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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』15章-2

15章-2 探春たんしゅん

 辺境での彼女の通り名は、ジョルファ。本名はリアンヌ・ルナン。元軍人で、辺境に脱出してからは、老舗組織《フェンリル》のナンバー2として知られてきた人物。

 ナンバー1はリザードという通り名を持つ男で、最高幹部会からも重用されているという話だけれど、わたしたちは噂でしか知らない。居場所を秘匿していることが多いため、わたしたちの探査の網にもかからないのだ。

 その点、ジョルファと側近たちは拠点を公表しているので、探りやすい。彼女たちは違法都市《ルクソール》で、グリフィンの紋章を付けた艦に、しばしば出入りしていたことが確認されている。

 そのジョルファが《ルクソール》から小艦隊で出発したことを知って、わたしたちは先回りし、待ち伏せをかけた。こちらで使っているダミー組織の支配領域を、うまく利用することができたから。

 母艦と護衛艦が全て自爆した後、ジョルファの他に、生きて逮捕された者はいない。それは、彼女をグリフィンとみなすべき根拠となる。

 ただし、紅泉は納得していなかった。

「だって、自分で自分に記憶消去の注射をすると思う? そんなことをしたら、自分を守ることもできないじゃない。それに、艦隊は自爆前に小転移したよね。あれが気にかかる」

「それは、自分を艦隊の自爆の巻き添えにしないためでしょう」

「自爆させなくても、管理システムの中身だけ消せばよかったのに」

 そこには、市民社会の中の協力者のリストがあったかもしれない。

「船内にいた他の部下を、始末したかったのかもしれないわ。色々と、組織内の事情もあったでしょうから」

 わたしたちの包囲の中で小艦隊が全滅した後、ジョルファを宇宙空間から拾い上げた時には、彼女は既に、記憶のかなりの部分を失った状態だったのだ。子供の頃から軍人時代までの記憶ははっきり残っているけれど、辺境に出てからのことはおぼろになり、ここ数年以内のことは、ほとんど覚えていない。

 おまけに、彼女は妊娠していた。本格的な尋問にかかる前に、出血を起こして倒れたのだ。

 わたしたちは流産の危険が高いと見て、母子分離手術を行った。親が何者だろうと、子供に罪はない。

 胎児はどうやら遺伝子異常の様子だったので、人工子宮に入れて、故郷の麗香お姉さまの元へ送った。辺境でも有数の科学者であるお姉さまなら、胎児を助けてくれるだろう。もし、助かるものならば。医療に制限がある市民社会では、とても無理。

 ジョルファが妊娠していた件は機密扱いにするよう、ミギワに頼んだ。いずれジョルファが刑期を終え、社会復帰する時のために。

 そもそも〝リリス〟が逮捕したのが彼女であることさえ、世間には厳重に伏せられている。ただ、グリフィンである可能性が高い、有力組織の幹部を捕らえたと公表しただけ。

 ジョルファ……リアンヌ・ルナンは軍の練習艦を盗んで逃亡し、辺境で違法組織を築いた犯罪者なのだが、その後の事情が事情なだけに、人道上、保護が必要だとみなされたのだ。

 彼女は平穏な後半生を手に入れるべきだというのが、紅泉こうせんの考えだった。わたしもそう思う。恋人に裏切られ、売り飛ばされて違法ポルノに使われて、世界に無惨な姿をさらしたのだもの。

 これ以上、彼女に余計な重荷を背負わせることはない。そのあたりの記憶がおぼろになっていることは、彼女にとって、幸いなことだったといえる。あとは、司法局が彼女に余計なことを教えなければいいのだ。

「グリフィンとして世界デビューした直後に妊娠なんて、あるわけない。あたしたちは、偽者を掴まされたんだ」

 と紅泉は口をへの字にして言う。

「そうかもしれないわね。本物のグリフィンはどこかで、次の暗殺計画を支援しているのでしょう」

 それはわたしにとって、たいした問題ではない。どうせこれまでも、危険な日々だった。紅泉が活躍を続けていけば、危険は増して当然なのだ。

「それはこれから、個々に対応していくしかない」

 と紅泉も覚悟を決めている。狙われる要人たちも、命の危険は覚悟しているはず。それでもなおかつ、市民社会の支柱であることを選んでいる人々なのだ。

「それにしても、男嫌いで有名だったくせに、一体、誰の子供を妊娠したんだか」

 紅泉の苦い台詞には、いくらか羨望が混じっている。自分には、いっこうに王子さまが現れないから。『引く』ことを知らずに『押す』ばかりでは、無理もないと思う。そもそも多くの男性は、自分より強い女になど用はないだろう。

「それに、遺伝子不適合なんて変だよ。正気の女が、そんな危うい妊娠をするわけない」

「父親が誰かは、本人が一番悩んでいるわ」

 けれど、何年分もの記憶を失っているのだから、いくら考えてもわかるわけがない。それともジョルファ……リアンヌは、そのことも含めて、過去を忘れたかったのだろうか?

