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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』序章 1章 2章-1

序章

 神は、人間の発明品だ。

 人生の絶望や死の恐怖を紛らすための、原始的な麻薬にすぎない。

 ぼくたちバイオロイドには、そんな救いなど必要ない。なぜなら、ぼくらの神は、眼前にいる人間たちだから。

 たった一つの惑星から出発し、今では、この銀河全体を手に入れようとしている種族。

 ――ぼくたちは人間に製造され、人間に知識を植え込まれ、人間のために働き、やがては抹殺される。生きられる上限は、たったの五年。それ以上長生きさせると、知恵がついて、反逆を企むようになるから。

 ぼくは死にたくなかった。生まれた研究基地から、外に出たこともないままでは。もっと広い世界に出て、色々な経験をしたかった。基地の外には、無限の宇宙が広がっているはず。

 だから、神に逆らった。

 それでも、死は追いかけてきた。

 だから、もう一度……今度は、魔女と契約した。永遠の生命を約束してくれる、冷徹な魔女と。

 その代償として、ぼくは何かを失ったのだろうか。決定的に、変質したのだろうか。

 愛ならば、まだ持っている。美しいもの、気高いものに対する感動だ。その愛が、愛する相手に理解されないとしても。

 今は、これでいいと思っている。魔女の陣営で。

 もしも先で、自分が更に変質するとしても……それは、仕方のないことだろう。人類そのものが、次の段階へ進むはずなのだから。

1章 紅泉こうせん

 ミカエルは、知らなかったのだ。周りの人間たちが、彼を救おうと、密かに動いていたことを。

 彼と仲間たちを苦しめた病気は、悪性の脳腫瘍だった。高い知能と引き換えの遺伝的欠陥だから、対策は遺伝子治療しかない。辺境の科学技術なら、問題なく治療できる。

 問題は、保守的な市民社会では、延命のための遺伝子操作が認められないこと。古い道徳に縛られた市民たちは、人間そのものを変えてしまうような科学技術を拒んでいる。

 でも、せっかく違法組織から脱出してきたのに、十年も経たずに死ななければならないとは、残酷すぎる。人工遺伝子から培養されるバイオロイドは、普通、二百年やそこらは健康に生きられるのだから。

 ミカエルたち〝亡命バイオロイド〟の担当だった司法局員が、繰り返し上司や友人に訴えた。その訴えが最後には、ミギワ・クローデル局長に届いた。彼女は下っ端捜査官の頃から、あたしと探春たんしゅんの友人だから、非公式に話してくれたのだ。

「わたしももう、引退が視野に入ってきたわ。だから、多少は自由にやらせてもらっていいと思うの。たとえば、誰かの死亡を偽装する小細工とかね……」

 本当はミギワだって、辺境の宇宙に出て、不老処置を受けることができるのだ。彼女なら、幹部として迎えたいという違法組織が幾つもあるだろう。うちの一族に迎え入れることだって、できるに違いない。

 けれど、司法局のトップを務めた者までがそれをしたら、市民社会は崩壊すると、彼女は言い張っている。だから自分は法に従い、おとなしく老衰死を受け入れるつもりだと。

 あまりにも、勿体なさすぎる。ミギワこそ、生きる値打ちのある人材だ。そんなことで崩壊する社会なら、いっそ、崩壊した方がいいのではないか!?

 数十年の司法局勤務の間、ミギワは相応に老けたが、強化体として生まれたあたしたちはまだ、若い肉体のままだ。今後も、老いるつもりなどない。新しい技術を取り入れて、生きられるだけ生きてやる。

 悪党狩りのハンター稼業には、いずれ見切りをつけるかもしれないけれど。

   ***

 そんなわけであたしたちは、バカンスのついでに植民惑星《エリュシオン》を訪ね、ミカエルという少年に会うことにした。違法組織《ルーガル》からの三人の逃亡者のうち、最後の生き残りだという。

 彼を辺境の宇宙に連れ出してやり、遺伝子治療を受けさせてやろう。

 あたしとしては、〝正義の味方〟の義務のつもりだった。自力で違法組織から脱出してきた子なら、健康体になりさえすれば、辺境でも生きていけるだろう。

 たとえば、あたしたちの故郷である違法都市《ティルス》の一族に預けたっていい。都市経営の一翼を担う従兄弟のシレールは、

『またか』

 と渋い顔をするだろうけれど。

 シレールはこれまでも、あたしが押し付けた大勢のバイオロイドを引き取り、再教育を施し、都市の経営機構の中に組み入れてくれた。小惑星工場とか小惑星農場とか、人間を恐れる彼らが静かに暮らせる場所に。

