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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』8章-2 9章-1

8章-2 ハニー

 翌朝、わたしが起きた時には、イレーヌは既にいなかった。アンドロイド侍女に尋ねると、朝早く出立したという。

 いよいよ、置き去りというわけ。頼りない気分というのか、解放された気分というのか、どっちつかず。

 それでも、あたりには恒星から導入した陽射しが降り注いで、明るく暖かい。あと何日生きられるかわからないのだから、貴重な時間を大事にしよう。

 わたしは湖に面したテラスに朝食を用意させ、一人で優雅な時間を過ごした。焼き立てのクロワッサン、梨と生ハムのサラダ、濃厚なヨーグルト、新鮮なブルーベリー、蜂蜜を入れたハーブティ。

 マックスはコーヒーが好きだったから、わたしも彼と一緒に朝からコーヒーを飲んでいたけれど、本当は紅茶やハーブティの方が好き。これからは、誰に合わせる必要もないわけね。

 それから、歩きやすい格好で、屋敷の周囲を散歩した。甘い香りに満ちた薔薇園を歩き、周囲の森の中を巡る林道をゆっくり巡ってきて、お昼にする。今度は屋内の食堂で、中央のニュース番組を流しながら。

 ここから外部に通信はできないにしても、公共の放送は見られるのだ。世界には色々な事件が起きているけれど、わたしにはもう関係がない。生きてここから出られない限り。

 四階建ての屋敷は、静かだった。動くものは、アンドロイドの侍女と園丁、制服を着た兵士だけ。

 シヴァが視野に入ってこない限り、たった一人のバカンス。

 午後も遅くになってから、屋敷の管理システムに質問すると、シヴァの居場所がわかった。別の湖に停めたクルーザーの近くで、焚火をしているという。

 怖いもの見たさ、だろうか。やはり、どんな男なのか、調べずにはいられない。

 屋敷の管理システムに命じると、サイボーグ鳥を通した偵察映像を見ることができた。背の高い黒髪の男が、古びた深緑色のシャツを着て、湖岸の丸い石に腰掛け、ナイフを使って器用に魚を捌いている。湖で釣ったのだろうか。

 映像の中のシヴァは、開いた魚を木の枝に刺して、焚火の炎の近くに立てた。それから金属製のカップでコーヒーを飲み、ぼんやりと煙の行方を眺めている。

 映像をアップにして、観察した。顔立ちは男らしくて、ハンサムだ。太い直線的な眉と険しい黒い目、黄みがかった浅黒い肌。肩幅の広い、屈強な体格をしている。世界を軽蔑しているような印象なのは、不機嫌そうな口許のせいだろうか。

 マックスと違って、身なりに構わない男であるらしい。髪はぼさぼさ、ズボンは色褪せているし、ブーツは傷だらけ。何年も幽閉されていたから、というより、元からそういう性格なのではないかしら。野外で焚火の前に座っているのが、しっくり似合う。

 もう少し、様子を見よう。彼がこの屋敷へ戻ってきて、わたしに手出ししたがるようなら、その時に対応すればいい。

 こちらから、わざわざ出向いて挨拶する必要はない。このまま野営生活を続けてくれるなら、それで結構。

 ただし、自衛の準備はした。この小天体の管理システムに頼んで、市民社会のネットワークから、わたしの昔の写真を取り寄せてもらったのだ。学生時代の行事やパーティの写真が、大学の同級生たちがネット上で公開しているブログの中に何枚もあった。

 自分の元の顔は、もう自分でも忘れてしまいたかったけれど、もしもシヴァがわたしによからぬ真似をしようとしたら、これを見せてやる。整形前の醜貌を知れば、一遍にその気が失せるはず。

