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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-1

2章-1 アスマン

 おふくろは最近、ヒステリーだ。俺がおふくろと呼ぶと、青筋立てて怒りだす。

「リナと呼びなさいって、言ったでしょ!!」

 気色悪い。

 母親を名前で呼ばせるなんて、異常だ。

 おふくろで、いいではないか。ババアと呼ばれるより、はるかにましだろう。それなのに、

「そんな呼び方したって、返事しないから!!」

 まるで小娘みたいにわめく。護衛を引き連れて外へ出れば、いっぱしの女幹部みたいな顔をしているくせに。

 俺も小さい頃は、素直にリナと呼んでいた。リナは世界で一番綺麗で優しくて、賢い女だと思っていた。

 それというのも、他に女を知らなかったからだ。

 俺が育ったビルや基地の中には、男の護衛や家庭教師や料理人しかいなかった。たまに女を見るのは、リザードの暮らす船や拠点に連れて行ってもらった時くらいのものだ。

 そこには男女の職員がいて、口説いたり、いちゃついたり、別れたり、逃げたりの小事件が発生していた。おかげで絵本には決して出てこない、大人たちの生態を見ることができた。

 違法都市に車で連れ出してもらうようになると、バイオロイドの娼婦が客引きをするさまも見られるようになった。この世界では、自分は恵まれた立場にいるのだということも、わかってきた。俺は大人たちにお坊ちゃまと言われ、過剰なほどの気遣いを受け、大抵の願いは聞いてもらえたからだ。

 やがて映画や小説のおかげで知恵が付き、自力で動ける範囲が広がってくると、母親に甘えることがいかに恥ずかしいことかも、身に染みてきた。

 ――俺は男だ。男は独立するものだ。親の七光りなんて、無用のものだ。

 なのに、リナと呼べだと!?

 息子の俺を、恋人の代用にしたいのか!?

 俺の父親がどんな男だったのか、ろくに話してもくれないくせに。俺がバイクで外を走ることにも、ぎゃあぎゃあ文句をつける。

「外は危ないのよ!! 走りたかったら、安全な基地内で走りなさいと言ってるでしょ!!」

 くだらない。安全な場所で走って、何の役に立つ。俺は試したいのだ。自分がどれほど強いのか。勇気があるのか。

 銃の腕も空手の技術も、実戦でなくては試せない。三流組織に待ち伏せをかけられたって、俺は切り抜けた。火傷はしたが、そんなものはすぐ治る。次の戦いが楽しみだ。俺はもっと強くなる。女なんかに、文句は言わせないくらい。

 火だるまにされた待ち伏せ事件の後、俺が再びバイクで外出できるようになったのは、リザードがおふくろを説得してくれたからだ。

「リナ、男の子は、いずれ独り立ちしなければならない。きみが抱え込んで甘やかすと、良い結果にはならないぞ」

 リザードは組織のボスだから、おふくろの上司ということになる。おふくろは当然、逆らえない。

 俺には、父親代わりのような人だった。十五歳の誕生日にバイクをくれたのも、リザードだ。おふくろと喧嘩した後、俺の話を聞いてくれるのもリザードだ。

 俺には、本当の父親はいない。もしかしたら、どこかにいるのかもしれないが、教えてもらったことはない。おふくろの態度からすると、どうやら、俺とおふくろを捨てた男らしい。あれこれ考え合わせると、気まぐれな風来坊のような奴だろう。一時だけ、おふくろを遊び相手にして、立ち去ったのか。

 だが、そんなことはどうでもいい。父親なんかいなくても、俺はここまで育った。

 問題は、俺がこれから、どんな男になるかだろう。

 リザードはいずれ、俺を組織の幹部にしてくれると言う。今はそのための、修行の時期だと。俺は何人もの家庭教師を付けられ、数学や物理学から、歴史、古典文学、料理やダンスまで幅広く仕込まれた。武道や射撃も叩き込まれた。リザードの視察旅行にも、毎年のように連れていってもらった。

 もう数年で、そういう基礎教育も終わる。そうしたら、組織の一番下っ端として働くように、リザードから言われている。いきなり高い地位に就けるのはよくないから、最下層から実力で昇進してこいと。

 それに文句はない。すぐに昇進してやり、いずれはおふくろを追い越すつもりだ。そうしたら、自分の好きな道が選べる。組織の中に居続けるか、それとも外へ出て、自分の組織を立ち上げるか。

 ――ところがだ。

 気がついた時は、走行するトレーラーの内壁に逆さ張り付けだ。標本にされる虫けらのように、粘着剤でバイクごと固められてしまった。

(今度は、どいつの仕返しだ!?)

