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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』1章-4 2章-1

1章-4 シヴァ

 俺はいつものように、朝早く目覚めた。馴染みのない部屋の、広いベッドの上だ。自分がどこにいるのか思い出すと、げんなりとしたが、とりあえず起き出して、軽い運動をする。

 足枷は鬱陶しいが、ストレッチや腕立て伏せくらいで爆発はしない。空手の型を繰り返しても、大丈夫だった。できたら後で、船内を走ろう。

 俺の動きを感知すると、灰色の顔をしたアンドロイド侍女たちがやってきて、あれこれと世話を焼く。熱いシャワーを浴びて、身支度した。強化体は基礎代謝が盛んなので、汗臭くなりやすい。運動も必要なので、一日に何度でもシャワーを浴び、着替えるのが習慣だ。

 まして、これから、複数の女と顔を突き合わせるとなれば。

 食堂で豪勢な朝食を食っていたら、ルワナが現れた。今朝は象牙色の上品なドレススーツを着て、水仙の花のように涼しげだ。

「おはようございます、グリフィンさま。何か足りないものはございますか?」

 上品な香水の香りをふわりと漂わせて、秘書の見本のようだ。

「特にない」

 着替えは寝室のクローゼットに詰まっていたし、食事も満足のいくものだ。米飯に味噌汁、出汁を入れて焼いた薄甘い卵焼き、何種類もの漬物、素揚げした野菜と焼いたハム、温野菜を添えた醤油味のステーキ、緑茶、果物。

 昔、最長老の隠居屋敷で育てられていた頃、よくこういう食事をしていた。茶の作法も教えられた。俺の育ての親は、地球から、自分の文化を運んできていたからだ。彼女は科学者集団を率いて辺境の宇宙を目指し、そこで違法都市を築いて成功した。それが一族の始まりだ。

 だが、俺が地球を訪れることは、生涯ないだろう。地球は、中央星域の市民社会のど真ん中にあるからだ。市民社会は、違法強化体を受け入れない。ごくわずかな例外を除いては。

「九時になりましたら、リザードさまの執務室にご案内いたします。それまで、何かご質問がありましたら、どうぞ」

「一つ確認したい。懸賞金リストを見せてくれ」

 ルワナは自分が持っていた紙製ファイルを、俺に差し出した。やはりだ。大物たちの名前の最後に、司法局の専属ハンター〝リリス〟の名前がある。電子ファイルでないのは、これがまだ機密事項だという意味だ。

「実は、昨夜は大事なことを一つ、あえて言い残していました。それを聞いたら、お眠りになれないだろうと思いましたので」

「それは、気を遣わせたな」

 皮肉で言っても、むろん彼女は動じない。

「最後の欄にあるハンターの〝リリス〟ですが……他の要人たちはほんのおまけで、この懸賞金制度の主眼は、〝リリス〟に市民の注目を集めることにあります」

 そらとぼけるのは、時間の無駄だろう。

「もう、知ってるんだな」

「はい。このお二人が、グリフィンさまにとって、大切な存在であることは」

 そうだろうよ。悪党どもは、人の弱みに付け込むのが得意なんだから。

 ***

 ここ数年、俺とショーティは、物陰からこっそり、従姉妹たちの活動を見守ってきた。そして、可能な限り援護してきた。彼女たちを狙う敵艦隊を、横から奇襲して無力化させたり。彼女たちが気付かずにいる毒物や爆発物を、こっそり無力化したり。

 最初はもちろん、驚き呆れた。根っから闘士の紅泉はともかく、おとなしい探春までが、悪党退治の仕事に乗り出すとは。

 だが、事実は事実。

 暴れすぎて、故郷の違法都市《ティルス》を追放され、あてのない武者修行の旅に出た紅泉に、親友の探春が付き添ったのが、ことの始まりらしい。たまたま別の違法都市で、活動中の捜査官を助けたことで、司法局とつながりができ、市民社会の側に立つ仕事を引き受けるようになったのだ。

 誘拐犯の追跡、拉致された被害者の奪回、要人暗殺犯の逮捕、違法組織とつるんだ民間企業の内偵など、仕事はいくらでもあるらしい。

 市民社会でおっとり育った、お上品な捜査官たちにはできないような過激なやり方が、違法組織がらみの事件では、大きな成果を上げたのだ。

 俺たちが彼女たちの活動に気づいたのは、たまたま取引のあった組織が、サイドビジネスで市民誘拐を企んだからだ。現役の科学者や技術者は、違法都市で高く売れる。子供なら、生体実験用に売れる。大人より、適応力や回復力が高いからだ。

 結果、その組織は、被害者救出に来た紅泉こうせんたちに叩き潰された。それを知った時、こちらは血の気が引いたものだ。

(冗談じゃない。そんな仕事、命が幾つあっても足りないだろうが!!)

