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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』19章-2

19章-2 ハニー

 リュクスとメリュジーヌ。

 市民社会で作られる映画では、しばしば最終的な悪役として描かれてきた。男優位の辺境で生き延びて、最高の地位まで勝ち上がった女傑たちだから。

 シヴァでさえ内心では、彼女たちを畏怖しているのがわかる。顔は平然としているけれど、一定の距離から前に踏み出そうとしない。動物が、痛い目に遭った場所に近付かないようなものだろう。

「初めまして。お会いできて、光栄です」

 落ち着いて見えるように祈りながら、手を差し出して二人と握手した。柔らかく温かい手。完璧に手入れされた爪。かすかな香水の香り。年齢は不詳。事実上、辺境の女帝と言っていい女たちだ。

 それぞれが大組織を率い、何百もの恒星系と、強力な武装艦隊を有している。配下は何百万人いるのか、それとも何千万人なのか、部外者にはわからない。彼女たちの組織は、おそらく全ての違法都市に拠点を置いている。

「こちらこそ、会えて嬉しいわ。堅くならないでいいのよ。是非とも、じかにあなたとお話したくてね」

 とプラチナブロンドのメリュジーヌ。そう言われても、儀礼の笑みが強張るのは止められない。何か下手なことを言ってしまったら、その場で見切りをつけられるかもしれないのだ。この辺境に、わたし程度に有能な女はいくらでもいる。たまたま引き立てられた幸運を、絶対に無駄にはできない。

「さあ、こちらへどうぞ。シヴァ、ショーティ、あなた方はそちらでお待ちなさい」

 とリュクス。彼女たちと共にティーテーブルを囲んだのはわたしだけで、シヴァはショーティと共に、部屋の隅の席に追いやられた。あれは、護衛用の待機場所だろう。

 でも、彼はそれでむくれたりせず、むしろほっとしたように、大きな椅子でくつろいで、脚を伸ばしている。心底リラックスしているわけではないものの、

(なるようになるさ)

 という達観が見えた。さんざん反抗して、どうにもならなかったという過去のためだろう。

 わたしと向かい合って大きなソファに座った二人の女性は、交互にわたしと話した。まるで、対等な商談でもしているかのような穏やかさで。

「これからは、わたしたち二人が、あなたの後援者になります。シヴァで対処できないことは、こちらに知らせてちょうだい」

「《ヴィーナス・タウン》の経営手腕を見て、あなたに賭けてみようと思ったのよ。それで、他の男たちを説得したの。辺境に女を増やすことが、どんなに大事なことか」

 背後にいるだろう超越体のことなど、彼女たちはおくびにも出さない。では、わたしも知らん顔していよう。

「鈍い男たちがのさばっていると、いつまでも進歩がないわ。もういい加減、変わってもいい頃よ」

「ジョルファの時は、残念だったわ。彼女の意図は良かったけれど、まだ時期が早すぎたのよ」

 それは、シヴァが愛したリアンヌのことね。彼女が市民社会で残りの人生を穏やかに過ごせるよう、シヴァは心の底から祈っている。彼女の悲運のおかげで、わたしはシヴァと巡り会えたのだ。

「それに、剛腕ぶりを前面に押し出したことで、多くの男たちを無駄に恐れさせたことも確かだわ」

「男というのは、女に脅かされたら、団結して排斥にかかるのよ。それだけ、臆病な生き物なの」

「それは、わかります……」

 本当に強い男は、無駄に強がったりしない。無理に女を支配しようとしない。

 でも、それは途方もなく難しいことなのだろう。わたしの愛するシヴァにしても、まだ時々、男の沽券にこだわっている。本能に根差した支配欲や保護欲は、これからも長く続いていくはずだ。

 女の側にも、その保護を受け入れてしまう甘えがある……マックスのことで十分に懲りたと思っている、このわたしでさえ。

「だから、あなたには期待しているの。あなたなら、もっと柔らかいやり方で勢力を伸ばせるでしょう」

「ちょうどいい番犬もいることだしね」

 番犬とはショーティではなく、シヴァのことらしかった。シヴァは足元にショーティを寝そべらせて、黙想しているかのように目を閉じたままだけれど、残らず聞いているはずだ。何と言われても、それを甘受する心境であるらしい。

