金大地(金属恵比須)

作曲家、ライター。 Greco / Zemaitisオフィシャルユーザー。 プログレッ…

金大地(金属恵比須)

作曲家、ライター。 Greco / Zemaitisオフィシャルユーザー。 プログレッシヴ・ロック・バンド「金属恵比須」リーダー。ギター、キーボード担当。 故・渡辺宙明より作曲指導を受ける。 雑誌『モノ・マガジン』にて「狂気の楽器塾」連載中。web『SPICE』では6年連載。

最近の記事

プログレは自家栽培こだわりの野菜のようなもの(プログレッシヴ・エッセイ 第27回)

前回、金属恵比須は曲づくりにおいて「マーケティングをしないことが一番のマーケティング」と吹聴してしまったが、少し不安になった。「マーチャンダイジング(商品化計画)」は必要ないとしたが、本当にそうだろうか。 そもそもマーケティングとは何なのか。ピーター・ドラッカーはこう表現する。 山崎製パンの夏八木康之氏が要約するとこうなる。 リスナーの聞きたいツボを知る調査をして(=マーケティングリサーチ=市場調査)、それに添った音楽を作り上げること(=マーチャンダイジング)がマーケテ

    • プログレバンドのマーケティング思考(プログレッシヴ・エッセイ 第26回)

      金属恵比須は結成33年になる。惰性のように続いている。 が、バンド存続の危機は何度かあった。大学3年ごろである。 当時のメンバーは全員同い年。進路をどうするかで揉めた。私以外の2人のメンバーは音楽を仕事としたいと考えていたが、私はアマチュア志向。好きな音楽を好きなように発表したかった。 多数決で私は負けた。2002年の金属恵比須は「プロ志向」となった。 打ち合わせで“売れ線”の曲を作ろうという方針となって持っていった曲が「赤狩りパートII」。のちの「紅葉狩パートIV」とな

      • 後藤マスヒロさんのこと(プログレッシヴ・エッセイ 第25回)

        ドラムの後藤マスヒロさんが金属恵比須に加入して10年になる(サポート含む)。マスヒロさんにとって最長記録更新中だそう。こんなに嬉しいことはない。なぜなら私は28年間、マスヒロファンだからだ。 初めて生で見たのは高校1年。1996年10月8日、日清パワーステーションにおける人間椅子のライブだった。 (「幸福のねじ」、『無限の住人ツアー』96年10月8日。初めて見たマスヒロさんの映像が残っていたのだ。客席10列目あたりでモミクチャにされて戸惑っている私が映っているのかいないの

        • 1999 椎名林檎と金田一(プログレッシヴ・エッセイ 第24回)

          椎名林檎に嫉妬している。 かれこれ25年か。 1999年、アルバム『無罪モラトリアム』の衝撃がいまだに尾を引いているのだ。旧字体や漢文の接続詞の使用、縦書きの歌詞カード、ノイジーな音作り。 やられた。 私の主宰するバンド「金属恵比須」は当時高校3年生から浪人の頃。若気の至りでとにかくメジャーシーンの音楽を意味もなく憎んでいた。 メジャーでは絶対やらないでろう奇をてらったことばかりやっていた。 考え抜いて取り入れたのが、旧字体や漢文の接続詞の使用、縦書きの歌詞カード、ノイ

        プログレは自家栽培こだわりの野菜のようなもの(プログレッシヴ・エッセイ 第27回)

          平成ガメラとプログレ(プログレッシヴ・エッセイ 第23回)

          レッド・ツェッペリンのリーダー、ジミー・ペイジに憧れ、小学校5年頃、ギターを始めて、バンドを結成した。 アルバムのクレジットを見ると必ずこう書いてあった。 「Produced by Jimmy Page」 その頃に読んだツェッペリン関連の本で、アルバム作りに関して、 「ペイジが曲を選び抜き、組み立てた」 といったようなニュアンスのことが書かれていた。収録曲を選んで曲順を決めることだけがプロデューサー=リーダーの仕事だと勘違いしていた。 バンドによってリーダーとプロデュー

          平成ガメラとプログレ(プログレッシヴ・エッセイ 第23回)

