恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』11章-2
11章-2 シヴァ
「もちろん、急に俺を好きになれというのは、無理だとわかってる。だが……親しくなるふりだけでも、できないか?」
ハニーは意表を突かれたようだ。
「演技しろということ?」
そんなに露骨に厭な顔をされると、俺も心がくじけそうになる。俺はゴキブリか、ナメクジか。少なくとも清潔は心がけているし、やたらと怒鳴ったり、ものを壊したりはしないでいる……つもりだが。
「イレーヌは、監視システムを通して、今も俺たちを見張っている。ビジネスだけの関係ではなくて、多少は個人的に親しくなった方が……その、彼女を納得させられるんじゃないだろうか。正直、俺もイレーヌの考えが全て読めるわけじゃないから、推測にすぎない部分もあるんだが……」
ハニーは疑惑の顔で、俺の真意を探っているようだ。
「彼女は最初、あなたを弟だと言ってたわ。後から、家族だとか親友だとか言い直した。本当は、どんな関係なの? なぜ、そんなにあなたのことを大事にするの?」
少年と飼い犬。だが、その犬は進化して、人間を超えた。今では、俺を飼っている。
そして奴の背後には、〝連合〟の最高幹部会。辺境の支配者たちは、犬から進化した超知性を、人間の俺よりも高く評価しているのだ。まあ、奴は俺なんかより何万倍も有能だから、それで当然かもしれないが。
この銀河で、ショーティがどれだけの自由度を持っているのか、俺にははっきりわからない。だが、少なくとも、ほとんどの中小組織は問題にしない程度の権力を預けられているはずだ。ということは、中央の市民社会のことも恐れていない。マックスが育てていた新興組織など、鼻先で吹き飛ばせる。
「話すから……どこまで遡るか、考えさせてくれ。俺はつまり……七十年ばかり生きて、あれこれやってきた」
それだけ生きても、ちっとも老成はしていないが。肉体が若いということは、精神も、そのエネルギーに駆動されるということだ。
あきらめるよりは、挑戦する。
待つよりは、出ていって迎え撃つ。
その俺が、よくも半年、ハニーが動くのを待てたものだ。それだけ、失敗するのが怖かったということだ。
「辺境で生まれて、違法組織の中で育ったから、市民社会のことはよく知らない。映画やニュースで学んだだけだ。イレーヌ……あいつとは、子供時代からの付き合いだ。今はあいつ、女の姿をしているが、あれは偽装というか、操り人形のようなものだ。本当の姿は、人間じゃない」
ハニーはけげんな顔だ。
「イレーヌが、本当は何だというの。異星人? 人工生命体?」
さあ、信じてもらえるか。だが、俺の粗雑な頭では、整合性のある、うまい嘘などつけない。本当のことを話す方が、一番ましだ。
「子供時代、俺は犬を飼っていた。ショーティという大型犬だ。最初はこのくらい小さかったから、ショーティという名でよかったんだ」
と、手で大きさを示した。
「あっという間に、五十キロもある大食らいに育ったけどな」
俺もまた、図体だけは大きくなった。エネルギーを持て余して、違法都市をバイクで走り回った。あちこち探検して回り、チンピラたちと喧嘩をし、アンドロイド兵の部隊とやり合った。一族がかばってくれた面もあるが、よくも無事で済んだものだ。
「俺は成人する頃、ぐれて家出して、その時にショーティを連れ出した……もう老犬になっていて、いつか若返りさせるつもりで、冷凍保存していたんだが……」
時間をかけて、俺は自分の過去を語った。場所を移し、昼食をはさんで、また移動して。
ハニーは最初、露骨に疑う顔をしていたし、何度も鋭い質問を繰り出してきたが、俺はほとんど事実を語った。従姉妹を強姦したという事実だけは、言いたくなかったので(そんな真似はもうしないと誓っても、信用されるはずがない!!)、つきまとって振られた、と脚色するに留めたが。