 あたしと探春が必要とする武器や艦隊も、あらかたはシレールを通じて、一族の工場から手に入れてきた。それもこれも、一族の最長老である麗香れいか姉さまが、一族みんなに言ってくれているからだ。

紅泉こうせんのしていることは、世界のために必要なことよ。みんな、助けてあげてちょうだいね」

 感謝している。一族の後援がなかったら、いかに司法局の専属ハンターとはいえ、何十年も戦い続けてこられなかった。

 予想していなかったのは、あたしとミカエルが、互いに恋に落ちることだった。

 事故と同じで、それは、避けようもなく起こってしまったのだ。結局、それは〝仕組まれた事故〟だったのかもしれないけれど。

2章-1 ミカエル

 桜が咲いた。

 咲いてしまった。

 このまま永遠に、冬が続けばいいと思っていたのに。

 いつの間にか寒さがゆるみ、木々の新芽がふくらんでいる。道を行く人々の服装も、格段に軽くなっている。晴れた朝、丘の上にある宿舎のバルコニーから見ると、水気を含んだ青空の下、首都全体がピンクの霞に包まれていた。

 これはもう、桜見物に行くしかない。仕事のない週末、それが一番有意義な過ごし方に決まっている。

 ぼくは食堂で朝食を済ませると、科学技術局の敷地から出て、市街へ続く坂道を下っていった。車に乗ってしまったら、この春の日を味わいきれない。一日たりとも、無駄に過ごしていい日などないのだ。

 こうしている今も、悪性の脳腫瘍が少しずつ、ぼくの命を蝕んでいる。やがては知能が低下し、意識が混乱し、最後には、自分が何者かも忘れてしまうのだ。残り時間で何をしたら、

『有意義な人生だった』

 ということになるのだろう?

 誰にでもできる基礎研究など、気休めにもならない。さりとて、高度な研究を成し遂げるには、時間が足りない。ぼくに十年の時間があれば、きっと何かの業績を上げられると思うのに。

 周りの研究員たちも、〝特別職員〟として押し付けられた亡命バイオロイドの存在に困惑し、礼儀正しく遠巻きに眺めるだけだった。

 共に脱走してきたウリエルとガブリエルが生きている頃、何度かは、普通の職員たちの家や、レストランでのパーティなどに招かれ、それなりに楽しい時間を過ごしたけれど、やがては、互いに気を遣う会話に疲れてしまう。

 未来のある者が、ない者を、どう慰められるというのか。

 ぼくたちには、結婚や子育てという救いもない。そんなことができる年齢まで、生きられないとわかっているのだから。

 桜並木の下を歩きながら、大勢の市民とすれ違った。小さい子を肩車した夫婦連れ、お互いしか見ていない恋人同士、賑やかな若者グループ、共白髪の睦まじい老夫婦。

 ぼくのことなど、誰も気に留めない。傍目には、ただの少年だから。

 しかし、実際には〝市民社会の厄介者〟であり、外出時には常に、司法局員たちが車で追尾してくる。偵察鳥や昆虫ロボットの、ゆるい監視網にも包まれている。

 護衛、もしくは見張り。

 警備チームの存在は気にせず、好きに出歩いていいというのは、当局の好意だとわかっている。狙撃の前例がある以上、ぼくが警備厳重な科学技術局の敷地内に留まっている方が、司法局としては楽なのだから。

 市民社会の人間たちは、基本的に善良だった。彼らは、遠い宇宙で違法組織に製造されるバイオロイドを哀れみ、奴隷たちが運良く主人の元から逃げおおせた場合には、親切に保護してくれる。

 ただ、軍艦を連ねて辺境の宇宙まで出向き、繁栄を誇る違法組織を根絶しよう、などという覇気を持たないだけ。

 市民社会は、辺境の無法を『見ないふり』できるのだ。年間、どれほどのバイオロイドが抹殺されていようとも。

   ***

「――何だと、もう一遍言ってみろ!!」

 橋の上から見下ろした川原で、わっと騒ぎが起きた。両岸の桜並木の下を歩いていた人々も、土手や川原でピクニックしていた人々も、何事かと伸び上がって注視する。

「そっちこそ、突っ張ってるんじゃねえぞ!!」

「反則ぎりぎりの手で勝って、そんなに自慢かよ!?」

 どうやら、ライバル校のスポーツ部員たちが鉢合わせしたらしい。空手部だかラグビー部だか知らないが、屈強な青年たちが三十人近く、二つの陣営に分かれて怒鳴り合っている。

