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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』13章 14章-1

13章 紅泉こうせん

 結局、麗香姉さまの元へ向かえたのは、ミカエルを預けてから、四か月ほど後だった。

 一件片付けたら、また一件。

 大企業の研究所に職員として入り込み、違法組織とのつながりを洗い出したり。政治家を暗殺した実行犯を、辺境まで出張って逮捕したり。そういう任務の最中には、余計な連絡などするゆとりはなかったのだ。事後処理にも、それなりの手間はかかったし。

「やっほう!! ようやく、ミカエルに会えるわっ!!」

 航跡をくらましつつ、高速艦で姉さまの暮らす隠居屋敷に向かった時は、再会の感動を予期して浮かれきっていた。

 抱きしめて、頬ずりして、顔中にキスしたら、ミカエルはどんな風に反応するかしら!! 舌を入れるようなキスは、先の楽しみに取っておくけれど、唇の端にキスするくらいは、構わないはず!!

 ところが、《ティルス》の勢力圏が近づくと、姉さまからの伝言を持ったアンドロイド兵が連絡艇でやってきた。

『来るには及ばず。ミカエルは留守』

 という姉さま自筆のメッセージは、まるきり意味不明だ。

「留守って何よ、留守って!! ここまで来て、回れ右なんかできますか!!」

 あたしは憤然としながら、麗香姉さまの隠居屋敷がある小惑星に到着した。薔薇園を見渡すテラスには、いつも通りお茶の支度がしてあり、長い黒髪の美人が待っている。今日は翡翠色のワンピースで、金色の真珠のイヤリング。いつもなら惚れ惚れと眺めるところだが、今日はそれどころではない。

「姉さま!! ミカエルはどうしたんです!!」

 あたしが詰め寄っても、姉さまは泰然としたままだ。

「無駄足になるから、ここへは来なくていいと言ったのに。《ティルス》へ行って、ダイナと遊べばいいのよ」

「後で寄りますよ。だけど、あんなメッセージ一つであたしが納得するなんて、姉さまだって思っていなかったはずです!!」

「まあ、お掛けなさい。お茶でも飲んで、気を落ち着けて」

 あたしは慣れた木の椅子にどっかり座り、腕組みをする。横には、コーラルピンクのツーピースの探春が静かに着席した。探春は道中ずっと、あたしの浮かれようを、冷ややかな横目で見ていたのである。今度こそ、ミカエルとは相思相愛だというのに。

 バイオロイド侍女が、香り高い煎茶の茶碗を置いていく。一緒に和菓子も並べられたが、今は食い気は後回しだ。

「それで?」

 あたしが正面から見据えて尋ねると、黒髪の美人は静かに言う。

「ミカエルは、修行の旅に出しました。いつ帰るかは、まだわかりません」

 修行の旅ぃ!?

「何ですか、それ!! 大体、あの子の治療はどうなったんです!?」

「必要な治療は済ませました。もう、脳腫瘍で死ぬことはありません。今は、知り合いの組織に預けています。ミカエルには、そこでしばらく、実務の勉強をしてもらいます」

「実務って……?」

「組織の経営、他組織との取引、戦闘指揮、その他。辺境で生きていくための、基礎知識全般ね」

 そうか、そういうことか。姉さまの、教育者としての面が出たのだ。しかし、婚約者のあたしに何の断りもなく。

「あの子は、まだ子供ですよ? もう何年かは、姉さまの元で勉強していれば、それで十分じゃないですか」

 いくら賢くても、培養カプセルから出てきて、七、八年しか生きていないのだ。もう何年かは子供扱いされ、守られる権利があるはずだ。

 けれど、姉さまは確信犯の穏やかさで言う。

「本当の子供とは違うわ。技術者としての基礎知識を植え込まれて誕生しているのだし、人間に反逆して逃亡してきたのだから、立派な闘士です。おまけに自分の意志で、あなたの伴侶になると決めたのよ。それなら、あなたに相応しいことを証明してもらわなくてはね」

