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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』6章-2 7章-1

6章-2 マックス

 女は顔にかかる長めの前髪をかきあげ、にやりとした。この不敵な笑みも、ハニーのものではない。ハニーは楽しくて笑う時でも、どこかに翳りを残している。人生が、悲しいものだと知っているから。

 それが、ハニーの美しさの本質なのだ。

「やっとわかったの。鈍いわね」

 ぼくは荒い呼吸になっているのに、向こうはほとんど息を乱していない。やはり、戦闘用強化体だ。

「本物のハニーは、どうした」

「大事に預かっているわ。あなたの手の届かない場所でね」

 アンドロイド兵たちは、こちらに向き直っている。その手は既に銃を構え、ぼくに狙いをつけていた。これまでは、ぼくに従うふりをしていただけか。

 既に、兵を制御する《ボーイ》が乗っ取られているのなら、生身のぼくにできる抵抗はない。自分は有能だ、隙がないなどと、とんでもない思い上がりだったらしい。

「条件は何だ!?  何と引き換えになら、ハニーを返す!?」

 偽ハニーは、ころころ笑った。氷上で、銀の鈴を振るような冷たさだ。

「人質という意味で、さらったのではないわ。《ディオネ》を乗っ取ったのも、ほんのついでよ。わたしたちはただ、ハニーが欲しかったの」

 何を言っている。外見だけ美しい女なら、他にいくらでもいるではないか。ぼくにとっては唯一の女神でも、他の男には、ただの〝生きた花〟の一輪にすぎないはず……

「ハニーを、どうしようというんだ」

 用心しながら尋ねたら、哀れむように言われた。

「この世の中で、自分だけが、彼女の値打ちをわかっていると思ってた?」

 ぎくりとした。

 まさか、そんな。

 いや、整形してからのハニーは、確かに華麗な美女ではあるが。事業の手腕も、期待以上のものがあったが。

「残念ね。彼女を見初めた男がいるの。あなたより、はるかに力を持った男。彼女はそこで、幸せになれるわ。だから、あなたはもう要らないの」

 足元の地面に亀裂が入り、奈落まで崩れ落ちる気がした。どこかの権力者がハニーに惚れ込み、ぼくから横取りしたというのか。

 ありうる。ありうる話だが。しかし。他の誰に、ハニーの内面がわかるというのだ。苦しんだ歳月が、彼女を磨いた。その過去を知らないくせに、よくも。

「わたしは騒ぎが起きないよう、彼女の身代わりを務めていただけ。今までのところ、誰も疑っていないわ。いずれそのうち、本物のハニーが復帰してくるはずだし」

 つまり、排除されるのはぼくだけか。

 ぼくは撃った。女の足を狙って。しかし、女は跳躍して逃れている。

 同時にアンドロイド兵たちが、ぼくに向かって殺到してきた。ぼくは銃を叩き落とされ、腕をねじり上げられ、床に膝をつかされた。強く押されて、額が床にぶつかる。後ろ手のまま、手錠をかけられる。

 そのぼくの視野に、男の、磨かれた靴先が入ってきた。苦労して頭を上げたら、そこにはぼくがいる。真ん中分けの金髪、青い目、気取った微笑み、上品なグレイのスーツ。

 偽マックスだ。

 その男に寄り添っているのは、偽ハニー。

 完璧な美男美女の組み合わせだが、二人の顔には、揃って高慢な笑みが浮かんでいる。少なくともハニーは、あんな顔をしたことはない。そういう女ではないのだ。使い捨てられるバイオロイドたちに、本気で心を痛めていた女。だからこそ、守りたかった。守れるつもりでいた。

「きみの自由の日々は、これまでだ。気の毒だが、敗者には何も残らないのが辺境の掟でね」

 ぼくと同じテノールの声音で、その男は言う。途方もなく鼻持ちならない気障男に見えるが、これが〝客観的に見るマックス〟なのか。

「《ディオネ》はきちんと運営するから、未練を持たずに成仏したまえ」

 灰色の顔をした兵たちに引き立てられ、地階に下ろされ、車に乗せられた。部下たちは誰一人、助けに来こない。この騒ぎに気付かないのか、知っていてあきらめているのか。

 死刑囚の気分を、まさか自分が味わうとは。

 車は回転居住区を出て、桟橋に接続していた船に乗り入れた。どこの組織の船なのか、何の手掛かりもない。ぼくは船室に入れられ、そこで拘束を解かれたが、部屋から出られない上、通話画面も反応しない。

 船は出航したが、それから何日もの間、ぼくは放置されていた。食事はアンドロイド兵の手で差し入れられるが、人間は誰もやってこない。

(すぐに殺されるのではないとしたら……)

 ぼくをどこかの研究施設に送り、人体実験にでも使うつもりか。ああ、ぼくならそうする。せっかくの生きた人間、無駄に殺す手はないからな。洗脳して、スパイなり、刺客なりに使うのかもしれない。このぼくが、自分の意志を失い、単なる道具として使い捨てられるとは!!

