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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』3章-2 4章

3章-2 ハニー

「それは待って。それだけはやめて」

 わたしはマックスに取りすがり、必死で懇願した。ただ処刑されるより、ずっと悪い。制限のない人体実験の素材にされるなんて!!

 生物兵器や化学兵器の効力を試すのか、遺伝子操作を施されるのか、機械や動物との融合を試されるのか、わからない。でも、それはきっと、生き地獄に等しいはずなのだ。

「外から、誰かが監視しているわけじゃないわ。五年を過ぎて生かしておいたって、誰にわかるの。仮に、外部に知られたところで、わたしたちが罰を受けるわけじゃないでしょう。何をしても自由なのが、辺境の大原則のはずよ」

 けれどマックスは、奴隷は五年で処分するのが一番なのだと言う。

「余計な知恵が育つと、互いに話し合って反逆を企むようになる。過去に幾つも、そうやって崩壊した組織があるんだよ。それに、バイオロイドを無制限に生かすことが常態になれば、必ず取引相手に知られる。そこから噂が流れる。最高幹部会に知られたら、うちのような新興組織なんか、簡単にひねり潰されてしまう」

 ――最高幹部会。

 辺境を支配するという六大組織の、謎めいた権力者たち。中央の政府にさえも、彼らの力は浸透しているという。

 けれどマックスは、何をも恐れない男ではなかったの。常識を打ち破り、既存の権力に挑戦するのではなかったの。

「もちろん、挑戦はするよ。だが、それには長い年月がかかる。辺境に出てきて五年や十年で、睨まれるのはまずい。今はこらえて、実力を蓄える時期だ」

 そして、生存期限を越えたバイオロイドたちは、仲介する組織に払い下げられた。兵器工場や研究施設でおぞましい人体実験に使われ、苦しんだ挙句に殺されてしまう運命だというのに。

 それからしばらく、わたしはマックスを拒絶した。キスも抱擁も拒んだ。彼がどう頼んできても、わたしの寝室には入れなかった。

「一人でいたいの、一人にして」

 もちろん、わかっている。そんな抵抗、何の役にも立たない。既にわたしは、娼館の女たちの血と涙で購った贅沢品を手にしている。偽善と言われれば、その通り。

 でも、それでも。

 人間として、踏み越えてはならない一線があるのではないの!?

   ***

 わたしはずっと、建前で塗り固めた市民社会が嫌いだった。だから自分は、本音が剥き出しの辺境には、すんなり馴染めるものと思っていた。

 でも、辺境の真実は、底なしに恐ろしいものだった。普通の家庭で育った者が、その深淵とまともに向き合ったら、心を破壊されてしまう。

 今では、あの建前社会が懐かしい。それは、冷酷な真実を少しでも和らげようとする、長い試行錯誤の結果だとわかったから。

 でもマックスは、易々と辺境に馴染んだように見える。最初の資金さえ、親切な伯父さまを洗脳して盗み取ったのだ。

 彼は少しでも、伯父さまに悪かったと思っているのだろうか? マックスの稼ぎで養われているわたしが、そんなことを考えても、ただの難癖にすぎないのだろうか?

 文句があるなら、この《ディオネ》から出ていくべき? でも、わたし一人で、どうやって生き延びられるの?

 何より恐ろしいのは、現在のマックスに、わたしが必要不可欠の存在ではなくなっていることだ。今では大勢の部下たちが、マックスの指揮下で整然と動き、成果を上げている。わたしの補佐は、ほとんど必要なくなった。ここは、マックスただ一人が支配する独裁国家なのだ。

「きみは好きなことをしていればいいんだよ、ぼくの女王さま。手が空いたら、きみを食事とダンスに連れて行くからね」

 マックスは寛大な恋人だったけれど、組織のボスとしては、冷徹な顔を保っていた。

 裏切者は、処刑する。

 役に立たない部下は、洗脳して人格を作り変える。

 部下たちは全員、彼を恐れ、彼に従う。

 そうしてわたしはついに、見てしまった。戦闘の後始末の現場で、部下たちに乱痴気騒ぎをさせている姿を。

 それは、他の新興組織との艦隊戦の後だった。マックスはその組織に戦闘を仕掛け、頂点の人間だけを始末し、残りの部分は自分の組織に吸収するつもりだった。

 わたしはもちろん、安全な後方の艦内で待機していたのだけれど、戦闘が終結したと、前線のマックスから連絡があったものだから、安心して、折り返しの通話をしたのだ。

 こちらに戻って食事をするなら、用意して待っていると。

 ところが、通話画面に出た彼の後ろには、無惨な光景が広がっていた。大部屋の中に、服を着た男たちと、裸の女たちが入り乱れている。男たちは酔ったように笑い騒いでいるけれど、女たちはみな、恐怖に引きつった顔。

 マックスもわたしの顔を見て、しまったと思ったらしい。

「食事は要らないよ。また後で」

 と、すぐ通話を切ってしまったけれど、もう遅い。あれはつまり、敵の艦内にいたバイオロイドの女たちが、マックスの部下たちに、戦利品として投げ与えられた光景。

 その中には、まだ胸もふくらんでいないような少女も交じっていた!! 日頃、わたしの前では畏まっていた男たちが、笑いながらあんな真似を!!

