恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』11章-2 12章
11章-2 シヴァ
「小さいうちは、うんと甘やかしても平気よ。あなたも、子供と遊んであげて」
リアンヌは夢見るような、心を彼方に飛ばした顔つきだ。もう、歴戦のアマゾネスという印象は受けない。顔の輪郭も、丸みを帯びてきている。これが本来のリアンヌなのだ。くだらない男に誘われて、辺境などに出てこなかったら、とうに幸福な母親になっていただろう。
「ああ、キャッチボールをしよう。電子工作も教えてやる。バイク……いや、その前に自転車だな」
「じゃあ、わたしは娘に空手と、サバイバル技術を教えようかな」
「あまり厳しくしないでくれよ。俺が守るから」
「いいえ。いつまでも、親元にいられるわけじゃないのよ。独立できるように育てないと」
「息子は出ていっていいが、娘は困る」
「ああ、やっぱりファザコン娘になるわ。今から心配……」
表面上、他愛ない会話をしながらも、底には緊張が流れていた。割れる寸前の氷の上にいるようだ。
俺が怖いのは、子供を失うことではない。そのことによって、リアンヌが傷を負うことだ。既にもう、十分すぎるほど苦しんできた女なのに。
俺自身はもう、子供のことはあきらめている。遺伝子操作は、極めてデリケートな技術だ。最長老が俺や紅泉を誕生させるまでに、どれほどの試行錯誤があったことか。
骨格強度、筋肉密度、心肺機能、免疫力、耐久力、回復力。
安定した強化体が誕生するまでに、多くの命が失われているはずだ。俺たちの遺伝子は、普通人から遠く隔たってしまっている。妊娠しただけで奇跡だ。胎児がこのまま育つ可能性は、ほとんどない。
次を望むのなら、自分で研究するしかないだろう。
俺の遺伝子とリアンヌの遺伝子をどの程度使い、どの程度を新規に設計するか。その子はやはり、戦闘用強化体であるべきなのか。それとも、ちょっとばかり丈夫な普通人で構わないのか。
そうだ、普通でいいんだ。普通の幸せには。
だが、戦い抜いて生き延びるなら、戦士の肉体を持たせるべきなのか……俺の世代だけでは、この世界を平和な理想郷にすることはできないだろうから。
***
案内役の船に従って航行する、三人きりの船旅の中で、出産経験者のルワナは頼りになった。遠い昔だが、市民社会にいた頃、結婚していて、子供も二人いたという。
今はもう、その子供たちもとうに成人して、孫どころか曾孫までいるから、市民社会に戻りたいとは思わない……というのは本心なのかどうか、わからないが。
ルワナはあれこれと気を配り、リアンヌをいたわってくれた。ゆったりした衣類、温かな食事、心を落ち着かせる音楽、子供向けの絵本。
中央製の名作絵本の複製品を読んでいると、リアンヌは気持ちが安らぐらしい。微笑んで、童話に没頭している。
(これまで、ずっと無理をしていたんだ)
冷徹なアマゾネスという姿は、辺境で生きるための演技。多分、セレネもレティシアも、そしてリナも、ルワナでさえも、守ってくれる男がいれば、喜んで可愛い女になるのではないか。
辺境では、そういう意志を持つ男はごく少数だというのが、不幸の元だ。
戦いを趣味にしている紅泉は、やはり、特殊な例外だろう。あいつのボーイハントは、まさしく『狩り』に他ならないし。
(俺がリアンヌを守らなければ……何をしてでも)
改めて、思う。辺境でまともに子育てしていた俺の一族は、やはり特殊だったのだ。偉かったと言ってもいい。
俺も従姉妹たちも、友達があまりいない他は、何不自由のない子供時代を送った。辺境の現実とぶつかって、人生がきしみ始めたのは、戦う準備ができた思春期以降のことだ。
もし、俺がこれから子供を持つとしたら、その子供たちには、あれと同じくらいの環境を用意してやらなくては。そのためにも、俺には安定した地位や権力が必要だ。懸賞金制度を主宰するグリフィンの立場は、失えないものになっている。
――いや、待て。
もしかしたら、故郷の一族と和解するべきなのか。
かつての俺は、どうしようもないチンピラだったと認める。愛する女ができて、初めて大人になったと、最長老や総帥たちに頭を下げる。そして、リアンヌと子供たちを預かってもらう。
いや、だめだ。それはできない。俺がグリフィンである以上。もう、最高幹部会の下で生きるしかない。従姉妹の命を人質に取られた立場であっても。いや、それだからこそ。
だが、リアンヌと出会ったことは、全く後悔していない。
茜の時はまだ、『金で買った愛情』という負い目があった。しかし、リアンヌは自由意志で俺を選んでくれたのだ。その嬉しさ、誇らしさは、これまでの不幸を償って余りある。
(茜、すまない、許してくれ)
この宇宙のどこかに漂っている魂に、祈った。
(おまえを忘れたわけじゃない。おまえの姉妹たちを救う誓いも、忘れていない。だが、今はリアンヌを守りたいんだ)
前は、茜の魂がすぐ横にいてくれると思っていた。日に何度も、こっそり語りかけていた。だが、最近ではもう、滅多に思い出すこともない。今の生活が忙しく、心はリアンヌのことで占められている。
(茜、俺を恨むか? 怒っているか?)
