恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-8
14章-8 ミカエル
次に会った時、ジャン=クロードは妙な顔をした。まるで、ぼくが別な誰かになったかのように。
「何です?」
ぼくが尋ねると、彼は直立不動のまま、口元を引き締めて言う。
「何でもありません……ミカエルさま」
思わず、笑ってしまった。たった数日、会わなかっただけなのに。そして、センタービル上層階の客室を背景にしているだけなのに。それが、いかに豪華な客室であったとしても。
その間、ぼくはショーティに会い、シヴァの経歴を聞き、グリフィンの職務について説明を受けたが、それだけだ。
シヴァは余計な動きをしないよう、幽閉先に移送されている。そちらの世話は、ショーティが引き受けてくれる。
単純なシヴァは、自分がショーティの知能強化をしたと信じていたが、実際には、そこにも麗香さんの手が加わっている。だからショーティは、シヴァの命を守ることを条件に、麗香さんの世界計画に従っている。
「あなたには、これまで通り、呼び捨てにしてもらいたいのだけれど」
「それは、命令ですか?」
ジャン=クロードにとっては、最高幹部会から特命を受けたぼくに敬語を使うことが、けじめなのだろう。でも、それではぼくが寂しい。今はまだ。
「それでないとだめなら……命令ということにします」
「では……ミカエル」
彼はしばし、言いよどんだ。しかし、結局は、率直な口調に戻って言ってくれた。
「きみは何か……雰囲気が変わった」
「そうですか?」
「姿は変わらないが……百歳くらい、年をとったみたいだ」
また、笑ってしまった。彼は内心、ぼくが最高幹部会に洗脳され、怪物化されたのではないかと疑っている。構わない、怖がらせておこう。その方がいい。これから先、彼に冷酷な指令を下す場合も出てくるだろうから。
ぼくはジャン=クロードの背景も、既に調べた。優秀な司法局員だった彼は、違法組織に妻と娘をさらわれ、脅迫された。自分たちの仲間になれと。彼はやむなく市民社会を捨て、組織の手先となって働いた。何年も。
そして、その組織の中級幹部にまで出世してから、知った。妻と娘はとうに不老処置を受け、心底から辺境の住人になりきってしまい、市民社会に戻る意志をなくしているのだと。
彼から見て、ようやく再会できた妻と娘は、既に魔女だった。永遠の若さのためなら、何を引き換えにしてもいいという魔女。彼女たちこそ、もはやジャン=クロードを必要としていない。
ジャン=クロードは組織を去り、一人で新しい組織を立ち上げた。そして、その組織を終生の居場所にしようとした。
そういう彼に、麗香さんが目を付けたのだ。彼がセイラを保護している様子を見れば、麗香さんの正しさがわかる。彼にとってセイラは、失った娘の代りのようなもの。
まともな者が権力を持ってこそ、愚かな者、腐った者たちを従わせることができるのだ。
「ぼくはこれから、グリフィンとしての仕事を始めますが、最初のうちは、あなたに手伝って欲しいのです。あなたの組織の仕事と、半々でいいですから」
彼は驚いたが、承知してくれた。彼にとっても、グリフィン直属の配下というのは、望ましい立場なのだ。色々な情報を、誰より早く手に入れられるのだから。
「まずは、懸賞金リストの見直しです。年齢の上がった人はリストから外して、若い人を入れましょう。その方が、軍にも司法局にも、いい刺激になりますよ。それから、グリフィン艦隊を試しに動かしてみたいので、船旅に付き合って下さいね。実戦の練習もしてみたいので、適当な中小組織を相手に選定して下さい。喧嘩を売る理由? そんなものは要らないんですよ。単なる稽古台なんですから」
ジャン=クロードは、何か言いたそうに口を開きかけた。しかし、思い直し、サングラスのまま頭を下げた。
「了解しました、グリフィンさま」
「だから、ミカエルでいいんですってば。敬語もやめて下さい」
金髪の伊達男は、無理難題を吹っかけられたような顔をする。
「やりにくいんだよ、それは!!」
ぼくは笑った。久しぶりの大笑いだ。
「その調子。それでいいんです。あなたは、グリフィンの正体を知る、貴重な存在なんですから」
ぼくの脳内には、既に麗香さんの手で、新たな神経細胞が植え付けられている。ぼくが隠居屋敷に泊まった最初の一週間で、基本的な治療は完了していたのだ。
