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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』1章-2

1章-2 ハニー

 それ以来、マックスからの贈り物は、少しずつ高価になっていった。宝石を散りばめた、金細工のペンダント。大粒の真珠のイヤリング。華やかなスカーフ。上品なプラチナの指輪。

 どれも美しすぎて、わたしには似合わないのに、断ったら川に捨てられると思うと、耐えられない。

「大事にするわ」

 と言わざるを得ない。最初は身につけるのが怖くて、何日も室内で練習してから、やっと外につけていったものだ。そのうちに、面と向かってわたしを笑う人はいないと納得し、少しは気が楽になったけれど。

 マックスは、わたしにこれらの品が似合うと、本当に思っているのだろうか? それとも、贈ったという事実だけで満足なのだろうか?

 学生課で紹介されたアルバイトに行く時も、彼が車で送り迎えしてくれた。断っても、どうせ帰りには待ち構えている。断るより、素直に乗る方が疲れなくて済む。そういう様子を見ている周囲の娘たちは、深い吐息と共に言う。

「いいわねえ……」

「理想の王子さまじゃない」

 違う。

 絶対違うのに。

 故郷にいる時、妹二人の元へは、よく男性からの贈り物が届いた。彼女たちをパーティやドライブに誘う若者も、たくさんいた。

 でも、わたしには別世界の出来事だった。

 子供時代に仲良しだった近所の男の子でさえ、思春期になると、わたしには声をかけなくなった。それどころか、わたしの姿を見かけようものなら、大回りして視界から消えていった。

 だからわたしは、異性には何の関心もないふりをして、勉強に励んでいた。妹たちがボーイフレンドと出かける姿を見ても、何とも思わないふりをした。そして、ただひたすら、家を出ていける日を待ち望んでいた。

 大学を出たら設計の仕事をして、家やビルや公園を造る。休日には、自分の設計した家で過ごす。庭では、たくさんの花を育てる。

 結婚なんか、望まない。

 誰も、わたしに構わないで。

 同情されたって、何の役にも立たないのだから。

 ――わたしは別に、怪物のように醜悪というわけではなかった。それならば両親が、幼いうちに整形手術を受けさせてくれただろう。

 けれど、わたしの容姿は、人には必ず同情を呼び起こした。

(まあ、女の子がこんな顔で)

(これでは年頃になっても、ねえ)

 拗ねたような、恨みがましいような、珍妙な顔。

 無心に遊ぶ妹二人を見て、目を細める大人たちが、少し離れて読書しているわたしを見た途端、表情を凍らせる。それから懸命に、褒め言葉を探す。物静かだとか、落ち着いているとか、礼儀正しいとか。

 優しい母や、思いやり深い祖母たちも、わたしには、意図的に地味な服を着せた。紺や灰色、ベージュや深緑。妹二人がよく着せられていたような、赤やピンク、まぶしい白の華やかなドレスは、わたしの醜貌を悪目立ちさせるだけだったから。

 もちろん現代の技術なら、美容整形は容易い。ちょっとした手術で、いくらでも綺麗になれる。けれど、そんな安易な解決を許さない掟が、この世にはある。

『人間は顔ではない』

 という、市民社会の強固な建前だ。

 わたしは、その建前の威力を知っていた。遠い親戚に、悲惨な実例があったから。若いうちに美容整形などしたら、一生、心ない噂につきまとわれるのだ。

 ――整形に頼るなんて、可哀想な娘。美しい心を持っていれば、それが自然に、その人を輝かせるのに。

 お体裁も、いい加減にしてもらいたい。不細工なまま青春時代を過ごす娘が、毎日、どれほど世界を呪っているか。

 わたしだって、何度も考えた。ナイフを持ったまま、階段から転がり落ちようか。顔をざっくりえぐったら、治療のついでに、少しはましな顔に直してもらえるかもしれない。転んだふりをして、キャンプファイヤーの炎に頭を突っ込むことすら考えた。

 でも、できなかった。

 怪我が恐ろしかったのではない。それほどまでに悩んでいる、それを人に知られることこそ、一番恐ろしいことだったから。

 民族間の混血が進み、整った容貌の人々が増えているからこそ、標準に達しない者の孤独は深い。

 たとえ遠くの星へ引っ越してから整形しても、家族や親戚との縁は断ち切れない。やむなく出席した冠婚葬祭の場で、親戚中の話題になり、同級生にも職場関係者にも知られてしまう。そして、ささやき交わされるだろう。可哀想に、彼女、やっぱり顔のことを気にしていたのね、と。

 ――美しい心があれば、内側から輝くですって!?

 わたしの妹たちは、男の子がデートで何かへまをしたと言っては、冷酷に罵っていた。プレゼントがけち臭いと、陰で嘲笑っていた。それでも彼らはせっせと妹たちにつきまとい、お世辞を言い、贈り物を積み上げていたではないか!! 美人を連れ歩いたら、自分の価値が上がるから!!

