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古典リメイク『レッド・レンズマン』11章-3

11章-3 クリス

「わかったでしょう。銀河評議会に参加するもしないも、あなたたちの自由なの。ライレーンは独立を保てるわ。そういう点では、パトロール隊は公正よ。人類だけでなく、他のたくさんの種族が参加しているのだから、公正にならざるを得ないの。ただ、ボスコーンやデルゴン貴族のような犯罪者がライレーンに逃げ込んだりした時は、逮捕や引き渡しの交渉に応じてほしい、ということ。それなら、別に無理なことではないでしょう?」

 黙って聞いていた娘は、愛らしい口許を引き締め、難しい顔になった。

「クリス、わたしは納得したが……ヘレンさまはどうだろう?」

 よかった。やっとここまで来たわ。

「あなたたちの女王さまね」

 ライレーン人の尊敬と信頼を受けている人物。

「だって、デッサ・デスプレーンズの追跡をしたいのだろう。ヘレンさまを尋問して、星中、調べ上げるつもりだろう。ヘレンさまは、おまえたちを警戒して当然だ」

 ここまでは上出来だ。イロナは心情的に、こちらに傾いている。これで、うんとやりやすくなった。

「デッサは、あなたより上の世代の工作員なのね?」

 デッサとイロナには、十五歳ほどの年齢差がある。

「それは知らない。余計な情報は、知らない方が安全だからだ。わたしたちより前に母星を離れた者については、何も教えられていない」

 まあ、それは仕方がない。右手のすることを、左手に教えるなかれ、だ。

「わたしが知っているのは、同期の者たちと、人類社会にいる連絡係との接触方法だけだ。必要があれば、年上の工作員の方から接触してくると言われた。おまえたちの世界で暮らすうちに、何となく、あの人がそうかという、見当はつけていたけど」

 イロナは指折りしながら、デッサを含め、十人ほどの学者や政治家、実業家などの著名人の名前を挙げた。いずれも、錚々たる女傑たちだ。もし彼女たちがライレーンの工作員なら、実に巧みに人類社会の中枢に食い込んでいることになる。

 しかし、それはもう、レンズマンたちが調査に向かっているはずだ。彼女たちは包囲され、正体を暴かれる。

 遠くにいる監視者に邪魔されないよう、艦隊をうまく配置して、惑星そのものを思考波スクリーンで包んでから逮捕すれば、ボスコーンの上級者に口を封じられたり、抹殺されたりしなくて済むのではないか。

「ねえイロナ、あなたたちのレンズは、どこから来たのだと思う? 女王だって、誰かから受け取って、あなたたちに授けたはずだわ。まさか、山から掘り出したわけではないでしょう」

 イロナは口をへの字にして、首を傾けた。

「外部からもらったものではない、と思う。ヘレンさまの心からは、ライレーンで独自に開発したものだという印象を受けた。もちろん、レンズマンたちのレンズのことを知って、そこからヒントを受けたのかもしれないが」

 本当だろうか。長いこと鎖国を続けてきた星に、そんな高度な技術力がある? それとも、遺伝子操作のおかげで、住民の知的水準が高くなっているから、可能だった?

 それにしては、このイロナは妙にアンバランスだ。最優秀の娘でこの程度なら……

 いや、デッサは年上な分、途中でライレーンの嘘を見抜いたかもしれない。レンズは、ライレーン人が作成したものだという嘘。外界の男たちが、ライレーンを乗っ取るという嘘。そして、女王の指令から離れ、独自の行動を始めたのではないか?