 わたしは恐怖にかられ、自分の船室に閉じこもった。頭では自分の安全を知っていたけれど、気持ちでは、自分まで狂宴の餌にされそうで。

 あれはきっと、ここ何年もの間に、幾度も繰り返されてきたことなのだ。これまではただ、わたしの目から隠されていただけ。

 マックスはすぐ、自分の乗艦で後方に戻ってきた。そして、震えが止まらないわたしに言い訳をした。

「あれは、男たちの緊張を解くためだよ。戦闘の時は、人間の指揮官もバイオロイドの部下たちも、極度の緊張状態にあるからね。平常に戻るためには、その緊張を解放してやらないといけないんだ。一番いいのは、酒と女なんだよ」

 頭では、理解する。もしも、勝ったのが向こうの艦隊だったなら、こちらの女たちが(わたしも含めて)餌食にされていたのだろう。ここ何年か、部下の男たちは贅沢になり、どんな航行にも、身の回りの世話をさせるための女奴隷を連れ歩くようになっている。その時はマックスも死んでいるだろうから、わたしを守ってくれる者は誰もいない。

 ようやく思い知った。法の庇護を捨てて、マックス一人に運命を委ねた愚かさを。

 マックスがいつまで勝ち残れるか、あるいは、どう変質してしまうか、何の保証もないのに。

 いいえ、彼自身は多分、学生時代から少しも変わっていないのだ。利用できるものは、何でも利用する性格。わたしを選んだことも、その一部。自分に尽くしてくれる、便利な女が欲しかっただけ。

 ――馬鹿だった。

 整形したければ、他人にどう思われようが、堂々と整形して、美人になればよかったのだ。嘲笑されても、非難されても、取り合わずに笑っていればよかった。わたしの人生なのだから、わたしの好きなようにすると。

 その勇気がなかったから、こんな場所に落ちてきてしまったのだ。人が人を食う、生き地獄に。

4章 マックス

 ハニーには、理解されなくても仕方ない。女というのは、男を愛し、男に守られて、子供を生み育てるようにできている。

 だから、善良で優しく、ふわふわしているのが当たり前。

 男勝りの女戦士などというものは、悪条件が生んだ、哀れな奇形にすぎない。ぼくのハニーが、そんなものになる必要はないのだ。

 ――だが、男は戦うのが仕事。

 それは、中央でも辺境でも同じだ。戦って勝たなければ、何も手に入らない。愛しい女を守ることも、できはしない。辺境での戦いの方が、市民社会のそれより、徹底しているというだけの話。

 それでも、ハニーが鬱状態に陥ってしまったのには困った。醜悪なもの、残酷なものを見すぎてしまったのだ。

 娼館に違法ポルノに艦隊戦。散乱する残骸に、漂う死体。敵の生き残りの尋問と洗脳、その後の乱痴気騒ぎ。

 生真面目な秀才だったハニーには、耐えられなかったのだろう。

 それで、大組織の経営するリゾート惑星に連れていき、大自然の中で休養させることにした。

 珊瑚礁の海に囲まれた、小島のコテージ。あるいは、高原の温泉ホテル。馬鹿高い利用料を取られるが、それは仕方がない。辺境では、安全のために金がかかる。

 しかし、ハニーの暗い顔は、なかなか治らなかった。予期せぬ物音がすると、びくりと身を縮めてしまう。夜はなかなか眠れないらしく、朝になっても、すっきり目覚められない。いかにもだるそうで、着飾る気力も湧かないようだ。前はあんなに、宝石や香水に凝っていたのに。

 ぼくが抱き寄せようとしても、恐怖の身震いが走るのを止められない。ハニー自身が強姦されたわけではないのに、他の女たちの運命を、自分のことのように感じてしまうのだ。

 火山見物に連れ出しても、サファリツアーで野生動物を見せても、満天の星の下でキャンプしても、ほんの一時しのぎの効果しかない。

(もう少し、うまく守ればよかった)

