恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-5
14章-5 ミカエル
「バイオロイドを五年で処分するのは、長く生かすと知恵がついて、人間に反抗するからでしょう?」
「その常識がおかしい。人道的な扱いをすれば、そもそも反逆する理由などないんだから」
人間の口から、その言葉が聞けるなんて。それが、辺境の常識になればいいのに。だが、ジャン=クロードはあくまでも例外なのだ。
「……それは、あなたのような、まともなボスの下でなら、正当な扱いができるでしょうけれど……自分に自信のない人間だったら、優秀なバイオロイドは、怖くて仕方ないんじゃありませんか? だから、追い越されないうちに殺すんでしょう?」
ジャン=クロードは苦笑した。
「だろうな。おまえみたいに、飼い主を噛み殺す犬もいる」
皮肉を言われても、もはや何でもない。おかげで、リリーさんに会えたのだ。辺境の冷酷さがぼくに、戦うことを覚えさせた。
「あなたが、セイラの保護者でよかった。どうか、これからも、セイラを守ってやって下さい」
と言ったら、何か妙な間が空いた。何だろう。
「……もしかして、セイラが大きくなるのを待っているんですか?」
セイラはぼくと同じく、十二、三歳くらいの肉体年齢だ。もう数年待って、成熟してから、側女にするつもりなのかも。でも、それならますますいい。ジャン=クロードなら、末永くセイラを大事にしてくれるだろう。
「ま、それはそれとして……」
照れたのか、彼は話題をそらす。
「《アヴァロン》に戻ったら、おまえを連れて、最高幹部会に出頭することになっている。それでな、ミカエル……」
「はい」
「俺は、前から妙だと思っていたことがあるんだが……」
「はい?」
「最高幹部会は、本当に〝リリス〟を殺したいのか? だとしたら、あまりにも不手際続きじゃないか?」
はっとした。いきなり、核心を突かれた気がする。
確かにリリーさんとヴァイオレットさんは、これまで何十回も暗殺者に狙われ、ぎりぎりで命を拾ってきた。だが、それにしても『運が良すぎる』という感じは、ぼくも持っていた。それは、過去の〝リリス〟の戦歴を調べているうちに浮上してきた疑問だ。
ぼくとリリーさんが吊り橋の上で狙撃された時だって、第二撃は来なかったのだ。わざわざ上空の民間船を乗っ取っておいて、不確かな初撃だけで終わらせるなんて。軍や司法局が妨害する前に、更なる攻撃はできたのではないか。
……するとあれは……あの攻撃の意味は……?
「一度や二度なら、刺客から逃れてもいいだろう。三度、四度なら、幸運と思うこともできる。しかし、〝リリス〟が懸賞金リストの最上位にランクされてから、もう何年になる? これほどまでに暗殺をかわし続けていることを、ただの運と実力に還元していいのか?」
もっともだ。
「いくら強化体だって、隙はあるだろう。というか、隙だらけだ。ろくな変装もなしで街を歩き回って、目立つ真似はする、男はひっかける。あれで生き延びているなんて、奇跡に近い」
「あなたの言いたいことは、よくわかります……でも……」
最近のジャン=クロードは、サングラスなしの素顔でぼくに向き合うことが多い。たぶん日頃の彼は、部外者に甘く見られるのが嫌で、わざと無頼風の装いをしているのだ。今は、薄青の目で、真正面からぼくを見つめている。
「解答は一つだろう。最高幹部会は〝リリス〟を殺したくないんだ。それどころか、積極的に守ろうとしているんじゃないか。そう考えれば、筋が通る。暗殺が失敗続きなのは、失敗するように仕組まれているからだ」
世間の常識とは、百八十度異なる解釈。
だが、よくわかる。ぼくもつい、同意してしまいそうになる。
「でも、リリーさんは本気で戦っていますよ。あの人の夢や理想は、本物です」
それは、実際に接したぼくの確信だ。しかしジャン=クロードは、第三者の平静さで言う。
「本人の意図は、関係ないんだ。結果として〝リリス〟は、最高幹部会に利用されている。おそらく、わかりやすい英雄が存在することが、〝連合〟の利益になるんだろう」
わかりやすい英雄。
