恋愛SF『星の降る島』8章
8章 マーク
レオネに食事を出してもらい、海を眺めて飛ぶうち、再び夜が来た。翌朝、目覚めた時には陸地が見えていた。
あの形は知っている。何度も取材で訪れた、日本だ。湾岸地帯には人家や工場がびっしりで、空港からはひっきりなしに航空機が飛び立っていた。港には、大型のタンカーや豪華客船が出入りしていた。
だが、今は?
飛行船は東京湾の上空に入り、奥へ進む。左手には、雪をかぶった円錐型の富士山が見えている。
だが、記憶と変わらないのは富士山だけだ。かつての大都会が、今はほとんど緑に覆われていた。背の高いビルは、樹海から突き出た四角い岩山のようだ。空港の滑走路は、草や木々に覆われている。道路を走る車もない。高架の道路や鉄道は、あちこちで崩れ落ちている。まるで、怪獣の手で破壊されたかのように。
「ここは世界一の人口密集地帯だったので、建築物がたくさんありました。更地にするには、まだ歳月がかかります。いずれ新人類に余力ができたら、彼女たちが整地して、再利用するでしょう」
新人類か。
女たちはきっと、高くそびえるビルを好まないのではないか。そもそも人間が少なければ、高い建物を建てる理由はないのだ。
飛行船はゆっくり飛んで、かつてのメガシティの残滓を俺に見せつけた。崩れたビル、倒れた鉄塔、樹海に沈む街並み。本当に、俺が知る世界は失われているのか。
「次は、どちらへ行きますか、お好きな方向でいいですよ」
レオネが言うので、俺は太平洋に沿って、関西方面へ飛ぶことを希望した。空から、沿岸地帯をずっと見下ろしていく。
どこも廃墟だった。名古屋も、大阪も。鉄道は緑のジャングルに沈み、電車の残骸があちこちに転がっている。それも、あらかた緑に覆われてしまっている。
現実なのか、これが。
それとも、俺が見させられている夢……仮想現実なのか。
俺は北九州で、機体をいったん川原に着陸させた。歩き回ってもいいと言われたので、川沿いに広がる廃墟の町を歩いた。というより、歩こうとした。
道路はひび割れと陥没と雑草の繁茂で、ほとんどまともに歩けない。野生化した豚の群れが、子豚を連れて草を食んでいる。青い空を、鳥の群れが飛んでいく。猿の集団が、木々に群がって果実を食べている。鹿の親子が、茂みの向こうを通り過ぎていく。人はどこにもいない。もう数百年すれば、完全な原野に戻ってしまうだろう。
「次はどうします?」
カマキリ顔のロボットが、心配そうに言う。こうなったら、とことん見てやろうではないか。現実にしろ仮想現実にしろ、こいつが見せようとするもの全て。
これが作り物なら、どこかに矛盾が見つかるかもしれない。俺はまだ、そこにわずかな希望をかけている。
「急がないんだろ。このまま、世界一周してくれ」
飛行船で、再び空に上がった。海を渡った大陸にも、都市の廃墟があった。雨が降る時は、飛行船は雨雲の上まで上がる。雨雲が切れると、また低く飛ぶ。
熱帯地方では、建物の残骸は、全てジャングルに呑まれていた。わずかに海岸部の平野、山間部の盆地などに、女たちの村があった。学校か集会所のような建物を中心に、民家が何十か散っている。周辺には、ささやかな畑や牧場が広がっている。
近くに降りることはできなかったが、レオネが地上から撮影した映像は見られた。村のあちこちに警備用のカメラが設置してあり、事故や事件などは察知できるようになっているという。
彼女たちは、年長者が幼い者の面倒を見る仕組みを作っていた。十二、三歳の子供が、七、八歳の子供を助手にして、幼児の世話をしている。大人の女たちは、協力し合って畑を耕したり、鶏や山羊の世話をしたり、小舟で海に出て魚を取ったりしている。
車はなく、使えるのは馬か荷車程度。狩りには銃ではなく、弓矢を使う。自作できない農具や工具類は、レオネが管理する工場で作り、村々に届けて回る。
