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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』2章 3章-1

2章 マックス

 女は顔ではない。

 そのことを身に染みて知っているのは、他の誰でもない、このぼくだ。

 ぼくの母親は、少しばかり美人であるために何か勘違いした、とびきりの馬鹿女だった。結婚後、わずかな年月で父と別れることになったのも、その幼稚さ、愚かさ加減に愛想を尽かされたからだ。

 そして、そのことを理解せず、いつまでも恨みを引きずっていた。自分が再婚できないのは、無理に押し付けられた息子のせいだと思い、ぼくに八つ当たりした。

 別れた父もまた、馬鹿女に似合いの卑怯者だった。再婚する予定の女に嫌がられたから、ぼくを引き取らなかったのだ。自分の元妻が、最悪の母親だと知っていたくせに。

 それでも、ぼくは子供だったから、必死になって、母親に愛されようとした。何とか振り向いてもらおうと、勉強でも家事でも、できる限りの努力をした。

 友達には親切に、大人たちには礼儀正しく。

 週末の朝には、寝坊している母にブランチを作り、テーブルに庭の花を飾った。学校のテストは、いつも最高点を取った。空手やサッカーでも活躍した。

 おかげで、ぼくは人気者だった。教師には褒められ、女の子からは憧れられた。男の子仲間では、いつもリーダー格だった。学校では、誰もぼくの孤独を知らなかっただろう。

 その努力に疲れきり、

(もういい)

 と思うようになったのは、十一歳の頃だ。前々から、あれほど約束していたのに、あの女は、ぼくが主役を演じる学芸会の舞台を見にきてくれなかった。新しい男とのデートを優先したのだ。

 どうせまた、振られるくせに。

 舞台の袖から満員の客席を見渡し(どこの親も、我が子の出番が少しでもあれば、大喜びでやってくる)、まだ来ないか、待ち焦がれていた自分が哀れだ。

 芝居は大成功だったが、その日のうちに、ぼくは決意した。

 もう、あの女に期待などするまい。ぼくはもう、自分一人で何でもできる。あんな女に頼る必要は、微塵もないではないか。

  ***

 気持ちに区切りがつくと、世界の見え方が変わった。そして、周りの女の子に目が向くようになった。同級生も思春期に突入していて、あちこちで幼い恋の花が咲きだしている。

 そうだ、ガールフレンドを作ればいい。美人でなくていいから、優しくて賢くて、一緒に笑える女性を探そう。

 ところが皮肉なことに、ぼくは賢くなりすぎていた。どの女の子と付き合っても、幼稚に思えて物足りない。年上の女性も試してみたが、同じことだった。長く生きても、賢いとは限らないのだ。

 友達の姉、近所の人妻、病院の女医、バイト先の女社長。

 どの女もそれなりに可愛いが、ものを考えなさすぎる。なぜそう、視野が狭いのだ!?

 いや、視野が狭いのは男も同じだった。総合点で言えば、平均して男の方が低い。彼らは単純で、女の嘘を見抜くこともできず、いいように女に振り回されている。地位があっても学識があっても、性欲に引きずられる限り、男は女には敵わない。

 この頃には、ぼくが立派な青年に育ったことに気がついて、母がすり寄ってくるようになったが、ぼくは相手にしなかった。貴重な青春の時間、こんな馬鹿女のために使えるものか。

 そして、郷里から離れた星の大学を選んだ。これからが本当に、自由な日々だ。

 ところが、少しは世間が広くなっても、やはり、ぼくが尊敬できる男はいなかった。高名な教授でも、成功した実業家でも、よく見てみれば、たいした中身ではない。

 ぼくが努力を続ければ、どんな望みも叶えられるだろう。政治家になってもいい。科学者にもなれる。自分で会社を興してもいい。

 だが、その先は!?

 鍛え上げた肉体も、いずれは老いる。冴えきった精神も、いずれは鈍っていくだろう。どんな活躍をしようと、後から育った若者に追い越され、引退を迫られる。その日まで、わずか数十年。

 それならば、まず、不老不死を望むべきではないか。永遠の若さがあれば、どんなことも可能になる。

 辺境の宇宙に出て、不老処置を買うことを考えて、なぜ悪い!? 苛酷な生存競争には、勝ち残ればいいだろう!!

 だが、その本音を口にするのはまずいと心得ていた。司法局の要注意人物リストに載せられたら、厄介なことになる。辺境に脱出できるまでは、あくまでも〝模範青年〟でいなくては。

 幸い、ぼくには資産家の伯父がいた。母の兄だ。愚かな妹のことは嫌って距離を置いていたが、甥が立派な青年に育ったことを知ると、喜んで可愛がってくれた。彼の経営する貿易会社で、有利なアルバイトをさせてくれ、事業の基本を教えてくれたのだ。

 芸術家の娘しかいない彼は、ぼくを跡継ぎにすることまで考えてくれた。それならば、放置されていた子供時代の埋め合わせをしてもらおう。

 ぼくは彼に深層暗示をかけて操り(そのための技術は、大学で得ることができた。学んだことに、ほんの少しの上乗せをすればよかった)、会社の資金の一部を裏金に回させた。そして、その資金で辺境に足がかりを築いた。