「一般市民は安心して、悪との戦いを、英雄に丸投げするからな。大多数の市民は何も考えず、現状維持に満足する。だから、事態は何も変わらない」
そういうことか。人に説明されると、よくわかる。たまに小悪党が退治されたくらいでは、〝連合〟の支配体制は、びくともしない。
確かに、一般市民の無関心が、単なる卑劣、単なる愚かさであることは、ぼくも感じていたことだ。辺境生まれの強化体が戦ってくれるなら、自分たち一般人が危険を冒す必要はないという、あからさまな責任放棄。
リリーさんたった一人で、世界の悪を全て糾すことなど、できはしないのに。
「……それがわかっていて、ハンター役を務めているなら、〝リリス〟はただの女優にすぎない。スーパーヒロインごっこだ。わかっていないなら、大間抜けだろう」
これには思わず、かっとした。リリーさんはただ、純粋なだけだ。恵まれた生まれと育ちを、かえって負い目に感じ、自分の力は人のために使わなくてはと思っている。
「それじゃ、どうしろって言うんです!! リリーさんは精一杯、できることをしていますよ!! それを利用する方が、悪辣なんです!! ここでリリーさんを非難して、何の益があるんです!!」
彼は閉口したようで、ぼくをなだめる仕草をした。
「落ち着け。俺はただ、デュークや最高幹部会の真意を知りたいだけだ。なぜまた、手間暇かけて〝リリス〟の想い人を保護するのか。こうやって、俺に教育させるのか」
想い人。なんという、魅惑的な言葉だろう。
できるものなら、その甘美さに、ただうっとりしたかった。そういう言葉を選んでくれたジャン=クロードにも、感謝したかった。
しかし、今はそれより重要なことがある。
彼の見たデュークは、偽者だ。そうに決まっている。
だが、それをジャン=クロードに言うわけにはいかない。知らせてもいいことなら、麗香さんがそう計らうだろう。今のぼくには、ただ、麗香さんを信じて従うことしかできないのだから。
***
《アヴァロン》第一の繁華街に、センタービルという名の巨大な要塞がある。たくさんのバルコニーがそれぞれ緑で覆われた、岩山のようなビル。
都市の真の中枢ではないにしても(それはおそらく、部外者には見えない場所に隠されているはずだ)、中枢に見せかけている場所だ。
ぼくとジャン=クロードは、センタービル上層の特別階へ通じる、専用エレベーターに乗っていた。
彼は珍しく、正装のダークスーツ姿だ。ぼくはいつもの、紺のブレザーというお小姓スタイル。白いシャツブラウスの襟元に、ターコイズブルーの細いリボンを結んでいるのがアクセント。
護衛兵の同伴は許可されず、地下駐車場に入れた車で待たせてあるから、ぼくたち二人きりだ。前に呼び出された時は、ジャン=クロードが一人で出頭したという。麗香さんはどんな手品で、この場所を利用できるのか。ここは六大組織の一つ《ティアマト》の直轄地と聞いている。系列組織のどれかが、麗香さんの手に落ちているのだろうか。
目的の階に到着すると、オフホワイトのスーツを着た、秘書スタイルの黒髪の美女が待ち受けていた。
「ようこそ、ミカエルさま、ジャン=クロードさま。こちらへどうぞ」
ふと不審に思ったのは、彼女がぼくの名を先に呼んだことだ。違法組織は、序列を重んじるのではなかったか。それとも、弱小組織内の序列など、気にする必要はないということか。
ぼくたちは奥へ案内され、ちょっとした緑の庭園を通り抜けて、豪華なサロンに出た。ギリシア神殿のような太い列柱は、警備兵が隠れるためだと聞いたことがある。常に、客から見えない側にいるのだと。
高い天井、白とクリームと金色の華やかな内装、優美な曲線を持つ家具、あちこちにこぼれるほど生けられた薔薇や百合、牡丹やガーベラ。
そこでは十数人の人々が、幾つかに分かれて談笑していた。穏やかでいながら自信に溢れ、一目で支配階級の集まりとわかる。
男たちは、趣味のいい紺やグレイのスーツ姿。
女性は二人しかいないが、どちらも個性的な美女だ。エメラルド色のドレススーツを着た長身の金髪美女と、白いワンピースドレスを着た、妖艶なプラチナブロンドの美女。最高幹部会で二人しかいない女性メンバー、リュクスとメリュジーヌか?
