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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』5章-2

5章-2 ハニー

「イレーヌは、クリスマスはどこで過ごすの?」

「リゾート惑星、と言いたいけれど、ずっと仕事よ」

 それは、わたしも同じ。このビルから離れることは、滅多にない。違法組織のトップや幹部たちは、中央の市民たちより、はるかに勤勉だ。油断していたら、誰に足元をすくわれるかわからない。

「イブのパーティには?」

 どこの違法都市でも大抵、季節に応じて、都市の支配組織主催の盛大なパーティが開かれる。もちろん、招かれるのは、相応の地位にある者だけ。わたしとマックスは、毎回きちんと出席していた。他組織の幹部たちと交流することで、しばしば、新しい商売の機会が得られる。

「行きたいけれど、難しい案件を抱えているの。それに、エスコートなしではね」

「あなたなら、一人でも構わないでしょう。すぐに男性が寄ってくるわ。それに、弟さんがいるでしょう?」

「あの子は、姉とダンスなんかしてくれないわ。一人で躰を鍛えているか、部隊を率いて戦闘訓練をしているか」

「頼もしいわね」

「戦闘しか取り柄のない子よ。あなたのマックスの方が、オールマイティで頼りになるわ」

 そう、マックスは何でもできる。それはつまり、わたしがいなくても大丈夫だということだ。

 組織を立ち上げる時には、確かにわたしが役立ったけれど、わたしがいなかったとしても、彼はきっと成功しただろう。もっと時間がかかり、トラブルが多かったとしても。

 鹿肉のパイ包み焼きが来て、ワインを赤に切り替えた。他の客たちも、会話と食事を楽しんでいるようだ。ここでは一人の女性客も、しつこいナンパ男に煩わされずにのんびりできる。

 辺境で暮らす女性には科学者や技術者が多く、各組織に高給で抱えられているから、金離れはいい。彼女たちの満足する商品とサービスを提供すれば、繰り返し利用してくれる。口コミで、顧客も広がる。女の噂話ほど、頼りになるものはない。女たちの現状認識は、男よりはるかに鋭く辛辣だ。

「どこの都市でも、このビルの二番煎じが増えているわね。でも、本家には遠く及ばないわ。じきに営業不振で、撤退するでしょう」

 とイレーヌは言う。扱う商品も、季節毎のイベントの質も、従業員の水準も、比較にならないと。

「あなたに褒められると、何だか怖いわ」

 と笑ったら、イレーヌは澄まして微笑む。

「褒めて、後進を育てようとしているのよ。高い地位に女性が増えれば、辺境はもっとましな場所になるわ」

「……それには、男以上に悪辣にならないと。でも、女にそれは難しいわ」

 騙したり殺したりという無惨な行為は、女の生理に合わないのだ。たまには戦闘部門で働く女性もいるが、それは稀有な例外と言っていい。

 数少ない人間の女たちは、専門職として尊重されることで満足している。権力ピラミッドの頂点には立てなくても、不老処置が受けられ、バイオロイドの美少年や美青年をペットにできれば、それで十分だと。

「戦う本能と、愛する本能の違いね」

 とイレーヌ。

「女でも、〝リリス〟のような闘士はいるけれど」

 と答えた。ニュースで時々、見ている。司法局お抱えの、悪党狩りのハンター。彼女たちは、もう何十年、重犯罪者を追って戦い続けているのだろうか。市民社会では英雄だけれど、ことによったら、わたしもマックスも、いつか彼女たちに狩られるかもしれないのだ。

「あれは例外よ。戦闘用強化体だもの。もしかしたら、〝女の肉体をまとった男〟かもしれないし」

 そう言うイレーヌ本人は、どうだろう。不老処置だけで、戦闘用強化はしていないのか。

 マックスは最盛期の体力を維持するため、軽い薬品強化をしているし、いずれ本格的な遺伝子操作で、自分を改造するつもりだと言っている。

 それには、自前の研究施設を持つ方がいい。違法都市では色々な技術情報が売られているけれど、半端な切り売りにすぎないから。有力組織はどこも、最先端技術を機密にしているのだ。それが売りに出されるのは、古びて価値が薄れた頃になる。

 わたしにも、いずれ不老処置を受ける時が来るだろうけれど……

 洋梨のコンポートと甘い貴腐ワイン、その後にミルクティを楽しんでから、わたしたちは地階に降りた。イレーヌは、今夜はホテルに泊まらず、引き上げると言うので。

 高い天井を持つ大空間には、客たちの車が並んでいる。大型の武装トレーラーや、中型の護衛車両。先触れ用のバイク。ここの娘たちを送り迎えする車もある。

 イレーヌの車……真新しい大型トレーラーに近づいていくと、中から一人の女が降り立った。

 結い上げたプラチナの髪、白い肌、紫紺のツーピース。

 わたしは凝固した。

 なぜ、わたしにそっくりなの!? 顔立ちも服装も髪型も、装飾品まで。完全に同一ではないけれど、遠目には区別がつかないだろう。いえ、近くで見ても?

