恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-4 3章-1
2章-4 アスマン
金色のドレスの美女が立ち去るのを、呆然として見送っていたら、リリーが俺に目で合図した。俺が彼女の横の席に移ったら、声を低めて言う。
「あんたを引き取ることに、ヴァイオレットは反対だったのよ。だから、態度が冷たいのは仕方ない。我慢しなさい。それも修行だと思って」
俺が不服な顔をしていると、リリーは更に声を低めて言う。
「問題は、あんたじゃなくて、あんたの父親なの。ちょうどあんたくらいの年齢の時に、シヴァがヴァイオレットに何かしたらしい……ということなんだ」
「何かって?」
リリーはじっと俺を見て、俺がどのくらい馬鹿か、推し量るような顔をする。
「若い男がやりそうなことで、その後、女の側に一生、心の傷が残るようなこと」
俺はショックを受け、沈黙した。腹にずしんと、重いものを詰め込まれたようだ。
そういうわけか。
俺がしたことではないのに、ものすごく気持ちが沈んでしまった。それでは、俺の父親は、まったくどうしようもないチンピラだったのではないか。だから、おふくろも、思い出を口にしないのだ。
いや、待てよ。まさか、まさか俺も……強姦の結果、できた子供じゃないだろうな。
頭の中が混乱した。世界が、渦の中に投げ込まれたようだ。自分があると信じていた地面が、急に崩れ去ったような。
嘘だ、そんなこと。だって、望まない妊娠なら、いくらでも対策があるだろう。それに、第一おふくろは、俺をべたべたに可愛がってきたじゃないか。食べてしまいたいような顔をして。
それとも、あれは、マイナスの思い出を打ち消したい反動だったのか。どんなにひどい男でも、子供に罪はないと!? そして、俺に負い目を持たせまいとして!?
ええい、畜生。どっちにしろ、俺にはどうしようもないことじゃないか。それはみんな、過去に起こったことなんだから。
何度も言葉を捜してから、やっとのことで質問した。
「じゃあ、ヴァイオレットは、俺のことも憎いんだな……もしかしたら、俺の食べ物に毒を入れたいくらい?」
「さすがに、それはしないと思うけど」
思う、だけかよ。
「あんたを見るだけで辛いのは、わかってやって。本当は、優しい性格なんだから」
そうかあああ?
「あたしのわがままに付き合って、何十年もハンター稼業に付いてきてくれるんだからね」
優しいのはあんただ、と思った。傷ついた相棒のことはもちろん、行方不明の俺の親父のことも、敵対する違法組織で育った俺のことも、まとめて心配してくれる。
だからだ。ハンターとして戦い続けて、世界の人々から尊敬されているのは。本当に強いってことは、心底から優しいってことなんだ。
この人が叔母さんだなんて、俺はものすごく幸運なのだと身に染みた。この際、親父のことは、いったん脇にのけておこう。おふくろにも、しばらく我慢してもらおう。
俺は当面、この人について修行する。そして、一人前の男になる。
そうしたら、きっと、進むべき道が見えてくるだろう。
***
その晩は、何時間も眠れずにいて、とうとう夜中の海岸に降りていった。真っ暗な中で波打ち際を歩き、冷気の中、降るような星空を見上げて考える。
あの星々のどこかに、俺の父親は隠れているのか。
あっちこっちで気に入った女を強姦して回り、子供を生ませるような奴なのか。
それじゃあ本当に、人間の屑じゃないか。
俺をその屑に似せないようにと、おふくろは必死だったのかもしれない。俺にいいものを見せ、いいもので取り囲み、時間があれば手料理を食べさせてくれ、これ以上はないというくらい俺を甘やかした。
リザードが時々、おふくろを制止してくれなかったら、俺はただの甘ったれの馬鹿息子になっていただろう。
いや、相当に馬鹿だった。街をバイクで走って、手当たり次第チンピラに喧嘩を売って、いい気になって。
これまでは幸運にも、本物の戦士にぶつからなかっただけだ。最初にぶつかった強敵が〝リリス〟で、本当によかった。さもなければ、死体になって転がっていたところだ。
俺は服を脱いで暗い海に入り、ひとしきり泳いだ。海水はしびれるほど冷たかったが、おかげで頭がすっきりした。
俺は、親父のようにはならない。もっと、ずっと、まともな男になってみせる。
おふくろには、いずれメッセージを届ければいい。しばらく修行の旅に出るから、心配しないでくれと。