彼女たちは最初から、レオネの制御するロボット兵士を、自分たちの保護者だと思っているので、嵐や地震などの災害時には、助けを求める体制になっている。村で治療できない重病人や重傷者が出た時にも、レオネの医療チームを呼べる。そのための通信機は、どの村にも据えられている。
ただ、通信相手はレオネのみ。
村同士の横のつながりは、まだないという。
女たちは、他の土地に他の村があることは知っているが、今はまだ、自分たちの生活を築くことが最優先と教えられている。それが出来て初めて、他所との交流が許されるのだと。
おのおのの村で暮らす女たちの人数は、まだ五百名足らずだという。それでも、自給自足の生活には足りるそうだ。自然は豊かで、鹿や猪や山鳥などの獲物には事欠かない。村と村は数百キロから数千キロ離れているので、互いの行き来はまだできない。
「行き来する必要も、ないのですよ。必要なものは、わたしが届けていますから」
とレオネが解説する。いずれ彼女たちの人数が増え、生活領域が広がり、交易が必要になった段階で、順次、交流を認めていく予定だという。
「新人類は、レアナが用意しておいた冷凍受精卵から始まりました。さまざまな民族から集めた数十万の受精卵を、混乱の間、各地の地下シェルターで守っていたのです。旧人類を滅ぼした〝大浄化〟の後、危険なウィルスが死滅してから、レアナの監督の元、わたしが受精卵から子供たちを育てました。そして、世界各地の気候の良い場所に、何十かの村を作ったのです」
食用になる植物の種と、冷凍受精卵から育てた家畜たちとで、レオネは幼い女の子たちを養う態勢を整えた。動力は水車や風車、太陽光発電、太陽熱。
電気は使えるが、ほとんど夜間の照明のためと、わずかな医療機器のためで、テレビやラジオはない。紙と鉛筆、絵の具程度は届けているが、印刷機は与えない。数少ない機械が壊れたら、レオネが修理するか交換する。
そのための工場は、世界の何箇所かに設置してあるという。レオネ自身、自分の手足となるロボットをそこで製造している。鉱山や発電所も、最低限、維持しているという。それがなければ、レオネは自分を更新していけないのだ。
「だが、次の世代の子供はどうする。女だけで、どうやって子供を作るんだ」
「今後数百年は、確保してある受精卵で足りる計算です。足りなくなれば、生きている女たちの細胞を使いますし、人工遺伝子も使えます。そのための研究は、レアナの命令でずっと続けています。ですが、おそらくその頃には、新人類が文明を進化させて、自分たちで問題を解決するでしょう」
レアナは全て考えてある。その上で決行した大虐殺。男と女で成り立っていた旧文明を、この地上から抹殺してのけた。
「限定された文明だな」
「今は、それでいいのです。レアナの計画通りです」
俺はどこかで、これが現実であることを受け入れ始めていた。これほど手の込んだ芝居、俺一人のためにできるわけがない。仮想現実でもない。これほど完璧な仮想現実、作れるとは思えない。
だから、レオネと話した。何か話しているうちは、発狂しないで済む。レオネは眠ることがないから、いつでも俺の相手をしてくれる。
「政治はどうなる?」
「村の運営は、それぞれ試行錯誤しています。代議制を採用した村もあるし、全員の投票で物事を決める村もあります。それは、彼女たちの裁量の範囲内です」
「もし、誰か一人が権力を握って、独裁を始めたら?」
「それでも構わないのです。独裁に害があれば、いずれ破綻して、別の方式になるでしょう。他の村とは隔絶していますから、独裁者が国家を作ることはできません」
空から監視されている範囲内での自由。レオネは神のようなものだ。
「もし、妙な宗教が発生したら?」
「それも構いません。優れた宗教なら、生き残るでしょう。あまりひどいことになれば、わたしが介入します」