 やがて、麗香お姉さまからは、子供は助からなかったという報告がきた。こちらできちんと埋葬するから、それで納得するようにと。

 わたしたちはそれをリアンヌに、じかに伝えることにした。子供を失った母親に対して、せめて、そのくらいはしてもいいだろう。

 とある植民惑星の、辺鄙な山中の隔離施設で面会した時、彼女は自分を捕まえたハンターに対して、平静な態度だった。

「わざわざ来てくれて、ありがとう」

 子供の話を、通話や司法局経由の通知で済ませなかったことで、こちらの誠意を汲んでくれた。元々、聡明な女性なのだ。

「子供の父親のことは、どうやっても思い出せないけれど、でも、自分で納得した妊娠だったと思うの」

 彼女は左手の薬指にはめた、見事なルビーの指輪を見せてくれた。逮捕時に彼女がはめていたもので、危険な仕掛けはないと確認した上で、わたしたちが返却したものだ。

「その指輪、何かヒントになるの?」

 と紅泉。リアンヌは、半分照れ、半分自嘲するように微笑んだ。

「子供の頃、好きだった童話があってね。そのヒロインは、愛する男性からルビーの指輪をもらうの。いったんは戦争で離れ離れになるけれど、あれこれの困難を乗り越えて、その男性と再会して、結ばれる……途中、困窮して指輪を手放すけれど、それがまた、再会のきっかけになるという話でね……」

 思いがけず、純情な話を聞くものだ。

「わたしもいつか、好きな人から、ルビーの指輪をもらいたいと思っていたから。この指に、この指輪をはめていたということは、きっと、そういう意味なのだと思う」

 ルビーは安い合成石ではなく、貴重な天然物だった。炎を封じたような真紅。彼女の大柄な体格に合わせて、金の指輪自体も太く、石も大きい。それでいて、上品に仕上がっている。出来合いの品ではなく、注文品だということは明らかだ。だから、彼女がそう信じることと矛盾しない。

「あなたがそう思うのなら、そうでしょう」

 妊娠を知った時から、紅泉は格段に同情的になっていた。自分が恵まれていることを自覚しているから、弱い立場の者には、いつも優しい。

「とにかく、あなたは、まともな社会に戻ってきた。市民権に制限はかけられるけれど、いずれは自由の身になれる。少し整形して、別人の名前で再出発できるよう、司法局が計らってくれる。家族に会いたければ、こっそり会うこともできる」

 けれど、リアンヌは首を横に振った。

「合わせる顔がないわ。わたしは軍を裏切ったのだし、家族の信頼も裏切ったのだから」

「そう思うなら、これから取り返せばいい。あなたはまだ若いし、不老処置の効力も残っているのだから。その効力はいずれ切れるけど、それでもたぶん、平均寿命より長く生きられる」

 紅泉の言葉を聞いて、リアンヌは不思議そうな顔をした。

「あなたたちは、いつもそんなに、犯罪者に優しいの?」

「相手によるね」

 と考え深そうな顔の紅泉。本当は、ごく単純なくせに。リアンヌは何か思うように、首をかしげた。

「わたしは前に、あなたと会ったことがあるかしら? 逮捕される前、辺境でということだけど」

「いや、ないと思うけど?」

「そう。そうなのかしら。何か、知っている人のような気がして……」

「それは、あなたが〝リリス〟の資料を、繰り返し見ていたからではないかしら。あなたがグリフィン本人でなくても、それに近い立場であったことは間違いないわ」

 わたしが横から言うと、リアンヌはそうかもしれない、と認めた。紅泉は、あっさり受け流す。

「まあ、記憶消去といっても、急場の乱暴な処置だったらしいからね。これから、ふっと何か思い出すかもしれない。そうしたら、司法局の担当者に話してくれればいい。あたしはいずれ、本物のグリフィンを捕まえたいのでね」

 リアンヌは苦笑した。

「わたしは結局、《フェンリル》でも、使い捨てにされただけなのね……」

 アマゾネス軍団の長であったことは、司法局の資料で彼女に教えてある。違法ポルノに使われたことも、あっさりと話してある。ただし、その作品を捜して見たりしないよう、厳重に警告した。本人が用心して、自分の精神の安定を守った方がいい。

 彼女自身、最初のうちは、薄れた記憶を取り戻そうとして、もがいていた。けれど、やがて、思い出さない方がいい、という気になってきたらしい。わたしも、その方がいいと思う。辺境での過去はもう、前世のことなのだ。

「それでもジョルファは、辺境全体に女の意地を見せてくれた。いや、世界全体にだ。あなたは〝畏怖されるアマゾン〟だったよ。男優位の世界で、やれるだけのことはやった。後の戦いはあたしたちに任せて、平和に過ごしてくれればいい」