 これまで、喧嘩して叩きのめした相手はたくさんいる。だから、敵は特定できない。俺は逆さ磔のまま、車の動きを感じていた。幹線道路から外れ、どこかの地下に入ったようだ。俺を他の車に積み替え、追跡を断ち切るつもりなのだろう。

 だが、リザードの組織《フェンリル》は、この都市を支配する《キュクロプス》と親密だ。地下道は全て、《キュクロプス》の監視下にある。俺がどこへ連行されようと、リザードが手を回して助けてくれるはず。

 そう思って、ひたすら待った。いつ、救助部隊が俺を解放してくれるか。

 逆さのままだから、頭に血が集まってきて苦しい。ライダースーツの襟元から侵入した粘着剤のせいで、首の皮膚がひきつれる。無理に動こうとすると、皮膚が裂けて血が流れる。スーツの下の腹や背中もかゆい。

 だが、そんなことより恐ろしいことが始まった。

 空気が薄くなっている。呼吸が苦しい。トレーラー内の空気が、抜かれているのだ。気圧は下がり続ける。いくら俺が強化体でも、酸素がなくては生きられない!!

 ――そうか、これが一番簡単なんだ。俺を、真空中で干物にすること。

 いくら手足に力を入れて引きちぎろうとしても、粘着剤はびくともしない。やがて、気が遠くなってきた。これが、気絶するということか。小さい頃、木から落ちて、ほんの短い時間、気絶して以来だな。悔しいが、一つ、いいことを学んだ。俺は、無敵でも不死身でもなかったんだ。

 意識が薄れる中で、リザードの言葉を思い出した。

(アスマン、きみはまだ子供だ。世の中の厳しさを知らない。成人するまでは、我々の指示に従いなさい)

 だが、ここで死ぬなら、成人してから得られる自由には、永遠に届かない。俺が馬鹿だった。リザードの保護をあてにして、世間を甘く見ていたんだ。

   ***

 はっと目覚めたのは、空気と水が一緒くたに気道に入った時だった。

 苦しい。息ができない。慌ててもがき、水面を目指そうとした。このままでは溺れ死ぬ。

 さんざん、がぼがぼ、ばしゃばしゃやって、ようやく、自分のいる場所がわかった。深いプールの中だ。俺は気絶したまま、水の中に放り込まれたのだ。

 幸いなことに、手足は動く。咳き込みながら、プールサイドまで泳いだ。呼吸さえまともにできれば、回復は早い。

 ところが、俺が這い上がろうとした岸には、偉そうな仁王立ちの女がいた。飾り気のない青いドレスを着た、筋肉質の、知らない女だ。おまけに、俺は素裸にされている。このまま上陸すると、男の弱点が剥き出しになってしまう。

 ――ええい、今更。

 俺を裸にしたのは、どうせこいつか、こいつの仲間だろう。見たけりゃ、見ろ。

 俺は水を滴らせながらプールサイドに立って、真正面の女と睨み合った。俺は百八十センチ近い身長があるが、向こうは、俺とほとんど変わらない大女だ。いや、俺より少し高いかもしれない。

 長い金褐色の髪をゆるい三つ編みにして、背中に垂らしている。目は深い青。蜂蜜色の皮膚をした、なかなかの美人だが、いかにも冷酷で高慢そうだ。どこかの組織の警備隊長か、それともフリーの殺し屋か何かか。

 少し離れて控えている、灰色のスーツ姿の優男は、秘書か何かに見える。その背後には、灰色の皮膚をしたアンドロイド兵士の壁。濃紺の制服を着ているが、組織名がわかるような紋章は付けていない。

 腰に手を当てた女が、深いアルトの声で言う。

「坊や、お姉さまに挨拶は?」

 何を言ってやがる。誰がお姉さまだ。

「おまえが俺を誘拐したのか」

 自分で言って、改めて驚く。俺は、まんまと誘拐されたのだ。《フェンリル》の保護が働かなかったということは、かなりの組織。ここは、その組織の基地なのか?

