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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』33章

33章 カーラ

 ハニーが、これからシヴァの子供たちを育てるつもりだと打ち明けた時……長い付き合いのルーンは、すぐに喜色を浮かべ、胸の前で両手を合わせた。

「素敵ですわ。おめでとうございます。もちろん、子育てを手伝わせて下さいね!!  ハニーさまが前例になれば、他の女たちも、どんなに心強いでしょう!!」

 《ヴィーナス・タウン》で働く女たちの中には、自分の子供を持とうとする者が出てきている。ハニーは、その女たちの子育てを支援する態勢を整えていた。自分一人の人生だけでは物足りなくなった女たちは、新しい挑戦をしようとしているのだ。

 ただし、子育てに、外部の男の協力は必要ない。女たちの団結だけで、事足りるはずだ。少なくとも、子供たちの最初の世代が、ある年齢に達するまでは。少年はいずれ、大人の男を師とするべきだろうから。

 わたしは、祝福が少し遅れた。相応しい言葉が、すぐには浮かばなくて。結局は、平凡な言葉しか出てこない。

「おめでとう、ございます……楽しみですね。いずれは、大家族になるのかしら」

 ハニーは輝くような笑顔だった。

「今はとにかく、男の子と女の子を一人ずつと思っているの。育てやすいのは女の子だというから、姉と弟という組み合わせになりそうね」

「人工子宮ですよね?」

 とルーン。

「ええ、それなら仕事に差し障りないし……生体出産は危険なようなので」

 当たり前だ。市民社会では女性の生体出産を称賛するが、ハニーがそんな負担を負うことはない。母親の生活音を送信して胎児に聞かせてやれば、それで心理的つながりは保てる。ましてシヴァの子ならば、普通人が体内で育てるなど、考えられない。胎児がハニーの子宮を引き裂いたりしたら、どうしてくれるのだ。

「それがいいですわ。遺伝子設計なさるんでしょ」

「ええ、シヴァは強化体だから、普通妊娠は無理なの。二人の遺伝子を組み合わせて、胚を作るわ」

「楽しみですね!! どんな子たちになるのかしら!!」

 ルーンがあれこれ祝意を述べ、弾んだ様子で先に去っていくのを見送りながら、心の中では、

(潮時か)

 と思っていた。

 この女たちの楽園に、ずいぶんと長居してしまったが、そろそろ一人になって、先を考える時期だ。新しい場所に行けば、新しい考えが浮かぶかもしれない。わたしには……まっさらな未来があるのだ。何も、落ち込む必要はない。

「あの……間が悪いかもしれませんが……」

 わたしが《ヴィーナス・タウン》の職を離れたいと告げると、紫のドレスがよく似合うハニーは、あまり驚かず、ただ、白い顔にいたわるような微笑みを浮かべた。

「薄々、感じてはいたの。あなたは、どこか遠くに行きたいんじゃないかって」

 そうか。日々の仕事をこなしてはいても、そこに魂が入っていないことは、知られていたか。

「ここは、いい組織ですよ。ここにいられて、本当に楽しかった。皆に感謝しています。でも、何かが足りない……足りないと感じている。それを捜しに行きたいんです。自分が何を求めているのか、自分でも、まだわからないけれど」

「止めないわ。あなたの決断ですもの」

 ハニーはにっこりした。今では、わたしが抜けても支障はないと、お互いによく承知している。《ヴィーナス・タウン》の事業は、全ての違法都市に広がるだろう。その先は、地球型惑星を手に入れ、そこに本物の楽園を築くはずだ。その先がどうなるとしても……それは、シヴァとショーティが守ればよいことだ。

「でも、わたしの側近としてのあなたの席は、確保しておくわ。何十年でも、何百年でも、ずっとね。気が向いたら、いつでも帰ってきてちょうだい。お茶を飲みに、ちょっと立ち寄るだけでもいいのよ。どこへ行っても、ここがあなたの〝帰れる場所〟だと思ってね。あなたはもう、わたしたちの家族なんだから」

 たとえハニーに殴られたとしても、これ以上の衝撃はなかっただろう。家族だって!?

 わたしはしばらく、茫然として立ち尽くした。確かにここは、結束の堅い組織ではあるが……所属する女たちにとっては、ほとんど天国のような場所だ……ハニーにとっての家族とは、シヴァと、これから作る子供たちのことではないのか。あるいは、そこにショーティも入るとしても。

 何という皮肉。もしハニーがわたしの正体を知ったら、家族扱いどころか、悲鳴をあげてシヴァを呼び立てるだろうに。

「わたしね、ずっと観察していたの。あなた、シヴァを見続けてきたでしょう。わたし、何も言わなかったけど。だって、シヴァを譲るつもりは全然ないからよ」

 は?

 譲る?

「ごめんなさいね。彼を独り占めしていて。でも、あの人だけは、絶対に誰にも渡せないの。わたし、シヴァがいないと、生きていけないんだもの」

 おい。待て。

 激しい誤解があるぞ。

 この自分には、もはや恋愛感情などという、浮かれたものはない。男も女も、その内情がわかってしまっているからだ。誰かに憧れるなどと、有り得ない。ハニーのことすら、保護者的感覚で見ているというのに。

 まして、シヴァだと。あんな単細胞。

「何か、誤解が……」

 こわばる笑顔で言いかけたわたしを、ハニーは優しく遮った。

「いいの、言わないで。それより、餞別に、欲しい船を持っていってちょうだい。連れて行きたいスタッフがいたら、誘って構わないし。わたし、あなたがどこかで何かを見つけて、報告に戻ってきてくれるのを待つわ。ここで、子供を育てながらね」

 当然ながら、シヴァも、わたしを引き止めなかった。不機嫌そうな浅黒い顔に、傲岸な表情を浮かべただけだ。

「俺の目の届く範囲で監視できた方がよかったが、どうせ、ショーティが追尾するだろうからな。どこへでも行け。ハニーが何か言ったとしても、別に、帰ってこなくていいからな」

 彼らしい、さっぱりした挨拶だった。それでいい。おかげで、ハニーを頼むなどという、余計な一言も言わなくて済んだことだし。

 そうして、わたしは《アヴァロン》を離れた。ハニーが気前よく託してくれた、最新鋭の中規模艦隊で。

 組織に十年以上もいると、部下も増え、外部の知り合いも多くなる。ついてきたいと言った者たちもいたが、しばらく待つようにと話して、置いてきた。もし助っ人が必要だと思ったら、連絡するからと。

 マックス本体に戻り、彼に吸収されるつもりは全くない。まだ人間として、このカーラの肉体で、何かをしてみたい。あちこち放浪してみれば、きっと、何かにぶつかるだろう。

(生きる目的……何か、自分のしたいこと)

 子供の頃は、ただひたすら、居場所が欲しかった。それは結局、自分を待ち望んでくれる誰かのことだったと思う。冷たかった母親とは違う、優しい女。

 しかし、今は、たぶん何年でも自分一人で居られるだろう……と思う。一人でいても、以前のような焦りや、惨めさがないからだ。

 多少、寂しいと感じることはあっても、そういう自分を認めてしまえば、別に惨めではない。

 もし、本当に寂しくて辛いと思うようなら、戻れる場所がある。それはハニーが、カーラの正体を知らないからだが。

 シヴァは、それをハニーに告げずにいてくれた。だから、戻れる可能性がある。

「武士の情けか……」

 一人でつぶやいて、一人で笑った。宇宙での一人暮らしは、どうやら、独り言が多くなりそうだ。


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』34章に続く

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