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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』32章-2

32章-2 ハニー

「六大組織ってのは、どんな恐ろしい連中の集まりなのかと思っていたが、とんでもない。ぬるま湯に浸かって、平和惚けした連中だったんだな」

 とシヴァは口許を歪めている。長年、いいように使われてきた、という苦い記憶があるからだ。

「もちろん、上級の幹部たちは優秀だ。油断も慢心もしていない。だが、大多数はただの〝庶民〟だよ」

 とショーティは言う。遠い未来の目標など持たず、日々が平穏であれば、それでいいのだと。

 わたしも驚いたけれど、結局は、そういうものなのかもしれない。危険を承知で市民社会を捨て、辺境の宇宙に出てきた野心的な人々でも、いったん大きな組織に所属して、守られる身分になってしまうと、切迫感が消えてしまい、平穏無事だけを願うようになってしまう。

 それが当然なのだ……いつまでも先鋭的でいられる者など、よほどの欠落を抱えた者だけなのではないか。たとえば、醜い少女だったわたしが、今でも美にこだわるように。

 いえ、でも、シヴァの愛情で満たされたおかげで、以前より、ずっと弛緩しているかもしれない……部下の陣容も厚くなり、大抵のことは、わたしが出ていかなくても解決できるようになっている。わたしもまた、たるんだ成功者になっているのか。

「違法都市が、危険で猥雑な状況に置かれているのは、わざとだったのね……」

 あちこちで狙撃事件や爆破事件が起き、スパイ行為や裏切り行為が繰り返され、人が簡単に殺されるのは、そうでなければ、人々の緊張がゆるんでしまうから。もし事件がなければ、わざと起こしてでも、危機感をあおる。

「その通りだよ。違法都市の住民の大半は、中央から出てきて間もない若いチンピラ男だが、彼らにはエネルギーがある。くだらないこともしでかすが、たまには斬新な真似もする。大組織は、そういう新鮮な部分を選んで吸い上げているのだよ」

 とアンドロイドの姿を借りたショーティ。それは弱まった炎に、新しい燃料を投じるようなもの、らしい。

「でも、違法都市に女が増えると、お行儀がよくなって、落ち着きすぎてしまうというのね」

 女は一般に男より冷静で合理的であり、先を読んで計画を立てる。無駄ないさかいを嫌い、協力を好む。

「いずれは、そうなるのも仕方ない。少しずつだが、女性の比率は増えつつある。きみの《ヴィーナス・タウン》の影響でね。だが、当面は現状維持というのが、最高幹部会の方針だ」

 《ヒュウガ》や《ニライカナイ》など、大組織が持つ幾つかの植民惑星を巡り終える頃には、すっかり納得していた。辺境の大部分は、市民社会を超えた平和社会になっていたのだ。

 わずかに、点在する違法都市だけが、無法を売り物にして維持されているだけ。そうすれば、そこに野心家が集まり、互いに刺激しあって進化していく。

 辺境の真実を知ってしまったことで、わたしやシヴァの感じ方も変わってくるのかもしれない。それはつまり、わたしたちが新来者ではなくなったということなのだろう。

 構わない。

 それならそれで、新しい展開を模索すればよい。

 わたしはずっと、一つの考えを温めていた。そして、それが十分に固まってから、初めてショーティに相談した。長い旅から帰還して、少し過ぎた頃のこと。

「ねえ、わたしたち、シヴァの細胞を使って、子供を作ることができるかしら?」

   ***

 シヴァの元秘書、リナが面会に来たのは、五年くらい前のことだったろうか。

 違法組織《フェンリル》に所属する彼女は、シヴァに内緒で、シヴァの遺伝子を使った子供を育てていた。その子たちが〝リリス〟の影響を受け、シヴァの郷里の一族に取り込まれてしまったと、泣いて訴えにきたのだった。

 あの頃、わたしはまだ《ヴィーナス・タウン》の拡大で手一杯だった。だから、シヴァにすがりつく女性の存在がショックではあったし、彼女が勝手に子供を作ったことに呆れもしたけれど、忙しさに紛れて、じきに忘れてしまった。

 それ以前にも、シヴァの子供を宿した女性はいたのだ。胎児は育たず、死んでしまったと聞いているけれど。

 これからも、彼に惚れ込む女性は絶えないだろう。それでも、シヴァがわたしの元にいてくれる限り、問題はない。

 わたしには、事業が何より優先だった。辺境中に広がった店と、そこで生きる女たちが、わたしの子供のようなもの。

 けれど、《ヴィーナス・タウン》が影響力の大きな存在になった今ならば、少しは私生活に時間を割いてもいいのではないだろうか。事業はもう、部下たちが伸ばしていける。わたしの関与は、今より少なくても大丈夫。