浜に上がって服を拾い、寒風に身を震わせながら、裸のまま部屋に戻った。これでようやく、眠れそうだ。明日はまた、岬まで走らなければ。
3章-1 紅泉
「楽しそうね」
探春に厭味を言われた。いや、本人は厭味のつもりだろうけれど、あたしはちっともこたえない。事実、楽しいからだ。
子供を育てるって、こんなに楽しいことだったのね。
赤ん坊の頃から育てれば、苦労もあれこれあって、楽しいばかりではないのだろうけれど、あたしはいきなり、半完成品を引き取ったからなあ。
ジュニアはいっぱしの青年のつもりで大人ぶり、格好つけているけれど、十五歳の男の子なんて、まるっきり子供である。
あれもまだできない、これもまだだめ、と実際に叩きのめしてわからせてやると、顔を赤くして悔しがって、一人でこっそり勉強したり、夜中まで鍛錬したりして、可愛いったらない。
あたしは空手を教え、剣道を教え、ナイフでの格闘術も、獲った魚や獣の捌き方も教えた。料理もさせた。目をつぶったまま、気配を頼りに戦うことも教えた。手作りの弓矢での狩り(わざわざナギに、大陸から動物を運ばせた)、草木で簡単な寝場所を作ること、小石と枯れ枝で火を熾すことも。
負けず嫌いの意地っ張りは、シヴァそっくり。
この子の母親が溺愛していたらしいのも、わかるなあ。
それはどうやら、シヴァ本人を逃がした反動のように思えるけれど(子供が出来たことを知ったら、いくらシヴァだって、逃げっ放しにはしないだろう)、どうやら近親相姦ぎりぎりの可愛がり方だったらしいので(ジュニアは十歳を過ぎてもまだ、母親のベッドで寝ていたとか!!)、救い出して正解だったと思う。
昔なら元服の年頃なのだし、そろそろ母親から離れてもいいはず。
正確に言えば、ジュニアはシヴァの息子というより、クローンだ。遺伝子検査の結果、シヴァ本人の遺伝子と、ほとんど変わらないことがわかった。
リナという女は、シヴァの細胞を手に入れ、それを使って子供を作ったのだ。
自分の遺伝子も混ぜたようだが、それはほんの気持ち程度。強化体の遺伝子を、下手に常人の遺伝子と混合しては、危険だからだ。
ジュニアがシヴァそっくりに育っているのも、クローンならば不思議はない。遺伝子の発現には環境が影響するが、どちらも最高の生育環境を与えられたのだから、元のシヴァ同様、ジュニアの遺伝子も十全に発現した。
リナを庇護しているリザードというのは、最高幹部会の代理人の一人、すなわち辺境の超エリートだ。シヴァとどんな関係があったのか知らないが、彼も色々、働いたり戦ったりしているのだろう。シヴァのクローンを育てれば、組織のために役立つと、リザードは思ったのではないか。
「好きにすればいいわ。どうせあなたは、いつでも自分の意志を通すんだもの」
探春はそっぽを向いて言うが、それでも辛抱強く、ジュニアの教師役を務めてくれていた。彼もこれまで、母親の元できちんとした教育を受けてきたようだが、まだもう少し伸びる余地がある。
「明日までに、この章を暗記しておきなさい。それから、この本の概要をまとめておくこと」
ジュニア本人に何の罪もないことは、探春もよくわかっているのだ。ただ、彼があまりにもシヴァの少年時代そっくりなので、辛い記憶を刺激されるだけ。
しかし、この際いっそ、その辛さと向き合った方がいいのではないか。膿んだ傷口は、切開して外気にさらした方がいいのだ。その方がきっと、すっきり治る。
治ってくれないと、一生、男嫌いのままだもの。
それは、探春のためにならない。
人類社会は男と女で出来ているのだから(その分類に収まらない人々もいるが)、その半分を拒絶したままでいいはずがない。
***
一族が所有するリゾート惑星の離れ小島で、あたしたちはしばらく穏やかに暮らした。
あたしがジュニアに格闘技や射撃の稽古をつけ、探春が勉強を見る。料理も掃除も洗濯もさせる。一緒に映画も見る。散歩もピクニックもサイクリングもする。
手首の爆弾は早々に取り去ったし、心臓の近くには、元々何も埋めてはいない。
あたしたちにとっても、思わぬバカンス。
あたしとジュニアが砂浜で走ったり、空手の稽古をしたりしている時、頭上の窓からはよく、探春の弾くピアノのメロディがこぼれてきたものだ。
夕食には正装で臨み、政治や経済の話をする。その話題についていけないと悟ると、ジュニアはこっそり勉強して、知識を増やす。
