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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-2

2章-2 アスマン

 機械の召使なんか、八つ当たりで壊しても意味がない。壊さないと約束すると、ナギと名乗った美形のアンドロイドは、俺を通路に連れ出した。

 どうやら、どこかの地球型惑星にあるリゾートホテルらしい。大きな窓の外には、波を立てた冷たそうな青い海と、いじけた緑の生えた灰色の海岸線が見えた。意識のないうち、こんな所まで運ばれていたとは。

 ここは大陸から離れた孤島で、島にある唯一のホテルは、俺たちが占有しているという。乗り物を奪って島から逃げたとしても、この星から脱出することは不可能だとナギは言う。

「ここには、あなたの母上の力は及んでいませんから」

 俺を捕まえた女たちには、しっかりした背景があるらしい。何しろ《フェンリル》の警備網を破って、俺を拉致してのけたのだから。

 おふくろは今頃、半狂乱で俺を捜させているだろう。それとも、父親の側の人間に、俺を拉致された可能性を考えているだろうか?

 もしかしたら、本当は父親などどこにもいず、培養工場か実験室で組み上げられた人工遺伝子から誕生したのかもしれない、と考えたこともあるのだが。

 俺はあてがわれた部屋で風呂に入り、じっくり温まりながら考えた。もし、あの大女の言うことが本当なら……彼女たちが、俺を仲間に引き込もうとしているのなら……しばらくは、様子を見てもいいかもしれない。

 わかるかもしれないのだ。俺の父親のことが。どんな奴なのか、まだ生きているのか、どこにいるのか。

 そんなこと、わざわざ突き止めようとは……あまり、思っていなかったが。

 風呂から上がると、鏡で自分をまじまじ見た。捕まった時にできた傷は、もうほとんど治っている。

 黒髪、黒い眉、黒い目。黄みがかった浅黒い肌。我ながら精悍なハンサムで、そこらの映画俳優より格好いいと思う。

 リザードの所の女たちが、俺をちらちら見たり、遠くでくすくす笑っていたりしたのは、俺が一人前になったら口説こう、と期待していたからだろう?

 背はまだ伸びるし、筋肉ももっとたくましくなるだろう。毎日、鍛えているからな。

 おふくろは俺のことが自慢でならず、何かといえば、恋人のようにべたべたまとわりついてきた。

 仕事の上では十分、有能で冷徹なのに、俺のこととなると、溺愛を反省しないのだ。リザードが制止してくれなかったら、今でもまだ、俺を自分のベッドで寝かせようとしていただろう。

 俺はもう、十五だぞ。

 昔なら、元服している歳だ。正しい母親なら、俺を独り立ちさせようとするはずではないか。

 それならば……俺を甘えたガキだと断定し、躾け直すと宣告したあの大女の方が、まだ健全なのではないか?

 用意されていた服を着ると(シンプルで上質だった。あの女たち、俺の好みがわかっているらしい)、居間からバルコニーに出てみた。この部屋は、建物の三階の位置にある。建物のすぐ下は、切り立った崖と狭い砂浜。海から吹き上げてくる風が冷たい。冬に近い気候だ。しかし、おかげで頭が冴える。

 ――おふくろはやはり、俺の父親に捨てられのか。

 わかる気がする。べたべた甘えまくって、男をうんざりさせるタイプだからな。捨てられて悔しくて、その分、親父そっくりに育った俺にまとわりついていたわけか。

 俺を母親べったりのマザコン息子に仕立てられたら、たぶん、おふくろの勝ちなのだ。自分を捨てた男への、復讐のようなもの。

 その想像は、過去にもしてきた。だが、確証がなかった。今は、その想像の輪郭がはっきりしてきた感じだ。

 だから、もしかしたら、これはチャンスなのかも。

 このままリザードの部下になるのも悪くはないが、それでは、おふくろの影響下から抜けられないし、先が見えすぎていたからな。これが何かの罠だとしても、乗ってみるのは面白いんじゃないか。

 山盛りのハンバーガーとフライドポテト、サラダ、コーヒーの差し入れを運んできたナギが、説明してくれた。

「この島の中でしたら、自由に歩かれて構いません。水泳も、沿岸ならばご自由に」

 いや、この冷たそうな海で、長時間泳ぐ気はしない。泳いで逃げ出す気もないし。どうせ、途中で捕まるだろ。

「お食事は、ここへ運ぶこともできますし、下の食堂においでになっても結構です。とりあえず、自由にお過ごし下さい。着替えなど、必要なものは揃えてございます。足りないものがあれば、お申し付け下さい」

