恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』26章-2 27章
26章-2 シヴァ
既視感があると思った。前にもこうやって、囚人暮らしをしたことがある。もうずいぶん、遠い昔のような気がするが。
だが、あの時の看守はショーティだった。今回の看守は、いったい誰なのか。
二流のホテルを思わせる、三間続きの、広いが簡素な船室で、俺は捕虜生活を送っていた。寝室、居間兼食堂、運動するためのジム。
説明も脅しも一切なく、ただ、三度の食事と午前午後の軽食が差し入れられるだけ。俺をここに連行した機械兵たちは、何のヒントも残さなかった。
娯楽用の映画や市民社会の報道番組は見られるが、外部との通話はできない。この船が移動し続けているのか、どこかに停泊したままなのかも見抜けない。幾度か加速や減速はあったが、わからないほどの方向転換や微小加速もありうる。
とにかくこれは、俺のことをよく知る何者かの仕業だ。〝リリス〟が危機に陥れば、俺が駆け付けると読んでいやがった。
だが、その誰かは、俺を捕まえて、どうしたいのだ。ショーティを脅す材料にでもするつもりか。もしもショーティが俺を見失っているのなら、そいつは途方もなく有能で厄介な奴だろう。
あれこれと考える中で、一つの嫌な可能性が浮かんだ。
マックスだ。俺にハニーを横取りされた男。俺のことを知れば、逆恨みすることは必定だ。
もしもこれがマックスの仕業なら、奴は俺をどう処刑しようか、楽しんで計画を練っていることだろう。俺が囚人暮らしに疲れ果て、しまいには絶望することまで、計算しているのではないか。
くそ。
緩衝材の詰まった壁を蹴っても、殴っても、何の役にも立たない。ハニーは今頃、どれほど心配していることか。
だいたい、ショーティは何をやっている。犬の姿で俺の艦に乗っていただけではない。最初から、《ヴィーナス・タウン》の全ての護衛艦を制御していただろう。
あの程度の戦闘で俺を見失うなんて、それでも超越体か。
それとも、相手が相当な大物だから、反撃の機会を待っているのか。だとしたら、ハニーは無事なのか。まさか、最高幹部会そのものが、俺たちの排除を決めたのか。そんな予兆は少しもなかった、と思うのだが。
《ヴィーナス・タウン》は順調に支店を増やし、辺境ではすっかり定着した存在になり、女たちの就職先としても抜群の人気を誇っている。〝連合〟に対する悪影響など、何もないはずだ。
まさか、成功しすぎて脅威になったというのか。自分たちで後援しておいて。
俺はささやかなジムで走ったり、サンドバッグを殴ったり、腕立て伏せをしたり、腹筋をしたりして、苛立ちを紛らせた。毎日、飽きるまで、空手の型を繰り返した。
ただ荒れ狂っても、いいことはない。平常心を保って、動きを待つのだ。過去にはあれほど痛い目に遭ったのだから、少しは賢くなっていいだろう。
俺を捕えたのがマックスなら、勝利宣言をするとか、俺を拷問するとか、何か接触がありそうなものだ。しかし、もう二週間以上も、ひたすら放置されている。放置しておくことが、奴の考える拷問なのか?