 それからアイヒ族に出会ったのか、それとも、最初からアイヒ族がライレーンを隠れ蓑にしているのか……

「さてと」

 ブラック・レンズを絶縁容器に戻してから、わたしはイロナに笑いかけた。

「あなた、まだ、男を邪悪な存在だと思ってる? あなたがこの世界に来てから、誰か、男に殴られて泣いている女を見たことがあるかしら? 奴隷として売られた女とか?」

 それはない、とイロナは渋々認めた上で、言い張った。

「ここの女たちは、みんな誰かの所有物だからだ。父の所有、夫の所有。所有者がいるから、他の男が暴力を振るえないだけだ」

 ふうん。なるほどね。

「数百年の過去には、確かにそうだったと思うわ。地球での、家父長制の時代にはね」

 わたしがその頃に生まれていたらと思うと、ぞっとする。ボスコーンの脅威があっても、公正な銀河文明の中で生まれ育って、幸いだ。

「でも、今の人類社会では、男も女も、その中間領域の人も、全ての市民の人権が尊重されている。不公平だったのは、ただ一点、女はレンズマンになれないという〝常識〟だけ。でも、それは、デッサやあなたが嘘だったと教えてくれた。それにはとても、感謝しているわ」

 わたしの人生の宿題が、一つ、片付いたようなもの。

「そのことはレンズマン秘なので、外部に公表することはまだできないけれど、ライレーンには何人も女性レンズマンがいるのね。心強いわ」

 正規の白いレンズに対して、デッサやイロナのレンズが濃い青紫だったことから、ライレーンのレンズマンたちは、ブラック・レンズマンと呼ばれている。

 おそらく、レンズの質そのものには、大きな差はないのではないか。ただ、それを使う者の心構えが異なるだけで。

 今のイロナなら、もうブラック・レンズを悪用することはない気がするのだ。だから、科学者たちの調査が済んだら、彼女のレンズを返してやってもいいのではないか。

 ただ、それを正規のレンズマンたちが認めるには、時間がかかるだろう。少なくとも人類社会のレンズマンたちは、レンズこそ男らしさの象徴だと思っているのだ。

 他の分野では、冒険家だろうとパイロットだろうと外科医だろうと、女にも、しぶしぶ席を認めてきた。レンズが最後の、男の砦なのだ。女がそれをつけて歩くなど、頭では理解しても、心情では受け付けないのではないだろうか。

 イロナには、もうわたしに対する敵意はなく、ただ、不安定に揺れ動いていた。

「心強いって、なぜ?」

「あなたたちは、もし、自分たちが誰かに洗脳されていると気付いたら、わたしたちと一緒に戦ってくれるでしょう?」

 イロナは驚いたようだ。

「わたしたちが、誰に洗脳されているというのだ!?」

 洗脳は、いつでも、誰にでも、起こりうる。教育というのも、一種の洗脳だから。常に、洗脳されていないか自問すること。それが大切なのだ。

「あなたたちにブラック・レンズを与えた誰か。パトロール隊が敵だと信じ込ませた誰かよ。ライレーンはとうの昔に、ボスコーンに組み込まれていたのかもしれないわ」

 デッサの陰にいたアイヒ族のことを説明すると、イロナは衝撃を受けたようだ。一般のニュースでは、ぼかされている部分がある。

「デッサ・デスプレーンズは、独立した工作員ではなかったのか……アイヒ族とやらに、いいように使われていた……? ヘレンさまはご存じなのか……」

 若い額に皺を寄せて、考え込んでいる。世界の見え方が、大きく変わってきたのではないだろうか。わたしはあえて、明るい調子で続けた。

「でもあなたは、うまくやったわね。歌手として成功して、このバージリアの最高基地までやってこられたのだもの。あなたの役割は、ここで情報を得ることだったの?」

「……それもある。でも、地位の高い男に近づいて、結婚するのが、一番いい擬態だと言われていた。それなら、機密にも近づきやすい」

「それで、ヘンリーを狙ったのね」

「いいや。彼は、単なる足掛かりだ。前線の艦長ごときでは、真の機密には近づけない。わたしは……誰かレンズマンを狙っていた。できたら、リック・マクドゥガルがよかったのだが」