 ――地位の違いというものが、これほどまでに、くっきりと見えるなんて。

「彼はあなたに惚れ込んだらしいから、あなたのために働くのは、苦にならないでしょう」

 シヴァは文句をつけない。世界中から恐れられるグリフィンといえども、実質は、最高幹部会の使い走りに過ぎないのだ。

 今のシヴァはもう、その地位すら取り上げられてしまっている。二代目のグリフィンが何者なのか、どんな考えを持っているのか、シヴァは何も教えられていないという。

 けれど、わたしは、自分を卑下するようなことは言わなかった。内心で、空恐ろしい思いはしていても。

「シヴァと出会えて幸運でした。頼もしい番犬ですわ」

 わたしはただ、自分にできることをするだけ。それが、シヴァの安全にも通じるのだから。

 三十分ほどの会見が終わると、忙しい彼女たちは、それぞれの護衛に囲まれて引き上げていった。じかにわたしを見て、言葉を交わしたことで、それなりに納得したのだろう。

 わたしたちだけになると、シヴァはさすがにほっとしたらしい。わたしを抱き寄せ、肩を撫でてくれながら、いたわってくれた。

「疲れただろう」

「ええ、まあ……」

 あの二人は本当に、生身の女性なのか。それとも、超越体の操り人形なのか。それは、きっと知りようがない。

「あいつらは魔女だ。油断しない方がいい」

 とシヴァは本音の声で言う。

「ええ、わかっているわ」

 でも、これからは、わたし自身、魔女として世界に知られることになるのではないだろうか。最高幹部会を後ろ盾にした、新たな権力者として恐れられ、そのことに満足しているふりをしなければならないのだろう。

 それならばリュクスもメリュジーヌも、本当は、悩みも苦しみもある〝普通の女性〟なのかもしれない。ただ、それを隠して、超然と振る舞っているだけで。

 そう言うと、シヴァは苦い顔をした。

「そうかな。そんな可愛い女たちじゃないと思うがな」

 たとえ最初は普通の女性でも、長く権力の座にあれば、変質するものだろうとシヴァは言う。

 何でも、彼が最初に最高幹部会に捕まった時、真冬の地下室で、裸で檻に放り込まれたのだとか。彼女たちは、その姿を笑いながら見物していたという。その時の屈辱が残っていて、根強い不信感になっているらしい。

 それでも、わたしのためには、あれこれ気を配って手配してくれる。

「ワンフロア確保したから、当面、このセンタービルで暮らせばいい」

 と言われたことに、まず驚いた。繁華街を見下ろすこの巨大なビルに住めるなんて、何という特権だろう。でもシヴァは、それを当然のように思っているのだ。

「まずは繁華街に、ビルの下見に行こう。ショーティが幾つか、候補を選んでくれた。きみが計画を立ててくれれば、改装工事の手配は俺がする。人材募集も、すぐ始められる」

 《カディス》の一号店にいる偽ハニーは、そのまま、わたしのふりをして働けばいいという。

「こっちにもう一人ハニーがいても、部下たちは納得させられるさ。客たちだって、別に気にしないだろう」

 大物になれば、影武者が何人もいて当たり前だから。どのハニーが本物で、どのハニーが影武者でも、意志統一さえできていれば、実用上は、何も差し支えないわけだ。

 つい、ため息が洩れる。もう、シヴァと二人きりのバカンスは終わってしまったのだ。これからはまた、部下を率いて、神経を張り詰めさせる日々になる。

 過去の経験から、それはそれで、充実した日々だと知ってはいるけれど。

「本当はもう少し、あの小惑星で、あなたと二人で暮らしていたかったわ」

 するとシヴァは、照れたような困り顔になる。

「そりゃ、俺だってそうだが……きみは、店が心配だったんだろ?」

「ええ、それはそうだけど……」

 シヴァの胸に顔を埋め、彼の背中に腕を回した。これこそが現実だ。温かくて頑丈な胸板。安定した鼓動。筋肉の盛り上がった腕。堅い脚。わたしだけの騎士。

「疲れたのなら、少し休むか? どうも俺は、せっかちで困るな」

 シヴァもわたしの背に腕を回して、ぎゅっと抱きしめ、髪にキスしてくれた。新しい環境で、わたしが不安がっていると思うらしい。

「いえ、大丈夫よ……下見に行くわ。それから休めばいいもの」

「ああ。困ることは、何でも俺に言えばいい。そのための番犬だからな」

「ええ」

 〝今〟が幸せ。この〝今〟が、ずっと続けばいい。

 そのために、わたしもいつか、不老処置を受けることになるだろう。〝今〟の容姿を保たなければ、遠慮なくシヴァにすがりつくことが、できなくなってしまうもの。

   ***

 下見したビルは、どれも空き家などではなかった。それぞれ中堅組織の持ち物で、オフィスや店舗や住居として活用されていた。それなのに、わたしが『この立地がいい』と言えば、すぐに退去させられる、というのだ。

 そんな横暴を通していいものか、想像しただけで震えがきたが、ショーティは平然としていた。

「立地のいい場所に、空きビルなどあるはずがない。それなりの対価を払って退去させるのだから、問題はない。むしろ、話題になるだろう。いったい誰が、このビルを手に入れたのかとね」

 それが辺境の流儀なら、そのようにするしかない。良い場所を占めることは、わたしの店の格を上げるためにも、必要なことなのだから。

 手に入れたビルの改装工事や、工房などの手配はシヴァとショーティに任せておいて、わたしは人材の方を担当した。《カディス》から呼び寄せる部下と、新たに採用する女たちを選ばなくてはならない。