わからない。茜は寂しそうに、薄く浮いている。遠い宇宙を背景にして。
***
平穏な旅は、突然終わった。
〝連合〟系列の中小組織の領宙である星系を通り抜けようとしている時、忽然と、正体不明の艦隊が現れたのだ。
百隻近い陣容であり、明らかに待ち伏せである。こちらはわずか八隻。船の性能はこちらが上だとしても、数で負ける。既に包囲されていて、逃げ道は見当たらない。
こちらの艦体には《フェンリル》の紋章を付けているというのに、そんなことはお構いなしか。
「六大組織でもなければ、系列組織のどれかでもありません。グリフィンの乗艦と知ってのことなら、心当たりは〝リリス〟しかありませんね」
「何だって!?」
俺には衝撃だったが、ルワナは平静だった。相手が〝リリス〟なら、降伏すれば命は助かるからだろう。元々が、中央からさらわれてきた女だ。逮捕されても、情状酌量してもらえるだろう。
「だが、二人とも、司法局に軟禁されているはずだ」
グリフィンの懸賞金リストに載せられたため、紅泉も探春も、平和な植民惑星の、温帯地方の離れ小島で、強制的に休暇を取らされている。
灰色の存在である〝リリス〟が、一躍有名人になったことで、
『市民社会の治安を維持するために、違法強化体に頼っていいのか』
という議論が起こったからだ。連邦最高議会での討論に決着がつき、軍や司法局の対応が定まるまで、彼女たちは動けないはず。
だから俺も、しばらくリアンヌにかかりきりでいられると思っていた。だが、ルワナは航宙モニターを見据えて言う。
「それは、偽装だったのでしょう。島に、それらしい女たちがいることは確認していましたが、こちらの手駒も、〝リリス〟と断定できる距離には近づけませんでしたから。たぶん、司法局員を替え玉に仕立てていたのでしょう」
俺たちが紅泉の行動力を過小評価していたのだとすれば、まずいことになる。リアンヌは船室で昼寝しているが、起こして身支度させた方がいいか。装甲服を着させて、小型艇へ……だが、ストレスで流産するかもしれない。何ということだ!!
じきに、向こうから呼びかけてきた。
「グリフィンに告げる。こちらは〝リリス〟だ。無駄な抵抗をせずに、投降せよ。人違いという抗議は、受け付けない。艦内の全員、十分以内に、気密服一つでエアロックから出てこい。それ以外の行動をとった時は、そちらの艦隊を消滅させる。カウントを始めるぞ。あと十分きっかりだ」
音声は合成だったが、言い方がいかにも紅泉だった。単純で剛直で、自分の正義に自信を持っている。映像は送られてこないが、横に探春がぴたりと付き添っているのは、目に見えるようだ。あいつはいつも、紅泉のことだけを気にかけ、愛していた。俺など、どうあがいても、相手にしてもらえるはずはなかったのだ。
「本物らしいな」
降伏しなければ、本当に吹き飛ばされる。だからといって、反撃するわけにもいかない。間違って紅泉と探春を殺してしまったら、何のためのグリフィンなのだ。彼女たちにはこれからも、正義の味方として活動してもらわなければならない。そしていつか、本当に〝連合〟を叩き潰してもらわなくては!!
司令官席にいた俺の横で何か調べていたルワナが、はっとしたような息の止め方をした。俺が見ると、努力して穏やかに報告してくる。
「船の管理システム内に、メッセージがありました。我々の出航前に、仕込まれていたようです」
仕込まれていた?
「見せろ」
それは俺宛ではなく、ルワナ宛の命令文書だった。発信者はリザード。
『〝リリス〟に出会ったら投降し、ジョルファをグリフィンとして引き渡せ。短期記憶を消去する薬品は、司令室内のA1保管庫にある。脱出用小惑星は一人分のみ、指揮艦の第3倉庫にある』
どういうことだ。リアンヌを引き渡す? 記憶を消してから? 一人用の脱出方法? 小惑星に偽装したカプセルか?
殴られたように、真相を理解した。
最高幹部会は最初から、リアンヌを生け贄として〝リリス〟に差し出すつもりだったのだ!!
しかも、グリフィンの正体が洩れないよう、リアンヌの短期記憶を消してから!!
六大組織の最高幹部たちは、そしてリザードは、懸賞金制度の布告に対して、〝リリス〟が何らかの反撃に出ることを予期していたのだろう。
というより、英雄として当然、何らかの反撃してもらう予定だったのだろう。それがまた、市民社会での〝リリス〟の評価を上げる結果になる。
だから、リアンヌを俺の身代わりとして、用意しておいたのだ。
それというのも、リアンヌが成功しすぎ、〝連合〟の重荷になってきていたからだ。
『男嫌いのアマゾネス軍団』の評判が高くなりすぎて、他組織の男たちを委縮させてはまずい。辺境はあくまでも、『男の天国』でなければならないからだ。
そうであってこそ、馬鹿な男たちが市民社会を離れ、続々と辺境にやってくる。いくらでも女を買える天国に。
リアンヌと、彼女が集めた女闘士たちは、俺のことがなくても、いずれ厄介払いされる予定だったのだ。
12章 リアンヌ
ルワナがシヴァに内緒で送ってくれた警告で目覚め、状況を理解した。自分でも、心のどこかで知っていた気がする。こんな幸福、いつまでも続くはずはないと。
だから、逆に納得して、安心している。そうか、こういう風に終わるものだったのか、と。
わたしを捕まえるのが〝リリス〟なら、かなりましな運命だ。
子供のことは、無理だと最初からわかっていた。ただ一日でも長く、夢を見ていたかっただけ。
わたしの幸運は、ここまで。
辺境を変えようという夢は、シヴァや〝リリス〟が引き継いでくれる。シヴァなら、わたしの部下たちの身柄も守ってくれる。アマゾネス軍団は、そのままグリフィン事務局に横滑りすればいいのだ。
本当は、もう少し長く、シヴァの愛情に浸っていたかったけれど。
『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』13章に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?