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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』4章

4章 アスマン

 番犬の暮らしには、すぐ慣れた。自分にこんな修行者みたいな生活ができるとは、これまで考えたこともなかったが。

 朝、暗いうちに起き出し、一通り運動してからシャワーを浴び、身支度をする。目立たないスーツ姿でいることがほとんどだ。何種類かの武器を身に付け、食事を済ませる。

 俺の部屋は、ライサが暮らす高級アパートメントの同じ階に用意されたが、ここは俺専用ではなく、警備要員の詰所という位置付けなので、常に他の人間が出入りする。ただし常駐するのは俺だけなので、寝室は俺専用だ。さすがにリリーが言ったような、ベッドの足元での警護まではしていない。

 ライサが起きてきて食事をしているうち(最初はレイン議員と呼んでいたが、やがて、堅苦しいから名前でいいと言われた)、俺たち警備要員が彼女の部屋に顔を出して一日のスケジュールを確認し、警備体制について打ち合わせをしておく。

 他の警備スタッフから見ると、俺は〝一時的な助っ人〟ということになる。普通なら邪魔者と思われるはずだが、〝リリス〟の推薦ということで、一目置かれているらしい。

 最高議会には議員用の警備要員がいるが、懸賞金リストに載っているライサの場合、それでは足りないので、司法局の専属チームが付いていた。他星へ移動する時には、軍艦での護衛も付く。これ以上はないという、緻密な警護態勢だ。

 あとは一日、彼女の行動に付き添う。会議、視察、講演、調査、市民団体との会合。マスコミの取材も入る。

 俺はもちろん、朝の運動だけでは足りないから、危険のなさそうな時、警備班に彼女の見張りを頼んでおいて、素早くあたりを走ってくる。空いている場所で、空手や剣道の稽古をする。

 夜はライサが自室で寛いでいたり、翌日の準備をしたりしているうち、俺も自分の勉強をする。大学に入るまでに、これだけはやっておけという宿題をヴァイオレットから出されているから、それをこなしていく。おかげで睡眠時間は、四時間ちょっとというところか。

 特に不愉快な目に遭うことはない。それどころか司法局の局員たちは、俺を〝リリス〟の弟子と思っているらしいから、気がひけるくらい信頼してくれる。まだ何の実績もない、ほんの小僧だというのに。

 俺が何か失敗したら、リリーに迷惑をかけてしまう。それだけは、しなくて済むようにと祈った。彼女はわざわざ、俺に広い世界を見せようとしてくれているのだ。昔々の一時期、俺の父親と一緒に遊んだというだけの縁なのに。

 リリーとヴァイオレットが属する一族については、詮索しないようにしていた。俺はまだ、ヴァイオレットから白眼視されている。彼女から信頼されない限り、一族に迎えてもらうことはなさそうだ。

 まあ、ここでしくじっても、おふくろの元に戻ればいいのだが……あそこではやはり、息が詰まる。ここの方がずっといい。たとえ、トイレさえ大急ぎで済ませなければならない日々だとしても。

   ***

 ライサは普段、惑星首都にある自分のアパートメントで暮らしているが(独身で、夫も子供もいないそうだ。恋人がいた時期はあるが、結局はいつも、仕事の方を優先させてきたらしい)、旅行先では警備のしやすい一流ホテルに泊まる。俺は大抵、彼女の寝室の隣室をもらい、そこで寝起きする。

 彼女は最初、俺が一日中、視野の範囲にいることに緊張していたが、やがて、俺がひたすら番犬の役に没頭していることを理解してくれた。そして、緊張をゆるめてくれた。

 それでいい。辺境の人間が、アンドロイドやバイオロイドの警備兵を気にしないのと同じことだ。

 おふくろには幾度かメッセージを送り、心配するな、邪魔もするなと宣告してある。

 向こうも俺が〝リリス〟に使われていることには驚いただろうが、おかげで十分なショックを与えられたようだ。

(あの子はもう、わたしの言うことは聞かない。わたしの勧める道は選ばない)