          美輪明宏に導かれたギター人生(プログレッシヴ・エッセイ 第22回)

          「楽器が私を呼んでいる」 ということがある。 目的なくふらっと楽器屋に立ち寄った時に、飾られた楽器に呼び止められるのである。 1998年1月、高校2年の頃、新大久保の中古楽器店で確かにその声は聞こえた。 「ねえ、買ってよ」 声の主はギター。日本の老舗ブランドGrecoのMR-800だ。 1977年製で私よりも3つ年上。私はこのギターの存在を知らなかった。 その時はレス・ポール型をメインとして使用していたのだが、シングル・カッタウェイでハイポジションの弾きにくさを感じ

          美輪明宏に導かれたギター人生(プログレッシヴ・エッセイ 第22回)

          プログレ変態作曲法(プログレッシヴ・エッセイ 第21回)

          曲がなかなかできない。 ということで、そもそも自分がどのように曲を作っているかを今一度見直して糸口を探してみようかと。 まずはルーティンから。曲作りには直接的に関わることはないが、日々の蓄積として行なっていることである。 この積み重ねのもと、大きく分けて2つの軸から曲を組み立てていく。「テーマ決め」と「作曲方法」。 「テーマ決め」には3パターンある。 続いて「作曲方法」も3パターンある。 Iは、曲の初めから終わりまで頭の中で組み立てて完成した上で表出するやり方。割

          プログレ変態作曲法(プログレッシヴ・エッセイ 第21回)

          プログレバンドのリーダー論(プログレッシヴ・エッセイ 第20回)

          レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジに憧れてギターを始め、同時期に金属恵比須の前身バンドを結成した。以来33年間、バンドのリーダーを務めている。 それから、さまざまな音楽を聴くときには、 「リーダーは誰なのか」 を必ず意識していた。そしてリーダーは何をするのかを、解説書や図書館の蔵書などで学ぼうとしていた。 最初はやはりジミー・ペイジ。ケチという噂を知り、小学校6年の時、自販機の下を覗いては小銭を集めてジュースを買っていた。のちに“ケチ”の噂の原因は、新人メンバーとの

          プログレバンドのリーダー論(プログレッシヴ・エッセイ 第20回)

          ジミー・ペイジとフランクフルト世代(プログレッシヴ・エッセイ 第19回)

          ロックの歴史において代表的なイギリスのバンド「レッド・ツェッペリン」。 リーダー、ジミー・ペイジのギタープレイの姿は魔術的。それに魅了されギターを始めた人も多いと聞く。かくいう私もその一人である。小学校5年でロックに目覚め、ギターをやりたいと思ったのがペイジの影響だった。 ツェッペリンを知ったきっかけは、父親が録画したビデオ。1988年、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで催されたアトランティックレコード40周年記念コンサートがフジテレビの深夜に放映されていた。そこに

          ジミー・ペイジとフランクフルト世代(プログレッシヴ・エッセイ 第19回)

          プログレは曲の長さでゲームチェンジ(プログレッシヴ・エッセイ 第18回)

          去る2024年4月27日。 主宰するプログレバンド「金属恵比須」のワンマンライヴを吉祥寺シルバーエレファントにて催した。 ゲストでお呼びしたのがキーボードの塚田円さん。1990年メジャーデビューのプログレバンド「プロビデンス」のリーダーで、現在は「那由他計画」で活動中。10年前に金属恵比須『ハリガネムシ』発表直後から気に入っていただいていたのが縁で今回の出演に至る。 ライヴのMCでこう語る。 80年代のシンフォニック系、90年代以降のドリーム・シアター系という音楽性が

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          豚汁と児童館プログレ(プログレッシヴ・エッセイ 第17回)

          金属恵比須1年ぶりのワンマン・ライヴ。メンバーの5人中2人がガラリと変わる。2000年生まれのベーシスト埜咲ロクロウが正式加入し、ゲスト・キーボードには那由他計画の塚田円が参加する。金属恵比須史上最大の年齢差である。 が、金属恵比須。元々は1980年生まれの同級生バンドが母体。 「ザ・フォーク・ライス(The Folk Lice)民謡蛆蟲樂團」という名前だった。 1991年に結成して1992年に「The Lice」と名乗り始めた。ELPの前身バンド「The Nice」の最初

