見出し画像

恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』4章

4章 探春たんしゅん

 わたしたちは、ある大手企業に社員として潜り込んでいた。辺境の違法組織と裏取引している疑いがあり、怪しい重役も浮かんでいるのだけれど、内偵に入っていた司法局員が、先月、不審な死に方をしたのだ。

 複数の蜂に刺されてショック死という、事故とも他殺ともつかない死に方だった。誰かが、蜂毒を仕込んだロボット虫を飛ばした可能性はある。

 公開捜査に踏み切る前に、もう少し的を絞りたいというのが、特捜部の考えだった。一斉に網をかけると大騒ぎになるから(関連企業まで含めると、数万人の取り調べを行うことになる)、混乱に乗じて、こちらでマークしていない者が逃げたり、肝心な人物が口を封じられたりする可能性がある。

 そこで、『殺しても死なない』ハンターの出番。

 いえ、紅泉こうせんだって不死身ではないけれど、普通人の捜査官より、はるかにタフだから。

 紅泉は他企業から出向の技術者として、わたしは社長秘書室の補充要員として、先週からこの本社ビルに通っている。

 わたしたちの正体を知る者は(それもハンターではなく、普通の司法局員と信じている)、社長以下のほんの数名だけ。

 毎日、仕事のふりで社内をうろついて、無邪気そうに質問したり、噂話を拾ったり、資料を漁ったりして過ごす。

 勤務時間中は互いに姿を見ることもないので、昼休み、社員食堂で紅泉に会えた時は、ほっとした。自慢の金褐色の髪を黒く染め、地味なパンツスーツを着ていても、強い生命力を発散しているから、どこにいても人目を惹く。

 それなのに、紅泉ときたら、ちらとわたしに微笑を投げてきたきり、あとは熱心に、若い男性社員を口説いている。

「ねえ、休みの日は何しているの? 今度、あたしとドライブしない? いい温泉ホテル、知ってるんだけど」

 誘うのはいいけれど、坊やの手をテーブルの下で、自分の太腿に誘導しているのはやりすぎよ。坊やも困り果てて、おどおどしているわ。通りすがりに紅泉の頭の上で、料理を載せたお盆をひっくり返してやろうかしら。

 ――まったくもう、何度振られても、懲りないんだから。あなたの望むような王子さまが、本当にこの世にいるはず、ないでしょう?

 その時、広い食堂にざわめきが走った。それまでローカルニュースを流していた壁面の大画面が、真っ暗になったのだ。番組の切り替えにしても、長過ぎる。

 と思っていたら、黒字に金で描いた、有翼獅子の紋章が現れた。

「なあに、映画の宣伝?」

「どこの会社のマークだっけ?」

 社員たちの注目の中、肉声なのか、合成なのか、判然としない男の声が流れた。

「――〝連合〟を代表して、全世界に通告する。わたしの名はグリフィン。辺境の秩序を維持する、最高幹部会の代理人である」

 グリフィンですって!? そんな代理人、初めて聞くけれど。

 放送局の宣伝などではない。回線を乗っ取られたのだ。おそらく、ほとんど全ての公共放送で。

 確かに〝連合〟ならば可能だろうけれど、これまで、こんな露骨な真似はしたことがなかったのに。何か、大きな変化があったのだろうか。

「本日からグリフィンの名で、市民社会の中核となる人々の首に懸賞金をかける」

 食堂中で、不審や警戒のつぶやきが洩れた。何だよ、それ。

「懸賞金リストに載せられた紳士淑女諸君は、誇りに思ってくれていい。市民社会の最重要人物と認定されたのだ」

 離れた席にいる紅泉と、黙って視線を交わした。紅泉のサファイア・ブルーの瞳は、コンタクトも入れずそのままだ。強い興味を浮かべて、再び画面に視線を戻す。

 わたしは茶色い髪を金髪のソバージュにし、金茶色の目に緑のカラーコンタクトを入れている。整形をしなくても、女は衣装や髪型、化粧で雰囲気を変えやすい。

「リストの人物を暗殺しようと考える者には、グリフィンから必要な支援を与える。要人暗殺に成功した者は〝連合〟で歓迎し、《プラチナム》の口座開設の形で懸賞金を支払う」

 それは、辺境の決済機構である。辺境での組織間取引や個人の買い物は、ほとんど《プラチナム》を経由する。

 続いて、グリフィン事務局へのアクセス方法が説明された。もちろん違法アクセスだけれど、当局が取り締まるにも限度があるから、どれかの方法で連絡が可能になるだろう。

 それから、要人の名前と顔写真、賞金額が並んだリストが出た。有力政治家、司法局の局長と特捜部本部長、軍の実力者、財界の大物、市民の尊敬を集める学者や思想家など、三十人。

