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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』13章-3

13章-3 ハニー

 そうやって少しずつ、わたしたちの距離は縮まった。一緒に何かをすると、自然に親しくなれる。わたしも彼も食べることが好きなので、料理にはそれぞれ一家言あった。サラダのドレッシングに何を入れるか、南瓜を蒸すか揚げるか、茄子はパスタに使うか中華にするか。

 楽しく食事をした後も、湖畔を巡る長い散歩をしたり、サロンで話し込んだりするようになった。好きな映画や小説、子供の頃の失敗談。シヴァは彼専用の実験小屋で何度も爆発を起こし、有毒ガスを発生させたという。

「大丈夫だ。今はもうしないから。実験が必要な時は、アンドロイド兵士を使う」

「その時は、わたしに言ってちょうだいね。先に避難しておくから」

 わたしの方は、そんな楽しい失敗談はあまりなくて、申し訳なかったけれど。

「きみは、文句なしの優等生だったんだろう」

「長女だったから……つい、妹たちの手本になろうとして」

 優等生になるしか、少女時代を乗り切る方法がなかった。でも、シヴァはいつから、わたしを『きみ』と呼ぶようになったのかしら。『おまえ』と言われていた時より、距離は縮まったと思うのに。

「あのね、あなた、地球時代の古典は好きかしら……」

 こちらが好きな作家を挙げていくと、彼も打ち明けてくれた。実は俺も、読んでいるんだと。好きな映画のどの場面がよかったかも、話して通じることがわかった。育った場所は違うけれど、わたしたちは、同じものに憧れていたらしい。

 誰かに焦がれ、思いを打ち明け、結ばれて、家庭を作ること。

 それは、この辺境では、ほとんど奇跡のような出来事だと思うけれど。

 シヴァの遠慮がちな笑顔は、日に何度も見られるようになった。まるで、自分に笑う権利があるのか、と疑っているような、ぎこちない笑み。わたしが微笑みを返すと、ほっとしたように肩の力を抜く。

 無愛想なのは表面だけで、その殻の下に、不器用な少年が隠れているのがわかった。わたしが退屈していないか、機嫌を損ねていないか、密かに推し量ろうとして苦労している。

 毎日、毎日、シヴァの心の中を、少しずつ知っていけるのが嬉しい。

 ある時、焚火で焼いた魚が食べたいと言ったら、湖に潜って魚を取ってきてくれ、岸辺の焚火に招待してくれた。涼しい夜風の中で向き合って、ワインを飲み、塩漬けのオリーブをつまみ、チーズを火にかざして炙り、パンをちぎって食べる。

(もしかして、今、とても幸せ?)

 嵐に遭って、寂しい無人島に漂着したと思っていたのに、実はそこがエデンの園だった……そんな感じ。自分の惨めな過去なんか、ほとんど忘れていたくらい。

 だって、シヴァはわたしを見ると、芯から嬉しそうに眼を輝かせ、口許をゆるめるんだもの。わたしが綺麗なドレスを着ていると、草木にひっかけないよう、泥をつけないよう、用心深くかばってくれるんだもの。

 彼は心底では、わたしの元の顔を忘れていないと思うけれど、でも、ここには女はわたし一人きりだから……ごく自然に、わたしをお姫さまのように扱ってくれる。

(王子さまというなら、マックスの容姿は、完璧に王子さまだったけれど……)

 彼は厳格な独裁者だった。他人はみな、自分に従わせるもの。でも、シヴァは……敬虔な騎士、ではないだろうか。わたしを通して、何か、より高いものに奉仕しているような。

 湖に、手漕ぎのボートで乗り出すこともあった。シヴァはわたしを対面に座らせておいて、オールを握り、ぐんぐんと力強く漕いでいく。人工環境の穏やかな季節は、夏にさしかかっているから、湖面を渡る風が涼しく、肌に当たる水飛沫も気持ちがいい。強化体の腕力にも、惚れ惚れしてしまう。

