恋愛SF『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』11章-1
11章-1 シヴァ
「グリフィンさま、そこにお掛け下さい」
ルワナに厳かな態度で言われた時、不吉な予感が走った。何か、極めてまずいことがあったらしい。
「お馬鹿な面もあるとは思っていましたが、ここまでの馬鹿とは知りませんでした」
えらい言われようだった。しかし、グリフィンとしての職務に遺漏はないはずだ。暗殺志願者はこちらで把握して、巧く操っている。従姉妹たちも無事だ。
俺の前に立ったルワナが、いきなり右手を振り上げた時は、ぶたれると頭でわかっても、躰が抵抗できなかった。それはルワナが、悪ガキを叱る大人の態度だったからだ。
「何をする!!」
と頭を抱えて抗議できたのは、容赦のない拳固の一撃をくらってからだ。小さな子供の頃だって、こんな風にぶたれた記憶はない。精々、尻を叩かれたくらいだ。
「グリフィンさま、避妊という言葉をご存じですか」
俺は唖然とした。
「それは……」
過去にバイオロイドの娼婦を買った時は、そんなことは店側の責任だと思っていた。あれは茜と出会う前のことで、あれ以来、女を買うという真似はしていない。女の気持ちを考えてしまったら、もう、そんなことには耐えられないのだ。
だが今回は……リアンヌは……彼女に確かめたことはなかったが……
「女の側が……するものだと……」
待てよ。
慄然としたのは、数秒後だ。
「まさか!?」
「その、まさかです」
ルワナは、理解の遅い生徒を前にした教師のような顔だ。
「しかし、そんな馬鹿な……」
俺が生まれながらの強化体だということは、リアンヌも知っている。だから、自然妊娠など望まないだろうし、そもそも起こりえない……ほとんど不可能なはずだ。
いま思うと迂闊だったが、リアンヌの気持ちを知ってからは有頂天になって、浮かれ暮らしていた。そんなことは、心配すらしなかった。雨の中のトレーラーでは、どちらも、そんな関係になるとは思っていなかったのだ。いきなり激流に落ちて、押し流されたようなもの。どこへ流れ着くかなど、はるか先のことだった。
「妊娠十四週。本来なら祝福すべきことですが、この場合は残念ながら、違います」
ようやく身に染みてきた。ルワナが、笑みのかけらもない顔でいる理由が。
「普通人と強化体の間に、正常な子供ができることは、まずありません。遺伝子が適合しませんから。九割方、流産します。何とか生きて生まれても、重い障害を背負っていることがほとんどです。治療するとしたら、早期の脳移植くらいしかありません。それも、脳に障害がなければの話です」
そうだ、ショーティにも注意されていた。もしもきみが、自分の遺伝子を分け持つ子供を欲しいと思ったら、最初から精密に遺伝子設計して作るしかないと。
強化体と普通人の間の自然妊娠というのは、大型車と小型車の部品を適当に混ぜて、機能する車を作ろうとするようなものだ。偶然にうまくいくかもしれないが、確率としては、まず失敗する。
だが、その頃は、そんなこと、あるはずがないと思っていた。俺の子を、誰かが産んでくれるなんて。
俺は、何という大間抜けだ。これでは、リアンヌの身を、生体実験に使ったようなものではないか。
「すぐ、リアンヌに会う。説得する。胎児を取り出すように」
でないと、母体が危険だ。子供は人工子宮に入れておくしかない。治療できるものなら、治療する。今ならまだ、遺伝子操作で何とかなるかもしれない。助からないのなら……仕方がない。事故のようなものだ。
「それは、わたくしからジョルファさまにお話しました。リザードさまにも、報告しました。リザードさま直轄の研究機関で、胎児を治療してくれるそうです」
「そうか」
安堵の息を吐いた。さすがはルワナ、やることが早い。俺への報告が後になったのは、いささか不愉快だが。リナのことでは俺を責めなかったルワナも、今回は、俺の馬鹿さ加減に腹を立てたのだろう。
「問題は、ジョルファさまが、お腹の子供を手放そうとしないことです」
「何だって!?」
「摘出手術を拒絶なさっているのです。それはもっと後、不都合が出てからでいいはずだと」