 そろそろ、他の枝葉を伸ばしてもいい。シヴァの形質を受け継ぐ子供たちなら、きっと、どんな世界でも、たくましく生き延びてくれるだろう。

 最初、シヴァは抵抗した。

「冗談じゃない。俺のクローン体なんか、危険すぎる」

 自分そっくりの男の子など、手に負えない暴れん坊になってしまい、周囲に大変な迷惑を及ぼすに違いないと言う。自分の子供時代を顧みて、冷や汗が出るというのだ。

「でも、アスマンはちゃんと成人したでしょう?」

「それは、紅泉こうせんが叩き直してくれたからだ……奴が違法都市で、どれだけ暴れたことか」

「わたしたちの子供は、わたしたちが躾ければいいわ」

 それに、男の子でなくてもいいのだ。できれば強化体であることが望ましいけれど、普通に健康であればよいという考え方もできる。

「あなたの遺伝子に少しだけ手を加えて、女の子にしたら? わたしの遺伝子を、少し混ぜてもらえたら嬉しいし」

 シヴァの肉体は強化体として完成度が高いので、部分的な改変は望ましくないとショーティは言っている。完璧な芸術作品を、損なう結果になりかねないと。けれど、ごくごくわずかな改変ならば。

 シヴァは戸惑い、考え、首を横に振った。

「それをしたら、〝リリス〟みたいな、はた迷惑な女闘士になるぞ」

「あら、それって、とても素敵じゃない?」

 わたしたちの娘が、将来〝リリス〟のような正義の味方になってくれたら、どんなに誇らしく、頼もしいことか。

 もちろん、戦う本人にとっては、辛い道かもしれないけれど。

 何も、大きな無理をしなくてもいい。できる範囲の、ささやかな正義を実現してくれたら。それだけでも、新たな希望の光を灯すことになるのではないか。

「いや、あいつはただ暴れるのが好きで、正義を言い訳にしてるみたいなもんだ」

 とシヴァは苦い顔で言うけれど、そういう従姉妹のために、彼は何年も裏方を務めてきたのだから。本心では従姉妹たちが大好きで、自慢にしているのだ。

「あなたの遺伝子を活かさないのは、勿体ないわ。せっかく、素晴らしい強化体なんだもの。でも、もし技術的に可能なら、わたしの遺伝子も、ちょっぴり加えて設計してもらえると嬉しいわ。ショーティは、気持ち程度なら、何とかなるだろうって言うし」

 既に、リナはそれを実現させたではないか。

 しばらく考えさせてくれ、とシヴァは答えた。わたしは彼を急かさず、待つことにした。子供を持つということは、重大な決断だ。人類社会にどんな未来が待っているのか、誰にも予測できないのだから。

 これから先、人類そのものが、大きく変貌するのかもしれない。

 ただの肉体強化や不老処置ではなく、人間の形を捨ててしまうような進化までは、わたしにも想像がつかない。

 それが当たり前の未来が来てしまったら、わたしの子供たちはどうなるのか。

 人間であることを捨て、人間らしい喜怒哀楽も捨て、わたしたちには理解できない怪物になってしまうのか。それとも、人類を庇護してくれる神になるのか。

 いえ、そんなことは、悩んでも仕方がないこと。子供たちが成人するまでが、親の責任。

 それくらいの歳月なら、シヴァと二人、何とか持ちこたえることができるのではないか。その先は、子供たちがどうなろうと、わたしたちとは別の人生なのだから。

 ***

 やがて、シヴァがわたしに答えを持ってきた。週に二日は休日にすると決めてあるのだが、その休日の朝、アンドロイド侍女が朝食の皿を片付けた頃、彼はわたしにこう切り出した。

「子供の件だが、一つ、条件がある。きみがその条件を呑んでくれたら、協力する」

 意外に思った。断られるか承諾か、回答は片方だけだと思っていたので。シヴァが改まって、わたしに要求することがあるなんて、初めてではないかしら。

「どうぞ、言ってみてちょうだい」

 少しは怖かったけれど、彼が望むことなら、呑むしかない。すると、シヴァは深刻な顔をして言う。

「自分が親になることを考えてみて、初めて、わかった気がする。俺はずっと、周りに守られていたんだと思う。自分の一族にだ」

 ああ、今ようやく、それを納得したの?