「わたしにも漕がせて」

 と頼むと、シヴァは用心深く位置を入れ替え、オールの握り方、動かし方を指導してくれる。わたしが間違って、彼にばしゃりと水をかけてしまっても、面白そうに苦笑するだけだ。

「このまま、泳いでもいいかもな」

 と、濡れた顔をこすって言う。

 ……外の世界になんか出ていかなくても、いいのではないかしら。

 だって、外に出れば、事業という名の戦いが待っている。やり甲斐はあるけれど、強い緊張を強いられるのも確か。いつまでもこうしているなんて、不可能とわかっているけれど、でも、もうしばらくは……

 屋敷内のシヴァの部屋も、見せてもらうことができた。予想に違わず、物が少なくて殺風景。でも、手入れ途中の銃や工具を見せてもらったのは、珍しくて面白かった。

「ここでは銃なんて、出番はないでしょ」

「それはそうだが……ないと落ち着かない」

 彼は強力な弾丸を込めた、重い銃が好きらしい。使わなくても、手の届く所に置いておきたいとか。子供の頃から、ありとあらゆる武器を練習してきたらしい。違法都市で育つということは、そういうことなのだろう。

「家出中、動物を狩るのに銃は使わなかったの?」

「それだと百発百中だから、面白くない」

 そうなのかもしれない。強化体の体力は、常に挑戦や冒険を求めるらしいのだ。

 シヴァは地下の倉庫に置いてあるバイクも、せっせと手入れしているのだった。気が向くと、森の中の獣道を走るのだという。わたしが銃やバイクについて初歩的な質問すると、熱心に説明してくれた。そのほとんどは、わたしには念仏にしか聞こえないのに。

「わたしに射撃を教えてくれる?」

 と頼んだら、大喜びで承知してくれた。熱心に練習メニューを組み立ててくれるので、内心、頼まなければよかったと後悔したくらい。マックスにも少し教わったけれど、わたしには熱意も適性もなかったのだ。

 その代わりシヴァは、自分の衣装には興味も執着もない。わたしは毎晩、夕食の時にはきちんとドレスアップするのに、シヴァは昼間の普段着のままで現れる。着慣れて擦り切れた頃が、一番、着心地がいいという。

 それに文句をつけるつもりはないけれど、いつもラフな格好では、躰がけじめを忘れてしまって、いざという時にいきなり正装しても、借り着にしか見えなくなってしまう。

「だってこれから、公式な場に出ることが、絶対ないとは言えないでしょ?」

 従姉妹たちに居場所を知られたくないのは理解するけれど、髪を染めたりサングラスをかけたりすれば、違法都市で歩き回っても、そうそう見抜かれないのではないかしら。

 そもそも彼女たちは、何十年も前に消えた従兄弟のことなんて、とうに忘れ去っているかもしれないのだし。

 ひるむ顔のシヴァを押し切って、寝室に付属するクローゼットを見せてもらったら、広い空間に、わずか数本のズボンと、数えられるほどのシャツや下着類、履き古した数足の靴があるだけ。マックスはお洒落で、店を開けるほど衣装持ちだったのに。

「わたしは紳士物の衣類は専門じゃないけど、それにしても、これはひどいわ」

 これまではまだ、距離があったから口出ししなかったけれど、もし業務上のパートナーになるのなら、ここから整備しなくては。

 シヴァがみすぼらしい格好で《ヴィーナス・タウン》の施設内をうろついたら、いくら警護担当だと説明しても、働く女たちがびっくりするだろう。わたしは彼女たちに、自分も楽しく、他人も快くするような装いをするように指導してきたのだから。