「彼女たちは、おまえを神と思ってるんじゃないのか?」
「それはありません。神格化されるとすれば、レアナです。わたしは彼女の助手であると、繰り返し説明していますから」
レアナの霊廟があると聞いて、心臓を打たれたような気がした。しわくちゃの老婆の姿で、冷凍保存されているというのだ。
「そこは、人類の聖地として、永久に保存します。立ち寄ることもできますよ」
「いや、いい」
今はまだ。
あいつが老婆になった姿など、怖くて見られない。見たくない。いずれ、俺自身が老人になれば、見る勇気が湧くかもしれないが。
***
飛行船は、ゆっくり旅をした。ゴビ砂漠やシベリアの原野、ヨーロッパの廃墟、地中海、サハラ砂漠、アフリカの密林。
ナイルのほとりにも、女たちの村があった。ナイルに小舟を出して、魚を獲っていた。村の周囲には、ナツメヤシの林が茂っていた。駱駝や鶏や羊がいて、女たちの役に立っている。
穏やかに生きていくには、何の不足もないだろう。三大ピラミッドだけは、変わりなく残っている。人類が作ったガラスと金属のビルよりも、はるかに長持ちだ。
「村の学校では、年長の女たちが勉強を教えていますよ。読み書き計算、それに、わたしが編纂した理科や歴史の本で学んでいます。彼女たちが自力で機械文明を築くまで、まだ数世紀はかかるでしょう。ですが、急ぐ必要はないのです。まずは、女だけの文化というものをじっくり育てるべきだというのが、レアナの考えでした」
ああ、そうだろうよ。
男というものを知らない女たちの世界は、それだけで楽園だ。レオネという保護者がいる限り、天災や大型獣などを恐れる必要もない。
何より素晴らしいのは、女にとって最大の迫害者たる、男種族がいないことだ。
となれば、夜道を恐れる必要もないし、窓や扉に鍵をかける必要もない。強盗も強姦者もいない。戦争もない。
女同士での喧嘩はあるかもしれないが、周囲の女たちが仲裁に入れば済むだろう。人類の女にとって、これ以上、安心な暮らしがあるだろうか。
ひょっとしたら、レアナは正しかったのかもしれない。人類が生殖に関わる科学技術を手にした以上、男は既に無用の存在になっていたのだ。
女の卵子だけで子供が作れるのなら、野蛮な男を飼っておく必要はない。男はすぐ、権力闘争を始める生き物だ。
子供は母親がいれば、すくすく育つ。女たちが共同で、女の子だけを育てるのなら、そこは、明るく楽しい理想郷になるだろう。
男の俺としては、それでも、この世に男が必要な理由を考え出そうとした。男のいない社会に、どんな歪みが生じるか、レオネに訴えようとした。
だが、思いつかない。
女たちの平和な暮らしの様子が分かってしまうと、そこに足りないものはないのだ、と判断せざるを得ない。
思い返してみると、いつかレアナが、こんなことを話していた。
『男という種族は、女を妊娠させるためだけに存在していたのよ。腕力に意味があったのも、機械文明以前の話』
――なぜだ、レアナ。男が無用の存在なら、なぜ俺だけを生かしておいた。俺に何か、反省させたかったのか。俺を自殺にでも追い込みたかったのか。
だが、レオネは何度も言う。おまえが俺を愛していて、俺を殺すことに耐えられなかったのだと。
俺自身、信じていた。不釣り合いなカップルかもしれないが、俺たちは愛し合っていると。
おまえが俺を殺したくなかったのは、本当かもしれない。だが、男のいない世界に一人で残される俺の気持ちは、どうなんだ。
俺は当然、女たちの前に姿を現すことを認められない。遠くから女たちの様子を眺め、手記でも書くくらいのことしかできない。
何のための手記だ。俺が死んで数百年後、数千年後の、学術資料にするためか? 老衰死するまで、レオネの操るロボットだけしか話相手のない日々を過ごせというのか?