ハニーはまるで司法局の取り調べのように、俺の話の矛盾点を発見しようとした。だが、真実は突き崩せない。
とうとうハニーは、俺が〝初代グリフィン〟だったことを納得してくれた。世間で想像されているような、隙のない冷酷無比な大物ではなくて、落胆したような気もするが。
「イレーヌがあれだけ肩入れするんだから、普通の男ではない、とは思っていたわ。まさか、そんな大物とは思わなかったけれど」
呆れたように言われ、こちらは思わず、謝罪したくなる。
「ただの雇われ管理人だ。お次が見つかると、あっさり馘にされて、この始末さ」
ハニーは首を傾けた。無意識の仕草らしいが、真珠のイヤリングが揺れて光を添える。耳たぶは桜色で、柔らかそうだ。甞めたらきっと、甘いのではないか。あの唇も……もしも触れられるものなら……顔中にキスをして、喉もとへ下がり、胸の谷間に顔を埋めてみたい……
いかん。こんな邪念ばかりでは、見抜かれて軽蔑される。
「現在のグリフィンは、どういう人物なの?」
「それは、俺も知らない。最高幹部会は秘密主義だからな」
知識は力。上の組織は、下の組織にわずかな知識しか与えない。まして、組織から切り離された俺には、何の力もない。
「ただ、〝リリス〟は無事に活動しているようだから、グリフィンの任務はきちんと果たしているんだろう」
あるいは何か失策をして、三代目のグリフィンに交替しているのかもしれないが。
「とにかく、イレーヌは最高幹部会の意向で動いているのね……いえ、イレーヌじゃなくて、ショーティなんでしょうけど」
「慣れた名前で呼べばいいさ。あいつの〝端体〟は幾つもあるんだ。俺だって、全部は知らない」
しかしハニーの主な関心は、俺の過去よりも、自分の未来にある。甘い薔薇の香りが流れてくるテラスで、俺たちは何時間も話し込んだ。
「最高幹部会は、本当にわたしの事業を後援してくれるの?」
「ショーティが俺を番犬に起用するつもりなら、そうなんだろうな」
「でも、最高幹部会は、バイオロイドを五年で処分するべきという方針なんでしょう? わたしは、それには従えないわ。他の組織で捨てられる女たちがいたら、できるだけ引き取りたいもの」
女は強い。たとえ誰に睨まれようが、自分の望み、自分の意志を口に出せる。
男は常に、強い者の態度をうかがい、へつらってしまうのに。
「それこそ、最高幹部会がおまえを選んだ理由だ」
少なくとも、俺はそう思う。辺境に、冷酷な野心家はいくらでもいるが、高い理想を持つ者は少ない。なおかつ、そこに向かって歩み続ける能力を備えた者は。
「元々彼らは、バイオロイドを違法組織の主要な労働力として想定していたらしい。これは、ショーティの話だが。教育を与えて長く使う方が、絶対、能率がいいからな。しかし、組織を構成している男たちは、目先の欲に勝てない馬鹿ばかりだ。彼らはバイオロイドを、何でも言うことを聞く奴隷としてしか認識しなかった。彼らを娼婦や兵卒として粗末に扱ったら、反乱を招くに決まっている。バイオロイドにだって、生存本能はあるんだからな」
そういう反乱によって、幾つもの組織が自滅した。
だが、人間たちに叛旗を翻したバイオロイドたちも、ほとんど捕らえられ、処刑されてしまった。反乱の波及を恐れた、周りの組織によって。
「そこで人権重視の方へ行けばよかったのに、それができなかった。元々、市民社会の落ちこぼれ連中だからな。まともな者がいるにしても、辺境では少数派にすぎない。そこで、バイオロイドを五年で処分するという対症療法に流れてしまった」
そこまでが、不幸な歴史だ。ここからは、未来の話。
「そうしなくてもやっていける、その方が望ましいという実例を、おまえが辺境中に示してくれればいいんだ。そうすれば、ましな組織はそれに追従してくる。その数が増えれば、辺境の空気が変わるはずだ」
俺としては、そう願う。
最高幹部会がショーティを重用しているという一点に、俺はわずかな希望を懸けている。