 客人待遇の囚人か。いいだろう。体内の爆弾があるから、無茶をするつもりはないが、散歩やランニングくらいはできるだろう。

   ***

 翌朝、俺はまだ暗いうちに叩き起こされた。自由に過ごせと言われたのは、昨日だけのことなのか。

「おいで、一緒に走ろう」

 昨日の大女が、髪を一つに束ね、ジョギング姿で俺を待っている。彼方に見える岬の突端まで走って、戻ってきてから朝食にするそうだ。

 追い立てられるようにして、ベッドから出た。いつもは裸で寝るのだが、用心のため、下着を着ていてよかったと思う。ナギが出してくれたトレーニングウェアを着て、ランニング用のシューズを履く。

 天気は肌寒い薄曇りだ。海岸を走るのはいいが(昨日のうち、走って島を一周してきて、様子はわかっている。他に建物は一軒もない)、なぜ、この女の後に付いていかなけりゃならないんだ。

(見てろよ。本気で走ったら、どれだけ速いか)

 俺は女を追い越し、前に出た。快調だ。顔に冷たい風を受けるのが、気持ちいい。

 左手首と、心臓の横に仕掛けられた爆弾のことは、今は気にしない。俺が脱走や反抗をしなければ、それでいいのだろう。

 岬にさしかかると砂浜は消え、波の打ち寄せる岩場になった。俺は岩から岩へ軽く飛び移り、突端を目指した。振り向きはしなかったが、女は、はるか後方に置き去りにしてきたはずだ。

 ところが、岬の突端で折り返すために振り向くと、女は、すぐ後ろに付いてきているではないか。そして、にやっと笑うと身を翻し、

「追い越してごらん!!」

 と言い残し、彼方のホテル目指して走っていく。

 ――そんな馬鹿な。俺は最高水準の強化体だぞ。

 おふくろもリザードも、そう言っていた。さすがに銃弾には勝てないが、素手の戦闘なら、戦闘用アンドロイドだって叩き壊せる。それが、これだけの距離を走ってきて、女を引き離せないとは!?

 俺は本気で走った。岩から岩へ、最短距離で飛び移った。砂浜でも、疾走した。なのに、前を行く女に追いつけない。

 そんなことがあるのか。何かインチキがあるんじゃないのか。

 追い付けないどころか、どんどん引き離されていく。信じられない。

 いや、待てよ。

 もしかしたら、俺は自分で思っていたほど、たいした強化体ではないのか。おふくろやリザードは、俺を世間知らずのままにしておきたかったのか。

 冗談じゃないぞ。甘やかされて自惚れていたなら、大馬鹿だ。

 俺が汗をかいてホテルに帰り着いた時には、大女は涼しい顔をして、海に面したサンルームで朝食のテーブルに着いていた。小柄な女が料理を並べ、コーヒーを注いでいる。少なくとも、食べ物は潤沢にある。

「お腹空いたでしょ。そこへお座り。食事したら、勉強を見てあげる」

 と大女。

 俺はかっとした。まるきり、子供扱いか。

 しかし、空腹には勝てない。とりあえず、再勝負は食ってからだ。

 席に着くと、ナギが給仕してくれた。クロワッサン、パンケーキ、ベーコンエッグ、温野菜を添えた数種類のソーセージ、海藻サラダ、ヨーグルト、果物、コーヒー。

 俺も大食いだが、この大女も負けずに食うとわかった。かなりの強化体だ。甘く見るのは大間違いだと、ようやく腹に落ちてきた。俺が脱走するとしても、こいつより強くなってからでないと、とても無理そうだ。

 その後、俺に数学や物理や歴史などの試験問題を解かせ、採点し、新たな課題を出して寄越したのは、小柄な女の方だった。いかにも厭そうな、冷ややかな態度のまま。

 子供が嫌いなのか、それとも俺個人が嫌いなのか。

「あなたの年齢なら、一日にこれくらいの量はこなせるでしょう。明日の朝食後に、また試験をします。合格したら、次の課題を出しますからね」

 顔は綺麗だし、態度は上品だが、おかげで一層冷たく見える。もし、今日中にこの課題をこなせなかったら、俺が馬鹿か怠け者のどちらかだ、みたいな言い方をするのだ。これならまだ、あの大女の方がましだ。

 悔しいから、猛然と課題に取り組んだ。かなり高度な内容だ。本気でかからないと、終わらない。

 夕方になって、やっと勉強から解放されると、俺は海岸に出た。もう一回、走っておこう。これまであまり、砂地や岩場を走ったことがなかったからな。

 明日も競争させられるなら、今度は負けない。少なくとも、今日よりは差を縮めてみせる。

 岬まで走って戻ることを三回繰り返すと、ホテルの下の砂浜に大女がいた。俺を待っていたのか。

「負けず嫌いはいいことだわ」

 と笑っている。昼食時と同じ、紺のハイネックシャツとグレイのスパッツ。それに、革のジャケットを羽織っている。長い髪は束ねず、海からの風にそよがせている。客観的に見れば、かなりのいい女。