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          お茶の間プログレ (プログレッシヴ・エッセイ 第16回)

          近頃、牛丼チェーンの松屋でジョージア料理を提供し話題となった。専門店でしか頼むことのできなかった馴染みの薄い料理を、好みの味に調整して人気を博した。 音楽でも似たようなことが。 聖飢魔II。 ヘヴィ・メタルという70〜80年代では偏狭の音楽ジャンルを、キャラクター(人柄ではなくいわゆる「悪魔柄」)によって世間に浸透させた。お茶の間にヘビメタを浸透させた功績は大きい。 プログレ・バンド「金属恵比須」のパーパスはこれに倣い、 「お茶の間にプログレ」 としている。 幸いにし

          お茶の間プログレ (プログレッシヴ・エッセイ 第16回)

          新曲づくりと武満徹 (プログレッシヴ・エッセイ 第15回)

          金属恵比須は、来るワンマンライヴに向けて新曲を作っている。 コンセプトは「火曜サスペンス劇場の主題歌」。 プログレバンドが火サスとは頭でにわかには結びつかないかもしれない。が、プログレ的手法が使い尽くされている現在、どうすればプログレッシヴ(進歩的)になるかと考えた結果だ。 「もしも金属恵比須に火サスの主題歌の依頼がきたら?」 というコンセプト。 企画がプログレ。 そのために、わざわざ火サスのエンディング風の動画を作成し、それに合わせて作曲した。 視覚を想起させるよう

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          同じCDを買う優越感と恐怖 (プログレッシヴ・エッセイ 第14回)

          同じアルバムCDをあえて何枚も買うのがプログレリスナーの習性だ。 私もピーター・ガブリエル『II』『プレイズ・ライヴ』『So』はそれぞれ5枚以上持っている。“違いのわかる男”という承認欲求だけのための購買心理。 (そして大抵違いがわからない) だが、それが無意識の購買行動だと途端に恐怖となる。 「もしかしてアルツハイマー?」 と疑い、自分を責め出す。40歳手前で多くなってきた。 それだけでない。上司の苗字を忘れる、朝のニュースを昼には覚えていない。子供との遊ぶ約束をす

          同じCDを買う優越感と恐怖 (プログレッシヴ・エッセイ 第14回)

          『シン・仮面ライダー』とプログレ〈庵野監督と金属恵比須〉【後編】(プログレッシヴ・エッセイ 第13回)

          『シン・仮面ライダー』公開1周年だが、公開1ヶ月にして興行収入20億円を突破。歴代「仮面ライダー」シリーズでトップに躍り出た。 50年前のコンテンツを再構成し新たな世界を作り出し、なぜこんなにヒットしたのだろうか。 エグゼクティブプロデューサーの白倉伸一郎氏はこう語る。 前号で取り上げたオリジナルのリスペクト作業は、目的ではなく手段にすぎない。企画プロデュースの紀伊家之氏はこういう。 造形はクリエイターとして、「映画体験は何ぞや」と考えるのはプロデューサーとして、それ

          『シン・仮面ライダー』とプログレ〈庵野監督と金属恵比須〉【後編】(プログレッシヴ・エッセイ 第13回)

          『シン・仮面ライダー』とプログレ〈庵野監督と金属恵比須〉【中編】(プログレッシヴ・エッセイ 第12回)

          さて『シン・仮面ライダー』の話。 一視聴者がバンドを運営するにあたりどのような影響を受けたか。50年前の題材を現代でどう表現するかというのが、プログレという50年前の音楽を再現している金属恵比須にとっての共通点である。 この映画には50年前の素材が散りばめている。クモオーグとの戦いは、オリジナルの蜘蛛男と戦った奥多摩の小河内ダムがロケ地だ。マニアが唸るギミックも随所に。  庵野監督はこういう。 まずは古き対象を「分析・検証」することから始めている。 准監督の尾上克郎氏

          『シン・仮面ライダー』とプログレ〈庵野監督と金属恵比須〉【中編】(プログレッシヴ・エッセイ 第12回)