あのリアンヌが。もうそこまで、母親になりきっているのか。
「しかし、今日、明日にでも、流産するかもしれないんだろ」
前に会った時は、そんなこと、何も言ってくれなかった。いつ、妊娠がわかったんだ。俺に、真っ先に言ってくれればいいだろうに。いや、胎児をあきらめろと言われるからか。
「ええ、ですから、説得をお願いします。なるべく早く、母子分離をするべきです。でないと、子供が助からなかった場合の傷が深くなります」
俺は馬鹿だ。
俺は馬鹿だ。
俺は馬鹿だ。
せっかく俺を愛してくれた女を、そんな状況に追い込んしまって。ショーティがいたら、どんなに呆れられたことか。
俺はルワナに付き添われ、車を飛ばしてドーム施設に向かった。男子禁制の要塞だが、事情を知るセレネとレティシアに、そっと奥へ通してもらった。一般の部下たちに、姿を見られないようにして。
リアンヌは、自分の部屋で横になっているという。
「具合が悪いのか?」
「いいえ、そうではありません。ただ、妊娠がわかってからは、お昼寝の時間を取るようになさっているので」
妊娠が明確になってから、もう一週間以上、過ぎているという。既に女性医師が付いて、体調の管理をしていると。
「なぜもっと早く、俺に教えないんだ」
わかっていても、つい口に出してしまう。セレネは悲しげな顔で口をすぼめた。
「それは……グリフィンさまに知られたら、子供を取り上げられると心配なさって」
くそ。その通りだ。俺は、子供より母体を取る。
リアンヌは、俺がそう思うことを理解していたのだ。一日でも長く、腹に子を抱えていたかったのだろう。
「リアンヌ、入るぞ」
広い続き部屋の奥にある寝室に踏み込むと、リアンヌは仕事着のパンツスーツのまま、上着だけを脱いで、ベッドに横になっていた。俺が贈った花を除けば、余計な装飾のない部屋だ。
「シヴァ」
リアンヌは思わず俺の名を呼んでしまい、そのことに気づいて顔を曇らせたが、その時にはセレネとレティシアはルワナと共に寝室の外に出て、ドアを閉めかけている。聞こえなかったものと考えよう。
「起きるな。寝てろ」
と手で制止しながら言うと、上体だけ起こしたリアンヌは苦笑した。
「別に、病人じゃないから。ちょっと休憩していただけ」
もちろん、妊婦に無理は禁物だ。まして、普通の妊娠ではない。
「いいから、横になっててくれ。頼む」
俺はベッドの端に座ると、リアンヌの手を取り、指にキスした。いつものように。リアンヌの指には、俺が贈った大粒のルビーの指輪がある。リアンヌの肌の色には、赤いドレスや赤い宝石がよく似合うのだ。
「俺が悪かった。こんなことになるなんて、考えもしなかった」
「ううん、それは、わたしのせい。自分が妊娠するなんて、考えていなかったから」
以前、違法ポルノの撮影に使われて、心身共にぼろぼろにされたせいだとリアンヌは言う。一時は、生理も止まっていたと。今でもまだ、生理が狂うことがよくあるから、自然妊娠などありえないと思っていたという。
「すまない。俺がもっとちゃんと、確認していれば……」
「お願い、謝らないで。わたし、とても嬉しいんだから」
聖母のような微笑みを見て、ひやりとした。リアンヌは子供愛しさのあまり、異常な妊娠の危険を、過小評価しているのだ。
「頼むから、話を聞いてくれ。一緒に、リザードの研究基地へ行こう。受け入れ態勢は、もうできてる。子供は研究チームに託そう。きっと、何とかしてくれる。治療の方針が立つまで、冷凍保存しておくこともできる」
「ええ、わかってる……」
リアンヌは、ぼんやり微笑んだ。
「でも、もう少しだけでいいから、一緒にいたいの……わたしの赤ちゃんなんだもの……」
不覚にも、泣きそうになった。大事な女に、こんな思いをさせるとは。
かろうじて平静を装い、両手でリアンヌの手を握った。
「俺が連れていく。ずっと一緒にいる。留守中のことはセレネとレティシアが見てくれるから、心配するな」
二人とも、上司の迂闊な妊娠には呆れたらしいが、留守は守ると約束してくれた。俺に対する腹立ちが半分、リアンヌに対する同情が半分という様子だ。
「ジョルファさまは、元々、働き過ぎだったのですわ。ハネムーンだと思って、のんびり旅行していらして下さいな」