なぜ、と考え続けて、煮詰まってしまう。
結局、俺には、悪党どもの考えなどわからないのだ。奴らは、まともな人間の感覚では理解できない、ひねくれた陰謀を巡らす。何が楽しいのか、さっぱりわからない。愛や信頼の伴わない権力なんて、何の意味があるんだ。
それとも、そんなことにこだわる人間は、もはや絶滅するしかないのか。
運動の他は、映画を見て時間を潰した。古い名画や、歴史大作、評判のいい恋愛映画。いつもハニーと二人で、夕食後のひとときを、こうして過ごしたものだ。二人で笑い、二人でしんみりして。
一人で見る恋愛映画は、ひたすら空しい。一瞬は没頭しても、ふと横を見た時、ハニーがいない。再び会える保証もない。
そのうすら寒さといったら、壁に頭を叩きつけたくなるほどだ。
ふて寝しようとしても、強健な肉体は、十分な運動の後でないと眠ってくれない。稽古相手のアンドロイド兵もいないので、ひたすら基礎訓練と、型の稽古を繰り返した。
ふと思い出したのは、一時、よく稽古をつけてやったカーラのことだ。女だが、格闘技のセンスはよかった。何年も、真剣に修行していたことは確かだ。
肉体を乗り換えたせいで、たまに動作に混乱をきたしていたが、それも、俺が教えているうち、薄れていった。本人が、よく努力したからだ。
過去を偽るのは辺境ではよくあることだから、詮索する必要はないと思っていた。今はハニーの片腕として、部下を率い、各星域を飛び回っている。俺が出立した時は出張に出ていたが、戻ってきて俺が消息不明と聞いたら、さぞ驚くことだろう……
そこで、何かがひっかかった。
いや、前にも幾度かひっかかりはしたが、忙しさに紛れて、流してしまっていた。
もっと手足の長い大柄な肉体から、小柄な肉体に乗り換えただと? なぜわざわざ、そんな不利になることを?
過去と決別するにしても、警護役として仕事をするなら、同じくらい大柄な女の肉体でよかったはずだ。ルーンのように。
漫然と流していた恋愛映画で、甘い女声の歌が使われた。地球時代のラブソングらしい。蘇州夜曲。川の流れる古い街。桃の花。おぼろの月。抱き合う男女。
何かが閃き、俺は真相を掴んだと思った。
――女から女へ、ではない。男が、女の肉体に乗り換えたのだ。
それならば、どう訓練しても混乱が生じるだろう。あれは、マックスではないのか。女の聖域に入り込むためには、それしかなかったからだ。
この考えが当たっているなら、マックスは、ハニーをあきらめはしない。たとえ何十年、何百年付け狙っても。
その執念にぞっとしたが、同時に、敬服する気持ちも生じた。それこそが、恋愛というものかもしれない。自分にはこの相手しかいないという、狂気のような思い込み。
それならば、マックスは俺を殺さず、このまま何百年でも幽閉しておくだろう。本当に殺してしまえば、万が一、それを知った時のハニーの怒りと恨みは、絶対に溶けないからだ。
だが、俺が行方不明のままならば。
捜しても捜しても、発見できないままなら。
ハニーは俺を待ち続けることに疲れ、やがて、マックスの差し出した腕にすがるかもしれない。再びマックスと暮らすようになって、俺のことをすっかり忘れてから、マックスはその様子を俺に見せ、俺を絶望に突き落とすつもりなのかもしれない。
――畜生、そんな念の入った復讐があるのか!!
居ても立ってもいられず、焦りで発狂しそうになった。何年も、何十年も、この狭い部屋から出られないままだったら、いつまで正常な神経を保っていられる!?
