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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』5章-1

5章-1 シヴァ

「シヴァ、悪いが、リナがそちらへ行く。話を聞いてやってほしい」

 リザードから連絡があったことに、まず驚いた。俺がグリフィン役から降ろされて以来、交流は絶えていたからだ。だが、大学教授のような取り澄ました容貌には、何の変化もない。辺境の人間は、あらゆる方法で延命を図る。

 そのリザードの説明には、心底驚愕し、揺さぶられた。俺に子供がいたというのだ。それも、二人も。

「まさか」

 最初は理解できなかった。俺に何の覚えもないのに、なぜ、そんなことになる。リナとは確か、手を握ったこともなかったはずだ。

 しかし、通話画面の相手は淡々と言う。

「リナがきみの元を去る時、きみの髪の毛を持ち出した。その結果だ」

 つまり、俺に内緒で、俺の遺伝子を使ったのか。

 何ということだ。反則もいいところだ。俺が知らないうち、俺の遺伝子を受け継いだ子供が誕生していたなんて。

「なぜ、そんなことを……卑怯じゃないか」

 当時、リナは俺の第二秘書だった。リザードの元から、俺の監視と護衛を兼ねて派遣されていたのだ。

 まだほんの小娘で、初めての仕事に張り切っていた。張り切りすぎて、何か勘違いしたのだ。ある晩、裸で俺のベッドに潜り込み、俺を待っていた。俺は仰天して叱りつけた……と記憶している。

 俺の目には、リナは背伸びしている子供にしか見えなかったのだ。

 その翌日、リナはリザードの元へ逃げ帰り、それ以来、会っていない。今日まで、ほとんど忘れていた相手だ。当時の俺には、リアンヌという大事な女がいたから。

 まして、そのリアンヌを失った後は(彼女は記憶を失い、市民社会に保護されて、俺とは別の人生を歩みだした)、何年も荒れ狂っていて、他の誰かを心配するどころではなかった。

 ハニーと出会ってからは、ハニーの補佐にかかりきりだし。

 しかし、リザードはしゃあしゃあと言う。

「リナを責めてはいけない。きみが、乙女心を踏みにじったのが悪いのだからね。リナとしては、きみに傷つけられた心を癒すために、子供が必要だったのだよ」

 何をぬかす。

「俺がいつ、リナを踏みにじった!!」

 リザードに押し付けられた秘書だったが、ちゃんと仕事を任せ、公正に扱ったはずだ。そう反論すると、リザードは愚か者を哀れむ顔で言う。

「きみは、リナの恋心を察知するべきだった。彼女なりに、本気の恋だったのだから」

 おい。

 あの時点で、リナはどうしたって、ピーチクパーチクさえずる小雀にしか見えなかったぞ。

「しかし、それはまあ過去のことだから、いいとしよう。リナも息子を育てながら、組織の一員として働いてきた。今では立派な《フェンリル》の幹部だ」

 そうかい。あの小娘がね。

「問題は、リナの息子が誘拐され、母親から引き離されたこと。絶望したリナは、改めて、もう一人子供を作ったが、その子もまた、母親から逃げ去るだろうと思われることだ」

 誘拐?

 逃げ去る?

「話が、よくわからんが……」

 老舗組織である《フェンリル》が守っていた者なら、そう簡単に誘拐されたりしないはずだろう。

「誘拐そのものは、既に過去のことだ。きみが〝リリス〟をきちんと監視していれば、わかったはずだと思うがね」

 がんと頭を殴られた気がした。〝リリス〟の仕業なのか。

「きみの息子が違法都市で暴れ回っていることを知って、捕獲に乗り出したのだ。彼は〝リリス〟に庇護され、鍛え直された。今は、きみの故郷の《ティルス》にいる。もう、《フェンリル》には戻るまい。まあ、母親に面会くらいはしているが」

 ちょっと待て。頭が混乱する。俺の息子を、紅泉たちが庇護してくれたというのか。知らないぞ、そんな話。

「リナが、俺に会いに来ると言ったか?」

「止めたが、聞かない。息子ばかりか、娘もきみの一族に奪われると思って、半狂乱になっている」

 ぞっとした。女のヒステリーほど、苦手なものはない。リナもかつては、それなりに可愛い娘だったが、今では、どんな厚かましい中年女になっていることか。

 そもそも、勝手に俺の遺伝子を使用したこと自体、かなり怖いぞ。思い込みが激しすぎるんだ。

「では、後はそちらで話し合ってくれたまえ。きみたちが両親なのだから」

 冷静な他人面のリザードは通話画面から消え、俺は一人で取り残された。

 ――何が両親だ。俺はついさっきまで、自分が親になっているなんて、夢にも思わなかったんだぞ。

 女ってやつは(リアンヌやハニーは除くが)なんて卑怯なんだ。わがまま放題しやがって、困った時だけ男に泣きついて。悪いことは全部、男のせいにしやがる。

「ショーティ!!」

 まずは相棒を呼んだ。奴は当然、リザードとの会話を聞いていたはずだ。やはり、隣室からのそのそ、大型犬がやってきた。アラスカン・マラミュートのボディを使ったサイボーグ犬だ。ぴんと立った耳、暗灰色の背中、白い腹、ふさふさの尻尾。

