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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』10章-4

10章-4 リアンヌ

 対外的には、何も変わらないようにと努めていた。他組織の男たちにとっては、わたしは男を憎む〝恐怖のアマゾネス〟なのだ。着るものは濃紺のビジネススーツで、飾りは耳に小さなピアスだけ。化粧にも香水にも用はない、という冷然たる態度。

 ただ、拠点内の自室は変わった。クローゼットには、シヴァに会うための女らしいドレスが並んだ。化粧台を据え、化粧品や香水も買い集めた。わたしには選択眼がなかったので、セレネの部下の、美容に詳しい娘に指導してもらったけれど。

「ジョルファさまには、飾りの少ない、威厳のあるドレスがお似合いです。肩を出すのがよろしいですよ。そうすれば、宝石も映えますし。香水は品のある、神秘的な香りがいいですね。ジャスミンやマグノリア、ガーデニアの系統で試してみましょう。百合もお似合いかもしれません」

 最新の化粧法も指南してもらった。わずかな化粧だけでも、驚くほど印象が華やかになる。シヴァは気に入ってくれるだろうか。

「ジョルファさまはお顔立ちが綺麗ですから、ほんの少し手を加えるだけで十分です。ほら、映画女優になってもいいくらいですよ」

 様子を見に来ていたセレネが聞いて、慌てた顔になったのがわかった。この娘は悪くない。過去の事情を知らないだけなのだ。そういう若い世代が育っていることが、今は嬉しい。過去は流れ去るのだ。でも、未来はずっと続く。

 髪は短いままだが、わたしにはそれが似合うとシヴァが言ってくれた。だから、今後も短いままでいいだろう。

 他都市の拠点との連絡、系列組織の幹部たちとの会合、新技術の開発にあたる部下たちとの会議。《フェンリル》の商業部門を率いる仕事に、休みはない。シヴァも、暗殺リストに載せた要人たちの監視や、暗殺志願者の吟味に忙しい。何とかして時間をひねり出さないと、寝る前の短い通話くらいしか、互いの顔を見る時間がない。

 これまでは、グリフィンの監視も仕事だと思っていたから、その時間を確保することにためらいはなかった。むしろ、最優先で確保していた。

 しかしこうなると、その仕事にはセレネとレティシアを派遣して、報告だけ聞く方がいいように思える。じかにシヴァと会ってしまったら、事務的に対応するのが難しいだろう。シヴァの方も、そんなに器用な性格だとは思えないし。

 そんなこんなで、次にシヴァと二人きりで会ったのは、二週間も後のことだった。《ルクソール》市街のホテルの一室である。どちらも、自分の拠点で会うのはまずいと思ったからだ。

 それでも《フェンリル》所有のホテルだから、安全確保や機密保持に問題はない。わたしは彼にしがみつき、ジャケットの胸に顔をこすりつけ、頭を撫でてもらい、これが現実だということを再確認した。

 シヴァはソファに落ち着くと、わたしを膝の上に座らせ、笑って言う。あの朝は、自分も怯えていたのだと。

「おまえが目を覚ましたら、車の外に叩き出されるかもしれないと思ってた」

 けれど、わたしがそっと彼の髪を撫でたので、安心したと言う。

「ずうっと、軽蔑されてるんだと思ってたからな」

「わたしだって、あなたに嫌われているとばかり……」

 シヴァは直線的な濃い眉を、やや曇らせた。黒い目に、悲しげな光が浮かぶ。

「はっきり言ってくれないと、わからないんだ。女の気持ちなんて」

 それがわかるくらいだったら、こんな人生は送っていないと言う。家出することもなかったし、茜を失うこともなかっただろうと。

「だから、何でも言ってくれ。俺は馬鹿だが、少しはものを考えられる。できる限り、おまえの望むようにするから」

 わたしこそ、世界が晴れ上がったような気がしていた。わたしの心は、まだ凍りきってはいなかった。愛することは人の本能だから、そう簡単に、冷血にはなれないのだ。たとえ何年、辺境暮らしをしようとも。

「何しろ、恐怖のアマゾネスだからな。怒らせたら、ちょん切られると思って、びくびくしてた」

 シヴァが正直なので、わたしも本音が言える。

「いや。そんな勿体ないこと、絶対しない」

 そして、二人で笑い崩れる。

 従姉妹のヴァイオレットは、確かに初恋の相手だったけれど、今はもう、未練はないとも話してくれた。ただ、悪党退治のハンターは貴重だから、守るべきだと。あまりに嬉しすぎて、逆に怖い。