「自分では勝手に不貞腐れて、家出までしたが、それでも、その年齢までは、ちゃんと守られていた……良質な教育を受けたし、色々と鍛えられた。別の言葉で言えば、愛されていたんだと思う」

 よかった。シヴァが自分の一族のことを、きちんと思い直してくれて。もちろん、愛されていたから、シヴァはまっとうに育ったのだ。シヴァだってずっと、従姉妹たちを愛してきたのだから。

「それで、思った。きみの親も……きっと、きみを心配し続けている。今、この瞬間にも、ずっとだ」

 あ。

 それは。

「きみには親も、祖父母も、妹たちもいるだろう。だから、故郷に連絡して、生きていると、それだけ知らせてやってくれ」

 わたしの方が、痛いところを突かれた。家族のことは忘れようと思い、マックスに振り回されている間も、シヴァと出会ってからも、ずっと記憶の底に沈めてきたのに。

 わかっている。家族や親族たちに愛されていたことは。ただ、わたしが臆病だっただけ。顔が醜いことで悩んでいる、惨めな思いをしている、それを人に言えなかった。つまらないプライドのために。

 相談すれば、母も、祖母や叔母たちも、親身になって助けてくれただろうに。劣等感で凝り固まり、人に心を閉ざしていたから、マックスのような、やはり凍った男にしか、手を差し伸べてもらえなかったのだ。

 整形して、美しさに慣れた今でこそ、たいした悩みではなかったと、ようやく思えるようになっているけれど。それは、自意識過剰な少女の頃には、到底、無理だったのだ。

 でも、そのおかげで辺境に出られた。生き甲斐を得られた。幸せな娘でいたら、シヴァと出会うことは決してなかった。何が幸いするか、わからない。

「今のきみがどこにいて何をしているか、それは教えなくていい。きみの家族が、危険にさらされると困る」

「ええ、そうね……」

 今のわたしは〝連合〟の庇護下にあるけれど、どこでどう陥れられるか、あるいは誰に逆恨みされるか、わからない。故郷とのつながりは、知られるべきではない。

「だが、生きて、無事でいることだけは、伝えられるはずだ。ショーティが、出所をたどられないように、メッセージを届けてくれる」

 わたしが席を立つと、シヴァも立った。わたしは手を伸ばして、シヴァの胴体にしがみつく。厚い胸板に頭を預けて、目を閉じる。強い腕が、わたしを守ってくれる。なんて幸せなわたし。

「ありがとう。そうするわ。生きて、幸せでいるからと伝えます」

 それくらいのことで、家族の心配がすっかりなくなるわけではないけれど。生死すら不明のまま、皆に重い苦しみを抱えさせたままではいけなかった。

「……でも、シヴァ、あなたは?」

 自分の気持ちが定まると、わたしは彼を見上げて尋ねた。

「あなたの一族には、ずっと連絡を取っていないままなんでしょう。それはどうするの?」

 彼は顔を歪めた。まだ悩んでいる。

「俺は……だめだ。戻れない」

 彼の一族は〝連合〟には所属していない。ただし、敵対もしていないと聞いている。辺境での家族関係は、市民社会のそれとは違うかもしれないけれど、もしも将来、わたしたちの子供たちが苦難に陥った時には、彼の一族が助けてくれる可能性があるのでは?

「戻りたくない、という意味なの?」

「いや……」

 シヴァは言葉を探して、しばらく悩んでいた。ようやく、絞り出すように言う。

「戻る資格がないんだ。俺には……」

「でも、一族は、あなたを愛してくれたんでしょう?」

「子供の頃は。だが、自分の愚かさのせいで……居られなくなった」

 彼がなぜ十代の終わりに家出したのか、ショーティからは聞いている。ずっと従姉妹に片思いしていたけれど、それが報われなかったからだと。でも、この様子では……

「あなたが、故郷の誰かを傷つけたの? 二度と顔を見せられないくらい?」

 シヴァは鉄槌でも受けたかのようにこわばり、しばらく凍っていた後、わたしから離れた。

「すまない。まだ話せない」

 でも、たとえ何を聞いても、わたしは大きく揺らぐことはないと思う。彼はたぶん、そのことでずっと苦しんできた。人は、心から悔やめば、それで許されるはずだと思うから。

 だって、罪を犯したことのない人など、いないはず。みんないつかどこかで、誰かを傷つけている。

 そして、傷は必ずしも悪いものではない。それが、生きる力になることもあるのだから。

「いつか、あなたの従姉妹たちに会ってみたいわ」

 そう言うと、立ち去りかけていた背中が、いったん止まった。それから、何も言わないままで部屋を出ていった。


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』33章に続く

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