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古典リメイク『レッド・レンズマン』20章-3

20章-3 クリス

 最高基地への帰路、わたしはキムから基礎的な訓練を受けた。レンズをどう使えばいいか。自分の精神を守る方法や、人の精神に侵入する方法。慎重に行えば、人の記憶を操作することもできるという。

 砂地に水が染み込むように、わたしはその教えを吸収した。というよりも、ほとんど教わる必要がないくらいだった。

 たぶん、幼い頃から精神感応に慣れていたからだ。わたしは祖父や父とレンズを通して日常的に交流していたし、リックやキムとも、当たり前に往復精神感応を行ってきた……介在するレンズが二つになっただけで、レンズマンとの交流は、これまでとたいして変わらない。

 新たに得た能力は、レンズを持たない一般人の心を読めるようになった、というものだ。申し訳ないが、ドーントレス号の乗員たちの心を読むことで、練習させてもらった。

(戻ったら、あの子に言い訳しなきゃ。でも、許してもらえるかなあ)

(まずいなあ。なんであんなこと、しちまったんだろ)

(アンドロメダに出発する前に、祖父さんの見舞いに行かないとなあ。もう持たないだろうからなあ)

(あの野郎、またふざけた真似しやがって……思い知らせてやる)

 それはもちろん、便利な能力ではある。けれど、わたしはこれまでも、相手の表情や動作から、かなりの部分、相手の心理を読み取ってきたのではないか。知りたいことは、駆け引きの中で探り出すことも出来ていたし。

 人の心の読み取りの精度が、かなり上がったのは事実だが、特別、驚くようなことではない気がする。それに、人の精神を操作するなんてこと、心理的な傷の治療以外では、必要なさそうだし。

「この程度のものなのね、レンズって」

 つい、そう洩らしてしまった。アリシアのメンターに感謝していないわけではないが、わたしが想像していたような……人間を超人にする魔法の道具ではなかった、らしい。近視の人間が、眼鏡をもらった程度のことではないだろうか。

 キムは苦笑半分で言う。 

「つまり、きみには最初から高度な資質があったんだ。もちろん、メンターが、その資格のない者にレンズを渡すはずがないけどね。レンズはただ、きみ本来の能力を、ちょっと後押ししてくれるだけだから……元の能力が高いと、たいした差は感じられないのかも」

「それにしては、あなた方男性は、大騒ぎしてレンズマンになろうとしているわね」

「そりゃあ、男にとっては、ほんのちょっとの差でも、大きな問題だからね」

 男の中での序列が上がることは、男にとって、人生の一大事なのだろう。男同士で張り合うのは、男の本能。他の男に勝たなければ、女から選んでもらえない。

 でも、女には競争よりも協調の方が大切だ。わたしが、イロナやヘレンと友達になったように。

 それに、わたしはレンズなしでも、ヘインズ司令の補佐官になっていたのだし……今ではキムの補佐官なのだから、平行移動しただけのこと。レンズのおかげで、特に身分が上がったわけではない。

 あれほど焦がれていたレンズをもらったというのに、肩透かしをくらったような気分だった。

 まるで、わたしが幼稚なわがままを言って、メンターから〝飴〟をせしめたようなもの? ちょっと甞めてみたら、それでもう満足してしまった?

 それとも、これはまだわたしがレンズ初心者だからで、これから修業を積んでいけば、もっと高い能力が開花するのだろうか。そして、今の慢心を恥じることになるのだろうか。

 キムはあやふやな顔だった。

「わからないなあ。ぼくたち普通のレンズマンは、レンズをもらったら
天まで舞い上がるものだから……クリス、きみがそんなに冷静でいられることが、不思議になるよ」

 キムは既にグレー・レンズマンなのだから、〝普通〟とは言えないと思うけれど。

「二十歳そこそこでレンズマンになるのと、三十代後半でなるのでは、社会経験の差が出るのかしらね」

 この年齢になれば、大抵のことでは動じないようになっている。けれど、キムは首をかしげた。

「というよりは、やはり、資質の差という気がするけれど……きみの心は広くて、深いよ。それは、はっきりわかる。ヘインズ司令に較べても、リック先輩に較べても、きみは特別だ」

 わたしには、それはよくわからない。わたしから見れば、キムもヘインズ司令も、精神的な巨人だ。一般の隊員と較べれば、隔絶しているのがわかる。広くて、深い心。でも、レンズマンになる者は、みなそうなのではないか。ウォーゼルやナドレック、トレゴンシーのような、異種族レンズマンたちも。

「レンズマンが恋人だと、レンズに慣れているってことじゃない?」

「いや、慣れというなら、レンズマンの家族はみんな精神接触に慣れている。だからといって、レンズをもらえるわけではないよ」

「それじゃ……わたしがバージル・サムスの子孫だから……?」

 ファースト・レンズマンの系譜。レンズマンが、特定の家系に多く出ることはよく知られている。キムの家系もそうだ。史上二番目のレンズマン、ロデリック・キニスンの子孫。

 もちろん、先祖にレンズマンがいなくても、レンズをもらえる者は多い。血統だけの問題ではない。

 その時、ちらと何かが心をかすめた。メンターは確か……確か……〝他の仕掛け〟とか言っていなかった?