 そこか、問題は。

「あなたと連れ添うということは、つまり、わたしたちの一族の一員になるということですからね。あなた一人が惚れ込んでいても、それでは足りないのよ」

「それは、そうかもしれないけど……」

「そもそも、ミカエル本人の希望なのよ。あなたを守れる男になりたいから、一日でも早く、実務の勉強をしたいと」

 あたしを、守れる男になる。

 ずしんと胸に響いた。ミカエルが、そんな決心で動いてくれたなんて。それだけで、心がしっとり潤うわ。

 あたしを女と思ってくれる男なんて、この世のどこにもいないと、もう半分以上あきらめていた。なのに、六十五年近い、殺伐とした人生の中で初めて、この出会いを果たした。こんな奇跡、もう二度と望めない。

「ミカエルが一人前の男になるためには、外に出て痛い目に遭ったり、怖い思いをしたりして、経験を積まなくてはいけません。ここで毎日、花畑の中に座っているわけにはいかないわ」

 うう。子供の頃から、麗香姉さまには教え諭されるばかりで、本当に反抗できたためしがない。

「それなら、最初に、そう説明してくれればよかったのに……」

「そうしたら、あなたはミカエルが心配で、自分の任務に集中できなかったでしょう。あなたが先に死んでしまったら、ミカエルも、絶望の底に叩き込まれるのよ」

 ううう。ますます反論できない。探春は、澄ましてお茶を飲んでいる。もしかして、このことを知っていたのかも。

「とにかく、ミカエルは今日まで、立派に働いています。あなたが囲い込んで、甘やかす必要はありません。彼を信じて、このまま修行させておきなさい。区切りがついたら、会えるのだから」

「それって、いつです?」

「そうね。あと半年か一年くらいしたら、会わせてあげてもいいわ」

「半年ぃ!?」

「その後はまた、ミカエルは修行を続けますからね。邪魔してはいけませんよ」

「そんな!! それじゃあ、七夕並みじゃないですか!!」

 天の川、つまり銀河をはさんで引き裂かれている、伝説の恋人たち。あたしは、そんな悲惨なカップルにはなりたくない。

「七夕なら、会えるのは年に一度、たった一晩だけよ。あなたたちの場合、会えば三日か四日は一緒にいられるでしょう。それに、手紙を書けば、わたしが届けてあげます」

「接触は、たったそれだけですか!?」

 あたしはほとんど、半泣きだったと思う。そんなに長く離れていたら、ミカエルが他の女に目移りしてしまうではないか。

 だって、あたしとミカエルは、まだほんのわずかな日数しか、一緒に過ごしていないのだ。あたしと探春の間にあるような強固な絆は、ミカエルとの間には、まだ育っていない。

 けれど、姉さまは端然として、揺るぎもしなかった。

「ミカエルが一人前になるまでの、ほんの何年かの辛抱ですよ。男の修行に、女は邪魔でしょう。ミカエルが自信をつけたら、あとは彼の判断で行動すればいいのだから」

 あたしはすっかり、意気消沈してしまった。ここから半年、一年、会えなくても、ミカエルは、あたしのことを思い続けてくれるかしら。

(まさか、これきり、なんてことはないよね)

 あたしは、お守りにしてきたエメラルドの指輪を眺めた。任務中は外していたけれど、ここへの旅では指に戻して、昼も夜も、にんまり眺めていたものだ。

 ミカエルはこれから、たくさんの女に出会う。そして、より広い世界を知る。あたしみたいな厄介な女を伴侶にするより、もっと穏やかな女とひっそり暮らす方がいい、なんて思ってしまうかもしれない。

 市民社会には戻れないとしても、うちの一族の庇護があれば、《ティルス》やその姉妹都市で、安全に暮らしていけるのだ。

(こんなことなら、ミカエルと一緒に薔薇のお風呂に入っておけばよかった……遠慮なんかせず、本物のキスをしておけばよかった……)