 と後悔した。ハニーの不安を知っていたのに、ついつい、組織を拡大させる方を優先させてしまって。

 ぼくはそれなりの野心家であり、自信家だが、一人で生きていけると思うほど自惚れてはいない。

 自分一人が組織に君臨したって、何になる? 部下たちはぼくを恐れ、へつらい、媚びるだけではないか。もし、ぼくが敗北する日が来たら、彼らはすぐさま敵に平伏するに決まっているのだ。

 一緒に笑い、一緒に悩み、寄り添って過ごす誰かがいなければ、人生の意味がない。

 ぼくの中には未だ、しんとした家で留守番していた、子供時代のぼくがいる。友達と公園で遊んでいても、夕方になれば、みんなそれぞれの家へ帰ってしまうのだ。

 空の夕焼けが薄れ、庭は闇に沈んでいき、近隣の家からは団欒の明かりがこぼれているというのに、ぼくの母親はなかなか帰ってこない。

 レトルトのディナーセットを温めるだけの夕食。

 やっと帰ってきた母親は不機嫌で、酒の匂いをさせ、懸命に学校の話をするぼくを追い払う。

 ――うるさくしないで。ママは疲れているんだから。

 ハニーは、あんな風になってはいけない。ハニーの優しさ、繊細さは、ぼくが守らなくては。

   ***

 結局、ぼくが治療法として思いついたのは、

『気が紛れる仕事をさせる』

 ということだった。大自然の中でのんびり過ごしても駄目なら、いっそ、都市の雑踏に放り込むのだ。

 ハニーは元々、美しいものが好きなのだから、ドレスや宝石や美術品を扱う店を持たせてやればいい。それも、これまでのような、ちまちました雑貨店の延長ではいけない。一つのビルを丸ごと使った、豪華なブランド店を立ち上げてやろう。

 そこで、違法都市《カディス》の繁華街に、適当なビルを買った。いい場所を選んだので、決して安くない買い物だったが、それだけの蓄えはできている。そして、ハニーに経営を任せると話した。

「何の店にしてもいい。部下も、好きに集めていい。利益を上げなくても、構わない。きみが楽しんでくれれば、それでいいんだ」

 《ディオネ》の本体は、人間とバイオロイド合わせて、二千人の部下が支えてくれる。このビルは、ハニーの趣味だけで運営すればいい。

 これが大成功だった。ハニーは雨の後の植物のように、たちまち生気を取り戻した。

「女性専用のファッション・ビルにするわ。男性は立ち入り禁止。たとえ、あなたでもよ」

 と笑って言う。その晴れやかな笑顔、どんなに待ち望んでいたことか。

「おいおい、こっそり裏口から入るのも駄目か?」

「そうね、たまにはいいことにしてあげる。でも、従業員に見られないように、こっそり出入りするだけよ」

 何でもいい。ハニーが少しでも、楽に生きられるのなら。

 ハニーは他組織で廃棄されたバイオロイドの女たちを集め、従業員としての教育を施した。また、中央から出て来たばかりで、まだすれていない若者たちを拾い集め、シェフやデザイナーや技術要員として仕込んでいった。

 元々、人を育てることに向いていたのだろう。美的センスは鋭いし、経営の才能もある。

 店がオープンすると、たちまち都市中の話題になり、人気を集めた。辺境で暮らす、数少ない〝本物の女〟たちは、安心できる娯楽空間を求めていたのだ。

 ハニーが《ヴィーナス・タウン》と名付けたビルは、あっという間に都市の名所になった。人間の女たちが、口コミで続々とやってくる。もはや、ぼくのことなど忘れたかのように、ハニーは、自分の店にかかりきりになっている。

 少しは寂しいが、まあ我慢しよう。

 ぼくはぼくで忙しい。ハニーが楽しく過ごしてくれるのなら、その間に、やることが幾らでもあるのだ。

 辺境の宇宙は〝連合〟に押さえられている。六大組織が辺境の大半を支配し、残りの空間を系列の中小組織に割り振っているのだ。むろん、銀河系ははるかに広く、無人空間はどこまでも広がっているが、地球を中心とした市民社会から遠ざかるほど、利用価値は薄れていく。

 ならば、〝連合〟の中で、どれだけ這い上がれるか。

 ぼくらのような新興組織が、老舗組織の領域に食い込むのは、ほとんど不可能だ。上の組織から幹部要員としてスカウトされる道もあるが、ぼくはやはり、自分の組織の主でありたい。

 勝算のある道は一つだけ――『超越化』を実現することだ。

 人間を超え、神になる道。

 既にそういう神が誕生し、人類を陰から支配しているという噂もあるが、あくまでも噂だ。研究する値打ちはある。ハニーの本質が教育や経営にあるのなら、ぼくの本質は挑戦にあるのだ。

   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』5章に続く

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