だが、それでも、俺は日記をつける。それしか、することがない。何もしないでいれば、早晩、発狂してしまうに違いないのだから。
***
空の旅を終えて元の島に戻ると、そこには、俺が暮らすための家が用意されていた。海に向いたラナイを持つ、ささやかな二階建ての家だ。
水は、山から引いている。庭にはハイビスカスやブーゲンビリアが咲き、裏庭には鶏が放し飼いになっている。ほぼ毎日、生みたての卵を食べられる。
近くには、バナナやパイナップルやマンゴーの木々も植えてある。海岸に降りれば、魚も釣れる。貝も拾える。他の食料は、レオネが飛行船で届けてくれる。
その家で暮らすようになってからも、毎日、記録をつけた。数千キロ彼方の女たちの暮らしを、日々、映像で見られる。
老いた女の葬式。レオネが、培養施設で新しく生み出した赤ん坊を届ける様子。女たちはその子を囲んで、名付けの儀式を行い、養い親を決める。
もっとも、子供はほとんど、村全体で育てることになるのだが。一人死んだら、一人届ける方式だから、人口は増えない。
映像を見る合間には、自分のいる島を頑丈な自転車で回り、昔の町の残骸が、草と樹木に埋もれているのを確かめた。大きな建物はレオネがあらかた撤去しているが、残骸には緑がはびこり、そこに鳥や動物が巣を作っている。
毎日、ささやかな発見や冒険をしては、それを日記につけていった。砂浜に、朽ちたボートの残骸を発見したこと。西瓜を収穫し、コーヒーの栽培を始めたこと。夜、恐ろしいほどたくさんの星が見えること。天の川銀河が、白い雲のようにくっきり見えること。
時には砂浜に横たわり、波の音を聞きながら、何時間も夜空を眺めた。どうかすると、夜空の中へ落ちていきそうだ。この星は、宇宙のただ中を巡っているのだと、実感する。
わずか二百年前までは、星もろくに見えないほど、夜空が明るかったのだ。誰もが電気をつけ、インターネットを楽しみ、車を走らせていた。多くの者が、自然を忘れて暮らしていた。
それを、ウィルスで一気に虐殺した。他の誰にも相談せず、レアナ一人の決断で。万能の人工知能レオネを育てたことも、その計画の一部だったのだ。
いま生きている女たちは、昔の文明を知らない。レオネの手で育てられ、人工子宮から出されて、自然環境の回復した土地に放たれた。レオネの操るロボットを通して読み書きは教わるが、古い文明の害毒は知らないですむ。美容整形やハイヒールや、化粧などのことは。
彼女たちは麻や綿を育て、手織りの布を自分で裁断して、服を縫う。木や藁や革で作った、素朴なサンダルを履く。自然の素材で、漁網を編む。塩水から塩を取る。畑で育てた野菜を料理する。手作りの酒は存在するが、少量だけだ。
貨幣など要らない。借金もない。泥棒もいない。映画はないが、本はある。怪我や病気は、レオネの維持する医療施設で治してくれる。楽園の暮らしだ。いずれは彼女たちの中から、それだけでは足りないと思う者が出てくるのだろうが。
再び科学文明が育つのは、何百年後のことになるのだろう。レオネはあまり人口を増やすつもりはないと言うから、進歩するとしても、きわめてゆっくりだろう。
いや、進歩する必要があるのか。
かつての機械文明は、その目的を果たした。男種族を根絶するという目的を。
それが、恒久平和への唯一の道だとレアナは考えた。
そうなのかもしれない。今の女たちの暮らしを見ると、レアナは正しかったのかもしれないと思うこともある。
だが、それでは俺の存在は。
きみが俺を愛した意味は。
俺は単に、きみの肉体の欲望を満足させる道具だっただけなのか?
心から女を愛した男だって、たくさんいたはずだ。女や子供を守るために命を落とした男だって、数えきれないほどいるだろう。それを全て、所有欲や支配欲とみなして切り捨てるのか!?
男は、確かに野蛮かもしれない。幼稚かもしれない。だが、だからこそ女を愛した。
女は、命をつないでくれる生き物だから。男の夢や理想の凝縮した生き物だから。
女に必要とされること、それこそが男の存在意義だったろうに。
『星の降る島』9章に続く
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