 紅泉の言葉を聞いて、リアンヌはまじまじ紅泉の顔を見た。寛大さの奥に、何かを読み取ろうとするかのように。

「あなたはハンターとして、ずっと戦い続けているんでしょう。疲れないの? 辛くない? どこかへ逃げ込みたくならない?」

 紅泉は青い目に悪戯な光を浮かべ、にやりとした。

「疲れないよ。それが、強化体の呪いだね。じっとしていると退屈だから、何かせずにはいられないんだ」

 そう、いつまでも若いということは、いつまでも最前線に立たなくてはならないということ。

 わたしもまた、その運命を共有している。

 いえ、本当は戦いから逃げる道もあるけれど、それを選んでいないだけ。紅泉から離れたら、わたしはたちまち凍りついてしまう。わたしの世界に、太陽は一つだけしか輝いていない。

「それならわたしは、普通人でよかったのかも……」

 リアンヌはソファの背にもたれ、自分の指に輝くルビーの指輪を眺めた。辺境のどこかに、彼女を愛した男がいるのだろうか。妊娠自体は、何らかの手違いだったのだろうか。

 本当は、ちらりと、

(お姉さまは、わざと子供が死んだことにしたのかもしれない……)

 という疑いも湧いたけれど、黙っていた。わたしたちの一族の最長老は、人間を、実験の素材としか見ない人。わたしたち一族の者すら、自分の研究の成果品に過ぎないのだ。普通人と強化体の子供なら、ちょうどいい研究材料だと思ったかもしれない。

 でも、それはもう、再出発しようとしている人に言うべきではない。もしも子供が助かっているのなら、お姉さまはいずれ、わたしたちには教えてくれるだろう。

 リアンヌと別れて、車で田舎道を走りながら、紅泉は言う。

「彼女の相手は、もしかして、本物のグリフィンだったのかもしれないね」

「そうなのかしら……」

「その男がもし、本気でリアンヌを愛しているのなら、後から取り戻そうとするかもしれない」

 紅泉は、発想がロマンティックすぎる。でも、それが紅泉のいいところだから、無下に否定することもできない。

「さあ、どうかしら。本気で愛しているなら、このまま市民社会に託そうとするかもしれないわ。その方が、穏やかに暮らせるもの」

 そんな優しい男、辺境にいるとは思えないけれど。

「とにかく、懸賞金制度は始まってしまった。要人暗殺は続く。あたしたちは、自分にできることを続けるだけだ」

「ええ、そうね」
 
 そこで紅泉は、少し申し訳なさそうな顔になる。

「ごめん。探春には、苦労をかけるばっかりで」

 これだから、憎めないのだ。手当たり次第にボーイハントする姿を見ると、どうやって懲らしめてやろうかしら、と思うけれど。

「あら、どういたしまして。でも、悪いと思っているなら、次のバカンスは雪の温泉宿がいいわ」

 紅泉はにやりとして、運転しながら敬礼してみせる。

「承知しました、姫」

 わたしはこれで、十分に幸せだった。結婚も出産も、関係なくていい。この人についていけるパートナーは、わたしだけなのだもの。

 ***

 懸賞金リストの更新は、グリフィンの名で続いていた。要人の暗殺や、暗殺未遂事件も、年に何件かは起きている。

 司法局としては、最高幹部会が新しいグリフィンを立てたのかもしれない、と言い訳するしかない。あるいは元々、特定の個人ではなく、単なる役職名なのかもしれない。

 リアンヌは数年間の隔離刑に服した後、軽い整形手術を受け、新しい名前で市民登録を済ませて、ひっそり暮らすようになった。司法局が世話した事務仕事をしていれば、出世はできないけれど、穏やかな日々を過ごせる。

 司法局は、彼女に違法な接触がないか監視を続けたけれど、彼女を妊娠させた男が、あるいは《フェンリル》の旧部下たちが、彼女を取り戻そうとすることはなかった。

 そのうち、彼女の過去を知らない男性が、溢れる善意で求婚した。

「あなたはいつも遠くを見ていて、寂しそうだ。ぼくと一緒に、賑やかな家庭を築きませんか?」

 彼女はいったん断ったけれど、やがて、その男性の熱意にほだされた。そしてルビーの指輪を、引き出しの奥深くへ仕舞い込んだ。

 彼女が辺境で受けた不老処置は、遺伝子を改変する恒常的なものではなかったので、妊娠と出産を禁じられることはなかった。今では元気な子供たちに囲まれ、楽しく忙しい毎日らしい。それでこそ、わたしたちが逮捕した甲斐がある。

 一方、リアンヌの抜けた《フェンリル》では、女性の部下が昇進して、商業部門の運営を引き継いだけれど、リアンヌほどの統率力はなかったらしい。

 やがて、アマゾネス軍団は解体され、リアンヌが集めた女たちは、どこかへ散っていった。元々、違法組織の中で、女たちのグループが力を持つこと自体、異例だったのだ。

 〝リリス〟は重犯罪者を追う日々の中、懸賞金リストの中で順位を上げ続け、とうとう第一位の賞金首になってしまった。何とか生き延びてはいるけれど、年に幾度かは、狙撃されたり、爆弾を仕掛けられたりする。

 でも、用心して暮らすことに慣れてしまえば、どうということはない。紅泉は強くて疲れ知らずだし、紅泉といられれば、わたしはそれで幸せなのだから。

   グリフィン編 完

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