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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』9章 10章-1

9章 シヴァ

 ある晩遅く、俺が執務室から戻ってきたら、寝室に人の気配があった。

 リナだろう。懲りずに新しい服を作っては、俺に着せようとしているからな。青や水色はともかく、ピンクやラベンダーを着せようとするのは、やめてほしい。俺は暗い色でないと、落ち着かないのだ。

「リナ?」

 妙だと思ったのは、室内の明かりが、ベッド脇の小さな夜間灯だけになっているからだ。

「はい」

 小さな声で返事があり、リナの居場所がわかった。なぜか、俺のベッドに潜り込んでいる。しかも、上掛けをあごまで引っ張り上げて。

「何をしてる!!」

 つい、叱りつける口調になった。小娘といえども、女の部類だ。紛らわしい真似は困る。

「あの……わたし……ただ……」

 リナはおずおず、上掛けを下げた。裸の肩が見えたので、ぎょっとする。思わず、数歩、下がってしまった。これがセレネやレティシアなら、さほど驚かなかったと思うが、何しろリナだったから。

「何の真似だ」

 離れて立ったまま、厳しく問うと、リナは日頃の威勢はどこへやら、身を縮めるようにして言う。

「あの、だって……こういうことも、秘書の仕事の一部だから……」

 何をぬかす。リザードの元で、そんな教育を受けてきたのか。秘書は、愛人と同義語だとでも?

「他組織ではそうかもしれんが、ここでは違う。俺が一度でも、そんなことを要求したか?」

 それどころか、危険極まりない溶解弾をぶつけられないよう、慎重に紳士として振る舞ってきたはずだ。あくまでも、俺の理解する紳士に過ぎないが。

「していませんけど……でも……」

「誰かに命令されたのか? ルワナかリザードにでも?」

「いいえ……そういうわけでは……」

「じゃあ、出て行け。そういう真似をするのなら、二度と俺の部屋には入らないでもらう」

 いくら『恐怖のアマゾネス』だと思っていても、セレネやレティシアのようないい女の誘いをかわし続けるのは、かなり苦しいやせ我慢なのだ。いい加減、もやもやが溜まっているというのに、リナまでがこれでは、我慢の限界を超えてしまうではないか。

 そうなったら、ジョルファがどんないちゃもんをつけてくるか、知れたものではない。いちゃもんで済めばいいが、グリフィンの地位を追われるのは困る。ここにいてこそ、辺境と市民社会を行き来している紅泉こうせん探春たんしゅんの動静が詳しくわかるのだから。

 〝連合〟が張り巡らせた情報網は、俺とショーティが即席で作った情報網より、はるかに緻密で役に立つ。最高議会でどんな内密の議論をしているか、司法局の部長クラスや軍幹部がどんな動きをしているか、知ろうとすれば、かなりの部分まで知ることができる。

 逆に言えば、そこまで監視されている市民社会には救いがない、ということだが。

 リナは殴られたような顔になって、おずおず問いかけてきた。

「グリフィンさま、わたしのこと、お嫌いなんですか……?」

 足元が沼地になった気がした。

 阿呆か、こいつは。

 そういう問題ではない。俺が周囲の女に手を出したら、規律も何も、ぐずぐずになってしまうだろうが。せっかく〝グリフィン〟になりきろうとしているのだから、余計なトラブルはお断りだ。

「おまえはリザードの秘蔵っ子で、俺の看守だろ。看守としては付き合えるが、それ以上に思えと言われても、無理だ」

「看守だなんて。違います」

「じゃ、秘書だ」

「ちが……」

「違うなら、出ていけ。秘書でないおまえに、用はない」

 するとリナは顔をゆがめ、裸の肩を見せたまま、べそべそと泣き出すではないか。小娘のくせに、変なところだけ、女みたいな真似を。こんなリナは見たくない。怒って俺に溶解弾を投げてくる方が、ずっとましだ。

「いい。俺が出ていく。戻った時にまだいたら、叩き出すからな」

 おかげでこちらは、プールにでも行って、頭を冷やす他ないではないか。この無法の辺境で、艦内にプールがあるとは、この上なく恵まれた環境だが。

 ……いや、その後でさえ、女の匂いが残るベッドで、おとなしく一人寝できる気がしない。明け方まで悶々とする自分の姿が予想できて、うんざりする。かといって、リナを呼び戻したりしたら、グリフィンの威厳など丸潰れだ。