「リナの船は近くまで来ている。二時間もすれば、この街に上陸するだろう」

 愕然とした。それしか猶予がないのか。

「おまえ、まさか、知ってたんじゃないだろうな!! そんなガキがいるってこと!!」

「きみにそっくりの少年が、バイクで違法都市を走り回っていることは知っていた。チンピラに喧嘩を売っては、叩きのめして回っていることも」

「なぜすぐ、俺に報告しない!!」

「グリフィン時代、きみがちゃんと全ての報告書に目を通していれば、わかったことだ。〝リリス〟の行動についても、細かく注意を向けていれば、もっと早く気付いただろう」

 俺は頭をかきむしった。仕方ないだろう。監視対象が何百人もいて、毎日、あんなに報告の山が届くのだから、全部なんて把握できるわけがない。重要なことはショーティが把握して、俺に注意を促すはずだと思っていたし。

「俺が、知らなくてもいいと思ってたのか」

 というか、知らない方がいいと思っていたのか。

「わざわざ知らせてどうする。きみの知らないうちに作られた子供だ。きみに責任はない。なのに、父親らしいことをしたいのか? そもそも、きみの子供として認めるのか?」

 くそ。相棒のくせに冷たい奴だ。少しは慰めてくれたり、励ましたりしてくれたらどうだ。俺だってショックなんだぞ。いきなり、二人も子供がいるなんて知らされて。

「本当に、俺の子供なのか」

「子供と言うより、クローンと言うべきだろう。息子の方はな」

「もう一人は娘……なのか」

「兄とは二十歳ばかり離れた妹だ」

 想像がつかない。俺の知らない息子と娘。うららかな春の野原を歩いていたら、いきなり地雷で吹き飛ばされたようなものだ。

「息子の方は、きみの遺伝子にほとんど手を加えず、そのまま使っている。それで正解だ。きみは完成された強化体だから、そのバランスを崩すと、正常な生命活動ができなくなる。リナはそれがわかっていたから、自分の遺伝子は、気持ち程度にしか加えなかった」

 ますます悪い。クローンとは。ショーティめ。何もかも知っていたくせに、今日までよくも、黙り通しやがって。

 俺そっくりの傲岸不遜な男が、この世にもう一人いるなんて、背筋がざわざわする。そんな奴、絶対に好きになれないだろう。

「ただし娘には、リナの遺伝子をもう少し入れている。でないと、女の子にはならないからな」

 ということは、リナに似ているのか。ますます、げっそりしてきた。

 そもそも、このことを、どうやってハニーに話せばいいのだ。今では俺の全てである、唯一の女に。

   ***

「シヴァ、お茶にしないこと?」

 美しい紫紺のドレススーツを着たハニーが、優雅な足取りで入ってきた。ここは、彼女の仕事場であるファッション・ビル《ヴィーナス・タウン》の一室だ。警備管制室と、その周辺の区画を、俺とショーティの居場所にしている。

 ハニーの下で働く女たちが、この最奥の区画に入ってくることはない。彼女たちが、警備責任者である俺の姿を見ることのないよう、ショーティが注意を払っている。俺の姿は、人に見せてはまずい理由があるからだ。

 経営者であるハニーは、普段は別の階にある自分専用のオフィスにいて、時間ができた時だけ、俺と過ごすためにやってくる。

「ああ、うう……」

 聡い女なので、苦りきった俺の顔と、床に寝そべるショーティを見て、何か察したらしい。

「何か困り事? わたしが聞いてはいけないことかしら?」

 聞いてもらうしかない。ハニーに隠し事はできないからだ。ようやく得られた、相思相愛の恋人である。猶予は、あと一時間しかない。リナが押しかけてくる前に、事態を把握しておいてもらわなくては。

