恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 泉編』11章-1
11章-1 泉
「わたしの一族が〝外〟から花嫁を迎えるのは、ずいぶん久しぶりのことよ」
そう言ってわたしを出迎えてくれたのは、長い黒髪に黒い目、なめらかな
象牙色の肌の、神秘的な深みを持つ女性だった。薄紫のワンピースドレスに、長い真珠のネックレス。古典絵画から抜け出してきたような、典雅な美人。
わたしも黒髪で黒い目だけれど、この人とは、人間としての実力、胆力が全く違う。
シレールの一族の、最長老だという。自分自身を不老処置の実験台にしながら、数百年の歳月を生き延びてきた。地球生まれで、科学者集団を率い、辺境の宇宙に生活の基盤を築いた先駆者。
わたしは、観光で地球に行ったことはある。のどかな田舎惑星で、観光客とホテル関係者と、歴史学者しかいないような星だった。子供心には、ピラミッド以外、さしたる印象を残さなかったくらい。
でも、この人は、地球が百億もの人間で埋め尽くされていた、混乱の時代に生まれた人なのだ。いわば、歴史の生き証人のようなもの。
それだけでも畏怖するべき存在なのに、今回は手を回して、わたしをグリフィンの支配下にある組織から救い出してくれた。どれほど感謝しても足りないが、そうであればこそ、なお恐ろしい。シレールから聞いた話では、この人は、過去にどれだけの敵を葬ってきたか、わからないという。
「もっとも、向こうは、うまくスパイを送り込んだつもりでいるわ……だから、あなたを手放すことを承知したのよ」
と、にっこりされたが、こちらは笑い返すどころではない。シレールの一族は、わたしのために多額の〝移籍料〟を支払っている。今後、一切の貸し借りはないという形にするためだけに。
「実際に、わたしが……スパイだったら?」
口に出すのも怖かったが、確認せずにいられなかった。今後、わたしが何か怪しい真似をしないかどうか、ずっとこの人たちに警戒され、監視されるはずだ。〝連合〟は昔からシレールの一族を危険視し、隙あらば乗っ取ろうとしているのだから。愛情なんて不確かなものを信じるほど、この人は甘くないだろう。
「その時は、ダイナが対処するでしょう。あなたをシレールの妻に迎えることを認めたのは、ダイナなのだから」
黒髪の美人は穏やかに微笑んだが、それがそもそも、一番、信じられないことだった。わたしはダイナにとって、許せない敵ではないのか。ダイナの敬愛する〝リリス〟を狙う敵に、わたしは取り込まれていたのだ。
なのに、ダイナはわたしと会い、一つの提案をしてきた。わたしには、思いもよらなかった提案を。
そしてわたしは、それを受け入れた……そうするしか、生きる道はなかったから。
「さあ、まずはお茶にしましょう」
紺のドレスに白いエプロンのアンドロイド侍女が、お茶やお菓子の給仕をして立ち去った。麗香さんが手ずから、ポットの紅茶をカップに注いでいく。ダージリンのさわやかな香り。
わたしたちがいるのは〝薔薇屋敷〟と呼ばれる邸宅のテラスで、周囲に広がる薔薇の庭園からの、甘い香りに包まれていた。頭上に向けてせり上がるはるか彼方まで、森と草原が不規則に繰り返され、乗馬用に飼われている馬の群れが走っていく姿も見える。川や湖のきらめきも、緑の中に巧みに配置されていた。遊覧用のクルーザーで、湖巡りもできるという。
何十万人もが暮らせる広大な居住区画に、この屋敷と、もう一つ〝桔梗屋敷〟と呼ばれる建物しかない。そちらには麗香さんの助手のミカエルと、その侍女のセイラがいるだけ。
一つの小惑星を、たった三人で使っていたのだ。これからはわたしが加わるので、四人になるけれど、途方もない贅沢であることは間違いない。
「いただきます」
紅茶のカップを手にして、涼しい風が熱い液体を冷ましてくれるのを待つ。三階建ての屋敷は、特に豪壮というのではないけれど、落ち着いた風格があり、最長老の隠居屋敷に相応しい。
わたしはしばらく、この薔薇屋敷で〝花嫁修業〟をすることになっていた。一族に加わるにあたり、一族の歴史や現状などを、麗香さんから教わる必要があるということで。
小さなケーキやサンドイッチを楽しみ、薔薇の品種の説明を聞いたり、乗馬の楽しみを語ったりするうち、わたしは再び、懸念事項に話を戻してしまう。
「あのう、こんな変則的な〝結婚〟で、一族の皆さんは、納得して下さるのでしょうか」
いくらシレールに心配要らないと言われても、わたしとしては、親族たちから疑いの目で見られる日々を覚悟せざるを得ない。有形無形の意地悪も、あるかもしれない。
けれど、向かいの席の女性は、落ち着いた微笑みのままだ。
「元々、結婚制度は、男が女を〝所有〟するための仕組みだったわ。奴隷制度の一種だったのよ。でも現代では、一生を共に過ごしたいという希望の表明に過ぎないのだから、当事者が納得していれば、それでいいでしょう。あなたはこれから、一族に尽くしてくれるはずだしね。雑音があっても、いずれ消えていくはずよ」
理屈はそうでも……わたしはダイナにとって、厄介なお荷物のはず。本当なら、シレールと二人で甘い生活を送れるのだから。そこにわざわざ、〝愛人〟を同居させようだなんて。
「ダイナは、シレールがわたしをかばってくれるので、仕方なく譲歩したのだと思います……」
シレールの側にいたい。彼の優しさに甘えたい。それは確かだ。一族に認められて、彼の花嫁になれるなんて、幸せすぎて怖いほど。
けれど、それがダイナの〝哀れみ〟によって許されるなんて。わたしは一生、ダイナに頭が上がらないことになる。ダイナに悪意がないだけ、より一層、惨めではないか。
そう、あの子には何の悪意もない。少女の頃と何も変わらず、あたりに喜びを振り撒く天使のようだ。違法都市の経営に携わっても、その輝きは少しも曇っていない。本人が〝リリス〟の援護という、子供の頃からの夢を貫いているからだろう。
「泉、あなたはまだ、わかっていないのね」
向かいの女性が、紅茶のカップをテーブルに戻した。真剣な眼差しが怖いが、確認せざるを得ない。
「何が、でしょうか」
「ダイナは最初から、あなたに片思いしていたのよ」
『ブルー・ギャラクシー 泉編』11章-2に続く
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