 ――そうだ、外を走ろう。

 惨めに捕まって以来、バイクでの外出はしていなかったが、もういいはずだ。グリフィンとしての俺は、都市の警備システムに守られるのだから。

10章-1 リアンヌ

「グリフィンさまが、バイクで市街を走り回っています」

 という報告を受けた時は、驚いた。

「しかし、今夜は雨だろう?」

 警備管制室にいるレティシアは、精悍な顔を曇らせている。

「ええ、先ほどから降っています」

 《ルクソール》の1G居住区は広く、毎日のようにどこかで人工の雨を降らせているが、今日は降雨の範囲が広い。

 わたしは既に自室でベッドに入り、就寝前の習慣である読書をしていたが、急いで起き出し、都市の警備システムからの転送画像を確かめた。

 間違いない。ヘルメットにライダースーツという姿で大型バイクを駆っているのは、シヴァだ。顔が見えなくても、体型や姿勢でわかる。もう、それだけ彼と馴染みになってしまった。本降りの雨の中、何台もの車を追い越して、幹線道路を走っていく。

「途中までは大型トレーラーだったのですが、その車から単独で降りてきて、もう三十分近く、走ってらっしゃいます。雨なのにあんな速度で、危ないですわ」
 
 通話画面の中から、心配丸出しで訴えてくるレティシアに、

「わかった。後はわたしが処理するから、きみはもう休んでいい」

 と言い渡した。レティシアは、できれば自分で彼を追いかけ、連れ戻したかっただろうが、わたしの指図に抗議はしなかった。ただ、いくらか不審げな顔をしただけで。

 それにしても、シヴァと同じ艦内で暮らしているルワナは、このことを知らずに眠っているのか。それとも、問題はないと判断しているのか。

 バイクの運転技術はあるだろうが、違法都市のことである。単身では、どんな事故や災厄に見舞われないとも限らない。車に収容するべきだ。

 本当は、シヴァが予期せぬ災厄で死ねば、わたしが次のグリフィンになれるのだけれど。

 そんなことは、とっくに望まなくなっている。

 シヴァが存在しない世界より、存在する世界の方がいい。たとえ、彼がわたしを嫌っていても。

 ***

 手早く身支度して、ドーム施設から中型トレーラーで出た。人工の季節は早春であり、凍るように冷たい雨だ。シヴァは強化体だから、この寒さでも平気なのか。

 彼がバイクで走っていく方角に、車で向かった。今は市街地ではなく、緑地帯の周遊道路に入っている。後ろから追うのではなく、先回りして捕まえるつもりだった。向こうの方が、機動性では勝るのだから。

 それにしても、無茶な走り方をする。この雨の夜中に、こんな速度で真っ暗な林道を飛ばすとは。隠れ暮らす生活に飽きたのだとしても、せめて車で走ってくれないものか。

 それでも、夜の闇の中でシヴァの軌跡を追うのは、密かな快感だった。運転席の地形図に出る彼の位置表示が、彼そのものに思える。グリフィンの正体を知る者は限られているから、彼を追えるのも、止められるのも、わたしだけ。

 もちろん彼は、途中でこちらの接近に気づいた。深い森林を貫く林道の一点で、静止したからだ。わたしの車が現場に近づくと、大きな木の下で、バイクごと雨宿りしているのがわかる。

 わたしは木から五十メートルほど手前で車を停め、アンドロイド兵を使いに出した。けれど、兵は虚しく濡れて戻ってくる。

「邪魔するな、とのことです」

 やれやれ。

 わたしはフード付きの防寒コートを着て、車から降りた。たちまち、コートの表面に水の流れができる。ほとんど、氷雨と呼んでいいような雨だ。

 濡れた砂利を踏んで、大木の下にいる男に近づいた。車のライトがこちらを照らしているから、わたしだということはわかるはずだ。

「きみは、単独で外出していい身ではないはずだ。おとなしく、一緒に戻ってもらおう。どこに偵察虫がいるか、わからない」

 あえて、彼の名を呼ばずに説得した。他組織の放った偵察虫が、たぶん、あちこちに潜んでいる。それなのに、シヴァはヘルメットの下から不機嫌に言う。

「放っておいてもらおう。俺の命だ」

 この、わがまま者が。従姉妹の命を預かっている立場のくせに。

「そうはいかない。船に飽きたのなら、うちが経営するホテルにでも泊まってもらおう」

「断る」

 ふん。それで、わたしがあきらめるとでも?

「では、好きに走るといい。こちらの兵が、隊列を組んできみの前後を走る。天下の公道だから、誰がどう走っても自由だからな」

 それで彼はようやく、わたしから逃れるのは無理だと悟ったらしい。

「わかった。おまえの車に乗ればいいんだろう。俺の車は、繁華街の地下に置いてきたからな」

 そして、雨の中、バイクから離れてわたしの方に歩いてきた。ただそれだけで、わたしの動悸が増すことを、彼は知らない。すぐ横をすれ違う時、彼の肩の高さがわたしの肩より高いことを、改めて思い知る。

 兵にバイクを収容するよう命じてから、シヴァの後を追った。すると彼はトレーラーの扉の前で、こちらを見て立っている。雨に打たれるのだから、先に車内に入ればいいのに。もしかして、わたしを先に入らせようというのか?

