黙って席を立ち、他の席に移動した。でも彼は、磁石に引かれる鉄片のように付いてくる。そして、当然のようにわたしの横に座る。

「離れて下さい!」

 と声を強めて言うと、ちらほら着席し始めた他の学生たちが、驚いてこちらを見る。

 ――なぜ、わたしが、余計な注目を浴びなくてはならないの。常に地味な服を着て、静かに目立たず行動しているのに。

 でも、彼は平然としていた。自分がしていることは、全て当然極まりないことだという確信を持って。

 わたしは猜疑を込めて、彼を見直した。平均的な体格だけれど、引き締まった筋肉をしている。何かスポーツをしているのだろう。

 顔立ちも整っている。育ちのいいお坊ちゃまという感じ。瞳は灰色がかった青。形のいい鼻。薄い唇には、自信ありげな微笑み。大抵の女の子なら、素直に素敵と言うだろう。

 着ている服にも、靴にも、神経が行き届いていた。無造作に見せかけて、鋭い美意識に裏打ちされているのがわかる。男のくせに、しかもまだ学生のくせに、服装にここまでこだわるなんて。相当なナルシストだ。

「ごめん、自己紹介が遅れたね。ぼくは……」

 彼はすらすらとしゃべった。名前に出身惑星に得意技。わたしより二歳年上だけれど、大学入学が早かったので、学年では三つ上。わたしだって、人より早く義務教育課程を修了したのに。

 話を聞く限り、およそ、この世に不得意なことはないようだった。物理専攻で、志望は研究者。いずれは自分で、研究開発のための企業を立ち上げたいとか。

 伯父さまの経営する貿易会社で、アルバイト中。空手は黒帯。サッカーでは俊足を誇る。趣味は料理。わたしに手料理を食べさせたいとまで言う。

「きみに興味があってね。色々調べたんだ」

 何ですって?

「三人姉妹の長女で、何でもできる優等生だろ。読書家で博識。だけど、きみに相応しい男は、ぼくしかいないよ。試しに、付き合ってみないかい? 絶対、後悔させないから」

 わたしは彼のことを、心の病人と断定した。もしかしたら、気の毒な誰かを幸せにしてやりたい、誰かに必要とされないと生きていけないという、ボランティア症候群なのかもしれない。

「離れないと、警備員を呼びます」

 と言ったら、彼は苦笑した。やおら立ち上がり、よく響くテノールの声で、教室中に宣言する。

「みんな、聞いてくれ!!」

 何なの。何を叫び出すつもり。

「ぼくは、全力でこの子を口説き落とすことに決めたんだ!! 何年でもアタックし続けるから、うまくいくように応援してくれ!!」

 既に学生で一杯になっていた教室中が、わっと沸き返った。

「いいぞ!!」

「頑張れ!!」

「突進あるのみ!!」

 笑いと拍手が広がり、口笛がピーピー飛んだ。わたしは屈辱で、耳まで熱くなる。入学以来、ずっと目立たないようにしてきた努力が、水の泡!!

 わたしは立ち上がって右手を振り上げ、青年の横っ面を張り飛ばした。十分避けられたはずなのに、彼はまともにそれを受け、笑いながら顔をしかめるという芸当をやってのけた。

「いやあ、しびれた。強烈だなあ。さすがはマイ・ハニー」

 それから、うやうやしい仕草で身をかがめ、ひりひりするわたしの手を取り、指にキスしてみせたのである。

「それで気が済むなら、何回でもどうぞ。きみに触ってもらえるだけで、ぼくは幸せなんだから」

 わたしは危うく、ヒステリーの悲鳴を上げるところだった。ちょうど担当教授が入室してきたので、優等生の条件反射を起こし、黙って席に座ってしまっただけ。

 内心では、怒りで煮えくり返っていた。

 ――こいつ、絶対、頭がおかしいわ!! これ以上つきまとってくるようなら、大学の警備部に通報してやる!!

 けれど、彼は周囲に手を振り、軽快に歩み去った。自分の授業に行ったのか。高齢の教授は、教室内のざわつきに少し不審な顔はしたものの、普通に講義を始めた。けれど、わたしは顔が火照り、心臓が激しく打ち続け、まったく勉強に集中できなかった。

 どうして、わたしがこんな目に!!