「着なくてもいいから、服だけは揃えさせてちょうだい」

 と要求した。シヴァは長身で、男らしいハンサムだから、身なりに構わなくても、いぶし銀のような魅力があるけれど、いつでもこのなりで済むものではないだろう。

「しかし、ここでは……」

「ええ、ここではいいのよ。どんな格好でも。ただ、あなたの目に触れる場所に、正装を吊るしておくだけでいいの」

 見るだけで、意識は変わる。わたしは屋敷の管理システムに、シヴァのサイズに合わせた衣類を注文した。何種類かのスーツに礼装、それに合わせた靴や小物、もう少し気の利いた普段着まで。

 シヴァがそれを見て、文明社会の約束事を思い出すだけでいい。着ろなんて要求したら、むくれてしまうだろうから。

(わたし、調子に乗ってるかしら)

 シヴァが寛大なのをいいことに、あれこれと指図がましい?

 彼が本当に不愉快な様子を見せたら、すぐに譲歩するつもりだった。でも、わたしの要求は、彼にもちょうどいい退屈しのぎになっているように思えるのだ。

 夕方になると、わたしはいったん自分の部屋に引き上げる。

「後でまたね」

 とシヴァに言ってから。何しろ、晩餐は一日の大事な締めくくりなのだ。シャワーを浴びて、夜用の化粧をするところから始めなくてはならない。

 わたしは毎晩、シヴァの目に美しく見えるように、注意を払ってロングドレスを着る。髪も、アンドロイド侍女に手伝わせて、きちんと結い上げる。凝りすぎだと思われても、構わない。わたしは今の自分の姿が好きだから、自分を美しく飾りたい。だって、明日はどうなるか、わかりはしないのだ。

 シンプルな黒のドレスに、真珠とエメラルドのロングネックレスを下げたり。深い薔薇色のドレスに、コンクパールのネックレスを合わせたり。白いドレスに、薄手の金のストールという組み合わせも好き。

 女には、衣装や化粧に生きる意欲をもらうことがある。自分を飾ることは、きっと本能なのだ。快適な巣を作る本能と並んで。

 そのうちに、シヴァが夕食時、多少はましな格好で現れるようになった。わたしが揃えてあげた衣類のうちで、さほど堅苦しくないものを選んで着てくる。ぼさぼさだった髪も、最近は、ましに切り揃えるようになっているから、その効果は見事なもの。

(どこかのパーティに出たら、女たちが放っておかないわ)

 彼が照れるといけないので、大袈裟に感嘆することはしなかった。でも、着てくれて嬉しいわ、とさらりと言う。

 シヴァは誇り高いから、女に支配される自分なんて、認めないだろう。わたしはあくまでも下手に出て、彼に感謝するだけ。

(わたしの犬だなんて……番犬だなんて……あれは自虐の冗談よ。自惚れてはだめ)

 そしてとうとう、ある晩、シヴァが白いドレスシャツに黒いタキシードを着て、一階に下りてきた。ウイングカラーの襟元には、きっちりと黒い蝶ネクタイを結んでいる。

「あー……これで、おかしくないだろうか……」

 わたしは言葉もなく、長身のハンサムに見とれて、立ち尽くしてしまった。どんな映画でも、現実のパーティでも、これほど魅力的な男性は見たことがない。力んではいないけれど、野性味があり、わずかに照れていて、それが可愛らしい。

 そうよ、男性というのは、本来、可愛い生き物なんだわ。

 常に自惚れが放射されているマックスでも、これほどの、しびれるような歓喜の感覚をわたしに与えたことはなかった。

(ああ、だめ……)

 腰が抜けるという表現があるけれど、わたしは溶けてしまい、立てなくなりそうだった。シヴァにすがって、支えてもらわないと、くたくたと床に崩れてしまいそう。でも、もし、彼の腕に抱き支えてもらえたら、嬉しさのあまり、そのまま気絶してしまうかも。

 恋をしていると、はっきり自覚した。

 全身の細胞が、一つずつ歓喜に震えるよう。

 指一本で触れられただけで、きっと燃え立ってしまう。

 ただ、それは言えない。言ったら、シヴァを困らせてしまう。向こうにその意志があれば、とうの昔に表明してくれているはずだもの。わたしたちは、あくまでも仕事仲間。そのための交流。

「変か?」

 シヴァが自信なさげに自分を見下ろしたので、わたしは微笑んだ。

「いいえ、とても素敵。とてもよく似合ってるわ」

 すると彼は、弁解するかのように言う。

「いや、その……釣り合いというものを考えて……」

 まあ。シヴァでも、そんなことを考えるの?

