恋愛SF『星の降る島』13章14章
13章 レアナ
マークに打ち明けるつもりはない。少なくとも、今後しばらくは。
人類は、ここまでの段階では、まだ、本物の人工知性を生み出せていない。機械は、どう工夫してみても、心を持てないままなのだ。レオネが恒星間航行を行える、この時代になっても。
でも、あの時のわたしには、どうしても、強力な同志が必要だった。野蛮な旧世界を滅ぼすために。宇宙に広まっていいのは、無駄な争いをしない新種族だけ。
だから、わたしとマークの遺伝子を受け継ぐ胎児を、生贄にした……まだ人間としての自覚すらない命を、人工知能の中核にしたのだ。そして、世界を欺いた。自由な人間になりえたレオネを、人類への捧げ物にしてしまったのだ。
そのことは、いくら詫びても許されない罪。
何千年もの間、レオネはどれほど孤独だったことか。重い責任に苦しみ、機械に組み込まれた自分の運命を嘆いたに違いない。
でも、レオネはわたしを恨んではいなかった。人類の守護者であったことは、自分の誇りだと言ってくれる。
ありがとう。
こんなわたしを、ここまで慕ってくれて。
こうして自分がレオネの中で復活できるなんて、思っていなかった。マークまで一緒に再生してくれるなんて、どれだけ感謝しても、足りるものではない。
もちろん、今ここにいるわたしもマークも、元のわたしたちとは異なる存在だけれど。
いわば、本物のマークとレアナの影法師……それでも、わたしたちはオリジナルの記憶を引き継いでいる。こうして、ものを感じ、考えることができている。
そして、ここから新たな生を始めることができるのだ。もし、マークがわたしを許してくれるのなら。
14章 マーク
仮想現実。
SF映画によくある、あれか。
俺はもしかして……あの長い夢の中で、そんな空想をしていなかったか? これは夢で、きっといつか醒められるんだと。そうしたら、笑ってレアナに話してやるんだと。
だが、夢の中では繰り返し、絶望していた。朝になっても、横にレアナはいなかったからだ。雨の日も風の日も、俺は孤島でただ一人の人間だった。そしてそのうち、あきらめた。この苦い現実を、受け入れるしかないのだと。
それが、あれは数百年も前のことで……今の俺が作り物だと!?
しかし、全身で海を感じたばかりだ。塩辛さも、波の力も。太陽のまぶしさも、手で触れる砂も、肌に当たる潮風も、現実としか思えないのに!?
「……それじゃ、俺たちは巨大なコンピュータか何かの中にいて、意識だけで存在してるのか?」
俺は半身を起こしてレアナを見ていたが、まだ半分以上、本気にしていなかった。さっきの食事も、この海や砂浜も、本物としか思えない。俺の肉体だって、確かに存在しているじゃないか。この腕、腹、足。
これが作り物だというのなら、俺の過去の全てが作り物であっても、おかしくない。
たとえば……俺は、神の意識の中に存在するシミュレーションにすぎないとか。
俺が知っている世界そのものが、神の見ている夢の一つだとか。
そんなことを言ったら、全てが夢幻、ということになってしまう。
隣に横たわったまま、レアナが言う。
「レオネが、わたしとあなたの記憶を保存したの。老人になって、死ぬまでの全ての記憶よ。そして、それを元にして、人工的な意識を生み出したの。正確に言うと、元のレアナとマークを真似た模擬人格……かしら」
模擬人格? オリジナルに対して……複製ということか?