ハニーが泣いても、ショーティが探し回っても、俺はこのまま発見されないかもしれない。何という陰険な野郎だ。一思いに殺すのではなく、こうやって俺が苦しむさまをどこかから見て、ほくそ笑んでいるのではないか。
だが、怒り狂っても、ぶつける場所がない。壁を壊しても家具を壊しても、アンドロイド兵士が修理に来るだけだ。
落ち着け。
荒れ狂っては、奴を楽しませるだけだ。
ここで終わるはずがない。ショーティがきっと来てくれる。いくらマックスが有能でも、ただの人間なのだから。
そう……もしもマックスが超越化していて、ショーティを越えてしまったのでない限り。
それは、絶望的な認識だった。犬があれだけ進化できるのだ。元が人間なら、その進化の速度ははるかに速いのではないか。
もし、そうなっていたとしたら、それはきっと、奴がハニーを失ったせいだ。その怒りと絶望とが、奴に人間の限界を超えさせたのだ。
不幸な者は、しばしば、幸福な者より強い。捨て身の強さがあれば、大抵のことは成し遂げられる。
それなら、俺は幸福に浸っていたために敗れたのだ。
27章 カーラ
中央の外れから出発した〝リリス〟艦隊の航跡をたどり、平行して《アヴァロン》から出たシヴァの艦隊の経路をたどれば、それらしき合流宙域は割り出せた。既に《ヴィーナス・タウン》の情報収集能力は、かなりの水準に達している。
厳しく管理された大組織の支配領域を避け、隙のある中小組織の縄張りを捜索していった。ある時は脅しをかけ、ある時は友好的に。
だが、おそらく、シヴァが入り込んだのは、どこの組織にも属さない緩衝領域だろう。
幾つかの無人星系を捜索した後、真新しい戦闘の残骸が漂う星系にたどり着いた時は、何か発見できるものと思った。〝リリス〟の死体か、シヴァの死体を。残骸の一部は、《ヴィーナス・タウン》の護衛艦のものだったから。
無数に漂う戦闘艦や小型艇の残骸を片端から調べたが、人間の死体はなかった。核爆発で一瞬のうちに蒸発したのか、それとも生存者は小型艇で離脱できたのか。元々、どの艦隊にも、最小限の人間しかいなかったはずだ。前面に出て戦うのは無人艦であり、機械の兵士なのだから。
転移反応を探知する警備ポッドや、通話を経由する通信ポッドはあったはずだが、戦闘の際にほとんどが破壊されたらしく、残骸しかない。
ここで手掛かりが発見できなければ、どうしようか。
頭の中には、助けを求めてもいいと言ったマックスの言葉が残っている。だが、それにはためらいがあった。
自分は幼いハニーに癒されてはいないし、超越体でもない。あそこに戻れば巨大な本体に吸収されてしまい、〝カーラという経験〟に縮んでしまうのではないか。
それよりも、カーラ個人として生きていきたい。マックスという過去を持ってはいるが、マックスそのものではない、新しい個性なのだ。
あきらめる前に、もう少し粘ろうと思い、四方八方に探索の船を送り出し、近傍の星系の警備ポッドや通信ポッドの記録を調べた。転移反応。通話の痕跡。辺境では、誰の領宙でもない領域にも、〝連合〟が無数のポッドを撒いている。それを通じて、中小組織を監視するのだ。
幾つか、それらしい艦船の形跡があった。戦闘の後で、この星系から立ち去っている。全てを追ってみよう。これで駄目なら、マックスにでもショーティにでも、助けを求めようではないか。
その時、通話画面が明るくなった。振り向くと、そこには見慣れたサイボーグ犬の顔がある。これまで、わたしが何度呼びかけ、相談しようとしても、応答しなかったくせに。
「やあ、カーラ。放っておいて、すまない」
いけしゃあしゃあと。
「冬眠でもしていたの!?」
わたしの皮肉など、どこ吹く風だ。
「きみが独力でここまで来たからには、わたしが手助けしても構わないだろう。きみはもう、シヴァの一歩手前まで来たからね」
わたしは両手を腰に当て、反感を隠さずに言った。
「やっぱり、知っていて黙っていたわね。どういうつもりなの!? ハニーが倒れてしまうわよ。たとえシヴァが死んでも、あなたにはハニーを守る責任があるでしょう!!」
もはや怒る時も、女の振る舞いを壊さないようになっている。意識しているというより、習慣になっているのだ。
「それは謝る。申し訳ない。わたしもまた、圧力を受けていたのだ。二代目グリフィンからね」
わたしは戸惑った。懸賞金制度の主宰者。予期していなかった名前だ。
「……二代目グリフィンが、なぜ?」
その人物がシヴァの後釜だということは、以前にショーティから聞いてはいたが。男なのか女なのか、誰かの仮の姿なのか、世間には何も知られていない。ただ、シヴァよりも〝リリス〟の守り手にふさわしいと、最高幹部会が判断したのだ。
「〝彼〟に約束させられていたのだよ。誰かが独力でシヴァまでたどり着かない限り、手出し無用とね」
『ミッドナイト・ブルー ハニー編』28章に続く
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