 あの時は、深く考える暇もなく聞き流したけれど……まだ、何かあるのだ。わたしたちの知らない何かが。それはたぶん、もっと年月が経った後でなければ、見えてこないのだろう。

「とりあえず、これで、レンズマンの会議には参加させてもらえるわね」

 嬉しさににんまりした。そうすれば、レンズマン秘から排除されることはなくなる。それは有難い。アンドロメダ遠征艦隊の世話をするのに、知らないことがあってはやりにくい。

 キムは咳払いし、遠慮がちに言った。

「それだけど、エッドール人のことは、レンズマン秘にするしかないと思うよ」

 それは、さすがにキムの言う通りだった。以前のわたしなら、秘密からのけ者にされることに腹を立てただろうけれど。

「仕方ないわね」

 子供たちが悪夢に見るような悪魔的種族のことを、世間に広めるわけにはいかない。レンズをくれたアリシア人ですら、彼らを滅ぼすことはできないのだ。

 わたしたち後進種族がもっと成熟して、戦いに希望が持てるようになるまでは、究極の敵のことは伏せておく方がいい。一般市民は、アリシア人の真の姿も知らないままなのだ。

「今は、アンドロメダを解放することが目標……それをまず、乗り越えなくてはね」

 ただ、心配だったのは、他の男性レンズマンたちが、わたしのレンズのことをどう捉えるか、だった。

 自分たちへの侮辱、と思うのではないか。

 女のレンズマンなど、同格とは認めないのではないか。

 もちろん、レンズを通じて連絡したヘインズ司令は、しばし絶句した後、脱力したような感じで祝福してくれたけれど。

『おめでとう、クリス。女性がレンズマンになれるとしたら、きみこそ、それに相応しい』 

 相応しいかどうかは、わたし自身にはわからない。それは、メンターの判断だからだ。わたしとしては、この新しい武器を、精々、有効に使おうと思うだけ。

 自分のレンズがあることで、大幅に便利になったのは確かだ。レンズマンからの呼びかけを待たずとも、こちらから、誰にでも呼びかけられる。この銀河の隅々まで。

 わたしはドーントレス号の中から、はるか彼方のベルに呼びかけ、イロナやヘレンとも精神感応した。そして、満足のいくまで、彼女たちと心の交流をした。

《クリス、おめでとう》

 大きなお腹を抱えたベルは、涙ぐんで祝福してくれた。

《なんて素晴らしいんでしょう。リックもこれで、安心してくれるわ》

 弾けたように喜んだのは、イロナだった。

《まあ、クリス、レンズをもらえたなんて、さすがだわ!! 素晴らしいわ!!》

 仕事がうまくいっているせいか、ヘンリーと仲良くなっているせいか、最近はずいぶん、態度が柔らかくなっている。

《わたしはもう、レンズは要らないけれど、あなたなら有効に使えるわ。みんなのために、嬉しいわ》

 また、ライレーンで女王の職務に忙しいヘレンは、澄まして評した。

《おまえを認めないアリシア人なら、たいしたことはないな、と思っていたからな。彼らもようやく、正しい評価をした、というところだ》

 とにかく、これからは、女がレンズマン候補から排除されることはなくなるだろう。

 ***

 心配していたことは、杞憂に終わった。

 ドーントレス号が最高基地のある惑星バージリアに接近すると、付近に配置していたパトロール艦隊から、一斉に祝砲代わりのプラズマ花火が打ち出されたからだ。真空の宇宙空間に、何千もの光の花が開いた。

 そして、多くのレンズマンからの祝福の接触があった。

《おめでとう、レッド・レンズマン!!》

《さすがは〝鬼〟のクリス!!》

《これでもう、ぼくらを目の敵にしないでくれるよな!?》

《お手柔らかに頼むよ、レッド・レンズマン!!》

 地上では、『レッド・レンズマン歓迎パレード』まで準備されているという。レンズマンたちの祝福の精神波があまりに強くて、押し流され、溺れそうになってしまった。キムの腕に支えてもらって、何とかこらえたけれど。

 よかった。わたしはレンズマンたちに、仲間として迎えられたのだ。レンズを通じての接触で、嘘はつけない。彼らはリックの死を惜しみ、悲しむと共に、新たなレンズマン――レッド・レンズマンの誕生を喜んでくれている。

《ありがとう……ありがとう》

 いつか迎える最終決戦まで、わたしたちは、心を一つにしてやっていけるだろう。

 そしてもう一つ、嬉しいことがあった。レンズを通じて得た知覚力で、わたしは自分が妊娠していることを知ったのだ。

 小さな小さな男の子が、わたしの中にいる。まだ、小指の爪先ほどのサイズにすぎないけれど。それでも、わたしの声を聞き、わたしの心臓の鼓動を感じ、わたしと共に生きている。

 つい、リックの生まれ変わりと思いそうになって、自分で打ち消した。いいえ、この子は別の個性よ。これから新しく、まっさらな人生を始めるのよ。リック、見ていてくれるわね。どうか、この子を守って。

 キムと相談して、名前を決めた。クリストファー。わたしたちが呼びかける時は、略してキット。

 これからは、レンズマンとしてだけでなく、母としての責任も負うことになる。でも、何とかやっていけるだろう。わたしには、頼もしい伴侶がいるのだもの。

   『レッド・レンズマン』20章-4に続く

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