 もし、それでもひるまないくらい、女に飢えているとしたら……

 殺すわ。

 したがることをさせてやって、油断させてから。いくら強化体でも、隙はできるはずだから。

   ***

 あれこれ考えつつ、広い屋敷で、一人きりの生活を続けた。庭園で薔薇を摘んだり、厨房で料理をしたり。馬で丘陵を走ったり、図書室で名作文学を紐解いたり。

 中央のニュース番組や、新作の映画なども好きに見られた。マックスと《ヴィーナス・タウン》のことさえ考えなければ、優雅な日々。

(考えても仕方ないのよ。マックスが生きていても、死んでいても、わたしにはどうすることもできないわ)

 どうしても絶対にマックスの元に戻りたい、というわけではない。ただ、彼の庇護がなければ、《ヴィーナス・タウン》の事業を続けられないというだけ。わたし一人で、どうやって他組織の妨害や乗っ取りを防げるだろうか。ドレスや香水のことならわかっても、戦闘の指揮なんて想像もつかない……

 本当はもっと早く、自分の適性がわかっていればよかった。自分がこれほど、女たちを相手にするビジネスを愛するとわかっていたら……

 いいえ、もう辺境に来てしまったのよ。この選択は、やむを得なかった。二十歳の時点では。

 それでも二週間もすると、シヴァのことが、どうしても気になってきて仕方ない。この屋敷に寄り付きもしないで、野営を続けていて、本当に平気なのかしら。わたしの存在は、イレーヌが知らせているはずなのに。得体の知れない女なんかと、同じ屋根の下にいたくない?

 でも、得体が知れないのはお互い様でしょう?

 偵察鳥からの映像を見る限り、彼は淡々と湖で泳いだり、森で猪を捕まえたり、果物を集めたりしている。屋敷から持ち出した食料は、既に尽きてしまったのだろう。

 まあ、森の生態系は豊かなようだから、飢え死にすることはないだろうけれど……

(意地を張るものね……自分は、投げ与えられた女なんかに興味はないってこと? イレーヌの思惑になんか、はまらない?)

 雨の降る日もあった。管理システムは、居住区の植生を保つため、計画的に降雨を起こしているから。

 広壮な屋敷の中にいても、しとしとと雨の降る日は、つい、ものを考えてしまう。一階のテラスに出ると、空気は湿ってひんやりとしている。崖下の湖面には、薄い霧も流れていく。

 こんな日は、湖岸で焚火もできないだろう。シヴァはクルーザーに籠もって、雨に打たれる湖面を見ながら、何を考えているのだろうか。

(でも、自分からは行かないわ)

 わたしは拉致された被害者。シヴァの機嫌を取る必要なんて、ない。謝ってほしいのは、こちらよ。

 そうして、また二週間。シヴァは本気で、わたしに会わずに通すつもりだと思えてきた。意固地なのか、誇り高いのか。

 イレーヌは、何と言っていた? わたしが頼れば、何でもしてくれる男……?

 それは無理だ。わたしの元の顔を知ってしまえば、どんな男でも興覚めし、背中を向ける。男というのは、自分が美しいと思う女にしか、優しくできない生き物。

 マックスがわたしを選んだのは、単なる計算にすぎない。市民社会に絶望している女なら、裏切らない相棒になるから。

 期待なんか、しないことよ。素のままのわたしを愛してくれる男なんて、父や祖父たちだけなのだから。それなのに、わたしは彼らのことを捨てて、この辺境を選んだのだから。

9章-1 シヴァ

 腹が減った。いったん空腹を意識すると、他のことは何も考えられない。

 畜生、バターを載せた分厚いビーフステーキが食いたい。塩を振ったフライドポテトを添えて。ピクルスと玉葱をはさんだハンバーガーも食いたい。チキンの丸焼きでも構わない。中に詰め物をして、塩と大蒜とハーブで味付けしたやつ。

 とにかく肉だ、肉。

 俺は、しつこく鹿を追っていた。立派な牝の成獣だ。石をぶつけられる距離に来てくれれば、一撃で仕留められるのに。

 だが、森は緑の密度が濃く、なかなか鹿に近付けない。少しでも音を立ててしまうと、逃げられる。

 原始生活というのはつまり、一日の大半を食料確保に割くということだった。毎日が忙しい。湖に潜って魚を獲ったり(時間のかかる釣りは、俺の性分では耐えられない)、野兎を仕留めたり、ハーブをむしったり、木から果物をもいだり。