その神経細胞は、何年かのうちに、ぼく本来の神経細胞と置き換わり、ぼくの記憶や意識を担うようになっていく。もう、脳腫瘍に怯えることはない。あとは幾らでも、最新技術による不老処置を繰り返していけばいい。
ぼくがグリフィンでいる限り、〝連合〟内のあらゆる最新情報にアクセスできる。超越化の研究も進められる。
――リリーさん、ぼくは、貴女の守護天使になる道を選びます。普通の男女のように、俗世で結ばれることはありませんが、魂であなたに寄り添います。
どうか、ぼくを信じ、頼って下さい。ぼくがどう変貌しようと、それは全て、貴女を守るためなのですから。
***
「ミカエル!! 元気だった!?」
十か月ぶりの再会を、リリーさんは全身全霊で喜んでくれた。
今日は、ロイヤルブルーの優雅なドレスを着て、首に大粒の真珠のネックレスを巻き、長い金褐色の髪は背に垂らして、とても女らしい。ぼくをぎゅうと抱きしめ、顔中に甘いキスを降らせてくれる。その後も、嬉しさのあまり、ぼくの周囲をぐるぐる踊り回るくらい、はしゃいでいる。
「ああもう、無事でよかった!! 姉さまったら、ほんとに人が悪いんだから!! こんなに長いこと、あたしたちを引き離しておくなんて!!」
――なんて可愛い人だろう。
貴女が悪党退治の時に見せる、壮絶な殺しっぷりを、ぼくが知らないと思って、安心しているんですね。
あなたが人身売買組織を潰した時も、子供を違法ポルノに使っていた組織を潰した時も、ぼくは現場の映像を、遠くで見ていたんですよ。ドスの効いた素晴らしい啖呵を聞いて、惚れ直したことは、内緒にしておきますけどね。
「ああ、会いたかったわ。すっかり健康体になったのね。本当によかった」
ぼくはキスの余韻でうっとりしながら、素直に答えた。
「ぼくも会いたかったです……どれだけ会いたかったか、きっと、リリーさんにもわからないですよ」
白いワンピースを着たヴァイオレットさんは、少し後方にいて、離れてはまた抱き合うぼくたちを、黙って見ている。内心、ぼくの死を願っているとしても、それは表に出さない。リリーさんに冷たい女だの、怖い女だの思われたくないからだ。
リリーさんを愛してしまったおかげで、彼女は一生、困難な道を歩くことになる。でも、本人はそれを、幸福な道だと思っているだろう。他の運命と取り換えようとは、決して思うまい。
「少しは落ち着いて、ミカエルを離してあげなさい。窒息してしまうわよ」
麗香さんに笑って言われたので、リリーさんはようやく、何度目かの抱擁から、ぼくを解放してくれた。
お人よしのリリーさんは、少しも麗香さんを疑わない。〝リリス〟の活動を支援してくれる、大恩人だと信じている。こんなに単純で、よくも今日まで生き残ってこられたものだ。ヴァイオレットさんの補佐と、グリフィンの庇護があればこそ。
「あたし、ミカエルに話したいことが一杯溜まってるのよ。もう、徹夜でしゃべり倒したいくらい!!」
「はい、徹夜で聞きます。全部聞かせて下さい」
「ああ、もう、ミカエルってば、なんていい子なの!!」
再び、ぎゅうと抱きしめられた。顔が豊かな胸に埋まってしまって、恍惚のあまり、意識が飛んでしまいそうになる。
「あ、ごめん」
と反省の顔で、すぐ離されたが。
ぼくがいい子に見えるのは、リリーさんの善良さの反映なんですよ。貴女がいい人だから、ぼくも、いい子でいたいんです。貴女の前でだけは。
貴女が貴女の信じる道を進めるよう、ぼくがこっそり、裏で手を打っておきますからね。殺すべき相手は殺し、洗脳するべき相手は洗脳しておきます。だから、貴女が実際に相手にするのは、雑魚だけでいいんですよ。
……ああ、そうか。
邪悪な人間というのは、善良な人間が大好きなんだ。世界に善良な人間が多くいてこそ、自分が優位に立てるから。
薔薇園を見渡すテラスでのお茶が済むと、リリーさんはぼくを散歩に誘った。ぼくはおとなしく同行し、一緒にあれをしよう、これをしようというリリーさんの計画を、にこにこしながら聞いている。
――何という罪作りだろう。これから、この人を失望させ、落胆させるとわかっていて。
だが、今ならまだ、深い傷にしなくて済むのだ。リリーさんにとっては、何十回もの失恋話に、新たな一話が加わるだけのこと。次の王子さまに出会えば、忘れられる。
でも、その男もまた、リリーさんの前から去っていくはず。
貴女は女神なのだから、人間の男と結ばれることなど、なくていいのです。ぼくだけは、いつまでも、貴女を守り続けますから。
「それにしても、ミカエルは、あんまり背が伸びていないわね……育ち盛りのはずなのに」