 しかし、既に〝リリス〟は二十年近くも実績を積み上げてきたと知って、あきらめた。

 彼女たちが違法強化体なので、司法局は〝リリス〟の存在も業績も、一般市民から隠そうとしているが、紅泉はそれで構わないらしい。たぶん能天気に、

(あたしの天職)

 とでも思っているのだろう。

 最高幹部会の奴ら、よりによって、この俺に〝リリス〟を狩らせようとは。

 俺がまだ罪のない少年だった頃、彼女たちもまた無邪気な少女だった。笑いさざめいて、きらきらとまぶしく、生きた宝石のように美しかった。活発な紅泉こうせんも、淑やかな探春たんしゅんも。

 違法都市という特殊な環境ではあったが、俺たちは一族の大人たちに守られて、まっとうな道徳心を育てていた。

 紅泉は今もまだ、あの頃のままだ。そうでなくて、〝正義の味方〟などやっていられるわけがない。どんなに苦労して悪党を退治しても、一般市民には知られず、褒めてもらえず、司法局内でも異分子扱いされるのだから。

(こん畜生)

 深く息を吐き、密かに拳を握った。それでは、俺が何としても、グリフィン役をやり遂げるしかないではないか。そして、〝リリス〟暗殺を妨害し続けるのだ。

「……あの、一つ、誤解なさっていると思いますが、グリフィンさま」

「何をだ」

 俺がじろりと見ると、ココア色の肌の美女は、憐れみかと思うような表情で言う。

「最高幹部会は、あなたに〝リリス〟を守らせようとしているのですわ」

 何だと。

 意味がわからない。

「〝リリス〟は正義の側だぞ。悪の帝国から見れば、敵だろうが」

 楽しいことを聞いたかのように、ルワナは微笑んだ。正義とか悪とかいうのは、幼稚な区分だと思っているのだろう。

「〝悪の帝国〟から見れば、ハンターごとき、敵ではないのです。むしろ、利用価値があるのですわ。詳しくは、リザードさまからお聞き下さいませ」

2章-1 リアンヌ

「おはようございます、ジョルファさま」

 リザード専用艦内の豪華な大食堂に行くと、わたしの秘書のセレネと、護衛隊長のレティシアが顔を揃えていた。

「おはよう。わたしにもコーヒーを。砂糖はなしで、クリームだけ添えて」

 控えているアンドロイド侍女が給仕をする。リザードやルワナは自室で朝食を済ませるらしく、晩餐会ができるくらい広いテーブルには、わたしたち三人だけだ。

「今日はいよいよ、グリフィンと対決ですわね」

 とセレネは興奮気味だった。長い金髪を優雅に結い上げた、白い肌に青い目の美女である。今朝は若葉色のスーツに、金とエメラルドのイヤリングという、優美な秘書スタイル。

「少しはましな男でしょうか。それとも、鼻持ちならない自惚れ野郎かしら」

 とレティシアは面白がっている。こちらは短い黒髪に褐色の肌、黒い瞳の、精悍な筋肉質の美女だ。

 セレネが北国の湖に浮かぶ白鳥なら、レティシアは南国の密林で獲物を狙う黒豹だろう。迷彩柄の戦闘服を着て、腰にはホルスターを吊るし、背後にアンドロイド兵士を並べている。

 それでも、レティシアがほんのりと珊瑚色の口紅を塗り、真珠のイヤリングを付けているのは、グリフィンがいい男だった場合に備えての〝用心〟らしい。

 わたしと違って、二人ともまだ、男というものに多少の期待を残しているのだ。それは女の本能なので、咎めるつもりはない。

 アマゾネス軍団としては厳しい規律を保っているが、部下たちの私生活には干渉しない。世間ではそれを知らず、男嫌いの歪んだ女たちの集まりと思っているようだけれど。

 勝手に怯えているがいいのだ。その怯えも、わたしたちが利用する。

「さあ、わたしも昨夜は、顔を見ただけだった」

 野生の狼のように油断のない男。わたしが誰かを悟った時は、さすがにシヴァも、不敵な顔に、恐怖と嫌悪を浮かべたが。

 リアンヌ・ルナン――軍から脱走して違法組織を築いたが、恋人に裏切られて売り飛ばされ、違法ポルノに使われていた女。そして、そこから這い上がり、かつての恋人を去勢して、死に追いやった。世の多くの男たちには、鬼女と思われているだろう。