 おふくろが、そう理解してくれればいい。

 それは何も、おふくろに感謝していないとか、もう愛していないとかいうことではなくて、単に、

(俺は俺の人生を始める)

 というだけのことだ。リザードの下で働いたって、結局、リザードの部下で終わるだけ。それでは面白くない。

 もっと何か、俺でなくてはできないことをやってみたいのだ。

 もちろん、この先、自分がどんな方向に進むのかは、まだ何もわからない。ようやく、人類社会の残り半分のことを学び始めたばかりだからだ。映画で見ただけでは、本当に市民社会を知ったことにはならない。

 今はとにかくリリーやヴァイオレットの指図に従い、彼女たちから学べることを学んでおくつもりだ。戦うことにかけて、彼女たち以上の教師は、たぶんいない。

 一緒にリゾート惑星で暮らした短い期間に、俺は自分が無敵でも、不死身でもないことを悟った。何度もリリーに叩きのめされ、打ち負かされて、悟るしかなかったのだ。これまではただ、自分より弱い者としか戦ってこなかっただけだと。

 教養の面でも、それなりの勉強はしてきたつもりだったが、ヴァイオレットの幅広い教養には及びもつかないとわかった。誰かと、何かと戦うためには、世界全体の成り立ちや、表面には出ない裏事情なども知っていなければならないのだ。

 哲学、文学、歴史、政治、経済。

 何も知らなくては、ライサが提出する議案にどんな意味があるのか、訪問する相手がどんな地位にいるのか、出席する会合にどんな意味があるのかもわからない。

 自分がただの甘えたガキだと思い知らされて、最初はショックだったが、今はそのことに感謝している。危うく、自惚れたまま世間に出ていって、大変な目に遭うところだった。

 少なくとも、リリーより強くならなければ、そしてヴァイオレットに負けないくらい賢くならなければ、とても一人前とは言えない。

 戦闘の素質においては、男である分、俺の方がリリーより上であるはずだというのだから、その水準に達するまでは、修行あるのみ。

 俺の父親……というか、遺伝子の元となった男については、毎晩の通話の時、リリーから色々聞くことができた。子供の頃に、転げ回って一緒遊んだこと。バイクが好きだったこと。銃の手入れを教わり、射撃の腕を競ったこと。

 しかし、そのシヴァが今、どこでどうしているかはわからない。どこかで組織を築いて、そこの親玉に納まっているのか、それとも、とうにどこかで野垂れ死んでいるのか。

 生きているなら、いつかは会えるかもしれない。だが、会えなくても構わない。

 俺は、この強健な肉体で人生を始められた。父親から貰うものは、これだけで十分だ。リリーという、素晴らしい師匠にも巡り会えたのだから。

   ***

「はい、差し入れ」

 目の前に差し出されたカップ入りのスープを見、そこから立ち上るいい匂いの湯気を嗅いで、俺は顔を上げた。ダークスーツを着た、知らない女が立っている。

 いや、顔は以前にも見ている。司法局員の一人だ。ただ、名前は知らない。今朝、今回の会議場の警備をしている班と紹介し合った時にいた。俺はライサが化粧室に入っている間、その前の通路で椅子に座っている。

「朝からずっと、交替もなしで、大変だと思って」

 彼女は、自分が会議場の付属食堂で軽食を摂ったついでに、俺にもスープを持ってきてくれたらしい。俺は食べられる時に素早く食べるから、特に休憩時間は必要ないのだ。

「悪いが、要らない」

 と答えた。リリーに厳しく言われている。他人から勧められるものは、決して口にするな。自分が選んだものだけを食べろ。いくら強化体でも、全ての毒物に耐性があるわけではない。死ななくても、行動を封じられたら、護衛の役に立たない。

