すなおにばさばさ


 運とは言え必然だったと感じる出来事があった。
 それは娘の幼稚園の園長先生のお便り。クラス便りは毎月一度は貰うけど園長先生のは不定期な様に感じていた。
 先生はこの様な仕事の身であって、こんなことをお話しするのは恥ずかしいのですが‥と前置きをしてから「私の子供たちが小さかった頃の子育ての話」をしてくれた。

 先生は幼稚園経営者の妻で働く母で子供は3人もいる。この女性が幼稚園児の教育に心を注いで自分の人生を費やしたことは今の姿をみればはっきりわかる。

充実と疲労の日々、もっと良くしたいと学びを取り入れてとてもとても働いたのだろうと思う。きっと自分の時間なんて無い。加えて地元ではない場所での一から始まる人間関係。仕事をやり切る自分と家事育児の中の自分。夢中で駆け抜ける。

 先生はある日家で子供たちが自分の周りに来て話をしなくなったと気づいた。それでこのままではいけないと我に帰った。

 夢中で駆け抜けていた。3人の子供の母だった先生は生徒の園児に向き合う気持ちを自分の子供達には返せていなかった。先生は立ち止まりその後もたくさん考えながら進んだのではないかな?と想像する。

 先生の気づきはそれを読んだ私の気づきに繋がった。
 私には忙しさに追われているうちに子供を寂しくさせていたと気づく親がいない。もし気づけても、前の暮らしの様に子供の方からたくさん話しかけてくれるそんな環境、これを私は経験したことがない。(幼少期に僅かにはあるけど)
 私の親は自分本位な返し方しか出来ない。子供が悩んで聞きに行っても
「わたしだったらこうするけどね!」
そんな感じだった。内容もとても粗野で、そんなのは田舎の鼻水垂らした5歳くらいのクソガキならそうすることもあるだろうか‥それもとっても育ちが悪くて、こらー!と大人に叫ばれて笑って走って逃げて行くそんなガキ。
小学生の女の子だった私は閉口してしまい一切親に相談しなくなった。

 これから生きていくのにあてにならない母親。見本になり得ない母親。何が悔しいのか捨て台詞を吐いて茶の間のあったまった空気を白けさせ、おれは仕事だ!と堂々と帰って行く。

 私の性格の中には、意地っ張りで甘えられず正しく生きていれば世間から文句は言われないと必死になる母、弱みは見せない、何かに対して戦々恐々として閉じこもった世界を生きる暗い人、を模倣した私がいる。人に目をつけられない様に外ではそこそこ愛想笑いをして悪口を言わず、家ではさっき会った人を罵りだす、そんな母親。気がちっちゃくて外で本心を表せれない母親。いい人だとどうやら近所で思われており、実はそうではないことを血筋である子供達には見せる母親。

 私はこの人を家族と呼べない。
ただ、長年蓋をしてきた様だ。それを園長先生は取り払ってくれた。先生のお便りに最初はいいなあって思った。先生、どこも恥ずかしい話じゃないじゃん、いいなあ、ここのお母さん。いいなあ、家族の異変に振り向けるお母さん。いいなぁ、子供達がお母さんきいてきいて!となんでもない話も大切な話もしに来てくれる、とっても明るい頑張り屋のお母さん。‥いいなあ。

 子連れで実家に身を寄せていたその時、離婚したばかりだった。自らの物差ししか持つ気がない母親は当然私を罵った。私が離婚になるほど傷を負っているとは想像が出来ない。たくさん電話で聞いてもらっていたはずなのに‥。
実家に嫌われていたおかげでさっさと自立出来ることもあるだろう。そしてそういう形の愛もある。
私は混乱していた。混乱するほど自分を誤魔化して取り繕って、今、何かが進んでこうやって生きてるんだからいいじゃん!と色んな問題を先延ばしにしていた。たくさんあった家庭内の出来事にその頃の私は言葉をあてる事が出来ずにいた。
耳を塞ぎたい事が山の様にあった。
それでそんな私を想像した後、現在おばさんになった私が優しくあの子の耳を私の大きな手で守ってあげた。
あの子は泣くこともしなかった。
あの子は耳を塞げなかった。だから私があの子の記憶に入り込み耳に蓋をして怖い音や怒鳴り声が遠くなる様に側に居ると決めた。
 中学生の私はセルフネグレクトだったのだろう。それは髪を金髪にしていきがって、あれはダサいとか同級生の品定めをするそういう反抗期とは一線を画す。私も茶色にはしていたけど、とにかく覇気が無く、教師に殴られる!と思ってもただ静かに殴られてあげていた。どうせ殴るんでしょう?それを通過しないとここから帰れないんでしょう。というひねた、白けた色のない透明な学生。教師は唖然とした顔だった気がする。そんなことで手を挙げるなんて許さない!と睨み返す?そんな気力はありません。

 母親に対して今も中身が空洞という感想を持つ。それは私への感想でもある。いつからかいつまでか、空洞のこころがあって、そこは私の傷や疲労がたくさん詰まっているけど触れない様に出来ている。

 先生のお便りを目につく場所に貼り何度も眺め、読み、そして破って捨てた。いつのまにか羨ましさと悲しみが実感できる様になってきたみたい。

 先生に返事を書きたかった。小さい子供をあやしながら何度も書く。何度書いてもまとまらない。こんな平安の巻物みたいな手紙もらっても困ってしまうって。また書き直す。書けば書くほど忘れていた蓋が硬く乗せられた出来事がするするするすると字になって行く。
書けば書くほど、自分自身のミステリーが明かされていく。手首に残る切り傷の後も、その後自傷を企てる私を責める気持ちもなんであるのか分かってきて泣きながら書いた。
 結局手紙は娘の卒園式までに間に合わなかった。

 誰かが読んでくれるかも知れないと思うからわかりやすく整然と書く努力が出来た。この手紙を読みたかったのは誰でもない、私だ。
ずっと自分の気持ちを認めずに歩いてきた。

 ずっと素直になりたかった。

 私は先生にお礼を言いたい。先生と私の生きた道をある物差しで計ったら
私なんかはひよこちゃんかも知れない。先生の苦労には到底及ばない。
素直になれば小さな私が今の私に手を伸ばして甘えてくれる。会いたかったと言っている。もうこんなに歳をとって2人の娘のお母さんなのよ。だからきっと今だから生身のからだに包容力をつけた私だから君とひとつになれるんだ。

 先生への手紙は私のライフワークになる。それをわかって書き仕上げる様に優しく諭してくれたひとり親支援員さんへもありがとうと言いたい。

 私は書くことを死ぬまでやめないと思う。


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