 しかし過去はもう、どうでもいい。リアンヌという名を思い出すことも、少なくなった。今のわたしはジョルファ。違法組織《フェンリル》の幹部。アマゾネス軍団の長。

 昨夜、セレネたちはこの船で待っていたので、グリフィンの威信を守るため、彼が裸で檻に入れられていたことは、あえて言わないでおく。〝連合〟にとって、中小組織のボスを捕獲することくらい、容易いことなのだ。

 ただ彼に関しては、シヴァという名前を含め、セレネにもレティシアにも語れないことが色々あった。違法組織では、地位によって、許される知識の範囲が異なるのだ。

「なかなか渋いハンサムでしたわ。中身がまともだと、助かりますけど」

 と期待顔のレティシア。昨夜、護送されてきた彼を、通路の監視モニター経由で見たのだろう。

 わたし自身はもはや男を必要としないが、セレネやレティシアは健康な女だ。彼女たちの下にいる、数百名の部下たちも。だから彼女たちには、私的に交際する男がいてもいい。万が一、その男に騙されたり、利用されたりして、組織に損害を与えることになったら、どう責任を取るかは、わきまえているはず。

 セレネはヨーグルトであえた果物を食べながら、楽しげに言う。

「最高幹部会に抜擢されるんですもの、切れ者には間違いありませんよね」

「少なくとも、自分一代で、そこそこの組織を築いた実力はある」

 とわたしは認めた。老舗組織の中に生まれながら、そこを飛び出して、独力で生きてきたという男。他人を信用しないらしく、相棒は何と、自分で知能強化した犬だという。

 眠らされた犬を見た時の彼の動揺は、演技には見えなかった。いくら人間並みに賢くても、犬に頼るとは、問題ありだと思うが。

 リザードの説明によれば、もっと奇妙なことがある。かつてシヴァは、娼館から買い取ったバイオロイドの娘を本気で愛していた、というのだ。

 当時、最高幹部会の指示を受けたリザードが、試しの攻撃をかけた時、シヴァは、茜と名付けたその娘を失った。彼にとっては、しばらく立ち直れないほどの打撃だったという。

 本物の愛情だったのかどうかは、怪しい。男たちはしばしば、独占欲や支配欲を愛情と呼ぶ。

 とにかく、それ以来、シヴァは《フェンリル》を自分の敵と見なし、報復の隙がないか、あれこれ調べて回ったようだ。

 彼の組織はまだ弱小だったから、百年以上の歴史を持つ《フェンリル》に正面から挑むなど不可能だったが、今後は違う。これからグリフィンとして力を付けたら、何か企むかもしれない。それは、警戒しておくべきだ。

「楽しみですね。彼が不適格とわかれば、ジョルファさまが、グリフィン役を引き継ぐのでしょう?」

 とオレンジを食べながらのレティシア。

「そう簡単に、失策はしないだろう。そのために、ルワナが付いている」

「ルワナさんて、あちこちの組織を経由してきたベテランなんでしょう?」

 というレティシアの問いに、年長のセレネが答えた。

「三年くらい前に、下部組織から引き抜かれて、リザードさまの秘書室に入っているわ。今では、秘書室の中でも中堅の扱いよ」

 現在は、わたしが組織のナンバー2の地位にあるが、もし、わたしが大きな失敗をして失脚しても、ルワナはリザードの信頼厚い秘書であり続けるだろう。それならば、実質的な地位は、わたしより彼女の方が上かもしれない。

「その人を秘書に付けたんだから、リザードさまとしても、本気でグリフィンを応援するおつもりなんでしょう」

 とレティシア。

「もちろん、我々もグリフィンに協力する……彼が無能とわかるまでは」

 だが、実際には、彼自身の能力や適性など、ほとんど関係ないだろう。大抜擢の理由の八割方は、彼が、司法局の秘密兵器と言われる〝リリス〟の従兄弟だからだ。

 彼女たちもまた、違法都市《ティルス》と、その姉妹都市を建設した富裕な一族の中で生まれた、最高水準の戦闘用強化体だという。

 だが、それは、セレネとレティシアには告げられない。シヴァと〝リリス〟の関係は、最高レベルの機密事項なのだ。

   『グリフィン編』2章-2に続く

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