 何台もの大型車両の陰なので、他の客たちからは死角になる。あっと思った時には、イレーヌの護衛兵がわたしを抱き上げ、トレーラー内に運び入れていた。わたしの偽者は、悠然としてエレベーターの方に向かう。

 なぜ、すぐさま警報が鳴り響かないの!? わたしを追尾する警備カメラには、この入れ替わりが映っているはずなのに!?

 まさか、警備隊長のサンドラが買収されている!? それとも、ビルの管理システム《ボーイ》が乗っ取られている!? 《ボーイ》はマックスの組織全体を管理しているのだから、つまり《ディオネ》そのものが乗っ取られたことになるのでは!?

「離して!! 離しなさい!! 誰か来て!!」

 もがくわたしを、アンドロイド兵たちが座席にシートベルトで固定した。車はすぐに走り出し、ビルの地下から外の道路に出てしまう。

 世界は、夜の雨の中。

 誰も、わたしを助けに来ない。

 そんな馬鹿な。マックスが築き上げた組織が、こんなに簡単に食い破られるなんて。

「イレーヌ!! これはどういうこと!!」

 褐色の美女は平然として、近くの座席に腰掛けている。ストールすら乱れていない。

「心配しないで。あなたに危害は加えないわ」

「これが、危害じゃないっていうの!?」

「単なる誘拐よ。いえ、招待だわ。暴れないでね。麻酔を打たれるのは厭でしょう」

 すうっと頭が冷えた。

 もしかして、このために、一年も前から《ヴィーナス・タウン》の得意客になっていたの。わたしを安心させ、マックスの留守を狙うために。

「マックスから、身代金を取るつもりね」

 きっと、途方もない金額だろう。彼が、組織を傾かせるほどの金額を、わたしのために払うかどうかは、怪しいものだと思うけれど。

「いいえ、そんなものは要らないわ。わたしはただ、あなたが欲しかっただけ」

 わたしはつい、度を失ってしまった。

「あなたやっぱり、そういう趣味だったの!?」

 イレーヌは楽しげに、ころころ笑った。

「あら、いいえ。わたし、そういう方面には関心がないの。ご期待とあらば、努力してみるけど」

「しなくていいわ。それじゃ、マックスをおびき寄せて、殺すつもりね。《ディオネ》の乗っ取りが目的なのね」

 けれど、イレーヌはまだ微笑んでいる。

「少し違うわ。乗っ取りは、もう完了しているの。あなたの店はもちろん、《ディオネ》の他の拠点も、全てこちらの管理下に入ったわ。だからこそ、あなたを連れ出すことができたのよ。マックスにも、選んでもらいます。わたしに従うか、それとも、逆らって冷凍されるかをね……」

 しんとしたあきらめに浸され、力が抜けた。勝負は、既に決していたのだ。イレーヌはただ、《ディオネ》が育つのを待っていただけ。手頃な大きさになったら、丸ごと食らう。

 わたしたちもまた、他の大勢の若者のように、餌食にされるだけの存在にすぎなかったのか。辺境で生き残ることは、思っていたよりはるかに難しく、稀有なことだったのか。

 座席に深く沈み込んで、頭から血が引いていくのを感じていた。まさか、こんな風に、全てが終わってしまうなんて。マックスなら、きっと勝ち残れると思っていたのに。ちょっとばかりの才覚なんて、先行する組織には、摘み取る新芽ほどのものなんだわ……

「これからは、さっきの〝偽ハニー〟が社長を務めるわ。部下も顧客も、誰一人怪しまないと思うわよ。あなたのやり方は既にわかっているし、声も動作も振る舞いも、あなたそっくりになるまで稽古しているから」