 ――男になんか、何の期待もしない。

 クリスマス・パーティだろうが卒業パーティだろうが、わたしは、お義理の相手にしか踊ってもらえなかった。彼らは心優しい姉や妹に頼まれていたから、わたしが壁の花にならないよう、一曲か二曲踊って義理を果たすと、ほっとしたように離れていった。

 間違ってわたしに好かれてしまったら、大変な災厄だから。

 だからわたしは、出席せざるを得ないパーティでは、裏方の雑用を引き受けて走り回ることにしていた。忙しくしていれば、落ち込む暇などない。

 男たちは好きなだけ、可愛い娘、綺麗な娘をちやほやしていればいいのだ。わたしは勉強して、望む職に就き、自分の人生を築く。男なんかと、何の関係もなく。

   ***

 それなのに、マックスと知り合って半年が過ぎる頃には、わたしは、彼の運転する車の助手席に慣れてしまっていた。わたしの隣でしゃべりたいのなら、しゃべらせておけばいい。食事やドライブに連れて行かれても、

(まあ、不釣り合いなカップルね)

 という目で見られるだけで、実害はない。

 大学内でも、いつしか公認のカップルとして扱われるようになったけれど、いったんその状況に慣れてしまえば、どうということはなかった。噂されるとしても、好意的なものだ。わたしを選んだマックスの見識が、讃えられるだけ。

 マックスにとって、不細工な連れは、

『自分は、容姿で女を選んでいない』

 という〝人格の証明〟になるのだ。どうしてわざわざ、そんな証明がしたいのか知らないけれど、それで彼が満足するなら、わたしは別に構わない。

 決まった相手がいるというのは、便利なことだった。大学内で色々なパーティに誘われても、断る口実を探さなくて済む。壁の花になる心配がないなら、賑やかな場所にいることにも耐えられる。どうせみんな、自分が好きな相手しか、眼中にないのだから。

 ところが、それで、わたしが心を許したとでも思ったのか。

 ある雨の土曜日、レンタル車でわたしをドライブに連れ出したマックスは、山越えの寂しい道路で、枯草に覆われた空き地に車を乗り入れると、わたしにキスしてきた。助手席の上に身を乗り出してきて、わたしに覆いかぶさるようにして。

「大丈夫だよ、怖くない。きみは、じっとしていればいいから」

 そして、シートの背を倒してくる。

 普通の娘なら、そんなことは、十五か十六の頃に経験済みだろう。でも、わたしはパニックを起こし、遮二無二もがいて、車から飛び出した。そして、山の中のドライブ道路を必死で走りだした。本降りの冷たい雨で、全身ずぶ濡れになりながら。

 ――馬鹿にされている。

 他の男には絶対相手にされない娘だから、自分に感謝して、何でも言いなりになるだろうというわけ。

 あいつ、澄ました顔をして、わたしの首から下を狙っていたんだわ。わたしのボディは完璧だもの。長い首も、豊かな胸も、くびれた胴も、すらりとした脚も。

 だからこそ、この肉体を一生、地味な服に隠しておかなければならないことが悔しかった。この顔とセットでは、どんな素晴らしい肉体も、役に立たない。

 彼は、だから『自分が利用してやる』と名乗りを上げたのだ。わたしには、断る余地などないと踏んで。

 山間の道路には、ほとんど車が通らなかった。マックスが追ってこないとわかると、雨の中を走る気力は薄れ、とぼとぼ歩きになった。左右はうっそうと茂った森だから、雨宿りに踏み込む気もしない。

 冷たい雨のおかげで、惨めな涙が隠された。

 ――あんな男、もう二度と相手にしない。

 いいえ、向こうが寄ってこないだろう。あれほど贈り物を積んだのに、全て無駄だったと後悔して。彼とわたしがカップルだったことなんて、大学のみんなも、そのうち忘れてしまうだろうし。

 ようやく気持ちが落ち着くと、手首の端末で無人タクシーを呼んだ。一番近い位置にいる車が、十分か十五分で来てくれるはず。部屋に帰ったら熱いシャワーを浴びて、何もかも洗い流してしまおう。たぶん、これが最初で最後のキス体験だろうけど。

 老女になった頃、そんなこともあったと、懐かしく思い出すかしら?