 廃棄処分にされるバイオロイドの女たちを、密かに買い取る手筈もつけた。人体実験に使うのだと思わせておけば、それで体裁は整う。彼女たちには再教育を受けさせ、人間の女たちの下で働いてもらうつもりだった。もし市民社会に行きたいと願えば、シヴァが助けてくれるだろう。

 新店で扱う品物は、当面、《カディス》と共通でいい。それならば、新たなデザイナーはいなくても間に合う。製品のデータだけを送ってもらえばいいのだ。レストランとホテルの支配人には、有能な部下を充てなければならないけれど。

 違法都市全体のネットワークで募集の案内を出すと、働きたいという志願者は大勢集まった。多くは他組織にいながら、こちらに移籍したいと願う女たちだ。また、庇護者を失い、行き場に困っている女たちもいた。大抵は何らかの高度な技能を持つ者たちで、ファッションビルで使うのは申し訳ないくらい。

 リュクスとメリュジーヌが保証してくれた通り、彼女たちは妨害されずに順次《アヴァロン》に到着できたので、ほっとする。とりあえずは安全なホテルに泊まってもらい、一人ずつ面接していく。

「もう、男ばかりの組織にいるのは疲れました」

「安心できる場所で働きたいんです」

「バイオロイドの女たちの運命を見ているのは、もう耐えられません」

「どんな仕事でも覚えます」

「バイオロイドを五年で廃棄するなんて、辺境の連中は頭が腐ってるのよ!!」

 面接だけで目が回るほどだったけれど、それは嬉しい忙しさだった。わたしがいなくても、《ヴィーナス・タウン》の評判は、少しも損なわれていなかったのだ。多くの女たちが、《ヴィーナス・タウン》で過ごす時間を愛してくれている。

 それはある意味、イレーヌさえいれば、わたしは不要ということでもあるけれど。

「そんなことはない。きみのやり方を踏襲しただけで、わたしには新しいことはできなかったからね」

 とショーティは言う。イレーヌはショーティの仮面の一つであり、ショーティには他にもたくさんの仕事があるから、《ヴィーナス・タウン》は本来の主宰者に戻したいと。

「本物のきみが率いてこそ、未来があるというものだ」

 それが単なるお世辞でなければ、心底、有難い。わたしだって、これから進化させたい事業は色々ある。資金と人材に不安がないなら、何だって実現できるのだ。

 そういう日々の中、新たに二人の女性がセンタービルに到着した。シヴァとショーティが手を尽くして捜してくれた、わたしの護衛だという。他の組織から、高給で引き抜いたのだと。

 てっきり、これからもずっと、シヴァが付いて回ってくれるものと思っていたのに。

 すると彼は、大きな手を振って言う。

「そうしたいが、俺がいつまでも、女専用ビルをうろうろするわけにいかんだろ。後方から全体を見てはいるが、現場はこの二人に任せることになる」

 シヴァは確かに、わたしが集めた女たちにはじかに姿を見せないよう、用心していた。これからもずっと、従姉妹たちに存在を隠しておきたいのだ。旧部下たちには、わたしがマックスと別れ、新たな庇護者を得たことを話してあるし、新しい部下たちにも、その存在は知らせてあるけれど。

「わかったわ……その人たちにお願いするわ」

 ショーティやシヴァが選んでくれた人物ならば、わたしに拒否する理由はない。

 警備兵に案内されて入ってきた二人の新来者のうち、一人はわたしより背が高く、精悍な顔立ちをした、がっしりした筋肉質の美女だった。

 照り輝くような褐色の肌と、短い黒髪、鋭い光をたたえた茶色の瞳を持っている。腰に重たげな銃を吊るし、迷彩柄の戦闘服に身を固めているさまは、いかにも軍人上がり。いえ、軍人崩れと言うべきなのか。本人がいまだ自分を厳しく律していられるのなら、崩れてはいない、と思うけれど。

「ルーンと申します。どうぞよろしく」

 差し出された握手の手は、女性としては大きく、頼もしかった。耳につけた小さな金のピアスの他、飾り気もない。まるで、修行に打ち込んできた武芸者のよう。

 もう一人は、艶やかな赤毛をくるくる巻いた、洒落たショートカットの、愛らしい顔立ちの美女だった。白い肌に、ぽってりした甘い唇をして、悪戯そうな光をたたえた、大きな緑の瞳を持っている。やはり迷彩の戦闘服だけれど、しなやかで柔らかそうな肉体。人を惑わす、魅惑的な猫のよう。

「カーラです。よろしく」

 と愛想よくにっこりする。あまり強そうには見えないけれど、そこがカーラの強みなのかもしれない。個人としての強さより、指揮官として兵を動かす能力の方が重要なのかもしれないし。


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』19章-3に続く

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