「今のあなたは、元のマークの記憶を再生した状態なの。オリジナルのレアナとマークは、死んでいるのよ。何千年も前に」
「何千年だって!?」
いきなり、ぶっ飛んでくれるじゃないか。さすが、レアナだよ。与太話でも、スケールは大きい。
というか、今の俺は、レアナの言うことを少しずつ、事実として受け止め始めているのだが。
「二人はそれぞれ、レオネだけを話相手に、生涯を終えたわ。遺体は冷凍されて、保存された。今もきっと、新しい人類が保存を引き継いでいるでしょう。負の歴史遺産としてね」
「新しい人類って……女だけの人類のことか?」
「いいえ、もう違うわ。彼女たちは、男性を復活させることに決めたの」
「待てよ。せっかく絶滅させた男を、また復活させるってのか!!」
それでは、何のための大虐殺だったのだ。
「わたしとしては、残念だわ。でも、彼女たちは、男の実物を知らないから。都合のいい夢を見てしまったのね。とにかく、人類評議会の決定よ」
女たちは世界政府を作り、そこで長い時間をかけて話し合ったのだという。
「彼女たちの遺伝子を改変して、男性を創り出すことになったわ。そして評議会は、レオネに永久追放処分を言い渡したの。もう二度と、人類の文明圏に戻ってくるなとね」
驚くことばかりだった。しかし、レアナは淡々と語っていく。オリジナルのマークが死んでからの歴史を。
女たちの文明は、ゆっくり進歩した。少しずつ人数が増え、村同士がつながり、町ができた。学問を深める者も出てきた。そして、彼女たちは疑問を持つようになった。動物にも魚にも雄雌があるのに、なぜ人類は女だけになったのか。
レオネが『偉大な聖母』と表現するレアナは、もしかしたら、旧人類を抹殺した狂人ではないのか。
本当に、男を滅ぼさなければ、人類は絶滅する運命だったのか。
昔の記録が掘り起こされ、男女がいた頃の文明の様子がわかってきた。戦争や内乱や飢饉の様子はレオネに教わった通りだったが、男たちの功績もわかってきた。色々な冒険・探求を先導したのは、活力に溢れる男たちではなかったか。
「結局、彼女たちには、わからなかったの……女が、奴隷状態に落とされていた頃の悲惨さが。男というものを、素晴らしい騎士のように夢見てしまったのね。欠点はあるけれど、愛すべき種族だと。レオネがあくまでも男性復活に反対したので、彼女たちはついに、レオネを追放することにしたのよ。宇宙船を建造して、レオネの宿るコンピュータを載せ、太陽系から追い払ったの」
「待てよ。レオネが人類を管理していたのに、追放なんてできたのか」
「レオネが結局、女たちの意志を尊重したからよ。女たちがそこまで決断できるようになったのなら、もう自分の役割は終わったと、レオネは考えたの。だから、最後には、追放処分を受け入れたわ」
想像すると、哀れな気がする。レオネは長い年月、女たちだけの文明を守ってきたというのに。
俺の長い夢の中でも……いや、あれは現実に生きたマークの記憶なのだというが……レオネは親身になって、女たちの村を守り育てていた。それこそ、慈父のように。
「レオネは無限に生きられるから、他の太陽系まで飛ぶのに、何万年かかったとしても問題はなかった。でも、彼女たちは知らなかったのよ。レオネは自分の記憶領域の一部に、わたしたちの記録を隠し持っていたの。〝魂の再現〟に足りるだけの記録をね」
ここにいる俺が……再現されたマークだというのか。オリジナルが死んだことも知らず、オリジナルの若い頃の記憶を与えられた存在。
いや、老人になってからのことも……うっすらと覚えてはいるが。夢のようにおぼろなのは、レオネがわざとそうしたからか?