(どこで間違ったんだ……こんなことになるなんて)

 ぼくが到底勝てない男が、ハニーを欲した。ハニーは今頃、どんな目に遭っていることか。

 ろくでもない想像が湧き上がり、じっとしていられない。胃がねじられるようだ。夜、眠ろうとしても眠れない。うろつき歩いて、壁に頭をぶつけたくなる。自分を傷つけても、何の役にも立たないとわかっているのに。

 朝から晩まで繰り返し、自分の愚かさを呪った。自分は成功者だと思い上がり、先の見通しもない研究に夢中になって!!

 だが、それでも、ただ一点だけは単純に嬉しかった。

 ぼくが愛した女は、やはり世界一なのだ。だからこそ、どこかの権力者が横取りしていった。

 そいつは今頃、大喜びでハニーを口説いているだろう。贈り物を積み、特権を約束し、ハニーの意志で、自分に乗り換えてもらおうとするだろう。女はみな、強い男に惹かれるものだと信じて。

 だが、ぼくらは深い絆で結ばれている。もう十年、伴侶として暮らしてきたのだ。ハニーが簡単に、そいつの言いなりになるはずがない。

 ……恐ろしいのは、ハニーがそいつに抵抗し続けて、ついに洗脳されてしまうことだ。ぼくのことを忘れ、ぼくと過ごした日々を忘れてしまうかもしれない。そして、その男を愛するようになるかもしれない。

 取り戻さなくては。そんなことになる前に。

 だが、どうやって。

 こんな籠の鳥状態で、どう反撃できる。この部屋から出される時は、麻痺ガスを吸わされているかもしれないのに。

7章-1 シヴァ

 ――信じられない。

 ショーティの奴、とうとう、婦女誘拐までやりやがった。しかも、恋人がいる女だと。

 十年も一緒に暮らした男と引き離されて、そのハニーという女、どれほどの恐怖と悲嘆に突き落とされていることか。

 この状況では、俺まで誘拐犯の仲間と思われてしまう!! 好かれるどころか、永遠に呪われるだけだろう!!

「たいしたもんだ、そこまで邪悪の側に堕ちたとは……さすがは、最高幹部会に気に入られただけのことはあるな」

 俺が心の底から皮肉に言っても、奴は通話画面の中で微笑んだままだ。褐色の美女の顔をし、金のイヤリングを煌めかせて。

「あら、あなただって、彼らのお気に入りの一人よ。殺されもせず、こうして幽閉されているだけなんだもの」

「それに感謝しろってのか?」

「凍結保存よりましでしょ」

「……」

 確かにここは、俺一人には贅沢すぎる牢獄だが。グリフィンの職務を取り上げられてからというもの、まさに〝飼い殺し〟という日々だ。ただ、新しいグリフィンが立派に務めを果たしているらしいことは、中央のニュース番組を追っているだけでもわかる。最高幹部会は、相応しい人材を選抜したようだ。

「とにかく、その女言葉はやめろ!! 寒気がする!!」

「あら、せっかく女性の振る舞い方を習得したのに」

 わざと身をくねらせるのも、俺を怒らせ、消えかけた火を強めるつもりなのだろうとは思うが。

「だから、それが不気味だと言ってるんだ!! おまえ、自分でおぞましいと思わないのか!!」

 俺は秘書だったルワナが、自爆する船の中で死んだと思って、何年も心の中で追悼していたんだ。それなのに、しゃあしゃあと現れて、生きていたなどと。

『ルワナはショーティの分身の一つだったが、それが本体に発見され、統合されたのだよ。ルワナの記憶は全て引き継いでいるから、悲しむことはない』

 などと言われて、素直に喜べるか。この分では、彼方に散っていった他の分身たちも、どうなったことか。

 甦ったルワナは……少しばかり整形して、イレーヌという名前で、あちこちに出没するようになった。辺境の人間たちは、このイレーヌを、正体の知れない切れ者として恐れている。

 他にもどれだけ、ショーティの宿った〝端体たんたい〟が活動しているのか、俺も知らない。俺はもう、こいつの管理する大勢の駒の一体に過ぎない。

 ただ、真実の記憶がまだ残されている分だけ、使い捨ての駒よりはましと思うだけだ。俺は、記憶の操作などされていない……そうだよな?