 だが、殺されてはいない。身代金と交換というわけか。おふくろは、俺のためなら幾らでも出すだろう。リザードが認める範囲内でのことだが。

 それともリザードは、こんな間抜けのことなど見捨てるか? 期待して育てたのに、ものにならなかったと?

「誘拐されたことは、わかっているのね。じゃあ、体内に爆弾を仕込まれたことも、わかるわね」

 ――爆弾?

 自分の肉体を見下ろした。どこかに変化があるか? 胸、腹、脚。あった。左の手首の皮膚の下だ。長さ二センチ程度の、堅いカプセル状のものが埋め込まれている。これが爆弾?

「小型の爆弾だから、周囲の人間には被害を及ぼさない。それと同じものがもう一つ、きみの心臓の横に仕掛けられている。取り出そうとして皮膚を傷つけたら、手首の爆弾は何とかなっても、心臓の方が爆発するよ。いくら強化体でも、大量出血ですぐに死ぬ。すぐ横に医療カプセルがあって、誰かがそこに入れてくれない限りね」

 ふん、そうか。こんな状況、珍しくもない。中央製の映画では、何度も見ている。主人公は、絶対助かるのだ。

 俺の場合はどうやって助かるのか、まだわからないが。

「身代金に、何を要求した。金塊か、プラチナか。それとも技術情報か」

「身代金?」

 女は面白そうな顔をする。

「あんたみたいな小僧のために、誰が身代金を払ってくれるの?」

 何だと。俺の母親が誰か、知らないというのか。最高幹部会直属の代理人、リザードの配下として、一応、辺境では恐れられている存在だぞ。おふくろがトチ狂うのは、俺に関することでだけだ。

「はした金なんか、欲しくもない。それより、あんたはあたしの奴隷になるのよ」

 何だって。

「あたしが這えと言ったら、四つん這いになってもらうわ。あたしが舐めろと言ったら、あたしの足の指を舐めてもらう。楽しみでしょ? あたしに触ることを許される男なんて、滅多にいないんだから」

 かっとした。

 ――誰がするか、そんな真似。

 もしかしたら、俺が殺したチンピラが、こいつの関係者だったのかもしれない。だとすると、さんざん侮辱され、痛めつけられてから、殺されるか、洗脳されるか。

 さすがに腹が冷えたが、ここでひるんだら、こいつを喜ばせるだけだ。

「ちょっとばかり美人だと思って、図に乗るなよ。そのうち、俺の下でよがらせてやるからな。楽しみに待ってろ」

 すると、妙な空白が流れた。

 向こうはなぜか、きょとんとした顔をしている。怒るのでもなく、呆れるのでもなく、ただ、予想外、といったように。

 俺が何か、場にそぐわないことを言ったのか?

 それとも、童貞のハッタリだと見抜かれた!? おふくろの目が厳しくて、リザードの所の侍女にもうっかり手を出せないってこと、知られているのか!?

 女は急に、横を向いた。むせるような音を立てて。何かと思えば、肩を震わせて笑っている。そのうち、むせび笑いが爆笑になった。身を折って、秘書らしき男の肩にもたれている。

「ああ苦しい。傑作。女も知らないくせに、いっちょまえにさあ」

 俺は耳まで熱くなった。映画を真似て格好つけて、自爆したのだ。

「もお、嬉しくなっちゃう。出ておいでよ。隠れてないで」

 女が呼びかけた相手は、俺ではない。壁際の柱の陰から、別の女が現れた。こちらは小柄で細い。上品な美人だ。結い上げた茶色い髪に、白い肌。白いドレスに、プールの波紋がゆらゆら反射して、青い影ができている。ただし、こちらの顔には笑いの影もない。

「もう、辺境に染まっているわ。殺した方がいいわ」

 静かな白い顔で、さらりと恐ろしいことを言う。ぞっとした。威張りくさった大女より、この小さい女の方が怖い。俺のことをまるで、つまらない虫けらのように思っている。

 ――なぜだ? 俺が何をした?