 気に入らないのは、俺を〝可愛い子供〟みたいに見る点だ。俺がこの女より強くなるには、あと何年あればいいのか。

「あのな、俺はまだ、あんたの名前を聞いてないぞ」

「あら、奇遇ねえ。あたしもまだ、きみの名前を聞いてないわ」

「俺のことは、とっくに調べたんじゃないのか」

「残念ながら、《フェンリル》がきみの後ろ盾だとわかっただけ。偶然、きみの姿がこちらの監視映像の中に映ったので、急いで飛んで来たのよ。きみの姿は、きみの父親そっくりだから。ただの他人の空似なら、それだけの運動能力はないでしょう」

 女に勝てない程度の能力だがな。そいつの名前は、シヴァだという。それだけは、俺に知る権利があると断言された。

 シヴァ。

 地球時代の神話に出てくる、神の名前だ。

 そいつが本当に、俺の父親なんだろうか。おふくろとは、どの程度の期間、付き合っていたのだろう。おふくろの態度からすると、相当、険悪な別れ方だったに違いない。

「きみの父親とあたしは、遺伝子的にかなり近いのよ。だから、あたしときみも、骨格が似てるでしょ」

 そうかもしれない。男と女の違いはあるが。

「だけどあんたは、俺より強いな。俺より進歩した強化体なのか」

 女に負けたと認めるのは悔しかったが、事実を否定しても始まらない。この女はおそらく、辺境で長い年月生き抜いてきた戦士だ。

「ううん。そうじゃない」

 あっさり否定された。

「強化体としては古いタイプだし、もう数年すれば、きみの方が強くなるわ。ちゃんと修行をすればね。今はまだ、正しい修行を積んでいないだけ」

 何だって。

 俺はこれまで、最高の教育を受けてきたはずだ。ちゃんとした教師について、学問はもちろん、空手や剣道の修業もした。射撃だってできる。実戦に関しては、確かに、最近、自己流で始めたばかりだが。

 ………いや、きちんと振り返れ、アスマン。俺にはまず、友達というものがいなかった。対等な競争相手がいなかったのだ。だからもしかして、低い水準で満足していたのかもしれない。教師たちは、おふくろやリザードに遠慮して、厳しいことを言わなかったのかもしれないし。

 冷や汗がにじんできた。まずいぞ、これは。まるっきり、甘やかされた馬鹿息子みたいじゃないか。

「あたしの指導を受ける気があるのなら、基礎から叩き直してあげるわ」

 大女のその言葉には何の気負いもなく、ただの〝親切〟しか含まれていないのがわかる。砂浜に、がくりと膝を着いてしまいそうだった。

 俺は、辺境の水準では、まだひよこクラスなのだ。

「男なんだから、戦うことには、あたしより向いているはず。あたしには戦闘の技術はあるけど、肉体そのものの強さは、きみの方が上よ」

 大女の言葉が、ゆっくりと染みてきた。素質はある、と言うんだな。努力さえすれば、この女に追いつき、追い越せると。

「本当は、きみの父親がきみを鍛えてやるべきなんだけど、行方不明だから仕方ない」

 希望が湧いてきた。反発もあるが、それより、強くなるのが優先だ。行方不明の父親なんか、どうでもいい。

「あんたの弟子にしてくれるってことか?」

 女はにやりとした。

「お師匠さまに対する礼儀は?」

 う。

 礼儀を守らないガキと思われたら、この海に叩き込まれるのは間違いない。食事を抜かれるかもしれない。

「お……俺を、弟子に、してください。お師匠さま」

「よろしい」

 くそ。今に見てろ。俺は強くなる。

 でないと、何も始まらない。

「あたしのことは、リリーと呼びなさい。本名じゃないけど、あんたはそれを知らない方がいいのよ。いずれ、《フェンリル》に戻るかもしれないんだし」

 まあ、名前はどうでも構わないが。

 もう一人の小柄な女の方は、ヴァイオレットだという。何か、どこかで聞いたことがあるような気がするが。どちらも、女としてはよくある名前だ。

「それじゃあ、リリー叔母さん。よろしく頼む」

 と言ったら、大女は憮然とする。

「叔母さんと呼ばれると力が抜けるから、やめてちょうだい」

 そういう点、何だか子供みたいだ。豪華な美人なのに。

「年増のくせに、年増だと認めたくないんだな」

 小声でつぶやいたのに、速攻で、ごちんと頭に拳固をくらった。俺に逃げる隙を与えず拳固を命中させるなんて(しかも手加減して)、確かにすごい。

「礼儀作法は?」

「し……失礼しました。リリーお姉さん……で、いいですか?」

「ただのリリーでいいわよ」

 自分で親戚だと言ったくせに。大人げない叔母さんだ。

   『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-3に続く

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