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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』5章-1

5章-1 ハニー

 夜中のうち、雨が降り出したらしい。朝になっても、壮麗なビル群の上には、鉛色の雲が垂れ込めていた。地球暦の十二月に合わせた、冬の気候。

 でも、繁華街のビル内にいれば、冷たい雨は関係ない。半月後に迫ったクリスマスのために、どこのビルも華やかな飾りつけを施し、客寄せのイベントを繰り返している。

 わたしの《ヴィーナス・タウン》にとっても、稼ぎ時だった。女たちは自分自身のために買い物をし、肌や髪の手入れをし、友人と誘い合って、レストランで美食を楽しむ。 

 いつものように、ホテル階のプールで一泳ぎしてから(朝早くはさすがに、泊まり客もほとんど泳いでいない)、同じホテル区画にある自室に戻り、食事と着替えを済ませた。

 今日は青紫のスーツに金のネックレス、紫水晶のイヤリング。わたしの白い肌とプラチナブロンド、灰色の目には、ややくすんだ青や紫がよく似合う。

 このビルを訪れる女性客よりは控えめに、でも従業員たちからは、尊敬と憧れの視線を集められるように麗しく。

 鏡の中の自分は、どの角度から見ても、完璧に美しい。

 もうじき三十歳。

 おそらく、今が美の頂点ではないだろうか。いずれは不老処置が必要になるとしても、毎日の運動の成果で、健康な肌の張りを保っている。

 辺境に出てきてから、かれこれ十年。

 醜かった少女時代は、前世のように遠くなった。中央にいる家族も、わたしを忘れてくれればいい。わたしはここで、満足して暮らしているから。

 従業員用の階段を使って、オフィス階まで降りた。ここには、わたしの使う社長室の他、警備管制室や幹部用の会議室、職員用の食堂などがある。

 従業員用の宿舎にしているビルは、ここから車で十分ほどの市街の外れにあった。バイオロイドの娘たちは毎日、そこから武装トレーラーで団体通勤してくるのだ。前後に警備車両を走らせて。

「おはようございます、社長」

「おはよう、アメリア。何か変わったことは?」

「特にございません。こちらが夜間の報告です」

 深夜シフトの秘書は、わたしに報告を済ませると、午前シフトの秘書と交替する。このビルは年中無休の二十四時間体制なので、従業員は四交替制で働いていた。休憩時間には食事をしたり、ビル内で買い物したりできる。バイオロイドの女たちには、買い手になる経験も大事なのだ。

 地階は駐車場、一階はゆったりしたロビーと、庭園のようなしつらえのカフェテリア。二階から上では、顧客に望まれるあらゆる品を扱う。衣類や靴、宝石、香水、家具や食器や雑貨、本や文房具や骨董品。社交サロンにエステサロン、ヘアサロンに映画館もある。高層部は、ホテルとスポーツクラブとレストラン。

 この《ヴィーナス・タウン》は、わたしが心血を注いで作り上げた〝女の城〟だった。

 ここで扱われる商品は、わたしの審査に合格した最高級品ばかり。随所に生花を飾り、植え込みを配し、隅々まで宮殿のように磨き上げている。従業員の躾も完璧。

 顧客である女性たちは大抵、泊まりがけでやってきて、買い物や最新の美容術や、女同士の社交を楽しんでいく。ここでの交流が、商売上の新たな取引に結びつくこともある。

 辺境では初めての女性専用ビルであり、順調に顧客を増やしていた。遠い宙域を活動拠点としている女性客からは、早く自分の近くに二号店を出してくれと、せがまれている。

 他組織が真似をして、似たような女性専用ビルを作り始めているが、志とセンスの点で、この本家には遠く及ばない。

 強欲な男に雇われた、にわか経営者では駄目なのだ。わたしのような美意識がないと、目の肥えた女性客を満足させられない。

 それはもちろん、マックスという庇護者が控えているおかげだけれど。

 わたしは午前中、各階の責任者たちと会議をし、新しい企画を練る。従業員用ビルに設営してある工房のデザイナーたちとも、新製品について話をする。ドレスも宝石も香水も靴も、全て互いに調和するように。

 午後は各部署を回り、買い物している顧客に挨拶し、他組織の噂話を仕入れる。有用な情報は、しかるべき女性客の耳にささやく。従業員の娘たちの接客ぶりをそれとなく観察し、必要な指導をする。レストランで出すランチやディナーの、新メニューの試食もする。

 いずれ他都市にも支店を出したいから、新たな人材を募集し、育てていかなくてはならない。わたしに匹敵する美的センス、経営センスを持つ人材でなければ、支店の全権は任せられない。