 自分で出向かなくても、ネット経由で買い物はできる。バイオロイドの部下、手足になる機械の兵士、移動基地になる船。

 ハニーに出会った時、ぼくは辺境へ脱出する準備の最中だった。それが、そちらの計画を一時棚上げにするほど、ハニーに心を奪われた。もちろん当時はまだ、ハニーという名前ではなかったが。

 華やかなキャンパスで、一人だけ堅い鎧をまとった、異質な娘。

 自分は誰にも愛されない、だから誰も愛さないと決め込んで、ひたすら勉強だけに打ち込んでいる。

 彼女を見ると、胸が痛くなった。過去に置き去りにしてきた、大切なものを思い出した気がする。夕方の、しんと静かな家の中で、近所の家に明かりが灯るのを眺めながら、母の帰りを待っていた気持ち。

 ――きみも、ぼくの同類なんだね。

 そんなにとげとげして、自分を守ろうとしなくていいんだよ。ほら、ぼくがここにいる。

 ぼくは楽しんでハニーにまといつき、口説き続けた。何度ひっぱたかれても、めげなかった。自衛の固い殻を破るのには苦労したが、その価値はあった。厚い殻の中には、熟れた甘い果実が詰まっていたからだ。

 高い塔に籠もっていた、可憐な乙女。

 ぼくが築く王国は、きみのためのもの。

 だから、辺境へ飛び出そう。二人の永遠の幸福のために。

3章-1 ハニー

 ――これがわたし? 本当にわたし?

 自分で思い描いた通りに整形したとはいえ、最初に鏡に向き合った時は、感動のあまり、しばらくは声もなかった。

「なかなかいいよ……元のきみの顔も、ぼくは好きだったけど」

 他人事のようなマックスの台詞など、耳を素通りした。

 夢じゃないわ。わたし、本当に綺麗になったのよ。

 優雅な弧を描く眉、物憂げな眼差し、上品な鼻筋、官能的な唇、すっきりした卵形の輪郭。

 首から下は元々美しかったから、顔が綺麗になれば、完璧な女神の出来上がり。わたしは有頂天になり、ドレスや靴や宝石を買いまくり、着飾って遊び回った。苦笑しているマックスを、エスコート役にして。

「そんなに夜遊びが好きとは、知らなかったよ。きみは、本さえあればいいのかと思ってた」

 何とでも言ってちょうだい。もう、気にならないから。

 他の男たちから賛美の視線を浴びるのも、名前を尋ねられ、高価な贈り物を届けられるのも、わたしには新鮮な喜びだった。

 少女時代はずっと、周囲の男の子たちに、露骨に避けられていたのだもの!! 彼らは、うっかりわたしに親切にして、好かれでもしたら、大変な災厄だと怯えていた!!

 それからすると、マックスは寛大だった。わたしが買い物狂いになっても、静かに笑っていた。

「宝石やドレスくらい、戦闘艦に比べたら安いもんだ。きみが幸せになるなら、いくらでも買えばいい」

 わたしは彼の膝に座って、感謝の印にキスの雨を降らせた。整形前は、自分から彼にキスすることすらできなかったのに。

 でも、今ならもう、わたしがキスしても、迷惑ではないでしょう?

 いったん美人になってしまえば、日毎に自信が深まってくる。美人らしい振る舞いが、徐々にできるようになってくる。

 美人なら、深いスリットのタイトスカートをはいていい。

 赤い口紅を塗っていい。

 甘い香りの香水を愛用していい。

 こちらに見惚れる男に、思わせぶりな笑みを投げてもいい。

 これまで我慢していたこと、あきらめていたこと、全て、これから取り返せる!!

 マックスには、言葉に尽くせないくらい感謝した。だから努力して、彼の役に立つパートナーになろうとした。彼のすることが、市民社会の基準では犯罪だとしても、どうだというの!?

「わたし、何でもするわ。何をすればいいの?」

 そう言った気持ちに、嘘はない。

「そうだな。危険なことはぼくがする。きみは、事務的なこと、管理的なことをしてくれないか?」

 彼はマックス、わたしはハニーと名乗って、二人で違法組織《ディオネ》を立ち上げた。というより、既に基盤はできていた。マックスは大学生の仮面の下で、着々と準備を進めていたのだ。

 わたしたちは更に部下を集め、艦隊を整え、他組織と接触して、あれこれの商売に手を染めていく。

 ……その頃はよかった。部下もまだ少なくて、お互いに気心が知れていたし、わたしは新しい生活に夢中だったから。でも、もちろん、違法組織を育てるということは、綺麗事では済まなかったのだ。