 殴り合いをして、骨折でもすれば、いい気味だ。ぼくが吸血鬼なら、彼らの生命力を吸い取らせてもらうのに。

 明日も生きられると思っているから、くだらない喧嘩などで、時間を無駄遣いできるのだ。

「やめて、落ち着いて。警察を呼ばれてしまうわよ」

「また、次の試合で雪辱すればいいじゃないの」

 どちらのグループでも、連れの娘たちが青年たちの腕を引いて止めているが、そのために余計、彼らは引っ込みがつかないようだった。

『女の前で格好をつける』

 のは、動物的な習性としか思えない。〝激烈な性欲〟とやらに振り回される日々は、さぞかし面倒なことだろう。その渦中にあれば、それが楽しいのかもしれないが。

 周囲の花見客たちも、力が余っているならやらせておけ、という傍観姿勢になっている。現代の医学なら、骨折や内臓破裂はすぐ治るからだ。

「やるか!!」

「おう!!」

 と青年たちが上着を脱ぎ捨てたり、袖をまくり上げたりしたところで、すいと割り込んだ人影があった。

「まあまあまあ、坊やたち」

 その声の何かが、ぼくをはっとさせた。深い響きを持つ、楽しげなアルト。草食獣の群れに分け入った肉食獣のような、絶対の自信。

 それは、屈強な青年たちに劣らない背丈の、しなやかで頑健そうな女性だった。タイトなモスグリーンのミニドレスに、キャメル色の上着。

 艶やかな小麦色の肌に、高く結い上げた金褐色の髪。

 筋肉質の長い脚は、ダークブラウンのタイツに包まれている。足元は、動きやすそうなショートブーツ。

 若く見えるが、貫禄からして、三十歳は超えているだろう。その女性は暗色のサングラスをかけたまま、笑いを含んで言う。

「こんな所で騒ぎを起こしたら、みんなの迷惑よ。ちょっと場所を移したらどう?」

 青年たちが戸惑い、殺気をそらされた瞬間、双方のリーダー格らしい青年が二人、高く宙を舞っていた。豊かな水の流れる川の真ん中で、どぼんと二つ、水柱が上がる。

 大多数の花見客には、青年たちの姿が壁になって、何が起きたかわからなかっただろう。

 だが、橋の上のぼくからは見えた。素早い投げ技が。

 次いで四、五人の青年たちがぽんぽんと投げ飛ばされ、遠い川面でしぶきを上げた。相手が突進してくる勢いを利用したわけではなく、純然たる腕力だけで、あそこまで投げられるのか!?

 残りの青年たちが右往左往し、川に落ちた仲間を助けようとする。花見客たちもわらわらと集まってきて、それに加わる。その間に、豪腕の女性は姿を消していた。慌てて目で探したぼくは、彼女が土手を越え、ビル街に向かっているのを発見した。まるで、瞬間移動したかのように速い。

 ぼくは反射的に駆け出し、後を追っていた。

 背の高い後ろ姿は、市街の雑踏の中でも見分けられる。溶けた黄金のように、光をはじく蜂蜜色の髪が目印だ。

 それにしても、この速さは!? ゆったりとした歩みに見えるのに、実際には、小走りで追わないと引き離される。

 追い付いて、どうしようとまでは考えていなかった。ただ、このまま見失うことはできない。自分が、とてつもなく貴重な何かに遭遇した、という感覚があった。まるで、空から降ってきた流れ星に、頭を一撃されたように。

 そう……世界が変貌した。

 無彩色だった世界が、急に鮮やかな天然色になったようなもの。

 ところが、ビル街の角を曲がった途端、光輝く姿が消え失せていた。あたりには、無彩色のおとなしい市民たちばかり。どこかのビルに入ったのか? それとも、車を拾った? でも、ほんの数秒の遅れなのに。

 焦って、闇雲に駆け出そうとした途端、ぐいと襟首を引かれた。

「えっ?」

 背中を街路樹の幹にどんと押しつけられ、肩を軽く押さえられたまま、甘く濃密な香りに包まれる。

「何の用かしら、坊や?」

 目の前に、黄金のオーラを放つ女神がいた。赤い唇に悪戯な笑みをたたえ、暗色のサングラス越しに、ぼくを見下ろしている。

 とっさには、声が出なかった。市民社会に来てから三年経つが、こんなに豪華でまばゆい女性を見たことがない。夏の太陽のようで、直視するのが痛いほどだ。

「んん? 何か用があるから、あたしを追ってきたんでしょ?」

 ぼくはかっと熱くなり、激しい震えに襲われたが、同時に全身で叫んでいた。

「お願いです!! 貴女あなたの時間を、ぼくに下さい!! 三十分でも一時間でも……いいえ、今日一日!! 貴女の欲しいもの、何でもプレゼントしますから!!」

   『ブルー・ギャラクシー 天使編』2章-2に続く

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