「わたしだけで、いいの?」

 つい、馬鹿なことを訊いてしまう。

「どういう意味だ?」

 シヴァが顔を曇らせたので、怒らせたかと不安になる。このわたしが、誰かの機嫌に一喜一憂するなんて。

「つまり……あなたさえそのつもりなら、セレネもレティシアも、リナだって、あなたのものになるのに……」

 けれど、シヴァは簡単に言う。

「ややこしいことは断る。忙しいんだからな。大事な女は、一人でたくさんだ」

 大事な女。その言葉を、胸の中で幾度も繰り返す。百回でも、千回でも、魂に染み込むまで繰り返したい。

「俺は大型だから、女も大型の方が安心だしな。小柄な女だと、抱き潰しそうで怖い」

 彼は言葉より動作で、繰り返し、それを実証してくれた。わたしとは、精神も肉体も、相性がいいと。

 おかげでわたしは、心身共に安らぎ、ゆるんでしまう。こんなにとろけてしまったら、明日、また冷徹なアマゾネスに戻れるだろうか。

「それより、何か欲しいものはないのか?」

 わたしに腕枕をしてくれながら、シヴァは言う。

「ううん、もう十分。今日までにもらった宝石だけで、一生、間に合うくらい」

 贈り物のお礼は真っ先に言ったのだが、シヴァはどうやら、〝自分の女〟に山ほど贈り物をするのが、男の義務だと思っているらしい。そのあたり、彼の育ち方がうかがわれて、興味深い。

 違法都市を幾つも所有する資産家の一族の中で、将来は中核になるものと期待されていたはずだ。それが、家出同然に飛び出して、犬だけを相棒にして、さすらい歩いて。やっと自分の組織を育てたと思ったら、今度は最高幹部会に誘拐されて。

 それなのに、まだシヴァの善良さは損なわれていなかった。奇跡のようなものだ。

「俺には、女の服や宝石はよくわからんから、手始めに贈ってみただけだ。好みを教えてくれ。今なら、店ごとだって買ってやれる」

 わたしだって、買おうとすれば、店ごと買える。というか、傘下に商業ビルを幾つも持っているけれど。部下たちが管理している資源惑星には鉱山もあり、宝石などいくらでも掘り出せる。ただ、それを自分のために欲しいとは思わなかっただけ。

 これまでは、ビジネス用の堅いスーツしか必要としていなかった。だって、私生活というものが、ほとんどなかったのだもの。

「それと、ルワナに注意された。おまえに何か贈る時は、部下にも贈らないと、恨まれると。女の恨みは怖いからな。次は何を贈ればいいのか、一緒に考えてくれないか?」

 そうだ、自分だけの幸福に酔ったら、足元をすくわれる。わたしはまず、部下たちに対する責任を果たさなければ。男優位の辺境で、あちこちの組織から少しずつ女たちを集めた。彼女たちが生きられる場所は、守り続けなければならない。

 でも、シヴァと一緒なら……彼がグリフィンの地位を保つことができれば、それはそのまま、わたしたちの安定にもつながるのだ。

 彼はまた、何かの拍子に、ぽろりと面白いことを言う。

「女にも、悩みがあるのか?」

 と大真面目に尋ねてくるのだ。あるに決まっている、とわたしが言うと、

「そうか」

 と天井を見上げたままで言う。

「女というのは、キラキラしていて、何もなくても楽しそうに見えた」

 彼の一族の女たちは、男たちを指揮して、好きなように振る舞っていたという。辺境では珍しく、女優位の一族だったらしい。

「それは、あなたの一族が、まともな男たちに守られていたからでしょう?」

 女がいくら努力しても、本質的には戦いは苦手だと、わたしは思う。このわたしでさえ、そうなのだ。強化体である〝リリス〟は、特異な例外だろう。

 シヴァの一族の男たちは、強くて女たちを守れる男たちだったから、女たちも安心して自由に振る舞えたのではないか。無法の辺境では、極めて稀有な在り方だ。

「俺は若い頃に家出したから、本当のところはわからん。だが、一族の指導者は女だった。優雅な貴婦人みたいな顔をして、底知れずに怖い女だったよ。切れ者の科学者で、不老処置を繰り返して長生きしていたから、誰も頭が上がらなかった」