   ***

 歯車が狂う。

 というより、歯車にきしみを感じる。

 でも、マックスにはそれが分かっていない。

 辺境で暮らし始めてから、あっという間に年月が過ぎていった。美人であることにも慣れ、日々増え続ける仕事に忙殺されている。

 新たに買い入れたバイオロイドたちの教育。小惑星工場での新製品の開発。違法都市に持つようになった店舗の管理。

 他組織との抗争という、最も苛酷な部分はマックスが引き受けてくれたから、わたしは建設的な分野で頭を使えばよかった。それもこれも、最初の資金があればこそ、だったけれど。

 マックスは、彼を可愛がってくれた伯父さまに深層暗示をかけ、伯父さまの貿易会社の資金をかすめ取ったのだ。おかげで、マックスとわたしが失踪した後、伯父さまは司法局に逮捕されてしまった。

 結局、洗脳されて利用された被害者とわかって、釈放されたものの、重役たちから甥への甘さを責められ、会社の経営から引退することになったとか。

 今でもわたしは、申し訳ないことをしたと感じている。マックスはもう、思い出しもしないらしいけれど。

 わたしたちは〝連合〟にも加盟し、辺境の社交界にデビューしていた。どこの違法都市にも、そこの経営組織が管理するセンタービルがあり、パーティや会合や見本市が開かれる。そこへの招待状が手に入るようになり、他組織の幹部との交流が生じると、商売も円滑にいくようになる。

 新たな取引、新たな商売。

 組織の規模が拡大すると〝連合〟への上納金も増えるけれど、それは仕方のない必要経費。《ディオネ》は順調に伸びていった。マックスは経験を積み、部下に恐れられるボスになっていく。

 というより最初から、わたし以外の人間には、畏怖されていたのではないだろうか。

 わたしが抱いた最初の大きな違和感は、たぶん、マックスが他組織から、経営不振の娼館を買い取った時だろう。その商売を引き継ぎ、業績を好転させるつもりだと聞いて、わたしは強い恐怖と嫌悪を感じた。

 ――バイオロイドの女たちに、人間の男の相手をさせる場所。

 人工遺伝子から大量培養される奴隷だといっても、赤い血の流れる生身の肉体を持ち、人間と同じ喜怒哀楽を感じるはずなのに。

 女なら、好きでもない男に身を任せることは、恐怖と苦痛以外の何物でもない。わたしだって、最初にマックスに抱かれた時は、ほとんど自棄だったもの。

 マックスが辛抱強く優しさを示してくれたので、じきに慣れて、肉体の快感に浸れるようになったけれど……

 娼館を利用する男たちに、そんな辛抱強さは期待できないでしょう!?

 どうして、火器や雑貨の商売だけではいけないの。小惑星農場から食肉や野菜を出荷するだけでも、そこそこの利益になっているはずよ。

「ハニー、きみの気持ちはわかる。女性が抵抗を感じるのは、当然だ。しかし、違法都市では普通の商売なんだよ。うちがやらなくても、他がやる。利益をくれてやることはない。きみは何も心配しなくていいから、ぼくに任せて、忘れておしまい」

 その場はマックスに押し切られ、部下の中から担当者が決められてしまった。そしてそれ以後、わたしには、娼館に関する情報が一切入ってこなくなった。

 新人の教育や店舗の管理で忙しかったわたしは、そのまま時を過ごしてしまい、気がついたら、マックスの所有する娼館は何十にも増え、違法ポルノの製作・販売まで守備範囲に入っていた。

 バイオロイドの女子供を使い、本物の強姦や獣姦を撮影する映画だ。

 苛酷な撮影を繰り返すうち、使われた女子供は精神を破壊されていき、素材としての価値がすり減ってくる。だから最後は、残虐なSM映画に使われ、殺されて終わるのが普通だという。

 わたしは震え上がった。いくら何でも、それだけは。

「お願いだから、そんな商売はやめて!! せめて、殺すのではなく、中央に送り届けてやって。そうすれば、難民として保護してもらえるわ」

 マックスにとりすがってそう訴えても、

「きみは気にしなくていい。担当者がいるんだから、任せておけばいい」

 と立ち去られてしまう。わたしは服だの小物だの、レストランだのという、小綺麗な商売だけ監督していればいいというのだ。マックス自身は、戦闘艦の製造工場や新規の取引相手の開拓という、最も大変な仕事にかかりきりになっている。

(仕方ないんだわ。ここは辺境なんだもの)

 わたしは自分に言い聞かせ、違和と不快を無理に飲み込んだ。自分を忙しくさせておくことで、余計なことを頭から追い払おうとした。蜂蜜入りのハーブティを飲んでも眠れない時には、軽い睡眠薬を使えばいい。薬に頼るのなんか、本当は嫌いだったけれど、寝不足ではどんな失敗をするか、わからない。

 でも、すぐにまた、別の壁にぶつかった。マックスが、買ってから五年を過ぎたバイオロイドたちを、人体実験施設に売り飛ばそうとしたのだ。

 彼らには、最初の何年か、わたしが本を読み聞かせ、手を取って勉強を教え、服の着こなしや、正しい生活習慣を指導したというのに!! 見かけは大の男でも、中身は世慣れない少年と変わらないのに!!


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』3章-2に続く

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