恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 泉編』2章-4
2章-4 ダイナ
普通人よりはるかに強健で、活力に溢れ、長生きできる肉体。
だからこそ紅泉姉さまも探春姉さまも、ハンターとして第一線で活躍し続けられる。
有機体としての限界はあるけれど、不老処置を繰り返していけば、おそらく、何千年でも生きられる。それ以上の年月を望むことも、不可能ではないだろう。
生まれながらに、こういう特権を持っているのだから、市民社会に生まれるよりも、はるかによかったと思う。
あたしは市民社会で学生生活も経験させてもらったので、両方を冷静に比較できるようになった。
中央の市民社会は、表面上、平和だけれど、実際には、違法組織の目に見えない触手が無数に侵入している。政治家や財界人や軍人への誘惑、洗脳。科学者の誘拐。逆らう者の抹殺。
市民たちは、その実態から目をそらせている。
口では平和とか正義とか言うけれど、強大な違法組織と、まともに戦う勇気を持っている者など、滅多にいない。もし違法組織に狙いをつけられたら、普通の市民は、まず助からない。
だったら、辺境にいて、戦う準備をしていた方がいいのではないか。
力を持たない者がお題目を唱えても、何の助けにもならないだろう。
だから、今のあたしのすることは、この都市を経営するお祖母さまやお祖父さまの手伝いをして、実務を覚えること。そして、一人前の大人になること。
いずれは、一族を支える柱になれるように。
必要なら、辺境を支配する〝連合〟そのものとも戦えるように。
あたしが一人前になれば、ヴェーラお祖母さまだって、あたしの意見を重んじてくれるようになるだろう。シレール兄さまだって、あたしを一方的に叱りつけたりできなくなる。
そう思って、ずっと努力してきたのだけれど……
側にいて見守ってくれるはずの兄さまが、もういない。こちらから通話はできるけれど、歓迎はされないだろう。
『何の用だ。手短に話しなさい』
と冷たく言わたりしたら、耐えられない。
あたし、もしかして、何か間違っていたのかしら。兄さまは、一族内での義務だから仕方なく、あたしの世話をしていただけだったの?
あたしを手放して寂しいなんて、かけらも思わないのかしら?
***
ヴェーラお祖母さまの実務教育は、厳しかった。あたしに何かをやらせてみて、失敗したら、なぜ失敗したか分析させる。同じ失敗は、二度と許されない。
成功しても、特に褒めてもらうことはない。出来て当たり前。すぐにまた、次の任務を与えられる。
あたしは体力の限り走り回り、他組織との付き合い方を覚え、都市内のあらゆる仕事をこなしていった。身分は秘書室長になり、仕事着のスーツも地味一辺倒から脱して、華やかになった。大きな宝石も身に付けられるようになった。給料も増えた。
というより、資金は必要なだけ使いなさいと、お祖母さまに言われるようになった。着飾ることも、仕事の一部。あたしは雇われ人ではなく、雇用主の立場なのだからと。
人に指示を下すことにも、慣れた。それに対する不満は、特に聞いたことがない。
あたしの昇進や、指揮ぶりに不満があっても、それを簡単に口に出す者はいないということだ。
そもそも、総帥付きの秘書という立場自体、普通は何年も働いて、能力や功績を認められ、やっとたどり着く場所。小娘がいきなり秘書室に入ること自体、特別扱いに他ならない。
都市内の職務をこなす何千人もの一般職員からすれば、あたしは最初から雲の上の存在なのだ。
だから、あたしの発した言葉は、あたしが思うよりもずっと重く、彼らに受け止められてしまう。用心して、言葉を選ばないといけない。軽薄な態度も、よくない。特権階級の一員だからこそ、慎重に振る舞わなくてはならないのだ。
何度か痛い目を見て、それを思い知った。一般の職員と友達になろうとして、それは無理だとわかったのだ。
あたしが遊びに誘えば、彼らは付いてくる。業務命令だと考えて。くつろいでくれと言っても、彼らは緊張を解かない。本音を話してくれと望んでも、それが自分の不利になるのではないかと、身構える。
じきに、理解した。あたしは彼らに、無理なことを要求しているのだと。
一族の中でしか、本当の名前を使わないというのは、そういうことだ。あたしがダイナとして、普通の娘のように振る舞っていいのは、一族の間でだけなのだ。
***
気がついたら、二十歳を幾つも過ぎていた。何か失敗しても、もう、子供だからという言い訳はできない。長寿者の多い辺境では、まだまだひよっこだけれど、それなりに責任を負わせてもらっている。自分でも、かなり成長したと思う。
だから、そろそろ、シレール兄さまに会いに行ってもいいのではないだろうか。おかげさまで、ダイナも一人前になりましたと、改めて挨拶できるのでは。
兄さまは《サラスヴァティ》に赴任したきり、通話もしてきてくれないけれど、あたしが休暇をとって遊びに行くくらい、許されるはず。兄さまも、《ティルス》のお祖父さまやお祖母さまには、きちんと業務上の報告や、時候の挨拶をしているのだし。
あれこれと仕事の手配をつけ、ようやくお祖母さまから二週間の休暇をもらって、あたしは自分の船で旅に出た。
今はもう、自分専用の戦闘艦も持っているのだ。護衛艦隊は、お祖父さまに貸してもらった。子供の頃なら、この船旅だけで大はしゃぎしたことだろう。
でも、今はそれどころではない。休暇は嬉しいけれど、《ティルス》から離れるにつれ、落ち着きがなくなってくる。
シレール兄さまに会ったら、どんな挨拶をしよう。もう昔にみたいに、飛びついて甘えることはできない。これでも、一人前の淑女なのだもの。これからは、大人同士の付き合いをすればいいのよね? まさか、
『わざわざ、何をしに来た』
なんて冷たく言われることには……ならないでしょう?