 確かに外見なら、わたしたちはどちらも高水準だ。わたしは今夜、とても素敵な金色のドレスを着ている。むきだしの肩から足元まで、斜めに繊細なレースのフリルが走り、裾は花びらのように重なって広がっている。できるものなら、二人一緒の写真に残しておきたいところ。でも、そんなこと、シヴァは厭がるだろう。

「ダンスしてもらうには、まともな格好でないと駄目だろう?」

 それを聞いた途端、わたしは自分を偽ることも忘れ、ほとばしるように叫んでしまった。

「踊ってくれるの!? 嬉しいわ!! ありがとう!!」

 彼は少し驚いたような顔をして、それから、悔やむように言った。

「どこへも出掛けられないでいるからな。本当は、ちゃんとした店に連れていってやれるといいんだが」

 いいえ、違う。

 整形した最初の頃は、マックスにせがんであちらのクラブ、こちらのレストランと出歩いたけれど、それは、美しくなった自分を世界に披露したかっただけ。世界への復讐のようなものだった。

 今は、シヴァと二人でいられる、この静かな空間が好き。彼がわたしを見てくれれば、それで満たされる。他人の視線など、必要ない。

「ここでいいの。もう慣れたわ。あなたが踊ってくれるなら、それで十分よ」

 管理システムに音楽をリクエストして、夕食の前に軽く一曲。料理を堪能した後にも、彼はサロンに移動して、わたしとダンスを踊ってくれた。ゆるやかなワルツや、官能的なブルース。シヴァはきっと、事前にアンドロイド侍女相手に練習してきたに違いない。

 開け放った窓からは、涼しい夜風が入り込んできた。興奮して火照った顔には、ちょうどいい。シヴァの手は温かく、わたしの背中にぴたりと添えられている。

 男性に手を取ってもらい、優しく支えてもらうのが、こんなに嬉しいことだなんて。

 わたしがハイヒールを履いていると、背丈の釣り合いもちょうどいい。シヴァはマックスより背が高くて、肩も腕もたくましかった。その気になったら、わたしなんか、軽く抱き上げられるわ、きっと。そして、寝室めがけて風のように階段を駆け上がる……

 もちろん、そんなことを望んでいるなんて、悟られてはいけない。欲張りすぎたら、彼を閉口させてしまう。あなたはもう、ずいぶん図々しくなっているわよ、ハニー。

 そのうち、ごく自然な流れで、彼の胸に頭をもたせかけることができた。これなら、ダンスの一部だという言い訳ができる。とろけるような幸福感で、温められた蜂蜜のように流れてしまいそう。

 もう、他のことなんてどうでもいい。

 このままずっと、シヴァと二人きりでいたい。

 だって、外の世界には他の女がいるもの。本物の美女がたくさん。

 ここにいる限り、彼はわたしだけを相手にしてくれる。ここが天国よ。マックスのことも《ヴィーナス・タウン》のことも、遠い前世になっている。

 わたしはたぶん、本気の恋愛をしたかったのだ。でも、恋を叶えるためには、美しさが絶対条件だと思っていた。美しくなければ、好きな人に振り向いてもらえない。こちらから近づくこともできない。きっと迷惑がられるから。

 今だって、シヴァはわたしを『ここから出るための手段』としか見ていないだろうけれど、それでもいい。彼の中に、一定の場所を占められるなら。たとえ先でどうなろうとも、出会えないまま終わるより、はるかに幸運だったのよ。


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』14章に続く

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