いや、しかし、これが本物の最高幹部会のはずはない。だって、麗香さんの率いる一族は長年、最高幹部会とは距離を置いてきたのだから。
ジャン=クロードを騙すために動員された、麗香さんの部下……いや、彼らはもしかしたら、ぼくが演じたラファエルのような、遠隔操作の人形なのかもしれない。麗香さんなら、一人で十二体を操ることも可能なのでは。
「やあ、ジャン=クロード。報告は見た。ご苦労だったな」
上背があり、恰幅のいい金髪の男が、カクテルのグラスを持ったままやってきた。濃紺のスーツの胸に、白いポケットチーフが差してある。大企業の経営者か、大物議員と言っても違和感のない貫禄だ。
「十分な資金援助を受けられましたので」
とジャン=クロードが静かに頭を下げた。いつものサングラスは、既に外してポケットに差してある。明白な恭順の姿勢だ。
「その資金の使い方が適切だった。きみはさすがに、そこらのチンピラとは違う。我々の期待に、よく応えてくれた」
顎の割れた、男臭い顔立ち。かすかなコロンの香り。この男が、辺境で知らない者のないデュークなのか。とても……偽者とは思えない。本物の威厳と落ち着きがある。
もしも、本当に本物なのだとしたら……?
ここは本当に、〝連合〟の最深部……?
「《ルーガル》の処理も、上手く済ませたな。知能強化型バイオロイドの合議体に任せたというのは、試みとして面白い。これがうまくいくようなら、他でも使えるかもしれない」
本気で言っているのか? この人たちは、それほど柔軟なのか? だからこそ……長く権力を保ってこられた?
もしかしたら……もしかしたら……ぼくは事態を、この世界を、片側からだけしか見ていなかったのか!? 支配される側からしか。
だって、想像もつかなかった……辺境を支配している雲の上の権力者たちが、実際に生きて呼吸している、ただの人間だなんて。
「それは、ミカエルの仕事です」
と、ぼくの方を身振りで示すジャン=クロード。
「それも、きみの指導があればこそだ。よくやってくれた。では、控え室にいたまえ。後でまた、次の指示を出す」
愕然とした。多くの若手の中から選ばれて、特別に引き立てられたジャン=クロードさえ、こんなに簡単に追い払われるのだ。
あまりにも、冷酷な格差。
ジャン=クロードはちらとぼくを見て、『頑張れ』とも『気の毒に』ともつかない苦笑を送ってきた後、くるりと背中を向け、案内役の美女と共に控え室に消えていった。このサロンとの間を隔てる、大きな扉が閉ざされてしまうと、よくわかる。ジャン=クロードなど、ほんの使い走りに過ぎないことが。
彼はおそらく、百年経っても、〝連合〟の中で、中級幹部の座に昇るのが精々だろう。なぜならば、ここにいる大物たちは老衰死せず、現役から引退しないからだ。階層の移動は、その下のレベルでしか起こらない。
「さて、ミカエル」
デュークはぼくの前にのっそりと立ち、灰青色の目で見据えてきて、穏やかに言う。
「色々と疑問もあるだろうが、とりあえず、今日はきみのお披露目だ。皆に挨拶したまえ」
「お披露目?」
「そうとも。辺境のプリンスのデビューだよ」
プリンス? ぼくが? それは、何の皮肉なのだ?
戸惑っているうち、サロンにいた全員が三々五々、ぼくの前にやってきた。天から舞い降りた白鳥の群れのように、優雅に上品に。
「やあ、よろしく、ミカエル。ぼくはナルシスだ」
「わたしはメリュジーヌ」
「リュクスよ」
「ぼくは疾風」
「ハリールだ」
「エオンと呼んでくれ」
「ダレイオスだ」
「アスガルだ。きみもこれから大変だが、せっかく〝あの方〟に選ばれたのだから、しっかりな」
「生きられなかった仲間の分も、長生きしたまえ」
「何かあったら、連絡してきて構わない。できる手助けをしよう」
「まあ、たぶん、きみが我々の助けを求めることはないと思うが」
全員がぼくに握手を求めたり、肩を叩いたりして、親しげに名乗っていった。これが何かの芝居なのだとは、もはや思えない。
この人たちは……本当に、六大組織を代表する十二名の最高権力者たちなのか。
改めて考えてみれば、このセンタービル内で身分詐称など、とてもできないだろう。厳重な警備システムが、建物内の隅々まで見張っているはず。誰でも入れる下層階ならともかく、ここは中層より上なのだから。
それならば……それならば……
最後に、一人の人物が椅子から立った。十三人目であり、しかも女性。椅子の高い背もたれのおかげで、それまで、ぼくからは見えなかったのだ。
彼女は深い竜胆色のワンピース姿で、首に二連の真珠の首飾りをかけ、長い黒髪を背に垂らしていた。耳にはお揃いの真珠のイヤリングを下げて、にっこりと言う。
「お疲れさま、ミカエル」
『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-6に続く
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