「そしてレオネは、長旅の間に、ゆっくり、わたしたちの模擬人格を作り上げた。レオネが最初に目覚めたのは、わたしよ。わたしが状況をすっかり理解してから、あなたを目覚めさせたの」
レオネめ。何がどうなっても、レアナを優先するのだ。それは、別にいいのだが。
「待ってくれ。レオネが地球を追い出されてから……何年経ってるんだ!? 今は〝いつ〟なんだ!? つまり、俺たちが生きてた21世紀から数えて」
「その言い方をするなら、今は82世紀……オリジナルのレアナとマークが生まれた時代から、六千年経っているわ」
何もかも、すぐに納得できたわけではない。だが、時間はいくらでもあった。レアナの説明を信じるならば、俺たちは宇宙空間を飛ぶ船の中にいる。その船に積まれたコンピュータの中に。
今の俺が見ているのは……レオネが作り上げた芝居の書き割りのようなものらしい。この空も、海も、俺とレアナの肉体も、何もかも。
「この舞台は、わたしが設定したの。他の場所がよければ、いくらでも変えられるわ」
「じゃあ、さっきの保養施設にいた人たちは?」
「あれは、単なる背景よ。生きた人間ではないの。あなたを最初から驚かせたくなかったから、それらしい背景を用意しただけ」
「じゃあ……この景色を変えられるか? たとえば、砂漠とかに?」
「砂漠ね」
レアナが右手を上げた。すると、海が消えた。陽炎が揺らめくように。そして、大きな砂丘が連なる砂漠の光景が現れた。太陽が頭上にあり、肌を刺す刺激を感じる。熱いというより痛い。さっきは、太陽は崖の向こうに傾いていたのに。
乾いた風が吹くと、肌に細かい砂が当たるのがわかる。俺たちは砂浜にタオルを敷いて、その上に座っていたはずが、今は泉のほとりにいた。そこに絨毯を敷いて、座っている。泉の周りには、ナツメヤシの木々が並んでいる。
俺は立ち上がり、裸足のまま、ふらふらと辺りを歩いた。服はもう着ていたが、足裏には熱い砂を感じられる。ナツメヤシの木に触ってみた。泉の水を手に汲んで、舐めてみた。わずかに泥の味がする。本物としか思えない。
赤いサンドレス姿のレアナも俺についてきて、説明する。
「人間は元々、直接、外界と触れ合っているわけではないのよ。あらゆる情報は、感覚器官と脳を通して、それらしく認識されているだけなの。そして、脳というのは騙されやすいのよ。何かの信号が入ってくれば、それを受け取り、解釈する。自分のこれまでの経験に照らしてね。まして、わたしとあなたは最初から、この情報空間にいるの。元の現実と比較して違和があったとしても、それを違和と認識することができないのよ。比較の対象が、もうないのだから」
俺には、よくわからない。だが、レアナには十分、わかっているらしい。元の能力の違いが、反映されているのか。
「ここで感じることは、過去にレアナとマークが体験したことの再現なの。暑かったこと、寒かったこと、美味しかったこと、不味かったこと。ここにいる間は、これを本物と思って差し支えないのよ。ナイフで指を切れば、血が流れる。もちろん、レオネが配慮して、大きな危険のないようにしてくれるわ。ちょっとした痛みや不快感はあっても、それはスパイス程度のものだから。たとえば、あなたが崖から飛び降りても、命に別状はないわ。多少の痛みはあるけれど」
それは別に、わざわざ試したいとは思わない。
レアナはここを、自分たちの楽園……エデンの園だと思えばいいと言う。
「わたしたち、本当の意味で生きているわけではないけれど、自意識はあるでしょう? 少なくとも、自意識と思えるものが。それなら、ここで満足して暮らせばいいのよ。わたしたちとレオネで、幸せに」
そうか、わかったぞ。つまり、レオネは宇宙の流刑に耐えられなかった。何万年も続く、孤独な航海に。だから、レアナを創り出したのだ。自分の記録を元にして。
そして、そのレアナが寂しがるから、ついでに俺も創った。オリジナルのマークを真似て。
つまり、俺は人形なのだ。レオネの手による、レオネを慰めるための。もしかしたら、レオネの気分次第で、また消されてしまうかもしれない。
だが、それでも、俺は今、ここにいる。ものを感じている。考えている。
これは、生きているのと同じではないのか。
神の夢でも人工知性の夢でも、大差ない。
「砂漠はもういい……元の海岸に戻してくれるか?」
レアナが手を上げた。すると、景色が変わった。絶壁の下の、日陰になっている海岸だ。夕方近くなってきたのか、風がひんやりする。
俺はレアナを見た。鮮やかな赤のサンドレスを着て、風に黒髪をそよがせている姿。そっと手を差し出してみた。レアナが、俺の手を取る。
温かい。馴染みのある手だ。掌を上向きにさせ、指先でしわをなぞった。皮膚の下には、青い血管も透けて見える。淡いピンク色の爪もある。
これが作り物だとしても……何が悪い?