何といっても、お祖母さまが許可してくれた旅行なのだ。ダイナはこれまで、よく働いたから、と。兄さまに四、五年分のあれこれを報告し、差し向かいでお茶を飲むことくらいはできるだろう。食事だって、できるかもしれない。
そうだ、久しぶりにケーキを焼こう。それを手土産にすればいい。あたしが大人としての礼儀をもって接すれば、兄さまだって、お客としてもてなしてくれるはず。
航行中の艦内で、試作品のケーキをたくさん作った。一番うまくできたレモンケーキを、箱に入れておく。
それから明るいクリーム色のワンピースを着て、金色のボレロを羽織った。
子供の頃は兄さまに、深緑色や灰色の地味な服ばかり着せられていたので、一人になった直後のあたしは、怨念を晴らすかのように、赤やピンクやオレンジの服を買い込んだものだ。忙しい新米秘書としては、暗い色のスーツの下に差し色としてあしらうか、わずかな休日の気晴らしに着るかが精々だったけれど。
そういう挑戦が一巡りすると、やはり赤毛には落ち着いた緑や、ブルーグリーン、深い紺、茶色や煉瓦色、モノトーンが似合うことを再認識するようになった。特に深緑は、あたしの目の色を引き立てる。
でも今日ばかりは、特におめかしして、明るい服にした。真珠のイヤリングもつけた。これなら兄さまでも、趣味がいいと認めてくれるだろう。もしかして、
『綺麗になったな』
くらい、お世辞で言ってくれるかも。〝びっくり目〟の童顔には変わりないけれど、我ながら、少しは大人っぽくなったと思う。年上の女性たちを手本にして、香水や宝石類も、少しずつ増やしている最中だし。
そうだわ、兄さまの目に感嘆を見たい。もう、蜂に刺されて泣きながら逃げ回った、小さなダイナではないのだ。
***
艦隊が《サラスヴァティ》管制宙域に入ると、普通に上陸許可を得て、乗艦を桟橋に付けた。都市の総督であるヴァネッサ大叔母さま夫妻には通話で挨拶したけれど、シレール兄さまには内緒にしてくれるようお願いした。
兄さまには予告せず、びっくりさせてやるんだ。以前、あたしが兄さまの断髪にびっくりしたように。
センタービルの管理責任者をしているサーシャ叔母さまが、シレール兄さまの居場所をあたしに教えてくれた。兄さまは湖に面した屋敷を持っていて、そこで寝起きしているという。
繁華街を避けて、広大な丘陵地帯を車で抜けていくと、緑の森に囲まれた細長い湖に出た。湖畔には隠れ家のような小規模ホテルや、他組織の幹部たちの屋敷が散っている。
季節は秋なので、水遊びをする人影はないけれど、湖上を行く船は何隻か見えた。紅葉し始めた木々が、湖水に鮮やかな影を落としている。
入り江に面した兄さまの屋敷も、湖に突き出した桟橋を持ち、中型のクルーザーが停めてあった。あれに乗せてもらうのも、楽しいだろう。
屋敷の管理システムにはセンタービルから連絡が行っていたので、あたしはすんなり屋敷の地下に車を入れられた。ケーキの箱を持って、階段を上がる。
屋内は白とベージュ、焦げ茶を基調にした内装で、上品な家具や絵画で飾られていた。あちこちの花瓶には、赤い薔薇やピンクのコスモス、白い百合や紫の桔梗も生けてある。いかにも兄さまの趣味。あたしが小さい頃も、いつも花を飾っていた。
兄さまはどこだろう。今日は仕事は休みで、屋敷にいるはずだと聞いた。湖の見える部屋で、お茶でも飲んでいるかも。きっと、あたしほどこき使われているわけではないのよ。
居間らしい部屋の扉が開いていたので、そっと入ってみた。誰もいない。でも、お酒の瓶とグラス類がテーブルに残されていた。
それから、板張りの床に転がっている片方だけのハイヒール。深い青紫の、優美な靴だ。
あたしはそこで、立ち尽くした。
目の前の現象は見えているけれど、頭が理解を止めている。そのまま、何分間、凍りついていたものか。
扉の向こうにある奥の部屋で、人の動く気配がした。誰かが、こちらへ歩いてくる。それも、複数の気配。
あたしはパニックを起こし、来た道をいっさんに駆け戻った。車に飛び乗り、林道を闇雲に飛ばしながらも、心臓が激しく打ち、頭ががんがんしている。理屈での理解より、肉体の反応の方が正直なのだ。
しばらく走ってからようやく、ケーキの箱を紛失していることに気がついた。でも、もう、あそこへは戻れない。
戻ったら、絶対、見たくないものに直面する。
あたしは森の中で車を停め、深呼吸して、心を落ち着けようとした。少なくとも、サーシャ叔母さまや総督夫妻に挨拶しなければ、この都市を去ることはできない。
ダイナ、冷静になりなさい。兄さまには、付き合っている女性がいるのよ。ただ、それだけのこと。
何という馬鹿。大間抜けのダイナ。
子育てから解放され、一人暮らしに戻った兄さまが、恋人を作ることを考えていなかったなんて。いえ、考えはしても、否定していたなんて。
礼儀からいえば、きちんと二人に挨拶するべきだ。でも、出直す勇気などなかった。恥ずかしくて、顔も合わせられない。昔のまま、兄さまを独占できると期待していたなんて。
『ブルー・ギャラクシー 泉編』3章に続く
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