古典リメイク『レッド・レンズマン』11章-6
11章-6 クリス
意識を回復したヘレンには、恒久的な損傷はなかった。戦いの余波で倒れた女たちも、じきに回復した。リックの補佐をしたレンズマンたちが、周囲への被害を最小限に抑えてくれたらしい。
宮殿の医務室に運ばれたヘレンに面会に行くと、彼女はベッドの上で目を見開き、天井を見上げていた。巫女たちが幻覚だったと知って、さすがにショックだったらしい。彼女の部下たちが改めて神殿を捜索し、結果を報告した後である。
もう一つ判明したことは、ライレーン上で毎年、数十名、奇妙な死者が出ていることだった。
それぞれ聡明で強健な女たちなのに、なぜか一人で僻地に出向き、山奥で崖から落ちたり、吹雪で凍死したり、砂漠で行方不明になったり、嵐の海で遭難したりする。
これまでは単に、無謀な行動の結果の自業自得と思われていた。けれど、行政府の記録を調べたパトロール隊の調査チームが、そこに奇妙なパターンを発見したのだ。
彼女たちは日頃は仕事熱心で几帳面なのに、急に予定外の行動に出て、同僚や友人たちが何も知らないうち、用もない僻地に出掛けて遭難している。むろん、自殺するような理由も見当たらない。
「デルゴン貴族のやり口だな。強い暗示で獲物をおびき寄せて、殺害しているんだ」
そう察したリックが、上空からライレーン上の山岳地帯をレンズで透視して、奥深い洞窟に潜んでいるデルゴン貴族の残党を発見したのだった。彼らは旧式な思考波スクリーンしか使用していなかったから、ライレーン人には存在を隠せても、正規のレンズマンには通用しない。
捕食者たちは上空から爆撃され、一掃された。降伏を望んだ者もいなければ、逃げ延びた者もいない。知的種族の精神的苦痛を好物にしている彼らは、銀河文明とは共存できないのだ。
もちろん、リックが彼らの心を走査したが、彼らはブラック・レンズのことは何も知らなかった。ただ、何者かに導かれるようにして、この惑星にたどり着いたらしい。それがアイヒ族なのか、他の何者かなのかは、確定できなかった。
そして、デルゴン貴族掃討の様子は、ライレーンの女たちにも公開放送された。爆撃で潰された彼らの洞窟からは、女たちの遺骨や遺品も発見された。他の女が拷問されている間に、手帳に記録を残した女もいた。ライレーンの女たちは二十年以上も、逃亡してきたデルゴン貴族の生贄にされていたのだ。
歴然とした証拠を見せられ、ヘレンも観念した。
「我々は、騙されていたのだな……レンズのことでも、デルゴンどものことでも」
引き締めた口許に、強い自責の念が感じられた。彼女は女王として、市民たちをきちんと守っているつもりだったのだ。
「市民たちが毎年、誘拐されて餌食にされていたとは……わたしの落ち度だ」
自分にはもう女王の資格はない、退位すると彼女は言い出したが、それはわたしが止めた。リックたちレンズマンがライレーンの女たちをざっと調べた結果、依然としてヘレンが最適任者であるという結論に達したのだ。
「あなたの落ち度は、積極的に外界を知ろうとしなかったことですよ。もちろん、そのように、心理操作されていたのかもしれないけれどね。デルゴン貴族のことは、残党を追いつめきれていない、パトロール隊の落ち度でもあります。でも、これからはもう、その被害はなくなるのだから、よしとしましょう」
わたしはヘレンや側近の女たちと向き合い、今後のことを話した。
「時間をかけていいから、銀河文明に参加するかどうか、ライレーン人の間で話し合ってください」
この話し合いに、男のレンズマンたちは同席していない。リックが実際にこの星に降り立つことも、わたしが止めたのだ。ライレーンの女たちは、男にライレーンの土を踏ませることを望んでいない。かろうじて、わたしと女の部下たちだけが、実務の交渉にあたっている。
「こちらの艦隊は、一部を見張りに残して、引き上げます。見張りは、あなたたちをボスコーンの海賊たちや、デルゴン貴族の残党から守るためです。あなたたちの許可なくして、男たちが、この星に降り立つことはありません」
「銀河文明か……」
ヘレンは考え込む様子だった。彼女の額には、もうレンズをはめた装身具はない。
「そちらへ派遣した者たちは、どうなる。彼女たちは、おまえたちの社会で成功しているはずだが」
レンズマン部隊が、市民社会に紛れていたライレーンの工作者たちを、ほぼ全員、確保した。中には自殺した者、逃亡した者もいるが、やむを得ない。
彼女たちの一部は、自分はライレーンのために働いていると信じていたし、他の一部は、デッサのようにアイヒ族の手先になっていたらしい。
また、ライレーンから心を離し、銀河文明の中で、普通の市民になろうとしていた者もいた。市民社会で暮らすうち、愛する相手を見つけたり、子供を産んでいたりする女たちだ。
しかし、アイヒ族に操られていた者たちは、デッサが逃亡した時、既にその記憶を消されていたようだ。彼女たちの記憶に空白や矛盾があることで、逆に、アイヒ族の関与が推測できたのだ。
アイヒ族の実態はまだ不明だけれど、とにかく、彼らは痕跡を消して逃亡した。銀河文明の中では、彼らの影響力は格段に低下したのではないか。
