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古典リメイク『レッド・レンズマン』12章

12章 デッサ

 ――わたしはなぜ、こんなところにいるのだろう。

 花の咲き乱れる庭園にいるが、はるかな頭上は、分厚い断熱ドームに覆われている。この星の大気は、人類にとって有毒だからだ。上空は大抵、鉛色の雲に閉ざされていて、たまにその隙間から、紫色の空が見えるだけ。その空にはしばしば雷鳴が轟き、硫酸の雨が降る。

 夜であれば、たまには、雲の合間に星空を拝めることもある。たくさんの星と銀河の中に、わたしがいた銀河も……天の川銀河も混じっている。

 いつか、あそこへ帰れる時、わたしはもう、老婆になっているのではないだろうか?

 この星の、軟体動物のような知的種族は、まだようやく金属精錬の段階に達したばかりで、気密ドームで暮らすわたしのことを〝空から降ってきた神〟と思っている。

 彼らから見たわたしは、おぞましい異形の怪物にすぎないが、わたしが科学知識を小出しに授けているので、一応は敬ってくれているのだ。

 わたしの上位者……アイヒ族のアイヒミルとだけしか知らないが……彼からは、当面の間、ここで暮らせと言い渡されている。ここまでは、銀河パトロール隊の捜索も及ばない。

 彼らだって、わたしがまさか、別の銀河にいるとは思っていないだろう。いや、天の川銀河にいないとわかっても、他のどの銀河にいるのかまでは、突き止められないはずだ。

《いずれそのうち、おまえが人類種族を支配する時が来る。それまで、焦らず待てばよい。おまえは、人類の中でも最優秀の一人なのだからな》

 本当だろうか……アイヒ族の思考はひどく読みにくくて、わたしには、ほんの表層しか理解できないのだ。

 それに、アイヒ族にとって、下級種族との精神接触は苦痛らしく、最低限の連絡しかしてこない。ほとんどの時間、わたしは一人きりだ。視界で動くものは、ロボットの召使だけ。

 あの時……キムにレンズの存在を知られて、わたしは恐慌状態に陥っていた。彼を抹殺しない限り、わたしはもう、この世界にいられない。いえ、レンズマンの監視がある以上、抹殺しても無駄だけれど、まずはこの場から逃げ延びなくては。

 あたり構わず精神波で攻撃した結果、シャンタルとユエンまで殺してしまった。本当に、いい子たちだったのに。

 ライレーン人ではなかったけれど、男ではなく、女を愛するように生まれてきた女たちだった。実業家としてのわたしを敬愛し、公私にわたって、何年も尽くしてくれた。どのみち、一緒に連れ出す余裕はなかったけれど……彼女たちがアイヒ族のことを知ったら、恐怖に絶えきれなかっただろう。そうしたら、彼女たちを洗脳するしかなかっただろう。

 自分のクルーザーで何とか外宇宙へ飛び出し、行く手を塞ぐパトロール艦の乗員たちも片端から殺した。けれど、いくらレンズを通してアイヒミルの力を借りても、精神力による殺戮には、多大のエネルギーを要する。

 逃げ切れるはずはなかった……もし、超空間チューブによって、逃げ道を用意されなかったら。

 アイヒミルの誘導で、わたしのクルーザーは超空間の通路を通り、短時間のうちに、別の銀河へと投げ出された。超空間チューブが消滅してしまえば、もはや後をたどられることはない。銀河パトロール隊は、今も虚しく、天の川銀河でわたしを探し回っているはずだ。

 ボスコーンの上級種族は、人類より進んだ科学技術を持っている。彼らは、天の川銀河だけにいるのではない。それどころか、この宇宙のありとあらゆる銀河に広がっているのだ。とうの昔から。

 馬鹿なレンズマンたち。

 彼らがたった一つの銀河を守ろうとしている間に、ボスコーンは無数の銀河を手に入れている。

 彼らは……アイヒ族という、多数の触手を持つ非人類種族は……わたしのことを、まだ使える駒だと思っている。だから、ここに隠れ家を用意してくれ、不自由なく暮らせるようにしてくれた。いつかまた、わたしの出番が来るまで、待機するようにと。

 アイヒ族が恐れているのは、謎めいたアリシア人だけ。今はまだ、アリシア人の実力がわからないから、用心しているのだ。銀河パトロール隊にレンズを与えたきり、アリシア人は動いていない。このまま静観を続けるのか、それともどこかの時点で、ボスコーンとの戦いの前面に出てくるのか。