 あらまあ。ヘンリーが更に傷つくわ。

「無理だったでしょうね。リックには、好きな女性がいるのよ」

 と笑って言った。キムだって婚約したのだから、リックだって、ベルとの未来を考えてもいいだろう。

「知っている。しかし、わたしを好きになるよう、暗示をかければいいのだから」

「逆に、あなたの心を読まれる危険を冒しても?」

「わたしも、おまえたちの言葉で言うなら、レンズマンだ。わたしの能力が上なら、たとえレンズマンと結婚しても、本心を読み取られることはない」

 ずいぶん、自分の能力に自信があったようだ。

「逆にあなたが、レンズマンの心を読める?」

「わたしが普通の女だと思って、油断している奴なら、たぶん」

 そこでイロナは、思い出したように怒りだした。

「なぜ、普通人のおまえを、催眠に落とせなかったのだ!? これまで、音楽会社の社長でも、基地の警備員でも、必要な時は全て操ってこられたのに!!」

 わたしは肩をすくめた。

「たぶんわたしが、幼い頃から、レンズマンとの付き合いに慣れていたからでしょうね」

 イロナの能力は、普通人に対しては有効だろう。現にヘンリーは、目覚めた時にはひどく混乱していて、レンズマンによる精神治療を受けなければ、正気に戻れなかったという。自分たち一般隊員はレンズマンに洗脳されているのだ、という恐怖と反感を植え込まれてしまっていたのだ。

 あるいは、事実がそうなのかもしれないけれど。

「わたしでさえ、あなたに抵抗できたのだから、リックにはとても太刀打ちできなかったはずよ。あなたの任務は、いずれ失敗していたでしょうね」

 イロナは顔をそむけた。

「もういい。正体の割れた工作員なんて、役に立たない。残りの一生、どこかに閉じ込められるんだろう。さもなければ、おまえたちに洗脳されて、手下にされるか。だったら、生きていても仕方ない。一思いに、始末された方がましだ」

 わたしはつい、気の毒で笑ってしまった。イロナは怒りで赤くなり、食ってかかる。

「何がおかしい!!」

「そりゃあ……あなた、まだ二十歳そこそこでしょう。これからが人生の本番よ。もう自分の心を隠さなくていいのだから、楽になるわ。歌手に戻ってもいいし、ライレーンに帰ってもいいのよ。何でも、好きなことをすれば」

 イロナは唖然とした。

「嘘だ……そんなこと」

 母星の人々は助かるとしても、自分の身については、あきらめていたのだろう。子供のうちに洗脳されていたのだから、罪はないのに。

「あるいは、わたしの助手になってくれるとか」

「助手?」

「レンズは返してあげられないけれど、わたしと一緒にライレーンに行って、女王との仲立ちをしてくれたら、有難いわ」

 イロナが呆然としているうちに、わたしは立ち上がった。

「数日中に、ライレーンに向けて出発するわ。一緒に来たかったら、見張りのレンズマンにそう言ってちょうだい」

 イロナは慌てて、ベッドから立ち上がった。

「クリス、おまえはヘレンさまに……何を求めるのだ?」

「ブラック・レンズの製造元を知りたいの。それがライレーンで作られたものなら、それでいい。ライレーン自体を物理的に封鎖すれば、銀河文明の脅威にはならないから。でも、もし、どこかの進んだ種族が作って女王に渡したものなら……たとえばアイヒ族とか……その種族の目的を知りたい。決して、善い目的ではないと思うのでね」

 アイヒ族がボスコーンの真の中枢なのか、それとも、更に上位者がいるのか、それはまだわからないけれど。一つ一つ、階段を登っていくしかないのだ。
 
 わたしが特別房の扉を通り抜ける前に、後ろでイロナが叫んだ。

「待ってくれ!! わたしも行く!! ヘレンさまと、じかに話したい!!」

   『レッド・レンズマン』11章-4に続く

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