あたしたちが〝正義の味方〟だと納得すれば、ジュニアはあっさり脱帽して、素直な弟子になった。元が単純だから、何事にもストレートに反応してしまうのだ。
おかげでかなり、彼の育った《フェンリル》の内情がわかってきた。リザードが彼に期待をかけ、未来の幹部候補生として、自分の仕事に連れ歩いていたことも。
もちろん、こうしてジュニアの面倒を見るのは、ほんのしばらくのことだ。あたしたちはいずれ、本来の仕事に戻らなければならない。
でも、その頃には、ジュニアも自分で決められるようになっているだろう。自分がこれから、どちらへ向かって歩いていくか。
《フェンリル》に戻って幹部を目指すのも、あたしたちのように、市民社会の側に立つも、彼の自由だ。先でいずれ戦うことになったとしても、それはやむを得ない。
もしかしたら、あたしたちの方こそ、歴史の流れに逆らっているのかもしれないのだから。
***
シヴァ・ジュニアを捕えたことを、あたしは《ティルス》にいるヴェーラお祖母さまに、事後報告だけして済ませた。遠距離の通信は傍受される危険があるので、ナギに手紙を持たせたのだ。
「あなたはまた、相談もなしに勝手なことをして」
と返信で叱られたが、それは覚悟の上。事前に相談したら、止められるに決まっていた。一族の総帥であるお祖母さまも、最長老である麗香姉さまも、シヴァのことについては、最初から冷淡だったではないか。
あたしが何度捜索を頼んでも、
『捜させていますよ』
とだけ答える。そうして何年経っても、居場所は掴めないと言うだけ。本当に知らないのか、それとも知っていて隠しているのか、わからない。どちらにしても、シヴァのことには、もう興味がないらしいとは感じていた。
一族の中で、彼を懐かしい、取り戻したいと願っているのは、子供時代に一緒に遊んだあたしだけではないか。
探春との関係は不幸な結末に終わったかもしれないが(若い男の衝動の強さ、気持ちの焦りは、女のあたしには想像することしかできない)、悪い男ではない。
子供時代のあたしが無茶をして、自転車ごと崖から転落した時には、怪我をしたあたしを背負って崖を登ってくれた。あたしと取っ組み合いをして遊んだ時も、木刀で決闘ごっこをした時も、ちゃんと手加減してくれた。
あたしが間違って彼の急所を蹴飛ばしてしまった時も、気の毒に、しばらく苦しみはしたけれど、根に持つようなことはなかった。
辺境の違法都市で育ったにしては、かなりまともな奴だったのだ。それでも根底では、
(強い者は、何をしても許される)
という、辺境の常識に汚染されていたのかもしれないが。
同じく手紙を送った麗香姉さまは、あたしがジュニアの後見人になったことを認めてくれた。
「あなたがそうしたいなら、すればいいわ。あなたに教えられることは、ジュニアにも、いい財産になるでしょう」
という返信である。姉さまは昔から、あたしのすることを大抵、認めてくれた。街へ出て喧嘩の修行をすることも、司法局と組んで仕事をすることも。
あたしのすることを、ことごとく否定してきたヴェーラお祖母さまと比較すると、その寛大さは不思議なくらいだ。姉さまがかばい続けてくれなかったら、あたしこそ、グレていたかもしれない。
「お祖母さまはどうしても、一族の安全を最優先に考えなくてはならないからよ。でも、お姉さまは、もっと遠くを見ているんでしょう」
と探春は言う。
麗香姉さまは、地球時代、科学者集団をまとめ、辺境の宇宙を目指す移民団を結成した人だ。そして、一族の生活基盤となる小惑星都市を建設した。不老処置の基本技術も確立した。一族の誰も、最長老である麗香姉さまには頭が上がらない。ずっと独身で、子供も生んでいないから、『姉さま』とか『大姉上』とか呼ばれているだけ。
今でもきっと、一族の将来について、遠大な計画を巡らせているのではないか。
それはあたしには計り知れないし、自分のしたいことをするので手一杯だから、気にしたことはないけれど。
もしもあたしが何か命じられるとしたら、一族の生き残りを懸けた戦いの先鋒というところだろう。それなら、いつでも引き受ける。あたしは一族に守り育てられたおかげで、今日まで生きてこられたのだから。
『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』3章-2に続く
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