「あんたを信用しないわけじゃないんだ。ただ、常に疑う姿勢でいないと、護衛は務まらない」

 すると彼女はやや驚き、それから微笑んだ。

「まだ若いのに、偉いのね」

 俺は、司法局には十九歳と言ってある。やっと十六歳になるガキだと知られたら、いくらリリスの弟子でも、とても使ってもらえない。

「新米だから、言われた通りやるしかない」

「頼もしいわ。頑張ってね」

 彼女はスープを持ったまま立ち去ったが、途中のロビーで、そのスープを自分で飲むのを見た。もちろん毒入りなどではなく、ただの親切だったのだろう。気を悪くしていないといいが。

 別の日には、別な女が来た。議員仲間の会合の後だ。

 議員の一人が自分の秘書から離れ、俺に近づいてきた。美人だが、派手なスーツを着て甘い香水をまとった、これ見よがしの美人なので、俺は内心で警戒する。どこか、おふくろに通じるものを感じるからだ。

「あなた、毎日ライサに付いているのね。休日はないの?」

 そら、珍しい動物を見物に来たような態度。だが、こっちも護衛の立場はわきまえている。

「ありません」

 と簡潔に答えた。

「まあ、いくら司法局でも、若い人を、そんな無茶な使い方していいのかしら」

「俺は体力がありますから」

「そのようね。今度、時間ができた時、ゆっくりお話したいわ。司法局には、いずれ、わたしの護衛に回してくれるよう、お願いしておくわね」

「……?」

 後から報告したら、ライサに笑われた。

「彼女、才能のある青年に目がないのよ。あなたが〝リリス〟の関係者だとわかったので、興味を持ったのね。うかうかしていると、味見されてしまうわよ。これまで、若手の俳優とか新進の作家とか、司法局の新人とか、ずいぶん彼女に食い散らかされているんだから」

 ぎょっとした。冗談ではない。俺にも好みというものがある。あんな毒々しい年増に〝味見〟されてたまるものか。

 俺の好みは……好みは……待てよ。俺はいったい!?

 わからない。俺は、どんな女が理想なんだ。

 そもそも身の周りに〝本物の人間の女〟が少なかったから、映画に出てくる女優に憧れるのが精々だった。

 少なくとも、俺の母親のようなべたべた女は厭だ。ヴァイオレットのような冷たい女も(リリーにだけは笑顔を向けるが、あんまり露骨すぎるだろう)困る。

 一緒にいて楽しくて、できれば頼りになる女がいい。俺の欠点や弱点を補ってくれるような。竹を割ったような気性で、明るくて豪快で……ということは、俺の理想ってのはリリーなのか!?

 おいおいおい。

 そりゃあ、尊敬できる相手となったら、真っ先にリリーだが。

 しかし、彼女とどうこうというのは……ちょっと考えられない。血縁だからどうのというより、まず、恐れ多くて。

 彼女を相手にして勃つ男なんて、世界にいるのか?

 それでも、いつかは恋人が欲しいと思う。信頼で結ばれたカップルというものに、憧れる。

 どんなに幸せだろう、愛し愛される相手がいたら。

(どこかで見付かるかな、好きな女)

 それには、人間の女が少ない辺境よりも、人口の半分が女である市民社会の方が有利だと気がついた。

 絶対、絶対、大学に通わせてもらおう。その間に、恋人になりうる女と出会えるかもしれない。片思いでも構わない。誰も好きにならないより、ずっと張り合いがあるじゃないか。

   ***

 次に〝彼女〟に会ったのは、別の会議場でのことだ。いつか、スープを差し入れてくれた女だ。

 今度は、名前を覚えた。渚沙なぎさというのだ。黒髪をショートカットにして、涼しい一重の目をしている。目立つ美人ではないが、頭の良さがわかる表情と、隙のない身のこなしをしている。