 まさか、わたしを『いたわるべき女』だと思っているわけではないだろう?

 とにかく、暖かい車内に戻るとほっとした。濡れたコートを脱いで、アンドロイド兵からタオルを受け取り、シヴァにもタオルを放る。

 彼はヘルメットを外すと、黒っぽいライダースーツの肩や腕を、ざっとタオルで拭った。その無造作な動きも男らしくて、つい見とれてしまう。もちろん、彼がわたしの視線に気づかないよう、用心して。

 シヴァはやがて、どさりとソファに座り、タオルを放り出して、疲れたようなため息をついた。妙ではないか。強化体のくせに、なぜ疲れているのだ?

「ちょっと、車を出すのは待ってくれ。どこへ行くか考える」

 彼の言葉に、わたしは疑問を抱いた。船に帰りたくないのか?

「ルワナに、何か叱られでもしたか。とにかく、きみを確保したと、連絡だけはしておくぞ」

 ルワナが既に眠っていても、船の管理システムに伝言を入れておけば、それでよい。

 それから兵に、熱い飲み物を命じた。何か手元にあれば、少しでも気まずさが誤魔化せる。ブランディ入りの紅茶が運ばれると、わたしもシヴァの前に座った。真正面ではなく、斜めにずれた位置に。

 車は林道を塞いで止まったままだが、どうせ他に通りかかる車などないから、問題はない。

「おまえたち、夜中でも俺を監視してるのか」

「当たり前だ」

「それにしても、軍団長が自分で出てこなくてもいいだろう。レティシアでも寄越せば済むのに」

 軍団長か。アマゾネス軍団という意味だろう。その通り、わたしは自分で集めた女たちに責任がある。個人的な感情になど、振り回されている場合ではない。それは、よくわかっているのだが。

「それでまた、彼女に口説かれたいか? それは、邪魔をして悪かったな」

 カップを持ったまま、シヴァは嫌な顔をした。彼のこういう顔を見るのが、わたしの密かな楽しみになっている。嫌われていると認識できると、逆説的に安堵するのだ。

「おまえの部下に俺を誘惑させるのは、いい加減にしたらどうだ」

 誘惑させる?

 彼女たちが個人で、楽しんでしていることを、わたしの命令だと思っているのか?

「わたしがなぜ、そんな真似をさせると思うんだ?」

「俺が品性下劣な男だと、証明したいんだろ。おまえの世界観では、男は全員、下劣な獣なんだろうから」

 そうか。そういう風に見られていたわけか。

「全員とは思っていない。わたしは世間に、まともな男が存在することを知っている。これでも市民社会で、普通に育ったからな」

 父も祖父も伯父たちも、みなわたしを愛し、自慢してくれた。わたしが途中で、勝手に道を誤っただけだ。わたしの無残な姿が撮影された映画など……見ていないことを願う。それとも、見てしまっただろうか。市民社会では、違法ポルノの流通が途絶えたことはない。一部の男たちは、そういうものを共有することを、親密さの証と思っているらしい。

「……ただ、辺境では、まともな男は、限りなくゼロに近いと判定しているだけだ」

 まともな神経でいたら、おそらく、生き残れないだろう。シヴァのように、恵まれた立場でない限り。彼はおそらく、ショーティという相棒にかなりかばわれてきたのだ。

「そうか。それじゃ、全世界の男を絶滅させようとまでは、思っていないわけか」

 痛烈な皮肉が込められていた。シヴァはわたしがそこまで、憎悪に凝り固まっていると思うのだ。

 確かに、男種族に対する嫌悪と軽蔑は強い。違法ポルノの大半は、色々な偽装を通じて、市民社会の男たちに買われているのだ。その売り上げが、違法組織の大きな資金源になっている。

 そうと知っているくせに、政治家も官僚も司法局長も、本気で取り締まりに乗り出さない。一度でも違法ポルノを買った男たちを逮捕して回ったら、社会の機能が停止するからだ。

 いっそ、停止させてみればいいだろうに。

「……そんなことは、不可能だ。人類がこれだけ宇宙に散らばってしまってから、男だけ絶滅させようなんて」

「それじゃ、俺一人だけでも抹殺したいだろうな……俺がいなければ、グリフィンの地位は、おまえのものらしいから」

 わたしは後悔した。十代の女の子みたいにどきどきして、こんな雨の夜中に、はるばるシヴァを迎えにやってくるなんて。

 だが、これで気が済んだではないか。

「きみが大きな失策をするまで、わたしには手出しできない。最高幹部会のご指名なんだからな。どこへ行きたいのか、言ってくれ。そこまで送る」

 冷淡に言うと、シヴァは眉をしかめたまま、上体をソファの背に預けた。

「せっかくだから、頼みがある……リナを、そっちで引き取ってくれ」

 驚いた。リナだけは、お気に入りのはずではなかったのか。

   『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』10章-2に続く

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