 あたりのテーブルの社員たちは、しんと静まっていた。多分、他のフロアでも、他の会社でも、学校や家庭でも、この放送を見た者は、みんな凝然としていることだろう。

 惑星連邦の歴史上、初めてではないだろうか。裏の世界が、表の世界に公然と挑戦してくるなんて。これまで違法組織は、実力こそあるものの、自分たちを陰の存在と規定してきたはずなのだ。

 静かな池に、大石を投げ込んだようなもの。頭の中で、計算を始めた市民もいるに違いない。あれだけの賞金が手に入ったら、辺境で何ができるかと。

 リストの最後に、『司法局の専属ハンター〝リリス〟』という表記があった。内心でぎょっとしたけれど、顔写真はない。身体的特徴が、文章で説明されているだけ。

 百八十センチ級の筋肉質の女と、百六十センチ弱の小柄な女のペア。どちらか片方だけでも、懸賞金は全額支払われるという注釈付き。不穏な宣言に凍りついていた社員たちは、ここでようやく、ざわつき始めた。

「ハンターなんて、映画でしか見たことないわ」

「ハンター制度って、まだ続いてたんだ」

「これが、市民社会の重要人物だって?」

「他にいくらでも、政治家や学者がいるじゃないか」

 さすがの紅泉も、唖然としている。いえ、呆れているけれど、口許に不敵な笑みが浮かんでいる。新たな戦いの章が始まった、と思っているのだ。

 でも、笑い事ではない。これに煽動されて、あちこちで暗殺事件や、暗殺未遂事件が頻発したら。

 軍人や司法局員、警官など、暗殺を防ぐ立場の者からも、裏切り者が出るかもしれない。市民社会は信頼で成り立っているのに、それが崩壊してしまう。これは、武力制圧よりも悪質だわ。

 リストにかぶさり、グリフィンと名乗った男の声が流れた。

「市民諸氏は、辺境を無限闘争の地獄と思っているかもしれない。確かに法律はなく、安全の保証もない。だが、無限の可能性がある。百歳の老人であっても、適切な処置を受ければ、若い頃の気力と体力を取り戻せるのだ。おとなしく老衰死を迎える前に、辺境への脱出を考えてもらいたい。〝連合〟は、新たな人材を歓迎する。その際、手土産があればなお結構だ。グリフィンは、あらゆる提案を待っている」

 放送自体は、ほんの十分ほどだった。画面が元のローカル番組に戻ると、すぐさま当局のテロップが入る。

『ただいまの放送事故については、惑星連邦軍と連邦司法局で事実関係を調査中です。市民の皆さまは、冷静に調査発表をお待ち下さい』

 もちろん会社全体が、不穏に沸き立った。司法局や地元警察、あるいは知り合いの議員に問い合わせる者。ネットで関連情報を調べる者。上司や同僚と相談する者。家族と連絡を取る者。

「世も末だよ、公共放送が乗っ取られるとは」

「軍が〝連合〟を退治できないの?」

「無理だって。辺境は広すぎるんだから」

「政治家や高官はわかるけどさ。なぜ、賞金稼ぎのハンターなんか? チンピラを捕まえて、小遣い稼ぎしているだけだろ」

「でも、これだけの大物と並んで、リスト入りしているのよ。すごい腕利きなんじゃないの?」

「司法局の公開データ、どうなってる?」

「あら、〝リリス〟って、情報公開されてない。その名前以外、機密扱いよ」

「A級機密ってことは、存在していることは確かなんだ」

「A級機密の閲覧許可って、誰なら得られるんだ?」

 わたしと紅泉は、さりげなく席を立った。わたしたちの顔写真が出なかったのは、向こうに情報がなかったからではなく、《ティルス》の一族に対する警告の意味ではないだろうか。

『そちらの迷惑娘を引退させろ。さもないと、次は容赦せず本拠地を叩く』

 というような。

 〝連合〟の最高幹部会が、うちの一族の自主独立路線を認めているのは、うちの技術力に一目置いているからだと、ヴェーラお祖母さまに聞いている。金の卵を産む鶏は、腹を裂くより、快適に過ごさせる方が得だから。

 でも、わたしたちの、正確に言えば紅泉の暴れぶりが、とうとう我慢できなくなったのかも。

 たぶん、特捜部のミギワ・クローデル本部長から、新たな指示が来るだろう。このまま隠密任務を続けるのか、それとも、どこかに避難するのか。

 もう数時間すれば、過去にわたしたちが接触した人々から、情報が洩れ始めるだろう。ひょっとしたら、写真や動画の流出があるかもしれない。髪を染める程度の変装では、もう間に合わないだろう。

(今度からは、迂闊に外を歩けないわ)

 わたしはともかく、紅泉は身長だけで目立つ。その上、輝く美貌に派手な言動ときては、関わった人々に忘れられない印象を残す。

 明日にはきっと、連邦中の市民が、謎のハンターのことを話題にしているだろう。

   『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』5章に続く

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?