 やっと腹を満たしたと思っても、翌日になれば、また食料捜しだ。

 自分が馬鹿に思えて、仕方ない。

 これじゃまるっきり、原始人だろうが。

 自分を笑う余裕すら、ない。以前は本気で、〝連合〟を倒すことを考えていたんだからな。世界に英雄豪傑として知られる紅泉こうせんでさえ、ただの駒にすぎないのに、俺なんかにいったい、何ができる。

 ショーティだって心底では、理想なんか、とうに捨てているのかもしれない……自分が進化できさえすれば、くだらない争いばかりの人類のことなんて、どうでもいいのではないだろうか。

 茜に誓ったことを忘れていないのは、俺だけなのかもしれない。

 いや、弱い者が守られる社会なんて、そもそも、宇宙の法則に適っていないんじゃないか……? 強い者、賢い者が勝ち残る、それだけがこの世の真実なのかもしなれないだろう……

 俺は、どこかで道を見失った。

 いや、最初から、道なんてなかったのか。

 リアンヌを失った当初、俺は、彼女を取り戻す手立てを、あれこれ考えていた。軍から司法局に引き渡され、隔離施設に入れられた後は、しばらく監視が厳しい。数年は待たないと、脱出させるのは難しい。

 グリフィンの仕事をしながら、機会を窺ううちに、年月が過ぎた。その間リアンヌは、施設で平和に暮らしていた。職員たちと談笑し、中庭で花を育て、雨の日は読書をして。

 過去を忘れているから、平和なのだ。

 司法局もわざわざ、彼女の古傷をえぐろうとはしなかった。本人も、辺境で誰かの子供を宿し、失ったことで、辛い過去を探ろうという気を失くしていたらしい。

 リアンヌを取り戻すには、俺のことを思い出してもらわねばならない。いや、既に記憶はないのだから、記録を見せて、納得してもらうしかないのだ。俺たちは、愛し合っていたのだと。だから、もう一度、その愛を育てられるはずだと。

 しかし、穏やかな彼女の姿を映像で見るうちに、それがいいことなのか、自信がなくなった。辺境へ連れ戻せば、また戦いの日々ではないか。あんなに、母親になったことを喜んでいた、優しい女なのに。

 俺が守るつもりだった。しかし、守りきれなかった。次もまた、ひどい目に遭わせてしまったら、どうするのだ。

 迷っているうちに、まともな男がリアンヌを愛した。リアンヌの故郷の家族とも、関係が修復できた。娘が辺境から戻ってきただけで、家族には十分だったのだ。

 俺の方が幸せにしてやれる、とは言い切れなかった。たぶんこのまま、市民社会で平凡な妻、平凡な母親として過ごす方が、リアンヌのためなのだ。それが本来、リアンヌの進むべき道だった……

 突然、森の彼方で狼が吠えた。それに驚いて、狙っていた鹿がこちらへ逃げてくる。

 しめた。

 俺が投げた小石が、哀れな鹿の胴体を貫通する。骨が砕け、血が噴き出した。致命傷だ。鹿はよろよろ歩いてから、ばたりと倒れた。胸が痛むが、空腹を癒す方が先だ。

 血抜きした鹿をかついで、湖の岸まで戻ってきたら、そこに見慣れた犬がいた。ぴんと立った耳、暗灰色の背中に白い腹をした大型犬。

「その獲物、わたしもお相伴に預かりたいな。その権利はあるはずだ。きみの方へ追い込んだのだから」

 つい安堵してしまった自分が、自分で情けない。心底ではまだ、ショーティに頼っている。

「どこから現れたんだ。それとも、ずっと近くにいたのか」

 聞くだけ無駄だった。奴はそらとぼけて、

「わたしは、どこにでも存在するよ」

 と言うだけだ。奴の本体は超空間ネットワークに宿り、各地に行動端末を置いている、という意味なのだろう。

 俺は獲物を解体しながら、肉の付いた骨や、新鮮な内臓をショーティに分けてやった。解体作業には、もう慣れている。ここに幽閉されてから、退屈しのぎになることは何でもやった。手製の弓矢で動物を狩ることも、原始人のように、火打石や木切れから火を熾すことも。一度、できるとわかってからは安心して、再び文明の利器を使うようになったが。