 ビルのワンフロアを任せられる人材なら何十人もいるけれど、支店全体となると、なかなか難しかった。何年も、根気よく育てたり、探し続けたりする必要があるだろう。

 各部門の責任者には、人間の女性を据えているものの、その下で働くのは、バイオロイドの娘たちだった。

 男の従業員は、ドレスや宝石のデザイナー、レストランのシェフなど、ごく少数。他は、新人の教育係から警備隊長に至るまで、全て女。

 そうでなくては、顧客の女性たちが、安心して買い物や食事を楽しめない。

 顧客たちはそれぞれ、あちこちの違法組織の幹部や、上級・中級の研究員だけれど、男が多数を占める組織内で、居心地の悪い思いをしているのが普通だ。

 辺境全体、あるいは違法都市そのものが、奴隷女に支えられた男の天国であり、まともな神経を持った人間の女には暮らしにくい。

 だからこそ、安心して休日を過ごせる女性専用ビルには、大きな存在価値がある。わたし自身が切実に欲しいと思った寛ぎ場所を、商売にしたことが、成功の大きな理由である。

 このビルをオープンする前、わたしはマックスに頼んで、組織内の他部門で使われ、生存期限の迫ったバイオロイドの女たちを集めてもらった。あるいは、他組織の経営する娼館から廃棄処分に回される女たちを、安く買い取ってもらった。

 本来なら抹殺される女たちを、辺境の不文律に反して、引き取ったのである。そして、

『わたしは、あなたたちを使い捨てにはしないわ』

 と約束し、心身のリハビリを受けさせた。五年間、便利な奴隷や、安い娼婦として使われてきた女たちは、ぼろぼろに疲弊しきっていたから。

 おまけに、五年より長い人生というものが、想像できない状態だった。

『まだ、人生の続きがある』

『勉強する意味がある』

 と信じてもらうことが、一番の難事業だったといえる。

 それから人間の女性を何人か教育係に雇い、バイオロイドの女たちに事務仕事や接客の研修をさせた。ファッションの勉強もさせた。彼女たちに映画を見せ、本を読ませ、一定の予算を与えて買い物をさせ、好きな衣装や持ち物を選ばせたのだ。

 制約の中で買い物させると、こちらで買い与えるより、はるかに教育的効果がある。

 宿舎の自分の部屋を自分の好きなもので飾れると、バイオロイドの女たちはようやく、明日に希望が持てるようになる。互いの部屋を訪問し合い、好きなだけおしゃべりしていくと、仲間としての意識も育つ。

 従業員全員が、教養に裏打ちされた高い美意識を持ってこそ、顧客を満足させる対応ができるのだ。

『バイオロイドを五年以上生かしているなんて、外部には宣伝するんじゃないよ』

 とマックスに繰り返し念を押されたけれど、

『自由こそが、辺境の唯一の大原則』

 のはずでしょう?

 とにかく、わたしの下で使うバイオロイドの娘たちは、誰一人、殺させたりしない。わたしが経営者でいられる限り。つまり、マックスが、わたしの好きにさせておいてくれる限り。

 彼女たちには、ささやかだけれど、給料を払っていた。週に二日か三日は休みも取れるように、シフトを組んでいる。自由な時間がなければ、自由な精神は育たないから。

 数人まとまって申請すれば、女性教師と、アンドロイドの護衛兵を付けての外出も許可している。ドライブでも、買い物でも、してくればいい。ただし、外部の男の甘言には乗らないように。辺境には、信用できる男など存在しないのだから。

 奴隷として培養されるバイオロイドに対しては、破格の待遇だった。他の組織では、絶対に有り得ない。違法組織を支配する男たちは、バイオロイドを使い捨ての備品としか考えていない。

 でも、マックスが約束してくれたのだ。辺境の常識に反することでも、きみの好きにしていいと。

 マックスには、感謝している。

 わたしが鬱状態に陥っていた時も、わたしを捨てなかった。わたしが回復するように、あれこれと気遣ってくれた。

 だから、状況に恵まれているうちに、できることをしたい。辺境に出てきたことを、間違いで終わらせないために。

   ***

「ハイ、ハニー」

 夕方近くになって、最上の顧客の一人であるイレーヌが現れた。

 百七十センチを超すわたしより更に背の高い、しなやかな褐色の美女である。カールした黒髪を、優美なショートカットにしているのがよく似合う。今日は甘いオレンジ色のドレスを着て、同系色のストールを羽織っていた。

 辺境では珍しく、自分の組織を率いている女性首領である。

 普通、女性は暴力的な闘争を苦手とするので、有能であっても、事務系や営業系、研究系の幹部止まりであることが多いのだけれど、彼女の場合は、実の弟に戦闘部門を任せられるというから、恵まれている。

「イレーヌ、雨の中をようこそ」

 と出迎え、軽い抱擁を交わした。いつものように、上品な香水の香りがする。これは、前にうちで買い上げてくれた最高級の薔薇香水だわ。愛用してくれているらしい。

「雨の日こそ、買い物日和なのよ」

 と長身の美女は微笑んだ。年齢は不詳だけれど、五十歳以下ということはないだろう。三十年も前から、辺境で活動しているのだ。マックスがイレーヌの組織を調べ、隙のない運営ぶりだと舌を巻いていた。