 こいつらの関係者を喧嘩で殺したのかもしれないが、そんなこと、辺境では当たり前だ。戦って負けた方が悪いのだ。

 ……ということは、今は俺の方が悪い、ということになるが。

 笑いを収めた大女は、むしろ慈悲深いと形容したくなる態度で言う。

「そうじゃないよ。ただのガキの突っ張り。これから躾け直せばいい」

 そう言ってくれる大女に、ついすがりたくなる。どうやら、すぐに殺されることはなさそうだ。

 だが、聞き捨てならない言葉が含まれていた。

「俺を躾ける、だと!? おまえが!?」

「そう。これまで一応の教育は受けてきたらしいけど、どうやら偏っているみたいだ。まともな男になれるように、あたしたちで教育し直してやる」

 つまり、今の俺は、まともな男ではないというのか。まともな男の予備軍でもないと。

「大きなお世話だ!! 何の権利があって、そんなことを決められる!!」

「あんたの父親が聞いたら、あたしたちに頼むと思うな。息子をよろしくって」

 俺が唖然とする番だった。父親だって。俺の父親が、息子を頼むって?

「俺に、父親なんか、いない……」

 声が震えたのが、自分でわかった。情けないことに、膝まで震えだしている。

 何度尋ねても、父親がどこの誰なのか、おふくろは教えてくれなかった。リザードも教えてくれなかった。知りたければ、成長してから自分で探せと言われたこともある。もし、単なる人工精子なら、ああいう態度にはならなかったはずだ。

「そうだね。あんたは聞いてなかったんでしょ」

 青い目をした女は、どこか気の毒そうに言う。

「あたしたちは、あんたの遺伝子を検査してわかった。あんたの父親は、あたしたちの一族の一人に間違いない」

 一族だって。どこの一族だ。

「だからあんたも、あたしたちの一族の一員というわけ。一族の子供の教育には、あたしたち上の世代が責任を持たなきゃならない。あんたが父親を知らずに育ったんなら、余計にね」

 責任。

 辺境で、そんな言葉を聞くのは珍しい。肯定的な用法では、だが。

「あたしたちは、あんたの父親の従姉妹にあたるのよ。だから、あんたにとっては、まあ、親戚の叔母さんというところ」

 嘘だ。でたらめだ。だが、この女たちがそんな嘘をついて、何の得があるのかわからない。

「俺を騙して、手下にしたいんだろ」

 精一杯の反抗だったが、穏やかに苦笑された。

「こんな自惚れたガキ、使い物になりしゃしない。もう何年かは、厳しく躾け直さないとね」

 俺は突進した。とりあえず、小柄な女を人質に取ろうとしたのだ。爆弾のことは本当だろうが、この場で爆破スイッチは押さない方に賭けた。この大女は、俺を生かして利用したい様子だから。

 しかし、その手前で大女に足をひっかけられたと思ったら、床に転がる手前ですくい上げられ、高く投げ飛ばされた。

 ――まさか、この俺が。

 俺は大きな放物線を描いてプールに落下し、派手な飛沫を立てた。態勢を立て直してから水面に顔を出したら、女たちは兵の壁に囲まれ、もう去りかけている。

 後には黒髪の優男が残っていて、プールサイドに泳ぎ着いた俺に、白いバスローブを差し出した。床には、サンダルも揃えてある。

「お部屋にご案内します、ジュニア」

 それがどうやら、俺の呼び名らしいのだ。そういえば、あの女たちは、名前も名乗っていかなかった。

「わたしはナギと申します。何十体もいるアンドロイドの一体ですから、あなたが叩き壊しても支障ありません。壊さないで下さるなら、あなたの身の回りのお世話をいたします」

   『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-2に続く

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