「グリフィン事務局との連携も、もう安定しています。何かありましたら、すぐ報告しますから」
側近に二人がかりで説得され、リアンヌもついに、分離手術を受けるための旅行を承知した。往復に時間がかかるし、手術後の療養もあるだろうから、本拠地である《ルクソール》を一か月以上留守にすることになるが、問題はない。
グリフィン事務局は元々、俺が出入りしていたわけではないから、距離が遠くなっても超空間通信さえできれば、それでいいのだ。
***
「では、グリフィンさま、ジョルファさまをお願いします」
「ああ、わかった。必要な連絡は入れる」
一般の部下たちには仕事での出張ということにして、俺たちは《ルクソール》から出航した。護衛艦に囲まれた母艦に乗っているのは、ルワナとリアンヌと俺の三人だけだ。第二秘書のリーファは、連絡員としてグリフィン事務局に残してある。
まずは、リザードに指定された座標に向かう。そこに、出迎えの船が来る約束だった。
リザードの研究施設というのがどこにあるのか、こちらには不明のままなのだ。ただ、片道二週間近くかかると言われたのみ。リザードは我々に、自分の手の内をさらすつもりはないらしい。
ショーティがいれば、治療は奴に任せるところだが、それはもう、惜しんでも仕方ない。
リアンヌと愛し合うようになってから、俺は、奴のことをあまり思い出さなくなっている。もちろん、いつかは必ず取り戻すが、今はまずリアンヌのことだ。
そのリアンヌは、子供のことで頭が一杯らしく、船室に落ち着いても、子供のことばかり語る。どんな名前にしようか、どんな服や玩具を用意しようかと。
「あなたも名前を考えてね、シヴァ」
子供が育たない可能性を、すっかり排除してしまっているようだ。俺はなるべく、逆らわない方向で話相手になった。
「そりゃ、考えるけどな。まだ、男か女かもわからないんだろ」
調べれば判明することだが、リアンヌはあえて、調べさせていない。空想して楽しみたいらしい。
「だから、両方。あなたに似ていたら、背が高くてハンサムで、無愛想な男の子になるでしょうね」
うっとりした様子で言う。
「生意気なクソ餓鬼になりそうだな」
厳しく叱れば反発するだろうし、放っておいたら傲慢に育つだろうし。男がまともに育つのは、かなり難しいことなのではないか。俺しか手本がいなければ、尚更だ。
「でも、女の子だったら、骨太の大女になってしまうかも……わたしに似てしまったら、ピンクのドレスも、リボンもレースも似合わないわ」
リアンヌが悲しげに言うのは、自分の少女時代を思い出すからか。
しかし紅泉だって、少女時代は短い髪をして、縞シャツや野戦服みたいなものばかり愛用していたぞ。正装を課せられる夕食の時だって、あっさりした紺や黒のワンピースを着ていたからな。
ただ、さすがのじゃじゃ馬も、思春期以降、洒落っ気が出たらしい。現在は赤でもオレンジでも着こなして、誰もが振り向くような、颯爽たる美女になっている。それでも性格が強烈すぎて、男には逃げられてばかりだが。
リアンヌだって、自分で思うほど『無骨なゴリラ女』じゃない……自分で、女らしい格好が似合わないと、決めつけていただけだ。
「おまえに似たら、赤いドレスはよく似合うだろう。俺が、めためたに甘やかしてしまいそうだ。年頃になってボーイフレンドを連れてきたら、俺が審査してやる」
「そして、半殺しにして追い払うの?」
微笑んでくれるのが嬉しい。
「ああ、半端なチンピラだったらな」
「それは可哀想よ。箱入り娘にしないで。ああ、ファザコンになりそうで、心配だわ。いつまでもパパに甘えて、他の男性に目が向かないかも」
リアンヌはくすくす笑う。そうだ、笑ってくれ。少しでも。
「もし男の子だったら、俺が厳しく育てる。あまり甘やかさないでくれ」
「男の子の方が、女の子より弱いのに?」
「強くないと、辺境では生きていけないだろ」
「男の子の人生は、戦いばかりなの?」
「そんな、今から心配するなよ」
生き延びられるかどうかわからない、胎児なのに。
『ミッドナイト・ブルー グリフィン編』11章-2に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?