 ミカエルが青年になるのを待つ余裕なんて、あたしには、なかったのかもしれない。じわじわと、悲しい予感が湧きつつある。もう二度と、そんな機会は訪れないような……

 ううん、だめ。

 悲観は、よくない運命を招く。

 ミカエルの愛情を信じて、ゆったり構えていればいいのよ。あたしたちは、運命の出会いを果たしたのだから。修業期間なんて、あっという間に過ぎるわ。

 それなのに探春は、涼しい顔で言う。

「ミカエルはきっと、女性にモテるわね。あのまま成長したら、素晴らしい美青年になるでしょうし」

 くそう。

 今回もまた、あたしの失恋に終わると思っているな。自分が男嫌いだからって、あたしの恋愛まで、軽蔑の目で見なくてもいいじゃないのさ。

 ミカエルはまだ子供だけれど、これまで出会ったどの男より、あたしの理想に近いと思う。というより、どんな男が理想なのか、これまでのあたしにはわかっていなかった。ミカエルに出会って初めて、

(こういう風に接して欲しかったんだ)

 と納得できた気がする。外見が上品で好ましいとか、行動がスマートだとか、そんな表層的なことではなく、ミカエルとは魂が通じ合うのだ。

 何を愛し、何を嫌うかの感性が似ていると言ってもいい。ミカエルがあたしを愛しいと思い、守りたいと願ってくれること、それがあたしを幸福にする。

(女でよかった)

 と素直に思えるのだ。闘うだけの人生では、あまりにも悲しいもの。

 お願いだから、どこでどんな経験をしても、前のままのミカエルでいて。あたしに再会したら頬を染めて、きらきら輝く瞳で見上げてきて。

 会えなくても、あたしはあなたを愛し続けるから。

14章-1 ミカエル

 ジャン=クロードの組織に取り込まれてから、あっという間に日々が過ぎた。

 最初のうちは、用を言いつかって外出する度(必ずアンドロイドの護衛兵に囲まれているので、迂闊に脱走は試みられない)、麗香さんの部下に捕獲されはしないかとひやひやしたが、やがて、そんな心配をすっかり忘れてしまったくらい、忙しい。

 《ラピス》など、聞いたことのない小規模組織だったが(宝石のラピスラズリから取ったらしい)、急速に拡大しているのは確かだ。新規採用者の面接、小惑星工場や拠点ビルの買収、他組織との業務提携など、ジャン=クロードは精力的に飛び回っている。

 彼自身に急ぐ素振りはないのに、いつの間にか、業務が進行しているのが不思議なところだ。もしかして、いや、もしかしなくても、ものすごく優秀な男?

「ミカエル、外出の供をしろ」

「ミカエル、会議用の資料を整理しておけ」

「ミカエル、ユンに付いて買収予定の土地を見てこい」

「ミカエル、アフマドから銃器の扱いを習っておけ」

 ジャン=クロードの命令を受けて走り回っているうちに、違法都市の季節は春の盛りを過ぎ、まばゆい初夏に向かう。

 セイラがぼくに、夏用の涼しいスーツを用意してくれた。毎日の食事も、個室の掃除や寝具の入れ替えなども、全てセイラが采配してくれる。彼女に任せておけば、生活面では何の心配もない。

 金髪に染めた髪の根元からは、すぐに元の茶色が見えてしまうので、ぼくはいつしか染め直しをやめてしまった。周囲の誰も、ぼくの髪の色など気にしないようだし。

 ぼくは首席秘書のユンの助手として、組織内の業務連絡や、各部署からの報告の取りまとめ、幹部会議の準備などを任されていた。会議用の資料を揃えたり、他組織の情報を集めたりもする。

 組織の引っ越しも経験した。最初に暮らしていた雑居ビルの数階分では手狭になったので、《ラピス》は別のビルを丸ごと買い取り、改装した上で、そちらに移ったのだ。

 辺境の中心都市である《アヴァロン》市街のことであるから、中古ビルとはいえ、かなりの値段なのだが、ジャン=クロードには、何かいい資金源があるらしい。積極的に、他組織の事業を買い取ったり、輸送船団や、それを守る護衛艦隊を強化したりしている。

「ユン、新人を十人ばかり採用するぞ。広く募集をかけておけ。それから、工場の監督と艦隊指揮官に向いている者を、何名かずつ選抜する。候補者リストを作れ」

「アフマド、艦隊の戦闘訓練を監督しろ。新入りどもの能力を見るから、敵味方に分けて模擬戦闘をさせろ」

「ミカエル、《アストラ》の内情について調べておくんだ。あそこの小惑星工場を手に入れたい。できれば、人材も一緒に引っぱりたい。幹部連中の反目が利用できないか、当たりをつけておけ」