 つまり、自分で自分を鍛えてきた女。

 ライサの護衛班ではないが、司法局の捜査官であり、懸賞金リストの人物の警備に関して、各方面との連絡調整係として勤務しているという。

「あなたはずっと、レイン議員の担当なのね」

 好奇心を隠さない顔で言われた。俺個人に興味があるというより、〝リリス〟の弟子という噂を聞いたからだろう。しかしもちろん、リリーたちの情報を他人に漏らすようなことはしない。リリーとヴァイオレットの二人こそ、最高金額の賞金首なのだ。

「本当に全然、自由時間がないの?」

 と気の毒そうな微笑みで聞かれ、ちょっと恥ずかしくなった。俺より十歳は年上だろうから、可哀想な少年と思われているのだろう。

「ライサが寝室に引き取ったら、警備員用の部屋で寝る」

「それを、これから何年も続けるなんて、気が遠くなるわね」

 だが、永遠にではないだろう。いずれリリーが、もういいと言ってくれるまでの辛抱だ。

「差し入れはできないとわかったから、代りにこれを」

 渚沙が俺に渡した紙切れには、何本かの映画の題名が書いてある。

「わたし、映画好きなの。それ、まだ見ていなかったら、お薦めよ」

 そして、手をひらひら振ってから、遠ざかった。

 最初は、こんな風にして始まったのだ。それから何度か、別の会議場や視察先で顔を合わせた。そして、互いに、好きな小説や映画を教え合うようになった。彼女とは、好きなものが似ているとわかったのだ。

 俺には、ライサの姿を見守る義務があるから、渚沙からのメールに目を通すのは、ほんの短時間のことだった。それでも、職務外で女性と交流が持てるのは、何となく嬉しいことだった。

 世間の普通の少年が過ごすような、青春というものを、ちょっぴりだけ味わったような気がして。

 もちろんリリーには、それも報告していた。メールの交換くらいなら、問題はないだろうと言われて、ほっとした。ただし、

「彼女があんたを篭絡して、レイン議員の暗殺を狙う可能性もあるから、それは忘れないように」

 と警告された。

「まさか」

 とつい笑ったら、

「まさかで済んだら、軍も司法局も要らないことになるよ」

 と脅され、しゅんとしてしまった。リリーとヴァイオレットは他星で別の任務に就いているから、ライサの安全は俺にかかっているのだ。いや、99パーセントまでは、通常の警備班で足りるはずだが。

 次に渚沙に会った時は、最高議会の議場控室だった。議会で議員たちが議論している間、議場は、付属機関である護衛庁のものだ。司法局員は、控室までしか入れない。

 片隅の椅子で大画面の中継映像を見ながら、議論の行方を追っていたら、隣に渚沙が来て言う。

「わたし、配置換えになるの。他星の支局に行くから、もう会えないと思うわ」

 俺は思わず、振り向いて彼女を見てしまった。

「メールは構わないんだろ?」

 渚沙はくすりと笑う。

「もちろんよ。きみにその暇があればね」

「そのくらい、隙間の時間はあるよ」

「ありがとう。お別れを言えて、よかったわ。元気で、お仕事しっかりね」

 お別れ、なのか。

 俺が言葉を見つけられないうち、渚沙がすっと手を伸ばして、俺の頬に当てた。そして、身を寄せてきて、唇に軽いキスをした。俺が呆然としているうち、彼女は立って、同僚の所へ行ってしまった。

 周囲の護衛官や捜査官たちは、誰一人、こちらを見ていなかった。いや、見ないふりだったらしいと、後で気付いたが。

 後日、ライサが気の毒そうに言ったものだ。

「周囲には、何となくわかっていたのよ。彼女が、あなたを好きだってことはね。でも、あなたはまだ子供だから。あれが最大限、彼女にできることだったのよ」

 市民社会では、大人が子供に手出しをしたら、犯罪になる。俺はまだ、子供として守られる立場でしかなかったのだ。

   『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』5章に続く

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