百合やラベンダーやポピーの花畑の中を歩きながら、リリーさんが不思議そうに言った。当然だ。思春期の少年なら、一年近く会わずにいれば、見違えるほど伸びているもの。
「ぼくは元々、成長が遅いように作られているので……」
それは、真実の半分である。放っておけば、普通人より長くかかるにしても、ぼくだって青年の肉体になる。
しかし、ぼくは遺伝子操作とホルモン操作で、肉体的成長を止めることにした。今ならまだ、それができる。自分を〝永遠の少年〟にしてしまうのだ。動物的な性欲が荒れ狂い、ぼくの思考に影響を与えるようになる前に……
ぎりぎりだった、と思う。もう一年後だったら、もはや、性欲を捨てようなどとは思えなくなっていたのではないか。だから麗香さんは、ジャン=クロードに、ぼくの教育を急がせたのだ。
「遅くてもいいわ。いずれは、立派な青年になるでしょ。そうしたら、結婚しようねっ」
ぼくの手を握って小道を歩きながら、リリーさんは言う。
「笑わないで、聞いてくれる? あたしね、一度でいいから、白いウェディングドレスを着てみたかったの。長いヴェールを曳いて、ブーケを持ってね。ミカエルもきっと、白いタキシードが似合うわ。ううん、薄紫がいいかも。教会の鐘を鳴らして、みんなに祝福されて、海辺の街でハネムーンを過ごすのよ」
リリーさんの無邪気な夢を壊すのは、とても辛い。でも、仕方ないのだ。リリーさんの生存が最優先なのだから。
「あのう、リリーさん……ぼく、実は、大事なお話があるのですが」
改まって切り出すと、リリーさんはいくらか警戒する顔になった。花畑の中で立ち止まり、不安げに言う。
「まさか、あたしより姉さまの方が好きになった……とか言わないよね」
冗談のふりをした口調だが、半分はそう疑っている。不吉な予感が、はっきりと顔に出ている。何て素直で、無防備なのだろう。
「いいえ、違います。そうではありません。ぼくは世界で一番、リリーさんが好きです。この気持ちは、一生変わりません。リリーさんは、ぼくの太陽です」
ぼくの魂は、リリーさんの魂と響き合っている。たとえ、仕組まれた出会いだとしても。
「ただ……わかってきたことがあるんです。わかりたくなかったんだけど、もう、わからないふりはできません」
「何のこと?」
これを言ってしまえば、もう後戻りはできない。だが、言うしかない。ぼくが期待に背けば、いつでも麗香さんによって〝処理〟されてしまう。
洗脳されて操り人形にされるくらいなら、自分の意志で麗香さんに従う方がいい。自分の意志さえ残っていれば……最後の最後に、ぎりぎりで反逆することもできる。たとえ、失敗するとしても。
「ぼくたちは、結婚などしてはいけないんです。そんなこと、望むのが間違いでした。婚約は、解消して下さい。ぼくを、恋人ではなく、ただの友達にしておいて下さい。それなら、ぼくはこれからも、リリーさんの世界の隅っこにいられます」
リリーさんの顔から、表情が消えた。ロイヤルブルーのドレスの色が反射したかのように、顔から血色が失せてしまう。健康そのものの人が、ここまで顔色を失うなんて、並大抵のことではない。
「それは……それは、ミカエルが、あたしを嫌いになったということなの?」
声すらもかすれているが、それでも、意志の力で言葉をまとめることができる。さすがは豪傑だ。
「それとも、最初から、恋愛感情ではなかったということなの? あたしを好きだという、芝居をしただけ? 確実に、治療してほしかったから?」
そんな浅薄なことなら、よかったのに。
「だったら、はっきりそう言って。ごまかされるより、はっきり宣告された方がいいんだから」
改めて、麗香さんが恨めしい。ぼくがこの人に、こんな思いをさせてしまうなんて。
「芝居なんかじゃありません。心の底から、大大大好きです。貴女は、ぼくの夢そのものです。いつまでも敬愛しています。でも、本当はリリーさんにも、わかっていることなんです」
「何なの。どうして、そんな言い方するの。あたし、全然わからない」
半分怒り、半分困った顔が、とても可愛い。
「では、はっきり言いますね。ヴァイオレットさんの存在です。ぼくが、貴女とヴァイオレットさんの間に割り込んではいけないんです」
『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-9に続く
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