「セイラ、来週末にホテルで接待パーティをやる。これが招待客のリストだ。ユンと相談して、ホテル側と打ち合わせをしておけ」

 安手のホストのようなジャン=クロードの外見は、ただの韜晦だということがわかってきた。飄々と振る舞っていて、実は相当な切れ者だ。

 空威張りはしない。無駄な命令は出さない。視野が広く、事態を先まで読んでいる。

 ぼくやセイラのようなバイオロイドにも、大きな仕事をぽんぽん投げてくる。もちろん、彼自身がきちんと経過を追い、最終チェックをしているが。

(仕事をさせて部下を育てる、という方針なんだな)

 ユンやアフマドの指導がいいので、初めての仕事でも何とかなる。新規に集められた人間の部下たちも、それぞれに有能である。ぼくが彼らに何か指示することになっても、

(バイオロイドのくせに、生意気な)

 という態度は見せない。それどころか、中核スタッフの一人と見てくれ、礼儀正しく接してくれる。辺境では、希有なことだ。人間とバイオロイドが、肩を並べて働けるなんて。

 そもそも、この《ラピス》には、たまたま拾われたぼくとセイラ以外、バイオロイドがいない。普通、男の構成員は、それぞれ好みのバイオロイド美女を『息抜き用』に抱えているものだが、ジャン=クロードからは厳命が出ていた。

『生涯にわたって、その女に責任が持てない限り、バイオロイドの所有は禁じる』

 というのだ。普通、バイオロイドは長くても五年で処分し、新しいバイオロイドを買い入れる仕組みだから、これは例外的に厳しい規則だった。人間の男女でも、長く連れ添うのは難しいのに、奴隷であるバイオロイドの生涯に責任を持つなんて、辺境の男にできるはずがない。

 それで、みんなバイオロイドの個人所有はあきらめ、必要な時に外部の娼館を利用する、という形になっている。あるいは、他組織にいる人間の女性を口説いて、デートに持ち込むか。

 組織内にはユンとセイラの他にも、何人か女性が増えたが、男たちが彼女たちを口説くことは『奨励されていない』。たとえ自分にその気があっても、彼女たちから口説かれるのを待て。口説かれなければあきらめろ、というのがジャン=クロードの基本方針なのだ。

 ジャン=クロード自身も、愛玩用の女は抱えていない。彼が外で女を買って息抜きしているのかどうか、そこまでは知らないが……

 もちろん、娼館の存在自体、市民社会から見れば許せないことだろう。しかし辺境では、当たり前の娯楽として存在している。その利用まで部下たちに禁じることは、さすがにジャン=クロードも、無理だと思うのだろう。

 彼の身の回りの世話は、セイラがいそいそ行っているだけだ。もちろんセイラは、彼に何の手出しもされていない。

 それは、傍で見ていてわかる。セイラは安心しきったまま、ジャン=クロードに対して純粋な思慕を保っている。それはもう、リリーさんを想うぼくに遜色ないくらい。

「ジャン=クロードさま、明日の夕食は何がよろしいですか?」

「そうだな、最近、餃子を食べてないかな」

「この前は、水餃子でしたね。今度は、焼き餃子にしましょうか?」

「ああ、それがいいな」

「わかりました。では、特製のタレを用意しておきます。お腹を空かせて帰ってきて下さいね!!」

 そんな遣り取りは、傍で見ているだけでも微笑ましい。セイラのためだけでも、ジャン=クロードに長生きしてほしい、と思ってしまう。

 新たに《ラピス》に加わった女性の技術者や警備要員も、バイオロイドの小姓を持つことはなく、気晴らしには、それぞれ適当な人間の男を利用しているようだ。辺境において、数少ない人間の女性の場合、男はよりどりみどりであるから、問題は生じない。振った男が、ストーカーに転じない限り。

(もしかしたら、ぼくは……とてつもなく優良な組織に拾われた!?)

   『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-2に続く

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