奴は、俺と共に茜を育てた。茜を失った後は、共に悲しんだ。そのことをまだ、忘れてはいないはずだ。忘れたら、本物の怪物になってしまう。
「でも、実際には大多数の男が、バイオロイドの侍女や娼婦を必要としているわ。そのために辺境へ出てくると言っても、いいくらいよ。彼らが、その権利を手放すとは考えられない。そうやって酷使されたら、女たちは、身も心もぼろぼろになってしまう。それを治療するより、捨てて新しく製造する方が早い、と彼らは考えるわ」
とハニーは難しい顔で言う。
「もちろん、特権を手放さない連中がほとんどだろう。しかし、そういう女たちは、何とかして組織から逃げれば、おまえの《ヴィーナス・タウン》に保護してもらえる。その希望が広まるだけでも、かなりましだろう」
実際に組織から逃亡できる女は、ごくごく少ないとしても。百パーセントの絶望に、数パーセントの希望の光が射すのではないか。
「それじゃ、わたしの店が、女たちの駆け込み寺として、認めてもらえるのね? 駆け込んできた女は、元の組織に返さなくてもいいのね?」
たぶん……おそらく。この会話を、ショーティも聞いているはずだ。俺が間違ったことを言えば、介入してくるのではないか。
「それは、俺が防壁になる。抗議してきた組織を押し返すか、潰すかすれば、評判が広まるだろう」
そういう仕事なら、俺が喜んでやるはずだと、ショーティはよく知っている。だからハニーと引き合わせたのだ。そうだろう?
「おまえは、駆け込んできた女たちの世話をしてくれればいい。治療してやって、自分の下で働かせるなり、中央に亡命させるなり、好きにすればいい」
ハニーがそういう存在になってくれれば……俺も救われる。昔、茜やリアンヌに誓ったことを、少しでも実現させることになるからだ。俺自身の力ではなく、最高幹部会に利用される形になるのは悔しいが。
「そういうことなら……やってみるわ。やってみたい」
ハニーは燃えてきたようだ。頬が桜色に染まり、灰色の瞳が輝きだしている。最初は冷たい美貌だと思ったが、こうしてみると、熱い血の通う、情熱的な女だ。
ちらりと思ったのは、
(マックスという奴、本当に計算だけだったのか?)
ということだ。俺なら、こういう女を間近で見ていたら、心底惚れ込んでしまう。そして、何でもしてやりたくなってしまう。
マックスがハニーを単なる道具と思っていたなら、自分の組織が充実してきた時点で、切り捨ててもよかったはずだ。ぼろぼろになった奴隷女を引き取って保護したいなどと言う女、普通は面倒だと思うはず。
ハニーにかなりの開業資金を出したということは、マックスも、ハニーの真価をわかっていたのではないか?
それなら、いつか、ハニーを取り戻しに来るのではないか……もし、生きて自由の身であれば。
ショーティは確か、マックスを始末したと言っていた気がするが。才能のある若者なら、そう簡単に切り捨てはしないだろう。どこかに幽閉して、説得するなり、洗脳するなりしているのかも。それならいつか、マックスは再び力をつけて、俺に挑んでくるかもしれない……
「……ねえ、シヴァ、あなたのことを、事業の協力者として認めることはできるわ。友達にもなれるかもしれない。イレーヌは、それだけでは満足してくれないかしら?」
ハニーは真剣な瞳で問いかけてくる。
「多分な」
満足しないから、まだ俺たちをここから出さないのだろう。
だが、友達という言葉が出てきたことで、非常に救われた。少なくとも俺は、話のできる相手だと認めてもらえたらしい。
「友達では足りないのね。じゃあ、具体的には、何をすればいいと思う?」
「具体的って……?」
「カップルになる努力よ」
え。
「一緒に食事するとか、散歩するとかすればいいの? それとも、手を握るとか、お休みのキスをするとか? それ以上も必要?」
頼む。
そんなこと、俺に聞かないでくれ。
耳まで熱くなってしまい、どっちを向いていいやら、困り果てる。