「で? 何か、言いたいことがあって来たんだろ」

 切り分けた鹿肉を焚火であぶりながら、俺は近くに寝そべる犬に尋ねた。奴は満足そうに目を閉じ、砂利の上にぺたりと伏せている。どうせ、文句を言いに来たくせに。もう一か月以上、俺がハニーに会おうともしないから。

「いいや、別に」

「ほう。そうかい。忙しい身で、わざわざ鹿狩りの手伝いに来てくれたのか」

「うむ。懐かしいなあ。昔を思い出す」

 俺が十代の少年で、こいつがただの犬だった頃、よくこうして《ティルス》の屋敷周辺の緑地でキャンプした。火を焚いて、厨房から持ってきたチーズやソーセージをあぶったり、川で捕まえた魚を焼いたり。

 不思議な気がする。あの平和な時空間は、本当にあったのか。今の俺たちは、なぜこんなことになっているのか。

 茜がいてくれた時は、毎日夢中だった。楽しかった。リアンヌを愛した時も、自分は人生の目的を見つけたと思った。だが、どちらもほんの一時の幸せだった。不幸だけは、こうして延々と続くのに。

「鹿には気の毒だったが、美味かった。それでは、またな」

 ショーティが身を起こして去ろうとするので、こちらが慌てた。

「おい、どこへ行く!!」

 もうずっと、誰ともしゃべっていないのだ。いくら俺でも、人恋しいではないか。

 ショーティも、本来の犬の姿なら、美女の姿よりずっとましだ。雄のくせに女のふりなんて、どういう神経だか知らないが。辺境では、女の姿をしていると、色々便利なことがあるらしい。

「寂しかったら、ハニーと話せばいい。わたしはただ、届け物に来ただけだ」

「届け物?」

「クルーザーの船室に置いてある」

 そして奴は、太い尻尾を振りつつ森の中へ消えていった。まさか屋敷からずっと、森の中を走ってきたわけではあるまい。近くまで、小型の飛行艇か何かで来たのだろうが……それともあいつも、野生に戻る時間が欲しかったのか? 

 焼き上がった肉を食べ、残りの肉に塩を擦り込んで、残り火で蒸し焼きになるようセットすると、俺はクルーザーに戻った。

 奴が届けに来た品は何か、気になる。見れば奴の術中だろうが、俺はもう退屈しきっている。運動は食物探しで足りているが、知的な刺激に飢えているのだ。

 船室のテーブルにあったのは、わざわざ紙に印刷した何かの資料集だった。表紙は、プラチナブロンドを結い上げた美女の写真。

 しまった。見てしまった。

 これがハニーか。

 反射的に顔を背けてしまってから、恐る恐る、視線を表紙に戻した。白い肌、灰色の瞳、上品な鼻筋、取り澄ました微笑み。おそらく、出会う男を片端から魅惑してきたのに違いない。どこかのパーティ会場で撮影したものらしく、揺れるダイヤのイヤリングと、胸の谷間を誇示する深紅のドレスを身につけている。まさしく、大輪の薔薇。

 ショーティめ、見合いの釣書のつもりだな。

 このまま、炎にくべてしまった方が安全だ。見れば、煩悩が湧く。

 それなのに、俺の手は勝手に資料をめくっていた。経歴が詳しく書いてある。生まれた星、家族、趣味、大学の専攻。恋人のマックスのことも。《ディオネ》か……これは、かなりの男だ。人生の早いうちから、辺境で戦う決意をしていたのだろう。最高幹部会が目をつけて、引き立てそうな奴。

 それから俺は、予期していなかったものを発見してしまった。

(これは、まさか……!?)

   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』9章-2に続く

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