 雨の中に無人タクシーが見えた頃、後ろから、ぐいと肩を掴まれた。ぎょっとして振り向いたら、濡れねずみのマックスが立っている。自分も車を降りて、徒歩で追ってきたというの!? しかも、いつもの彼に似ず、笑いのかけらもない顔で。

「謝らないよ」

 開口一番の台詞が、これ。

「悪いことをしたとは、思っていない。きみの方こそ、分かりが悪すぎる。いい加減、ぼくが本気だと信じてもいいだろう!?」

 わたしは彼の手を振り払った。信じるかどうか、という問題ではない。わたしは知っているのだ。自分が醜いこと。男という男は、わたしの顔を見たら萎えてしまうこと。

 わたしはだから、そういう世界で、何とか生き延びていこうとしているだけ。ちょっかいを出してくる方が悪い。

 目の前に停まったタクシーに乗ろうとしたら、マックスはわたしを捕まえて、強く抱きすくめた。

「さあ、警察を呼んでいいよ。ぼくを逮捕させればいい」

 通報ですって? たかがキス一つで? 警官に呆れられるだけだわ。

 彼は承知している。本物の暴力にならない限り、わたしが世間的に騒ぎ立てることはないと。だから、安心してごねられる。

「離して」

「いやだ」

「子供みたいなこと、言わないで」

「きみが警察を呼ばない限り、離れないよ」

 雨の中でタクシーのドアを開けさせたまま、押し問答が続いた。やがて、折れたのはわたしだった。

 もう、寒い。疲れた。熱いシャワーを浴びて、乾いた服に着替えたい。

 なぜだかわたしは、マックスに取り憑かれてしまっている。望めば、この世のどんな女でも手に入れられる男なのに。

「……いいわよ。あなたの車に乗るわ。でも、何かしようとしたら、目玉をひっかいてやるから」

「わかった。大丈夫だよ。乱暴はしないから」

 タクシーは空のまま走り去り、代わりに、彼の呼んだレンタカーがやってきた。乗り込んだのはいいけれど、濡れねずみで寒くてたまらない。

「一番近くのホテルへ行くよ。とにかく、躰を温めよう。何もしないから」

 彼はそう言って、町とは反対方向に車を走らせ、渓谷沿いの温泉ホテルを目指した。どうなるのか予想できたけれど、わたしはもう逆らわなかった。彼から逃れるには、途方もない気力を要する。

 彼の好きにさせておいた方が、わたしは楽なのだ。

   ***

 こうして、なし崩しに、わたしは〝マックスの女〟になった。

 彼は飽きることなく、わたしに贈り物をし、車で送り迎えし、大学の娘たちに羨望のため息をつかせた。

 わたしと一緒にいる時、彼があまりにも嬉しそうで、幸せそうなので、何だかわたしは、少しばかり胸が痛かった。

(わたしは愛していないのに。なぜ、この人はわたしがいいの?)

 彼がわたしに優しくする十分の一も、わたしは彼に優しさを返していない。さすがに対外的には恋人として振る舞うし、礼儀は守っているけれど、あくまでも仕方なく、なのに。

 まあいい。

 彼がわたしを独占したいのなら、させておこう。

 いつか、この関係が解消されるとしても、わたしは彼を引き止めたりしない。ほんの一時期でも、女として扱われ、女として振る舞うことができた、そのことに感謝できるのだから。

   ***

 わたしがマックスの真意を聞かされるまで、もう半年かかった。すっかり恒例になった週末の小旅行で、誰もいない滝壺の縁に立った時、打ち明けられたのだ。自分は近いうち、市民社会を捨てるつもりだと。

「ぼくは辺境に出て、不老不死を手に入れる。きみに一緒に来てほしい。ぼくの生涯の伴侶として」

 驚いたけれど、それでようやく、心底から納得した。普通の市民が辺境へ出ていく時は、顔も名前も変え、家族や友人との絆も断ち切るもの。

 だから、わたしが醜いことは、マックスにとって好都合だった。いったんわたしが整形すれば、もはや市民社会に未練を持たないだろうから。

 マックスが必要としていたのは、誰も頼れない無法の宇宙で、絶対に裏切らないパートナー。

 わたしは、彼の共犯者として選ばれたのだ。

 彼が今後、どんな悪事に手を染めても、わたしは付いていくしかない。それが、美しい顔を手に入れるための代償ならば。

「いいわ、一緒に行く」

 マックスと出会ったことは、たぶん運命だったのだ。わたしは少女の頃から、建前で覆われた市民社会を憎んでいた。

『おまえは、パパの自慢の娘だよ』

 そう言って額にキスしてくれる父も、内心では、長女の醜貌に胸を痛めていた。母も、祖母たちとこっそり話し合っていた。

『小さい頃に、整形させておけばよかったかしら。今からでは、もう、あの子のプライドを傷つけてしまうわ』

 そして、少しでもわたしがましに見えるように、上品な言葉遣い、優美な振る舞いを仕込んでくれた。ピアノでも乗馬でも料理でも、わたしの価値を増すことは、何でも習わせてくれた。

 両親や祖父母の愛情が胸に沁みているからこそ、わたしは必死で『平気なふり』を続けてきたのだ。勉強にしか興味のないふりを。

 でも、辺境に出て整形したら、どんなドレスでも着られるようになる。薔薇色の口紅も、金色のハイヒールも似合うようになる。

 それなら、何も怖くない。わたしには、この人がいる。白馬に乗った、野心家の王子さまが。

   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』2章に続く

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