こうして生身の女と一緒にいるのは、荒野に慈雨が降り注いだようなものだ。これまで溜まりに溜まっていたものが蘇り、ゆるんだ地面の下で、もぞもぞとうごめきだしている。ハニーに飛びかからないでいるだけで、けっこう努力しているのだ。
「こんなことなら、あなたに元の顔を知られない方がよかったわね」
とハニーが深刻そうに言い出したのには、いささか当惑した。どうやらハニーは、俺が『作り物の美女なんか、相手にできるか』と不貞腐れるように思うらしいのだ。
根本的に間違っている。
俺の目の前の女は、最高級の、いい女だ。
ハニーの元の姿だって、特別醜いというわけじゃない。面食いの男は寄り付かなかっただろうな、という程度のこと。何かのきっかけがあれば、ハニーを好きになる男はいただろう。
しかし、本人が思い詰めて笑わなくなり、暗く凍りついてしまったら、普通の男の手には負えなくなる。当時は、周囲の男たちに避けられて、ますます暗くなる、という悪循環だったのだろう。
あっけらかんと整形してしまい、何が悪いのよと開き直れば、それで済んでいただろうに。なまじ真面目だったために、辺境で人生をやり直すしかない、と思い込んでしまったのだ。
「あなたには、とんでもなく迷惑な話だと思うけれど、できる限り、協力してほしいわ……仲良くなる演技に」
「いや……迷惑という話じゃない。俺だって、ここから出たいのは同じだ」
「でも、わたしから話しかけなければ、ずっとわたしから逃げ続けるつもりだったんでしょ」
「それは……」
「いいの。気にしないで。わたしなんか、近づきたい相手じゃないんでしょう。それはもう、子供の頃からわかっているから大丈夫。近所中の男の子が、わたしを見ないふりして通り過ぎていったもの」
それを、科学的な真理のように言う。
「わたしだって、鏡を見るのが辛くてたまらなかったんだから……あなたがわたしを見たくないのは、よくわかるわ。〝本物の美人〟でなかったら、ただの災厄なのよね。男にとっては」
俺は言葉がつなげなかった。
(どうすりゃいいんだ、これは)
辺境では整形も、肉体の乗り換えも普通なのだから、過去の姿など忘れてしまえばいいのに。ハニーにとって、過去の自分は、永遠の呪いなのか。
俺の方は、なまじ手など握ってしまったら、それで自分の抑制にひびが入ってしまい、一気に弾けてハニーを押し倒しかねない。
自分をゴリラ女だと自嘲していたリアンヌだって、俺には心底から可愛い女だった。少しくらい大柄で筋肉質だからといって、引け目に思うことなどない。女だというだけで、男にとっては十分、愛らしく貴重な宝石なのだ。
ただ、どんな宝石が好きなのかという、趣味の違いがあるだけだろう。華やかなルビーか、理知的なサファイアか、神秘的なエメラルドか、穏やかな翡翠か。
俺の目には、ハニーは紅泉や探春より美しい。紅泉なんか自信過剰で図々しくて、がさつだし、探春なんか、聡明ぶった冷血女ではないか。あいつが心からの笑顔を向けるのは、紅泉だけなのだから。
「あなたに無理をさせるつもりはないから、安心して。先のことは、ゆっくり相談しましょう」
ハニーは俺を突き放すように言い、すっとテラスのテーブル席を立った。
「それじゃ、夕食の時にまたね」
ハニーが去った後には、花と蜂蜜が混ざったような甘い残り香が漂っている。虚脱感で突っ伏したくなったが、少なくとも、距離は縮められた。ここまでは、大成功と言っていい。これから先……もし、ハニーの防壁を突破することができさえしたら。
(ショーティの罠に、はまったな……)
自分でそうわかっていても、この先の展開を期待せずにはいられない。もしもハニーが、本当に俺を受け入れてくれたら……二人で力を合わせられたら……最高幹部会の許す範囲内だとしても、辺境に新しい時代が来るかもしれないのだ。
『ミッドナイト・ブルー ハニー編』12章に続く
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