 最初にショーティを知能強化したのは、俺だ。それからは奴が勝手に、自分で進化した。そして、最高幹部会に引き立てられた。俺がお払い箱になった後も、奴は自由に辺境を飛び回っている。

「わたしには、人間の形に慣れる方が大変だったわ。お皿に鼻を突っ込もうとする衝動、押さえるのにどれだけ苦労したか。床で伸びをするのも、ついやりそうになるのよね」

「………人前でそれをやったら、さぞかし見物だろうよ」

 犬でいてくれればよかったのに。俺の犬のままで。

   ***

 もう三十年前になるのか。俺の親友だったサイボーグ犬のショーティは、最高幹部会に捕われ、凍結保存された。その無力な姿を見せつけられたことが、俺がグリフィン役を引き受けた理由の一つだった。

 市民社会を支える重要人物の命を的にする、懸賞金制度の運営責任者。

 市民社会から見れば、悪の権化。

 だが、凍結を解除されたショーティは、奴らの手先になってしまった。最初は仕方なく、やがては納得ずくで。

 逆らえばまた凍結されるのだから、それよりは、彼らの使い走りとして活動する方がましと腹をくくったのだ。今では最高幹部会の代理人として――本体は犬だったが、既に犬の肉体には依存していない――絶大な権力を振るっている。

 ショーティの今の能力や規模は、俺にもよくわからない。既に『超越化している』と言ってもいいのかもしれない。人間でさえも難しいと言われる超越化を、犬が成し遂げるとは、それこそ驚異だが。

 それでいて、最高幹部会の使い走りに過ぎないということは……

 既に最高幹部会そのものが、もっと進んだ超越体の道具なのかもしれない。リアンヌを〝リリス〟に差し出した時、ルワナが最後に俺に警告してくれたことは、そういう意味だったのではないか。

 しかし、今の俺にはもう、無意味になった警告だ。グリフィンとしての地位があれば、まだ、何かできたかもしれないが。

 俺は五年前、最高幹部会の前に引きずり出され、長年務めたグリフィン役を解任された。俺に落ち度があったわけではなく、ただ、もっといい後任が現れたというだけの理由で。

 俺は新しいグリフィンの顔すら知らないが、とにかく、そいつは大過なく任務を遂行しているらしい。

 おかげで、俺の従姉妹たちは無事だ。悪党狩りのハンター〝リリス〟として、元気に宇宙を飛び回っている。自分たちが、宿敵であるはずのグリフィンの庇護を受けていることを知らないまま。

 無役になった俺はこうして、ショーティの管理する小惑星内部に幽閉されている。百万人が楽に暮らせる広大な居住空間に、たった一人で。

 外部から多少の情報は入るが、こちらから発信することはできない。許されているのは、管理システムを通じて、ショーティに伝言を届けることだけだ。ショーティ自身は、新しいグリフィンの世話役を務める傍ら、こうやって、ろくでもない企みに手を出す余裕がある!!

「どうせ暇なんだから、バカンスだと思って、ハニーと楽しく過ごしなさいよ。気長に口説いて、あなたを好きになってもらえばいいわ」

 そこが、根底から間違いだ。楽しくなることなど、絶対ない。

 その一、俺は幽閉生活には飽き飽きしている。

 その二、他の男を恋しがって泣く女に、手出しなどできない。

 その三、俺を飼い殺しにしている連中を、殺したいくらい憎んでいる。

 女を与えたられら、俺が感謝するとでも思っているのか。先の見えない孤独地獄が、今度は、目の前に〝食えない餌〟をぶら下げられた餓鬼道地獄になるだけのことだ。

 ショーティは、俺が寂しさに負けて、女に擦り寄り、頭を下げると読んでいるのだろうが……あるいは、その通りかもしれないが……かろうじて残っている誇りが、俺に虚勢を張らせた。

「そんな女、誰が欲しいか!! 元の場所に帰してやれ!!」

 だが、美女の姿をした犬畜生は、悠然として微笑んでいる。奴の船はハニーを乗せて、もう間近まで来ているというのだ。

「しばらく一緒に暮らせば、好きになるわよ。それはもう、素晴らしい女性なんだから。恋人のマックスはこちらで始末したから、あなたはハニーを慰めてやってちょうだい。彼女にもそのうち、あなたの誠意が通じるでしょう」

 ――馬鹿な。

 人の心が、そんなに簡単なものか。

「俺はもう女なんか要らないって、言ってるだろうが!!」

 茜も奪われた。リアンヌも奪われた。従姉妹たちはまだ無事だが、俺は彼女たちの前に顔も出せない。誰かを好きになったところで、また引き裂かれるに決まっている。あんな苦しい思い、二度と繰り返すものか。

 それなのに、美女の仮面をかぶったショーティは、したり顔で言う。

「シヴァ、あなたの人生はまだ続くのよ。ずっと一人でなんか、生きていけないでしょう?」


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』7章-2に続く

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