 だが、反応が怖い。

 ハニーは賢くて寛大な女だが、何か誤解されるかもしれない。リナとは何もなかったと言って、信じてもらえるものだろうか。

「怒らないでくれるか?」

 まず、卑屈に頼んだ。

「まあ、わたしが何を怒るというの? あなたが既に、懺悔の態勢なのに」

 ハニーは灰色の瞳に理知の光をたたえ、薔薇色の唇で穏やかに微笑む。この世で最高の女だ。決して失いたくない。どうか、俺を軽蔑しないでくれ。

「今、リザードから知らせがあった……《フェンリル》のボスだ。昔、俺の秘書をしていた女が来る。俺がグリフィンになりたての頃、短期間だけの秘書だった」

 ハニーは察しがいい。興味深い様子で尋ねてくる。

「あなたと、特別な関係だったのね?」

「違う!! 何もしてない!! 手も握らなかった」

 格闘技の稽古をつけてやった時でも、余計な接触はしないよう気を使っていたくらいだ。

「それじゃ、何が困るの?」

 うう。

「彼女はシヴァに片思いしていて、こっそりシヴァの子供を作っていたのだ。シヴァの髪の毛を利用してね。息子と娘で、息子はとうに成人しているが、娘の方はまだ子供だ」

 ようやくショーティが、助け船を出してくれた。というか、俺を泥水に突き落として、面白がっているのかも。

「まあ」

 ハニーは目を丸くする。頼むから、泣かないでくれ。

「それで、その人が子供を連れて、押し掛け女房になりにくるの?」

 それではまるきり、ホラー映画だ。

「違う。子供を〝リリス〟に連れ去られたので、怒り狂っているらしい。たぶん、俺に子供を連れ戻せ、と言うんだろう」

 ハニーは真剣な顔になった。優美な動作で、ソファ席を示す。

「どうやら最初から、すっかり話してもらう方がいいようね」

 これ以上、何を話せばいいのか、俺にはわからないのだが。

   ***

 リナが少数の護衛を連れて《ヴィーナス・タウン》に到着した時、俺とハニーはホテル階の一室で待ち受けていた。正確に言うと、ハニーは俺のいる部屋の隣に控えていたのだ。

「一緒にいてくれ」

 と頼んだのに、

「まさか、わたしの後ろに隠れるつもりではないわよね。わたしは、あなた方の会話が一段落したら出ていくわ」

 と置き去りにされてしまった。できることなら俺は、ハニーにうまく取りなしてもらいたかったのに。

 くそ。蒔いた種は、自分で刈り取れということか。俺には、何も蒔いたつもりはないというのに。

 《ヴィーナス・タウン》は女しか入れないことで知られるビルなので、リナの護衛も女ばかりだった。その護衛たちも、こちらの護衛兵によって手前の控え室に留められたので、俺たちのいる部屋に入ってきた時、リナは一人きりだった。

 少しカールした短い黒髪、なめらかな小麦色の肌、負けん気に満ちた愛らしい顔立ち。歳月の経過は刻まれているが、老けたというほどではない。充実した姿、と言うべきだろう。

 もう何十年も会っていなかったが、見た途端に記憶が蘇った。ルワナが第一秘書で、リナが第二秘書だった頃。

 当時の俺は、懸賞金制度の責任者であるグリフィンの仕事を押し付けられ、行動を制限されて鬱々としていた。リナはその不自由な生活の中で、俺を笑わせてくれた貴重な存在だったのだ。

 もしかしたら、俺が(少しは)悪かったのかもしれない。リナが裸で俺にぶつかってきた時、もう少し穏やかに受け止めていれば。あるいは、彼女が泣いて逃げ出した後、連れ戻していれば。

 だが、あの頃の俺に、そんな余裕はなかった。従姉妹たちの命を心配するので手一杯だったし、何よりも《フェンリル》のナンバー2だった女と恋仲になってしまったから。

 現在のリナは、リザードの元で経験を深めたようで、あの頃よりぐんと垢抜けて美しくなり、洒落たオレンジ色のスーツに身を包んで颯爽としていた。青紫の宝石のイヤリングも、よく似合う。

 その美女は、ハイヒールで威厳を持って歩いてくると、俺の前で立ち止まり、顎を上げて何か言おうとした。

「………」

 そしてなぜか、言葉に詰まった。言いたいことが多すぎて、順番が決まらないのか。

「シヴァ……」

 俺が見ているうちに、息が乱れ、顔がくしゃりと歪み、目許に手を当てて、ぼろぼろと泣き出すではないか。

「シヴァ、あの子が……」

 リナは体当たりのようにして、俺の胸に取りすがってきた。

「お願い、助けて。アスマンはもう、あきらめたわ。男の子なんて、全然言うことを聞かない。傲慢なのよ。あなたそっくり。でも、梨莉花りりかまで奪われるなんて……!!」

 あとはもう、言葉にならない。リナは彼にしがみついて、わあわあ泣きじゃくった。まさか、こうくるとは。歳月を遡って、昔のやんちゃな小娘に戻ったかのようだ。俺はどうしようもなく、

「わかった、わかった。もう泣くな」

 とリナの背を撫でるしかない。冷や汗が流れる気分だ。隣室のモニター画面で見ているハニーは、さぞ呆れているのではないか。これでは、男女の関係だったと誤解されても仕方がない。

   『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』5章-2に続く

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