   ***

 その日から、金髪のハンサムが上機嫌でわたしにつきまとう光景が、キャンパスの名物になってしまった。

 彼は朝、わたしの住む女子学生専用アパートの前で待っている。雨の日も晴れの日も、都合がつく限り、ほとんど毎朝。そして、校舎まで歩くわたしの横に並んで、あれこれしゃべりかけてくる。好きな本や映画、バイト先での出来事。

 昼食時には、当然のように横に座る。食堂でも、中庭の芝生でも。時には手作りのお弁当を持参してきて(料理は確かに上手だった。わたしの周りの女の子たちが、先にそれを確認してくれた)、わたしに味見を求めてくる。最初は断っていたけれど、根負けして食べてしまったら、確かに美味しい。昨日や今日、料理を始めたという水準ではない。

 放課後は、帰るわたしに徒歩で付いてくることもあるし、レンタカーを用意して待っていることもある。

「送るから、ちょっとドライブしようよ」

「結構です。忙しいので」

「夕陽が見える、いいデートスポットがあるんだけどなあ」

「一人で見たら?」

 これまでただの一度も、まともなデートを経験したことがないなどと、こんな奴に言う必要はない。

 晴れの日は、ずっと彼を無視していたのだけれど、急に雨が降ってきた日、つい誘いに負けて車に乗ってしまったら、たっぷり二時間、ドライブに連れ回された。

「もう二度と、あなたの車には乗りません!!」

 と別れ際にアパートの前で宣言したのに、翌朝もまた、にこにこして現れる。

昨夜ゆうべは幸せで、眠れなかったよ。今度は遊園地がいいかな? それとも海?」

 彼を避けようとするわたしの努力は、ことごとく、周囲の女子学生たちによって台無しになった。

「いいわねえ、うらやましい」

「あんなに口説かれたら、女冥利に尽きるってもんじゃない?」

「ああ、わたしを口説いてくれたらよかったのに」

「どうして、そんなに嫌がるのよ? 減るもんじゃないし、試しに付き合ってみればいいじゃないの」

「そうそう、どうせ振るのなら、色々と貢がせてから」

 彼女たちは面白がり、進んでマックスとわたしの仲を取り持とうとした。昼食時の大食堂では、わたしの隣に彼の席を確保する。わたしの予定を彼に告げ、グループ活動に誘い入れる。

「週末はわたしたち、芸術家村にある家具工房の見学に行くの。もちろん彼女も参加よ。あなたもどう?」

「や、いいな。ぼくももちろん参加するよ、ありがとう」

「来月のわたしの誕生パーティ、彼女と一緒に来てね」

「行かせてもらうよ、ありがとう」

 いつの間にか、彼はキャンパス中の応援を受けていて、いつわたしが陥落するか、公然たる賭けの対象にまでなっていた。教授たち、事務職員たちまで賭けに加わっていたというのだから、冷や汗が出る。

 善良な彼らは、マックスの動機が恋愛感情だと信じて疑わないのだ。

 もちろん、わたしはそんな風には思わなかった。どんな美女や才女でも口説き落とせる男が、あえてわたしにつきまとうなんて、絶対、どこかに落とし穴があるのに決まっている。

 それでも、彼は客観的には〝模範青年〟なのだとわかってきた。教授陣の受けもよく、数学と物理の才能は、どこの研究所にも喜んで迎えられるほど。友達も多く、空手やサッカーの試合に出場しては、期待通りに活躍する。彼に片思いしている女の子も、たくさんいる。

 まさに、理想の青年。

 それがなぜ、わたしのために、時間とエネルギーを費やすの。

 季節の花束や話題のお菓子という、ちょっとした贈り物も押し付けられた。最初は拒絶したけれど、やがて素直に受け取る方が、疲労しなくて済むと悟った。

 マックスは疲れ知らずなのだもの。こちらはもう、逃げる気力も失ってしまう。

 それでも、高価なブランド物の香水を渡された時は、反射的に突き返そうとした。

 ――こんな香水をつけていいのは、この香りに相応しい美女だけ。

「いただく理由がありません」

 あくまでも受け取りを拒否したら、彼は小箱を高く掲げて言う。

「そうか、これは気に入らなかったんだね。それじゃ、他のものを探そう」

 そしてそれを、わたしたちがいた橋の上から、真下の川に投げ捨てた。赤いリボンをかけられた小箱は、ぽちゃんと着水し、半分沈みながらも、ゆらゆらと流れに運ばれていく。

「何てことするの!!」

 悲鳴を上げてしまったのは、わたしである。安い合成香料ではなく、本物の薔薇やジャスミンから抽出した香水を捨てるなんて、犯罪行為ではないか。

「拾ってくるかい?」

 面白そうに尋ねられ、彼の術中にはまったと思いながらも、地団駄踏んで叫んでしまった。

「早く、流されないうちに取ってきて!! でないと、許さないから!!」

 彼は苦笑して靴を脱ぎ、ズボンを太腿まで濡らしながら、ざぶざぶと川に入って、小箱を拾い上げたのである。

 ――こうなったらもう、大事に使うわよ。自分では一生、こんな不相応なもの、買わないのだから。

 マックスは下半身ずぶ濡れのまま、上機嫌で言う。

「何が欲しいと言ってくれれば、それでいいんだよ。きみのお望みなら、月でも星でも取ってくるんだから」

 わたしたちの大学のある植民星には、小さなジャガイモ型の衛星しかなかったけれど。

 天才と何とかは紙一重、というやつかもしれない。わたしはたぶん、頭のおかしい天才に見込まれてしまったのだ。

   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』1章-2に続く

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