 もちろん、イレーヌに抜かりがあるはずはない。わたしやマックスより、はるかに長く、この辺境で勝ち抜いているのだから。

   ***

 小惑星都市《カディス》の外周桟橋に停泊していた船は、わたしたちを乗せて出航した。目立たない中型艦だけれど、中身は豪華客船のよう。護衛艦も伴っているようだ。ただし、目的地は教えてもらえない。

 優雅なラウンジに案内されたわたしが、大きく弧を描くソファで黙りこんでいると、向かいに座ったイレーヌは、いたわるように言う。

「そんなに怖がらないで。あなたを怖がらせないために、一年かけて、お友達になったのだから」

 この期に及んで、よくも。

「友達ですって!? そんなものが辺境に存在しないこと、今日学んだわ。わたしを洗脳して使うの!? それとも、どこかへ売り飛ばすの!?」

 思いきり刺々しく言ったつもりだけれど、イレーヌは平穏なままだった。

「いいえ、そういうことではないのよ。わたしはもう何年も、弟の伴侶になりうる女性を探してきたの」

 えっ?

 いま、弟の……何と言ったの?

「それで、あなたが一番相応しいと判断したのよ。だから、お見合いしてもらおうと思っているだけ」

 わたしは仰天した。違法ポルノの撮影に使われると聞いた方が、まだ驚かなかっただろう。

「あなたの弟に……わたしを与える、ということ!?」

 確かにイレーヌの話には、何度も弟のことが出てきた。単純な戦闘馬鹿だと。でも、それ以外は何も知らない。

 彼女は悪びれず、にっこりする。

「わたしはね、辺境中調べ回って、弟を愛してくれる女性を探していたの。賢いだけではだめ。強いだけでもだめ。地獄を知っていて、なおかつ優しさを失っていないこと。あなたなら、申し分ないわ。本気で、バイオロイドの娘たちを守り育てているもの」

 ちょっと待って。

 それとこれとは、全然別な話でしょう。

 わたしはただ、自分が生きられる場所を作ろうとしていただけ。

 世界は確かに残酷な戦場だけれど、その中で、たった一か所だけでいい、避難所が欲しかった。さもないと、わたし自身が保たなかった。

「彼女たちが、どんなにあなたを尊敬しているか、きっと、あなた自身にもわかっていないくらいよ。五年で殺されるはずの女たちを、わざわざ集めて、治療して、生きる場所を用意した。ハニー、あなたの存在自体が、辺境の光明だわ。そういう女性に、弟を救ってもらいたいの」

 これはいったい、どういうこと。

 イレーヌが、わたしをそんな風に評価するなんて。

 マックスでさえ、そんな行為は、単なる感傷だと思っている。彼は《ヴィーナス・タウン》を、わたしの気晴らしのお遊びだと思っているだけ。《ディオネ》全体から見れば、小さな稼ぎ口にすぎない。益があるとすれば、評判が広まって《ディオネ》の宣伝になったことくらいだろう。

「救うって、どういう意味? あなたの弟なら、欲しいものは全て持っているはずよ」

 イレーヌは、痛みを含んだような微笑みを浮かべた。わたしがつい、イレーヌにも心があるのだと思いそうになったくらい。

「あの子、何年も前に恋人を失ってから、ずっと塞ぎ込んでいるの」

 ――ええ!?

「目先の仕事は何とかこなせても、本人はちっとも幸せじゃない。わたしの慰めなんかでは、到底足りないのよ。本物の恋人が必要なの。そうしたらまた、生きる気力を取り戻すわ。そして、もっと大きな仕事ができるはず」

 呆れた。

 たかが失恋くらいで、そんな大げさな。

 何て、ご親切な姉なのかしら。

「イレーヌ、あなた、あちこちで女をさらっては、弟に与えていたのね。その女が〝お気に入り〟になれなかったら、始末して、また次をさらうんでしょ。弟は青髭公!? 被害者はわたしで何人目!?」

 ふふふ、とイレーヌは笑った。わたしの怒りや反感など、まるきり問題にしていない。

「それは、自分で確かめてちょうだい。一か月ほどかかるけど、弟のいる場所に連れていくわ」

「ハニーさま、船室へご案内いたします」

 制服姿のアンドロイド侍女が現れ、わたしを先導しようとする。イレーヌの声が、わたしを送った。

「弟は、シヴァというの。あなたにも、いずれ納得してもらえるわ。シヴァはマックスより、あなたに相応しい男だと」


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』5章-3に続く

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