 その人も、生き残るために、仕方なく強くなったのだろうに。法律のない辺境では、常に疑心暗鬼に苦しめられる。自分を強く律することができる者だけが、かろうじて仲間を作り、生き延びられる。

「戻れたら、戻りたい?」

「いや。ショーティだけは取り戻したいが」

 自分の居場所はここでいい、とシヴァは言う。今はわたしがいれば、それで充分だと。

 二人きりの時、彼はわたしをジョルファではなく、リアンヌと呼ぶ。その名前はもう忘れたつもりだったけれど、シヴァからそう呼ばれるのは特別だった。まるで、世界でたった一人のヒロインのよう。

 辺境に出たことは間違いだったと思っていたけれど、そうではなかったのだ。こんな出会いが用意されていたのなら、あの地獄にも意味はあった。わたしは死なずに生き延びたのだから。

 ***

 毎日、何かの間違いではないかと思うほど、幸福だった。喜びと共に起き上がり、期待と共に眠る。仕事にも熱が入るし、部下たちにも寛大になれる。

 シヴァと会えるのは何日かに一度に過ぎないが、通話なら毎日できる。仕事の打ち合わせもあるが、個人的な話もできた。シヴァはわたしが何を望んでいるか、懸命に気遣ってくれる。わたしのために何かすることが、嬉しくてたまらないという気持ちが伝わってくる。

 逢瀬を重ねるうちに、無駄な力みが薄れ、無理して男言葉を使うこともなくなった。彼の希望に応じて、女らしい下着や部屋着を着ることにも慣れた。

 ホテルの部屋から外に出なくても、優雅なドレスを着て、カクテルで乾杯し、豪華なディナーを楽しむことはできる。その後、もつれ合ってソファやベッドに転がることも。

 仕事の上では変わらず、アマゾネス軍団の長だが、私生活では女に戻れる。戻ってもいい。ここにいるのは、グリフィンとジョルファではなく、シヴァとリアンヌ。

 時間を作って、ホテルで落ち合う。新しいドレスを着て、彼に見てもらう。同じソファに座って、話題の映画を見る。

 厨房に立って、一緒に料理を作ることもあった。わたしがサラダを作る間に、彼は見事なステーキを焼いてくれる。

「あなたに料理ができるなんて、思わなかった。老舗組織のお坊ちゃまだったんでしょ?」

「そう、馬鹿にしたものでもないさ。特技は色々ある。例えば、誰かの足の裏をくすぐるとか」

 いったん心を許せば、彼は他愛ない冗談も言うし、おふざけもするのだった。わたしは一緒になって笑い転げ、抱き上げてベッドに運んでもらい、彼に寄り添って眠る。

 シヴァの腕力だと、わたしを抱き上げることも容易かった。市民社会では、大抵の男は、わたしの体格に恐れをなして、遠巻きにしていたのに。彼はわたしを抱いて、部屋中を歩き回ってくれた。そうすることが、嬉しくてたまらないという顔で。

 あまりにも幸福なので、この幸福がいつまで続くのか怖くなり、自分の部屋で一人になってから、発作的に涙ぐんだこともある。

 ――もし、いつか彼と引き離されたら。何かあって、置き去りにされたら。そんなこと、耐えられない。死んだ方がまし。

 そんな感傷も、シヴァから新しい贈り物が届くと、すぐに晴れてしまうのだったけれど。

 一つだけ気にかかっているのは、リナがシヴァの秘書を辞めて、リザードの元へ戻ったことだった。すっかり暗い顔になって、シヴァにぼそぼそ、別れの挨拶をしていったとか。

 シヴァも、リナを引き留めなかった。自分は、一度に二人の女を相手にできるほど、器用ではないからと。

 リザードからは、心配要らないと言われている。リナには気が紛れる仕事を与えるから、いずれ回復するはずだと。

「若いうちは、失恋もいい勉強だ」

 そうであることを祈る。シヴァの新しい第二秘書は、女性の恋人がいる女性に決まった。それならば、ややこしいことにはならないだろう。第一秘書のルワナが指導すれば、すぐに職務に慣れるはず。

 そういう日々の中、忙しく過ごしていたわたしは、自分の変調に気がつかなかった。ある日、最後の生理がいつだったのか、疑問に思うまで。

   『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』11章に続く

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