 わたしはマックスを天才級の男だと思っているけれど、イレーヌもきっと、彼に匹敵するくらいの頭脳と胆力の持ち主なのだろう。

 今日の彼女の連れは、愛らしいバイオロイド侍女一人。男性ボディガードとアンドロイドの警備兵たちは、地下駐車場の車で待たせている。いかなる理由があっても、男性の立ち入りは駐車場の車内までというのが、このビルの規則。

 もし、男性が車から出て上の階に上がろうとすれば、警備システムが警告なしで射殺する。幸いこれまで、そんな事件はなかった。このビルの顧客として迎える時に、全ての女性客に厳重に警告しているから。

 その規則は、当の女性客たちに大いに喜ばれている。もし、顧客の一人がその規則を破って男性部下を失ったとしても、他の全ての顧客が、その処置に賛同してくれるだろう。

「今日も素敵ね、ハニー」

 イレーヌの黒い目がわたしの全身を眺め、合格点を出した。もしもわたしが相応しくないジュエリーを使っていたり、色合わせに失敗していたりすると(そんなことは、まず滅多にないのだけれど)、静かにやんわりと指摘されるのだ。

 イレーヌ自身は、いつも完璧に美しい。まさに褐色のヴィーナス。

 おまけに、わたしを教育してやろうという意図が見える。わたしをお茶や食事に誘ってくれ、大組織の動向を説明してくれたり、辺境の事件のあれこれを解説してくれたりするのだ。

 マックスは最初のうち、疑っていたものだ。

『その女、女が好きなんじゃないのか。きみを狙っているのかもしれない』

 わたしも多少は、そういう気がしないでもない。彼女がわたしを見る視線の中に、何か言葉にならないものが混じっている気がするから。

 でも、それは別に構わなかった。イレーヌと付き合って、損はない。彼女はわたしにマックスがいることを知っているから、無理な要望を押し付けてくることはないのだし。

 イレーヌが新年用のドレスや小物を買うのに立ち会い(満足してもらえる商品があって、よかった!! イレーヌが置いてある品に満足しない場合は、デザイナーを呼んで、その場で新たにデザインさせることになる。それはこちらの勉強になることなので、とても有り難いのだけれど、しばしば冷や汗をかく)、その後、夕食に誘われた。

 どうせ、わたしも食事の時間だから、喜んで同席させてもらうことにする。侍女は荷物と共に地階の車に戻らせ、二人でレストラン階へ上がった。三つある店のうち、フランス料理の店を選ぶ。

 店内の女性客たちに軽く挨拶して回ってから、隅の席に落ち着いた。女を美しく見せる、古風なランプの明かりの元、ロゼワインで乾杯する。

 窓の外は夜の闇で、周囲のビルの明かりが、雨の向こうににじんでいた。きっと、凍るような雨に違いない。小惑星内部にある違法都市の気候は人工的なものだが、人は季節の移ろいを味わう必要がある。常春では刺激が足りず、飽きてしまうのだ。

 冬野菜のゼリー寄せと、白身魚のマリネサラダを楽しみながら、四方山話をした。

「マックスは仕事?」

「ええ、他都市にある拠点の見回りに行ったわ。半月くらいはかかるようよ」

「寂しいわね。浮気はしないの?」

 それはマックスではなく、わたしのことである。

 マックスが他所で、美女のつまみ食いをすることは知っているけれど、それは浮気のうちに入らないと、わたしは思っている。彼には、楽しむ権利があるのだ。ここは辺境なのだから。外で羽を伸ばして、わたしの元に帰ってくれれば、それで十分。

「そんなことしたら大変よ。マックスが、相手の男を殺すわ」

 と笑って答えた。わたし自身は、浮気など考えたこともない。そんな相手がいないからだ。

 美人になってからというもの、あちこちの男たちから口説かれるけれど、彼らはただ、美しい女を連れ歩いて自慢したいだけ。

 醜かった頃のわたしに優しくしてくれたのは、マックスただ一人。

 ……いいえ、マックスに出会う前、優しく接してくれた同郷の先輩はいたけれど、あれは、下級生に対するいたわりにすぎなかった。先輩にとって、わたしは女ではなかった。彼にはちゃんと、好きな女性がいたのだ。

 彼と友人たちとの、邪気のない本音の会話を立ち聞きした時、わたしは、ささやかな夢と希望を打ち砕かれた。そして、二度と、甘い期待を持つまいと誓った。誰がわたしなんか、女と思ってくれるというの。

 だから、男はマックス一人で十分。

 彼に熱烈に恋していると言ったら嘘になるけれど、感謝はしている。理解もしているつもり。わたしには到底、ついていけないくらいの野心家だと。彼がいつか、越えられない壁にぶつかって破滅することになったら、その時は仕方がない……わたしも一緒に滅びるまでのこと。

 それまでに何が出来るか、わたしも精一杯挑戦しているつもり。今が全て、その覚悟で生きている。明日の保証など、誰にもないのだ。たとえ、平和な市民社会にいたとしても。

   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』5章-2に続く


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