 けれど……そんな雲の上の話は、わたしにはどうしようもない。超種族同士の戦いに、人類ごときが、どう関われるのだ。精々、駒として配置されるだけだろう。

 わたしはただ、自分が失ったものを取り戻したいだけ。

 厳重に守られた、広大なドーム基地ではあるけれど、話し相手は誰もいない。機械の召使は、最低限の返答しかしない。必要な物資は取り寄せられるとしても、人間は呼べないのだ。美しいドレスを着ても、宝石で飾っても、感嘆してくれる者はいない。

 だからといって、アイヒミルに不満を訴えても無駄だ。性別を持たず、分裂して増殖するアイヒ族には、孤独や退屈という概念がわからないのだ。

 彼らは何年でも、何十年でも、狭苦しい宇宙船の中で平然として過ごせるらしい。自分たちの生存環境に合わせた船内なら。そして、全宇宙の支配という夢を実現するためなら。

 全宇宙の支配だなんて……馬鹿げている。自分が理解する気もない下級種族を支配して、何の意味があるというのだ。生存圏が異なる種族など、気にする必要はないだろうに。

 けれど、アイヒ族がそうするというのなら、それに従うより仕方ない。毎日、砂を噛むような日々だとしても。

 朝、起きて食事をして、散歩をして、読書して……花を飾っても一人。うっかり転んでも一人。着飾ることも、努力しないと続けられない。

 ここでいつまで、わたしは正常でいられるだろう? 本物の空も、広い大地もなくて?

 デスプレーンズ運輸の仕事を失ったことは、もちろん、悲しい。それだけでなく、人々で賑わう公園を歩くことも、繁華街で買い物することも、一流ホテルのレストランで食事することも、パーティでリックと踊ることも、もう叶わない……

 いつか人類社会に戻れるとしても、その時は、わたしは人類全体から憎まれる〝独裁者〟だろう。アイヒ族には、自分たちで人類や、その他の下級種族の管理をするなどという意志はない。家畜の飼育など、家畜の一匹にさせておけばいいというだけ……

 ああ、あの坊やが憎い。リックの推薦だからと、特別扱いして、手元に置いたのが間違いだった。

 わたしは会社を愛していたのに。航路を拡大することを楽しんでいたのに。あちこちのパーティで、着飾って微笑み、人々の賛嘆の声を聞くのが好きだったのに……

 ライレーンで工作員に選ばれ、レンズをもらって外の世界に出た時は、母星のために足掛かりを築くつもりだった。整形して本来のデッサと入れ替わり、周辺の人間の心に暗示をかけて記録を作り変え、学校に通い、成人して、結婚し……

 夫はいい人だった。年齢は離れていたけれど、わたしを心から愛してくれた。でも、デスプレーンズ運輸を大きくするには、邪魔な人だった。あまりにも善良すぎて。

 彼を失ったことは悲しかったけれど、仕方なかった。わたしはライレーンなのだから。母星を、男たちの侵略から守らなくてはならないのだから。

 それからは、会社を大きく育てることだけが生き甲斐になった。わたしのような女たちが、人類社会の各所にいて力を蓄えている。いずれライレーンが、人類社会を乗っ取るのだ……

 貨物船だけでなく、豪華客船も飛ばそう。新規航路の開拓もしよう。会社が大きくなり、社交界の女王と呼ばれるようになったのは嬉しかった。わたしは成功している……母星の皆も喜んでくれるだろう……

 それなのに、やがて、海賊船の寄港地を用意したり、麻薬密輸の中継をしたりしなければならなくなった。わたしの前に、ボスコーンの上級者が現れたからだ……

《娘よ、おまえのレンズは我々が与えたものだ。この銀河は、いずれボスコーンのものになる。おまえは、わたしの計画に従って働けばよい》

 彼らはライレーンのことも、隠れ蓑として使っていた。レンズマンのレンズに匹敵するレンズは、彼らが代々の女王に与えたものだったのだ。そしてライレーンの工作員のうち、真に優秀な者は、アイヒ族のために働くことを求められる……

 哀れな女王よ。母星の女たちよ。

 わたしたちに勝ち目など、ない。銀河パトロール隊も、レンズマンたちも、いずれはボスコーンに打ち負かされる。彼らはもう、多数の銀河を支配しているのだから……わたしは、負ける側には付きたくない。

 リック。

 それを知っても、あなたは戦い続けるのでしょうね。

 レンズマンは、死ぬまであきらめない。自分が死んでも、次の世代が戦い続けると信じている。馬鹿な男たち。

 もし、違う人生だったら……普通の娘に生まれて、違う出会い方をしていたら……そうしたら……

 ああ、考えても、空しいだけ。わたしは有毒大気の底にいて、気密ドームに閉じ込められている、ただの道具にすぎないのだから。

   『レッド・レンズマン』13章に続く


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