「彼女たちは母星のために行動していたのだから、悪質な犯罪者とは違います。もう取り調べは終わったので、自由の身ですよ。ブラック・レンズは危険なので、取り上げましたけれど」
女王のレンズも、既に艦隊中の技術陣が保管している。レンズマンたちが、いずれそれを〝返却〟することはないだろう。ライレーン人たちがレンズを製作したのではない、という理由で。
《自分たちだって、アリシア人からレンズをもらっただけのくせにね》
わたしの感想に対して、リックは苦い返答を寄越した。
《少なくともぼくらレンズマンは、〝もらった〟ことを認めているよ》
そう、正体不明のアリシア人にね。
「後はイロナのように、元の職業で生きるもよし、ライレーンに帰還するもよし……好きに生きていいんです。銀河文明のルールに従ってくれる限り、ね」
「わかった……」
女王は立ち直りも、決断も速かった。さすがに、ライレーン中から選び抜かれた人物だけはある。
「自治を認められるなら、外交官の駐在は認めよう。パトロール艦隊の立ち寄りも、認める」
それから、付け加えた。
「イロナに詫びておいてくれ。未熟者は、わたしだったようだ」
わたしは笑って提案した。
「それは、ご自分で、じかにおっしゃったらどうですか?」
***
女王の同意が得られたので、ライレーン全土から、かつて誘拐された銀河文明の女たちを捜し出した。
工作員を人類社会に紛れ込ませるため、偽者とすり替えられ、本来の居場所から連れ去られた被害者たちだ。彼女たちはライレーンの暮らしに適応できるよう、代々の女王や側近たちから心理操作を受けていた。
(自分は不幸だったが、ライレーンに来て救われた)
(男たちが支配する人類社会では、女は利用され、踏みつけられるだけだ)
と信じるように、強い暗示を埋め込まれていたのだ。その状態で何年も、あるいは何十年も過ごしてきたのだから、それを一律に〝治療〟してよいものかどうか、難しいところである。
彼女たちはここで友人や恋人を作り、働いて、ほとんどライレーン人になりきっている。無理に〝故郷〟へ戻すことが、必ずしも良いこととは限らない。
残念ながら、被害者の中には、既に死んだ者や、病んでいる者もいた。暗示がうまく働かず、心を病んだ者もいたのだ。
とりあえずは、生存者をまとめて移送し、最高基地の病院に預けることにした。そこでそれぞれ相応しい〝治療〟を受け、身の振り方を考えればよい。治療や療養に関しては、レーシー先生にお任せすれば大丈夫だろう。
故郷へ戻り本来の家族との関係を再構築するか、それともライレーンに引き返すかは、本人次第だ。パトロール隊は、彼女たちの決断を支援する。
それにしても……改めて感じたのは、ボスコーンの〝粗雑さ〟だ。
デッサやイロナのような工作員を、銀河文明の人類社会に溶け込ませるためには、ライレーンの背後にいた上位種族は(少数のライレーン人の力だけでは、あれほど精密な記憶や記録の操作は不可能だったろう)、非常に手間暇をかけている。
しかし、本来の居場所から引き抜いて、ライレーンに移植した被害者たちに対しては、ほとんど何もしていない。
つまり、戦闘の役に立つなら手をかけるが、後方に下げた者はどうでもよい、ということだろう。
日常の暮らしを大事にしない……人を大切にしない……この粗雑さは、ボスコーンの大きな弱点ではないか。
初めて、勝てる、という気がしてきた。どれほど時間がかかっても、銀河文明は、ボスコーンに勝てる。一人一人を大切にしない文明は、いずれ、足元から崩壊するに違いないのだ。
《そうですね。ぼくもそう思います》
レンズを通して接触したキムは、喜んでいた。
《男のレンズマンだけでは、ライレーン人に心を開いてもらうことはできなかったでしょう。クリスさんが代表で、よかったんですよ》
わたしも多少は、安堵している。この件で、頑固なレンズマンたちも、いくらか認識を改めたに違いないのだ。女がレンズを持つことも、可能なのだと。
《イロナもよく、協力してくれたわ》
彼女は積極的に子供時代の友達に会い、銀河文明の話を広めてくれた。おかげで何人か、外の世界を見てみたいと願う女たちを、わたしたちの艦隊に同行させることができたのだ。
そうやって、外部との交流が広がるといい。その上で、ライレーンを選ぶ者たちは、満足して母星で暮らせばいいのだ。
イロナ自身は、帰りの艦隊の中で、またミニ・コンサートを繰り返していた。既にあちこちから、歌手として各地を巡業する話が舞い込んでいる。彼女はダンスも得意なので、余計な心配事がなくなれば、さぞかし素晴らしい舞台になるだろう。
もう、レンズが欲しいとは思わないそうだ。
「わたしは元々、歌って踊っていられれば幸せなんだ。工作員になんか、戻るつもりはない」
それなら、それでいい。彼女の選んだ道で、幸せになってほしい。わたしはわたしの選んだ道で、戦い続けるから。
『レッド・レンズマン』12章に続く
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