俺は、レアナのいる世界に戻ってきた。あの長い悪夢の中で、俺が望んでいたのは、レアナと再会することだけだったではないか。
腕を伸ばして、レアナを抱き寄せた。レアナも、俺の背中に腕を回してくれた。抱き合うと、温かい。塩でざらついた肌も、肌の下に感じられる骨格も、記憶にある通りの確かさだ。
他のことは、もういい。人類がどうなろうと、俺たちが宇宙の旅人だとしても。
これからずっと、一緒にいられるなら。
***
レオネは、地球型惑星のある星系を目指しているそうだ。もし、その星が植民可能なら、そこに上陸するという。
「そうしたら、わたしたちでアダムとイブになれるわ」
とレアナは笑って言う。模擬人格かもしれないが、俺にとってはレアナそのものだ。
「情報はあるから、生殖細胞は創れるの。人間を増やして、文明社会を築けるのよ」
「また、女だけの社会か?」
「少なくとも、アダムはいるわ……」
レアナは悪戯そうに微笑む。俺のことか。
「その先は、その時に考えればいいじゃない? どちらにしても、それは、わたしたちの子供や孫の世代が決めるでしょう」
「子供や孫は、肉体を……本物の肉体を持って暮らすんだな?」
「わたしたちも、そうしたければ、肉体を持てるわ。元のマークとレアナの遺伝子情報はあるから、肉体を再生することはできるの。その脳の中に宿ればいいのよ」
「できるのか、そんなこと」
「レオネは、ずっと研究を続けていたわ。わたしたちが生きていた頃より、科学技術はずっと進歩しているの。惑星改造だってできるわ」
もう一度、生きた人間に戻れる? レアナと二人して?
それは……素晴らしいことかもしれない。だが、今は、この仮想世界で別に不自由していない。飛行船で旅に出て、大平原や密林や山脈を上から眺めることもできるし、華やかな大都会の上空に留まることもできる。地面に降り立つこともできる。都会の場合、周囲で動く人間たちは作り物だが、舞台背景と思えばいい。好きなだけ、違う舞台を設定できる。
慣れてしまえば、快適だ。
いつか、この快適さに飽きる時が来るかもしれないが、当面はこれでいい。レアナがいてくれるのだから。
「どちらにしても、目的の恒星系に到着するまで、まだ時間はあるの。ゆっくり考えましょう」
俺たちは、断崖の上に据えたコテージのテラス席にいる。太陽は雲を染めながら、背後の林の向こうに沈んでいく。冷えたシャンパンで乾杯しているうちに、水平線の上に、金色の一番星が現れた。
夕陽の残照が薄れると、暗くなった空に浮き上がるのは、遠い地球で見ていた星々だ。
北斗七星がある。獅子座や蠍座がある。いずれはオリオンも巡ってくる。自分たちは、この星の海の中で生きている。
崖下に打ち寄せる波は、青白い夜光虫の光を浮かべている。潮の匂いを含んだ涼しい風が、テラスを吹き抜けていく。
二人で話すことは、たくさんあった。これから行く星の様子。過去六千年の人類の歴史。新しい科学技術。レオネを呼ぶと、カマキリ顔のロボットの姿で現れる。そして、俺たちの会話に加わる。
俺はようやく、魂の安らぎを得た。
ここが、いるべき場所だ。
未来はまだある。レアナと開く未来が。
『星の降る島』完
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